第739話 グリフィニアへの帰路
翌日は、シルフェ様たちに旧レイヴンの5人、エステルちゃんにクロウちゃんと人数を絞ってニュムペ様の水の精霊屋敷に行き、冬休みで王都を離れる挨拶をして、地下拠点の点検もして来た。
そしてその翌々日12月21日、グリフィニアに向けて出発する。
まずは朝食後に、シルフェ様とシフォニナさん、シモーネちゃんがアルさんの背中に乗って飛び立って行った。
近ごろは自ら風になって行かないよな。アルさんは、やはり馬車代わりなのだろうか。
長期休みに入るといつものことなので、年を越してどうするとかの相談もしない。
たぶん、1月の半ば以降にグリフィニアに姿を見せるよね。
そして彼女らを見送ったあとは、俺たちも出立だ。
今回は全員で揃って出るので王都屋敷は空になり、誰も見送りはいない。
馬車にはエステルちゃんとカリちゃんにアデーレさんとエディットちゃん、そして爺ちゃんと婆ちゃんも乗せる。
グリフィニアとの行き帰りに俺が騎乗で行くのはジェルさんが少々渋ったが、人数的に窮屈になるから仕方ないよね。
「男爵さまのところからは馬車ですぞ」
「はいです」
エーリッキ爺ちゃんとカーリ婆ちゃんは、ジルベール男爵お爺ちゃんのところで1泊したあと、ティモさんに護衛をお願いして馬で里まで帰る予定だからね。
ちなみエステルちゃんの青影には、御者役のフォルくんとユディちゃんが交替で騎乗し、王都屋敷の馬もすべて出払うことになる。
フォルス大門を出ると、北から吹く冷たい風が顔に当たった。
王都からグリフィニアを経て、辺境伯領都エールデシュタットへと至るこの北の街道を馬で行くのは、俺も初めてだよな。
ナイアの森へ行く道はすっかり慣れてしまったが、この北の街道を行き来するのは年に2回だし、いつもは馬車の中からだから、黒影の背から眺める風景はとても新鮮だ。
馬車の後ろでのんびりと進んでいると、ユルヨ爺とブルーノさんが馬を寄せて来た。
そうか。子どものときから俺を見てくれていたブルーノさんに、これからはこのユルヨ爺も身近に加わるんだよな。
「ねえ、ユルヨ爺ってグリフィニアは?」
「ああ、15年戦争以来ですかな。あの当時は、カート様に大層お世話になり申した」
それ以来ならば35、6年振りということか。
15年戦争の英雄カートお爺ちゃんとは、当然だけど面識があったんだね。
「ブルーノさんとは知り合いだったの?」
「自分は、あの頃はまだ若造でやすからな。ファータの部隊がいるとは知っていやしたが、さすがにユルヨ爺とは」
「わしは、アルポやエルノの部隊とは常に一緒ということではなくて、別に行動することも多かったですからな。で、わしの顔を良く知っておったのは、一部の方たちだけですのう」
アルポさんとエルノさんの特別戦闘工作部隊は、その部隊名称の通り特別な軍事作戦を担って戦闘と工作を行う、つまり特殊部隊だったらしい。
なので、表でも裏でも作戦行動を行ったようだが、ユルヨ爺はその更に裏の裏の作戦で働いていたのかもだ。
ファータの探索者はいったんその存在を薄くすると、普通ならなかなか認識し難くなるしね。
「いや、わしも戦争当時は、もう半ば現役を引退しておりましたで、主に本陣に詰めて、繋ぎ役ばかりでしたよ。はっはっは」
これは謙遜と言うか、かなり嘘だな。このファータでいちばんの戦士が、そんな後方の裏方ばかりをやっていた訳がない。
途中1泊を挟んで、ブライアント男爵家へと到着した。
ジルベールお爺ちゃんとフランカお婆ちゃんが、いつものように出迎えてくれる。ユリアナ母さんも一緒だね。
「なんじゃなんじゃ、エーリッキさんよ。おぬし、あれからずっと王都じゃったのか」
「ふふふ。ジルベールの爺様よ。羨ましかろうて」
「ふん。わしよりずっと歳上の爺さんに、爺様と呼ばれる筋合いはないわい。あー、わしも早く引退して、ザックとエステルのところに行くぞ」
「わしはまだ、引退しておらんがな」
これはいい手合いだよな。確かにエーリッキ爺ちゃんの方がかなり歳上なのだろうけど、もうこうなるとただの爺さん同士の他愛もない言い合いだ。
「エステルごめんね。ザックさまも申し訳ありません。そんなに長く滞在させていただくなんて。義父さんも義母さんも、子どもたちに甘えちゃって」
「ふたりとも、もう子どもなんかではないぞ。わしらが上に頂く存在じゃ」
「まあその話は、ユリアナにはこんどゆっくりとね。でもわたしも、すっかりのんびりさせて貰いましたよ」
「そう言えば、わたしにも聞こえて来たわよ。イェッセが、無謀にもザックさまと立ち会ったって」
「おおよ。あのときのザック様は見事じゃった。まあイェッセあたりでは、手も足も出んじゃったがな」
ユリアナ母さんはイェッセさんと従姉弟らしいから、彼のことはよく知っている。
それにこちらにも話は伝わっていたのか。と言うか、ファータ内では直ぐに情報が流れたのだろうね。
「なんだなんだ。その話、聞かせろ」
「ほらほらお爺さん。いつまでも玄関ホールで立って話してないで、まずは座っていただかないと。ジェルさんたちも、ゆっくり休んでくださいね」
晩餐の席ではユルヨ爺も加わって賑やかに食事をし、食後の団欒はアルコールも入ってやはり戦争当時の話題だ。
「ユルヨ爺は当時もいまも爺様じゃからな。エーリッキは、多少は若かったかな」
「ふん。ジルベールは、いまは見る影もないが、あの頃は働き盛りじゃったの」
「いまも働き盛りじゃわい」
まあずっとこんな感じだ。
「それでユルヨ爺がちょっと変装するとな、これがまるでその辺の農家の爺様な訳よ。それで敵陣に潜り込んで、ちょっくら御免くらっしょ。帝国の将軍様に、畑で出来たものを献上に参りました、だなんてな」
「まるで、見て来たようなことを言うわい」
「なあに、アルポあたりから教えて貰うたのよ」
「ああ、やつの部隊の連中も変装させて、一緒に潜り込んだことがあったな」
おそらく敵陣の攪乱に、ファータの少数精鋭で潜入したのだろうね。
爺さんたちはそんな日々を送っていた訳だ。
「それで、ユルヨ爺はザックさまたちとグリフィニアに行くのね」
「おうよ、ユリアナさん。ヨムヘル様のご命令だによってな」
「ヨムヘルさまの?」
「このユルヨ爺は、そういうお告げを聞いたのじゃと。それで1年も掛けて準備して来よった」
「だから、それで今回なんだ。そうなのね。ヨムヘルさまのお告げかぁ」
ユリアナ母さんは、俺が生まれるずいぶんと前にシルフェ様のお告げを聞いている。
ひときわ精霊様や神様への信仰心が強い精霊族のファータだからこそ、そう話を聞けば素直に受取れるのだろう。
「それで、ユルヨ爺はこれからどうするの?」
「どうするって、ザック様のお側に控えておるだけのことよな。ザック様とエステル様をお護りし、お側の若い衆を鍛え、ジェルさんやブルーノさんたちと共に働き、ご命令があれば人でも魔物でも斬るだけだ」
ユルヨ爺はいつの間にかエステルちゃんのことを、エステル様か他のファータの人のようにエステル嬢様と呼ぶようになっていた。
本人も言っていたが、ファータの一族の一員であると同時に、一個人としては俺に臣従したのだと主張している。
それから、明日は爺ちゃんと婆ちゃんが里への帰路につき、念のための護衛としてティモさんに同道させると話したら、ユリアナ母さんが「それなら、わたしが送って行くわ。年寄りのお世話を、この嫁も少しはしないとだしね」と引き受けてくれた。
婆ちゃんは「それじゃ、そうして貰いましょうかね」と素直に喜び、爺ちゃんは「ふん、世話などまだいらんわい」とまた強がりを言いながらも、やはり嬉しそうだった。
ティモさんをこちらの小隊からひとり引き離すのが、少々後ろめたかったのだろうね。
爺ちゃんと婆ちゃん、そしてユリアナ母さんと別れ、ジルベールお爺ちゃんとフランカお婆ちゃんに見送られてブライアント男爵家を出立し、街道を北上する。
ブライアント男爵領を過ぎると、この季節はいつも思うけどいちだんと寒さが身体に染みるよね。
でもこの最後の行程は、ジェルさんの言いつけを守って俺は馬車の中だ。
「あ」
「なんですか、もう。いきなり大きな声を出して」
「アナスタシアホームに持って行くお土産って、買ったかな」
「ああ、そのことですか。今年はアデーレさんも一緒ですし、ザックトルテを焼いて持って行くって決めたでしょ。あと、小物やおもちゃなんかも買っておきましたよ」
「カァ」
「さすがはエステルちゃんでありますな」
「それは、ザックさまがちゃんと話を聞いてないからだけです」
「カァカァ」
恒例のアナスタシアホームでのクリスマスパーティーならぬ、冬至前の訪問とパーティーは明日の24日だからね。
いつもグリフィニアに帰着した翌日で慌ただしいけど、俺的にはこの日を譲れない。
そうか。アデーレさんに明日の朝からザックトルテを焼いて貰って、トビーくん謹製の各種お菓子と一緒に持って行くって決めたんだ。
加えて王都土産をちゃんと買っておいてくれたのは、エステルちゃんらしい配慮だね。
「ザックさまは隅々まで耳を傾けて、みんなの話を聞いてなきゃだめなのに、いちばん身近なところで聞いてないですよね」
「この人の場合、やたら耳はいいのだけど、問題は直ぐに忘れるところなの」
「カァカァ」
前世の世界の偉い人じゃないんだから、何十人の人の話を同時に聞き分けるとか無理ですからね。
カァカァカァ。あの方は豊聡耳って呼ばれて、多人数もそうだけど、ほぼ言語的に通じないような各種の方言が、いくつも理解出来たって説もあるのですか。なるほどね。
この世界だと、訛りはあっても基本は同じ言語だから助かるよな。
不意に馬車が停止して、直ぐにジェルさんが馬を寄せて来た。
「何かあった?」
「はい。前方で、おそらくは乗り合い馬車ですが、それが停まっていて、なにやら乗客たちが降りているようで。いま、ティモさんが見に行っています」
ここはもうブライアント男爵領を出て、グリフィン子爵領に入った辺りかな。
北辺の地域でも、特に両領を繋ぐ街道は治安が良いので、盗賊などが出ることはまず無い。
なので、何か乗客たちのトラブルだろうか。
直ぐにティモさんが戻って来て、どうやら乗客同士の喧嘩が起きたようだと報告してくれた。
乗り合い馬車の車内での喧嘩とか、傍迷惑な話だ。
俺は馬車を近づけさせて、街道へと降りて近寄って行く。
なるほど、ふたりの男性が胸ぐらをつかみ合って大声で何か喚き、そのふたりを5人ほどの人たちが囲んでいる。
「どうしたのですかー?」
たいした危険は無さそうだと判断したのか、ジェルさんたちも馬を降りて俺の後ろに従ってはいるが、前に出て直ぐにどうこうするつもりはないようだ。
それでも、いまは騎乗のフォルくんを加えた男衆は、半数が乗り合い馬車の前に出て、街道の前後を固めている。
「あ、これはっ。ザカリー様っ」と、喧嘩を囲んでいた男性のひとりが近づいて来た俺に気がついた。
ああこの人、知っている人だね。
「あれー、ビアージョのおやじさんじゃないのー。何があったのー?」
「ライナちゃんかよ。すると、この御方はまさしくザカリー様だぜ。夏至祭のときよりも、またいちだんと逞しくおなりだ」
直ぐ側でいまにも殴り合いが始まりそうなのに、なんとも平然としたものだ。
そうそう。この人は、グリフィニアと王都を往復する乗り合い馬車の御者さんで、いまライナさんが名前を呼んだビアージョさんだ。
グリフィニアの多くの商家や冒険者と顔馴染みで、顔が広いんだよな。
「ああ、こんにちは、ビアージョさん。それで、どうしたのかな?」
「いやあ、それがな、ザカリー様。馬車の中で、客同士が揉めたようなんですわ。あ、これはエステル様も。道を塞いじまって、なんとも申し訳ねえ」
ジェルさんたちの後ろからエステルちゃんと、クロウちゃんを抱いたカリちゃんも降りて来ていた。
そんな俺たちが来たのに気がついて、胸ぐらを掴み合っていた片方の男性が手を離し、相手の手も払って俺の方を向く。そして恥ずかしそうに、ぺこりと頭を下げた。
「おいおい、てめえ、急にどうしたっていうんだ。それに、そっちの若いのは何だよぉ」
「静かにせんか。こちらはグリフィン子爵家ご長男、ザカリー・グリフィンさまなるぞ。控えいっ」
周りを囲んだ他の男女の乗客たちも、俺にぺこりと頭を下げる。
しかし、喧嘩の当事者の片方だけが目を剥いてこちらを睨みながら大きな声を出し、ジェルさんの一喝が飛んだ。
「ひえっ。御領主様のご長男っ」
どうやらこの男性だけが周りの状況が見えておらず、俺の顔も知らなかったようだけど、グリフィニアの人じゃないのかな。カァ。
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