第706話 ザック、ユニコーンから妹を守る
アデーレさんやエディットちゃん、そしてソフィちゃんが一緒なので、ナイアの森の中を幾分ゆっくりめに進む。
この辺は先頭を取っているブルーノさんとティモさんが、うまくコントロールしてくれている。
尤も、ソフィちゃんの場合はこの森、そしてアラストル大森林も歩いた経験があるので、まったく心配がない。
やがて迷い霧に到着し、彼女はいささか面食らっていたようだ。
だがこの深い霧がシルフェ様の提供したものだと聞いて、納得していたけどね。
それでも慎重に霧の中を進み、それを抜けて妖精の森の中心部となるエリアへと入る。
すると森の瑞々しさが一段と増したようだ。
9月に入ったとはいえ、まだ陽射しも強く気温も高かったのだが、霧を抜けても涼しい心地良さが全身を包み続けてくれる。
「シルフェ様の森は風が心地良かったですけど、ここはまた違った心地良さですよね」
「うん。もう水の精霊の妖精の森、その中心部に入ったから」
「ふぇー、そうですかぁー。でも、地面が水でびちゃびちゃしてるとかじゃないんですね」
「水の精霊様だからって、そこら中を水びたしにする訳じゃないんだよ」
精霊屋敷の周囲は、いつの間にか大きな池になっちゃったけどね。
やがて、その精霊屋敷がある水の精霊の本拠地、ナイアの森の湧水地へと到着した。
屋敷の前にはニュムペ様やネオラさんをはじめ、水の精霊さんたちが出て来ていて、俺たちを出迎えてくれた。
既にシルフェ様たちが話してくれていたので、ソフィちゃんを連れて来たのを咎められることもなく歓迎してくれる。
「ザックさんがご許可されたのでしたら、わたくしどもは何の異存もありませんよ。それに、この子なら大丈夫です」とニュムペ様が言ってくれた。
「ありがとうございます、ニュムペさま。そうしたらご挨拶なさい、ソフィちゃん」
「はい、エステル姉さま。あの、初めてお目に掛かります。ソフィーナ・グスマンです。グリフィン家の者ではまだありませんけど、エステル姉さまとカリ姉さまの妹で、ザック兄さまの妹、兼秘書、兼同じ課外部の後輩であります。よろしくお願いいたします」
「あらあら、いろいろとお役目があるのですね。はい、わたしが水の精霊のニュムペです。こちらこそよろしくお願いしますね」
ソフィちゃんの自己紹介にはいくつか突っ込みたいところもあるのだが、秘書というのをしっかり付け加えているところは彼女らしい。
それにしても、グリフィン家の者では、まだ、ないというのはどういうことなのだろうか。
ともかくも他の水の精霊さんたちにも紹介が無事に終わったのだけど、少々困ったのはこの場にアルケタスくんとキュテリアちゃんが来ていたことだ。
ソフィちゃん、いちおう聞くけど、ユニコーンに会うのって初めてだよね。
「(おお、キミたちも来ておったのですな。気が付きませんでしたぞ)」
「(なにが気が付きませんでしたぞ、っすか。さっきから、ザカリー様の横にいたじゃないすか)」
「(お久し振りです、ザカリーさま)」
「(ああ、キュテリアちゃん、久し振り。元気そうで何よりだ)」
「(はい、お陰さまで)」
キュテリアちゃんはアルケタスくんよりやや小柄な体格だが、真っ白な毛並みがツヤツヤとしていてとても美人さんのユニコーンだよね。
「あのあの、ザック兄さま」
「なにかな? ソフィちゃん」
「その、ザック兄さまの隣にいるのは、お馬さんじゃないですよね」
「ああ、これ?」
「(これ、とか酷いなぁ、ザカリー様は)ブヒヒン」
「ちょっとキミは静かにしてなさい」
「ヒヒン」
「カァカァ」
キュテリアちゃんは俺に挨拶すると、エステルちゃんやカリちゃんがいる方に行って何か話している。
ソフィちゃんは俺に隠れるようにしながら、クロウちゃんを頭の上に乗せたアルケタスくんをじっと見ていた。
「これはユニコーンでありますな。この森の奥にはユニコーンの一族が棲んでいて、彼らはニュムペ様の眷属なのでありますよ。それで向うにいるのが、キュテリアちゃん」
「ブフヒン(僕のことも紹介してほしいっす)」
「煩いなぁ。こっちのユニコーンは、アルケタスくんね。これでもいちおう、この森のユニコーンの頭の息子なのですよ、いちおう」
「ひょー。ナイアの森にユニコーンさんがいたんですか。知りませんでした。でも、真っ白で、とっても綺麗ですよね」
「ヒヒン」
「こんにちは、アルケタスさん。よろしくお願いします。わたしはソフィです」
「ヒヒヒン」
「ちょっと、毛並みとか触っていいですか?」
「おおっと、ちょっと待ちなさい、ソフィちゃん」
「カァカァ」
「あ、はい」
「おーい、キュテリアちゃーん、少しいいかな」
「(はーい、なんですかぁ?)」
「申し訳ないけど、このソフィちゃんが毛並みを触りたいって言うから、ちょっと触らしてあげてくれないかなぁ」
「(ええ、そのぐらいぜんぜん構いませんよ。こんにちは、ソフィちゃん。わたしはキュテリアです)」
「キュテリアちゃんが触ってもいいってさ。ほら、彼女にも挨拶して、触らせて貰いなさい」
「あ、はい。こんにちは、キュテリアさん。わたしはソフィと言います。よろしくお願いします」
ソフィちゃんはキュテリアちゃんの側に行って、「きゃあ、いい手触り。すっごく滑らかで綺麗ですぅ」とか言いながら毛並みを撫でていた。
「(それで、どういうことっすかね、ザカリー様)」
「うん? 何が?」
「カァ」
「(何が? じゃないっすよ。どうして、わざわざキュテリアを呼んだのか、ということっすよ)」
「ああ、それはキミ。キミの身体をソフィちゃんが撫でるのは、どうもね」
「(ライナさんとか、前から普通に僕のこと撫でたり叩いたりしてたすっよ)」
ライナさんだったら平気で撫で回すよな。叩くのは、どうなんだか。
「(それはまあいいっすけど、ソフィさんて、凄っごく可愛い子っすよね)ブヒヒン」
ああ、ユニコーンの男子が人間の乙女好きというのを忘れてはおりませんぞ。
だからソフィちゃんには、キミを触らせなかったのですからな。
「(ソフィさんは、エステル様とカリ様の妹さんて言ってたっすよね? そしたら、精霊様なんすか? それともドラゴンなんすか?)」
「人間だよ。人族」
「(ああ、そうなんすか。それで、ザカリー様の妹でもあるんすね。でも家名が違うから、血の繋がりはないのか。でも、やっぱり強いんすかね。他のお姉さんたちほどは怖そうじゃなかったすけど)」
「まあ、現在は鍛錬中というところかな」
「(そうすか、そうすか)」
「キミは、ずいぶんとソフィちゃんが気になるようだけど、オネルさんはもういいのかな?」
「(あ、あの、オネルさんも美人で好きっすけど、ちょっと怖いんで。なので今日から、ソフィさんの方に……)」
「ぜったいダメでありますよ。どっちもダメです」
「カァカァ」
「ブヒッ」
「あなたたち、お昼にしますからお屋敷の中に入りなさい」
「へーい」
「カァ」
「ヒヒン」
アルケタスくんは人間の中ではうちのお姉さんたちが怖いらしいけど、最も素直に言うことを聞くのは、やはりエステルちゃんだ。
どうも出会った当初から彼女がいちばん怖いらしい。念話も通じるしね。
気が付いたらソフィちゃんとキュテリアちゃんも既に屋敷の中に入っていて、外でああだこうだ話していたのは俺たちだけになっておりました。
大勢で賑やかに昼食をいただき、食後にはザックトルテも振る舞った。
水の精霊さんたちもそのダークな色のトルテを怖々口にしていたけど、ひと口食べるとその味に魅了されたようだ。
人数が多いから少しずつだったけど、次に来るときにはもっと沢山持って来ないとだな。
「ザックさま、あれ持ってますよね。出してください」
「え? 何かな? カリちゃん」
「恍けてもダメです。ミルクショコレトールですよ」
「仕方ないですなぁ」
屋敷の冷蔵保管庫とは別に無限インベントリに入れていたのを、昨日カリちゃんに見られておりましたか。それでは出しましょう。
こちらも精霊さんたちには好評だった。
あと、キュテリアちゃんとアルケタスくんには少ないかもだけど、ユニコーンはこういうの食べても大丈夫なのだろうか。
確か前々世の世界では、犬や猫などのペットにチョコレートを食べさせてはいけないって言われていたんじゃないかな。カァカァカァ。
クロウちゃんによると、チョコレートの原材料であるカカオにはテオブロミンという成分が含まれていて、お茶などにも含まれているそうだが、あのチョコレート独特の苦味のもとでもある。
テオブロミンは血管を拡張して血流量を多くする効果があり、体温を上げたり、脳内物質のセロトニンに働きかけてリラックス効果をもたらすのだとか。カァ。
しかしこのテオブロミンやカフェインが犬や猫の体内に入ると、落ち着きがなくなったり、呼吸が速くなって神経過敏になったりする症状が表れるらしい。
また酷くなると、嘔吐や下痢、尿失禁、更には震えや発作、不整脈といった症状も出て、死に至ることもあるのだそうだ。
要するに中毒症状というもので、このチョコレート中毒を起こすことから、犬や猫にはチョコレートを決して食べさせてはいけないということのようですな。
えーと、だったらユニコーンはどうなのかな。そこんとこ、クロウちゃんはどう思う? カァカァカァ。動物の場合は種別や体格差、個体差によって異なるのでは、ですか。
でもこの世界のユニコーンて、所謂動物なのかなぁ? カァカァ。
神獣に近い存在だから、獣などの動物とは違うんじゃないかって。
そういうことを考えると、ドラゴン爺さんとドラゴン娘は普通に大量のチョコレートを食べていて、何とも無さそうだよな。
でも、そもそもドラゴンは獣とは違うよね。体格も元々は人間より遥かにデカいし。
「ザックさま、何か問題でもありましたか?」
「またクロウちゃんと、変なこと話してるんじゃないのー」
「ふたりで話してるときだけは、わたしたちにも分からないんですよね」
「ねえ、カリちゃん」
「はい、何ですか?」
「カリちゃんはさ、ショコレトールを食べて、気持ち悪くなったり、下痢したり、おしっこ漏らしそうになったりとか、したことない?」
「なーに、いきなり妙なこと聞くですか。そんなの、1回もありませんよぉ」
「ザックさまは、女の子に何を聞いてるんですか」
「やっぱり、変な話をしていたのよー、きっと」
「すんません」
あとでちゃんと理由を話して誤解を解いたのだが、このときはただ謝って、それからは静かユニコーンのふたりの様子を伺うだけにしておいた。
小さな声でカリちゃんに言ったので、これが聞こえたのはエステルちゃんとライナさんぐらいだったのが幸いでありました。
それで結果的に、ユニコーンのふたりに異変が起きることはなかった。
やはり神獣に近い存在だし、体格も大きいので、犬や猫などの動物と同列に考える必要はなかったようだ。食べさせた量も僅かだったし。
でもこれ以上、人間や精霊、ドラゴン以外にショコレトールを食べさせるのは控えた方がいいかもね。
そんなことがありつつも、午後はこの水の精霊の本拠地で皆でのんびりと過ごしました。
ナイアの森ではあれから特に問題は起きていないようで、水の精霊の存在がゆっくりと森に溶け込み平和な場所へと落ち着いて来ている。
アラストル大森林から移住して来たバシレイオスさんとキュテリアちゃんの一族も、どうやらすっかり馴染んだようだ。
警戒を怠る訳にはいかないけど、取りあえずは安心というところだろうか。
このまま平穏な状態が長く続いて、ニュムペ様が再び妖精の森を手放すような事態にならなければいいんだけどね。
いまのところ公式には、この森の近くに俺たちが居られるのがあと1年半足らず。
その先のことも考えないといけないよなと、うちの皆が水の精霊様たちと思い思いに過ごす様子を眺めながら、俺は考えるのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




