第705話 ザック、兄になる
ナイアの森に行く道中の馬車の中で、どんな会話が交わされていたのだろうか。
今日の目的地がどこかだとか、ソフィちゃんに話したかな。
そんなことを考えながら、やがていつもの途中休憩地点に着いた。
馬たちを休ませていると、馬車から彼女たちが降りて来る。
「ザック部長、聞いてください」と、ソフィちゃんがニコニコ嬉しそうに駆け寄って来た。
「ん? どうしたかな?」
「わたし、エステルさまとカリ姉さんの妹になっちゃいましたぁ」
ああ、エステルちゃんが昨日言っていたその話だね。
道中、そんな話をしていたんだ。「良かったね、ソフィちゃん」と、俺はそんなことしか言えない。
「それでですね。エステル姉さまがですね」
エステルちゃんはエステル姉さまになったんだね。
「エステル姉さまがですね、わたしが姉さまの妹ということは、それはザック部長の妹ということですよって。でも、それでいいか、ザック部長に話してちゃんと了解を貰いなさいって。えへへ」
えへへと、ソフィちゃんは満面の笑みを浮かべて俺を見つめて来る。
「どうですか? いいですか? いいですよね? それとも、ダメですか? やっぱりダメですか」
俺が何も口を開かないうちに、自分で「ダメですかぁ」とか言いながら、笑みから一転して悲しげな、いまにも涙を流しそうな表情になった。
あー、だからさ、そういう目で俺を見たら、ダメとか言えないではありませんか。
「んー、ダメではないよ。エステルちゃんがそう言ったのなら、それでも……」
「ザック部長ご自身は、どうなんですか?」
「あ、えーと」
俺は周囲を見回したが、誰も近寄って来てくれませんな。クロウちゃんはどこ行ったのかな。
これも修行ですか。記憶と意識のある3つの人生を繋いで歩んでいても、修行は続くのですな。
事実で言えばソフィちゃんは同じ学院の下級生で、課外部の後輩で、この1年半の間、練習の時間を共に過ごした間柄だ。
だが、この夏の間の出来事で、彼女の家絡みの事情や現在の状況が打ち明けられ、エステルちゃんをはじめうちの者たちは、彼女を出来る限り護ってあげたいという気持ちになっていた。
それと同時に、シルフェ様などはソフィちゃんを自分の妖精の森に招くなど、言ってみれば人間に対して本来あり得ない好意というか、親しみというか、要するに特別扱いにした。
通常は人間社会の事情には自ら能動的に関与しないのが精霊様だから、これは異例のことなんだよね。
だいたい、うちの父母や姉に対してだって、自分のところに招待するなんてことはこれまで話題に乗せたこともなかったのだから。
ソフィちゃんはもしかして、この世界で俺と同じような事情で生まれた人間なのかを聞いてみたとき、それは俺とエステルちゃんで確かめろと、シルフェ様は言っていたよな。
あと、昨年の春に俺がこの子と初めて会ったとき、アマラ様の声が聞こえたのもあるしね。
それから今日の件では、昨日にシルフェ様は俺の覚悟の問題だって言っていたよな。
カァカァ。え、クロウちゃんはどこにいるの? あ、俺たちの上空で文字通り羽根を伸ばしているのか。
カァカァカァ。理屈で考えるんじゃなくて、自分の直感で決めて応えてあげればいいんじゃない、って。キミはそう言うけどさ。
「えーと、それでいいよ」
「え、ホントですか? やったー」
ソフィちゃんは「やったー」と両手を空に伸ばし、再び満面の笑顔に戻った。
が、直ぐになんだかもじもじしている。
「えとえと、あのあの。そしたら、ザック部長のこと、ザック兄さまて呼んでいいですか?」
ああ、そういうことですか。
「うん、いいけど」
「あ、はい。そうしましたら、ザック兄さま……。ひゃあ。恥ずかしい」
ソフィちゃんはそう小さな声で言って、ひゃとか、きゃとか声を洩らして両手で顔を覆った。
「でも、学院では部長だからね」
「あ、はい。でも。はい。仕方ないです。はい」
それからなんだか小さくブツブツ言っているけど、学院でザック兄さまとか呼ばれたら、またどんな噂になるか。
ミルカさんではないけど、王立学院というのは悪意の無いスパイだらけとも言える場所だからなぁ。
目の前で何をブツブツ言っているのか耳を澄ませて聞いてみると、「ザック兄さま、ザック兄さま」とソフィちゃんは何度も繰り返しているのだった。
「それで、今日これから、どこに行くのかは聞いたのかな?」
「あ、ひゃい。それは、ザック兄さまに聞きなさいって言われて」
あー、馬車の人たちは俺に振ったですね。まあ、俺の責任だからね。
「これから行くのは、ナイアの森なんだけど」
「はい。それは道が同じだから、そうかなって」
「うん。だけど、この前の合宿で行ったナイア湖畔ではなくて、別の場所に行きます」
「別の場所、ですか?」
「まず行くのは、グリフィン子爵家の秘密の場所です」
「グリフィン子爵家の秘密の場所??」
「なので、ソフィちゃんにはその秘密を守っていただきます。誰にも話してはいけません。取りあえず、ドミニクさんにもです。もし、それを僕に約束出来なかったら、今日はこれで屋敷に引き返します」
「ええー、脅しですか?」
「脅しではないよ。ソフィちゃんだから秘密を守ってくれると思って、そう話しているんだよ。その、えーと、妹だからね」
「あ、ひゃい。妹はザック兄さまの秘密を死んでも守る所存です」
そうですか。もう妹ロールになり切ったですね。いやこれは、彼女が好きだったロールプレイではないのか。
この小休止場所であまり時間を掛けても仕方がないので、ナイアの森にうちが秘匿している拠点があることだけ話して、続きはその地下拠点に着いてから教えることにした。
「お話はそのぐらいで、そろそろ」とジェルさんが近づいて来たしね。
俺とソフィちゃんから少し離れて他の皆がいる方を見ると、それぞれが思い思いに休息を取りながらも全員がこちらの様子を伺っていたようだった。
それでエステルちゃんに「ソフィちゃーん、馬車に乗るわよー」と呼ばれて、「はーい、エステル姉さまぁ」と彼女は走って行った。
「そういうことになったのねー」
「なんだかそうなんだよね、ライナさん」
「そうしないと、ソフィちゃんを連れて行けないですもんね」
「まあ、エステルさまが決めたことでもあるのだ、オネル」
出発の用意をしながら、お姉さんたちと言葉を交わす。
ジェルさんは昨日、一緒に話に加わっていたからね。
「でも、ソフィちゃんにとっては良かったです、エステルさまがお姉さまになって。あの子には、そういう家族が必要なんですよ。と言うことは、ザカリーさまがお兄さま?」
「あは。末っ子体質のザカリーさまが兄貴とか、これは心配だわー」
「わたしたち全員の弟ですもんね」
「まあそうしたら、ザカリーさまも少しぐらいは、兄らしくして貰わんといけませんな」
え、俺って末っ子体質なの? カァカァ。ああキミは空から下りて来たのか。
そんなのいまさらのことですと? カァ。
途中で隠された場所から脇道へと廻り、やがて森に入ると地下拠点に通じるトンネルの入口に着く。
そろそろ俺たちが来るだろうと、アルポさんとエルノさんが入口の大扉を開けて待っていてくれた。
それにしても、このトンネルへと通じる隠し導入路も、なんだかいつの間にか木々が濃くなっていて、ますます隠されるように周囲と見分けがつかなくなっているよな。
このナイアの森は、アラストル大森林と違ってそれほど森の成長や新陳代謝が急激ではない筈だけど、そこはやはり水の精霊様の影響がこの森の端にまで及んでいるのだろうか。
一行がトンネルに入ると再び大扉は閉められ、外からは大鍵が掛けられ、内側からは閂で閉じられる。
内側に残ったエルノさんが、ひょいと馬車の御者台のフォルくんの隣に納まった。相変わらず身の軽い爺さんだ。
そうして一行はトンネル内を進み、拠点の玄関口である地下の馬車寄せへと到着した。
「ここが、ザック兄さまたちの秘密の場所ですか。ふぇー、地面の下なんですね。何かの遺跡とか?」
「ここはわしらで作ったのじゃよ、ソフィ嬢ちゃん。皆で掘っての」
玄関口には、先行していたアルさんとカリちゃんも待っていた。
「ひょー、掘ったんですか。でも、馬車や馬さんがいても、まだずいぶんと広いですよ」
「それは、ザカリーさまとアルさんとライナさんに、グリフィニアのダレルの4人で、ぜんぶ掘ったんでやすよ。もちろん土魔法でやすがね」
「ひゃひゃー」
アルさんとブルーノさんがソフィちゃんとそんな会話をしている。
なんだか、親戚のお爺ちゃんやおじさんとかと話しているみたいだよな。
さあさあ、馬の世話を終えたら中に入りますよ。
ソフィちゃんを案内しながら、内部の点検も行う。
先日既にブルーノさんたちが点検と掃除を終えているので、あらためてチェックする程度だ。
特に問題は無いようだが、普段使用していない施設というのは何故か劣化するからね。
尤もここは、アルさんが劣化を防ぐ魔法を付与したらしいので、昨年の完成当時からほとんど変化は無い。
それでも手分けして、前室区画、倉庫区画、作戦区画、居住区画と4つの区画を点検し、俺はソフィちゃんを連れてすべての区画を説明しながら見て廻った。
彼女はどこでも、ほぉぉーとか、ひょーとか、ふぁーとか、変な声を洩らして感心しながら拠点内を歩いていましたな。
短時間で点検と見学を終えて、全員が作戦会議室に集合する。
「そうしたら、わたしたちは先にニュムペさんのところに行っているから、あとはよろしくね。ソフィちゃんにちゃんと話しておくのよ、ザックさん」
「向うでお待ちしていますよ。ニュムペさまには話しておきますので」
「では、わしらは行くかの」
「お先でーす」
人外の4人が地上へと出て行った。シモーネちゃんは俺たちと一緒かな? 「はいです」
「あのあの、これからどこに行くんですか?」
「いま、ザックさまが教えてくれますからね」
「ちゃんと説明するのよー、あなたはお兄ちゃんなんだから」
ライナさんは煩いですよ。暫くは、お兄ちゃんネタでいじられるんだろうな、これは。
「えーとですな。これから行くところが、今日の目的地なのであります」
「そうなんですね」
「先だっては、シルフェ様の本拠地である風の精霊の妖精の森に行きました」
「はい、畏れながら」
「あそこは人間の社会から離れた、ずいぶんと遠方でありましたな」
「そうでした。でも、精霊様のいらっしゃる妖精の森って、そんなものなんですよね」
「そうでありますな。人の目に触れず、人間が預り知らぬところで、この世界の自然の秩序を護ってくださっている。そんな精霊様の本拠地が、妖精の森なのであります」
「はい、とっても勉強になります」
「ザックさまったら、その解説は長くなりますかね。お昼が近いですから、あまり遅くならない方が」
「そうよー。いつまでも地下で長いお話をしているより、もっと簡潔にソフィちゃんに教えてあげて、ちゃっちゃと出発するわよー。そういう説明は、あとでゆっくりすればいいんだからー」
「はいです」
エステルちゃんとライナさんからダメ出しされました。
「えーとですな。そんな精霊様の妖精の森ですが、じつはここ、人間がいる直ぐ近くの場所にもあるのですよ」
「え? ええー、そうなんですか?」
「うん、これから僕たちが行くのは、ニュムペ様という真性の水の精霊様が本拠地にされている妖精の森。水の精霊屋敷なのでありますよ。それではどうして、水の精霊の妖精の森が、このナイアの森にあるのかと言いますとですな……」
「では、そろそろ出発しますぞ。よろしいですかな、エステルさま」
「ええ、遅くなっちゃいますから、行きましょうかね。ザックさま、その続きは、またゆっくりとソフィちゃんにお話ししてあげましょうね」
「はいです」
水の精霊さんたちも、俺たちが到着して一緒にお昼を食べるのを楽しみにしているだろうから、あまり遅くなってはいけないよな。
「水の精霊様、ですか……」
はい、そこでポカンとしているソフィちゃんも出発しますよ。
「ソフィさま、行きますですよ」
「あ、はい、シモーネちゃん」
シモーネちゃんがソフィちゃんの手を取って、ふたりは手を繋いで歩き出した。
その手を繋いでいる子も、じつは精霊なのだけどね。
では、まずは地上に出て、暫くは森の中を歩きますよ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




