第698話 ザックトルテ
翌日も朝食を終えたら直ぐに開発作業だ。
今日のプロジェクトメンバーも俺とクロウちゃんに、カリちゃんとソフィちゃん。
それから、アデーレさんとエディットちゃんにも加わって貰う。
それと言うのも俺が作りたいのは、前々世の世界でのオーストリア、ウィーンの名物菓子。チョコレートケーキの王様とも称される、あのトルテだ。
ケーキ作りにはやはり専門家のアデーレさんと、慣れているエディットちゃんの力が必要だからね。
ただし、元祖であるそのトルテの名称となったホテルで提供されるものや、前々世で俺がときたま買って食べていたウィーンの有名店のものと、同じクオリティになるかどうかは分からない。
レシピは、どこかで見て作成を試してみた俺の記憶の中にあるもの、いやクロウちゃんの中にあるものだからね。
元祖のレシピは当初から門外不出のものとされていて、それがもうひとつの有名店でどうして作られるようになったのかについてのお話もあるのだが、それはここでは良いだろう。
その出来上がりイメージとレシピや材料は、昨晩にミルクショコレトールの試食のあと、アデーレさんにざっと話しておいた。
それでは試作の手順を追って行こうかな。
まずは、昨日に作っておいたダークショコレトールの方を細かく割って湯煎して溶かす。
20センチぐらいの丸形のトルテには、板にしておいたショコレトールが2枚ほど必要だから、10枚あれば5つは作れるのだが、上からかけるチョコレートのグラサージュがこのトルテの最大の特徴なので、これにはその分も含まれている。
それでまずはトルテをひとつ、試作するつもりだ。
バターと砂糖を良く混ぜ、そこに卵黄を加えて混ぜたあと、溶かしたショコレトールも加えて混ぜる。
これとは別に卵白と砂糖を加えたメレンゲを作っておき、いま作ったショコレトールの生地にそれを4分の1ほど加えて、丁寧に混ぜる。
そうして出来上がったものを残りのメレンゲに加えて、これも丁寧に混ぜて行く。
あとは薄力粉とこれも昨日作ったショコレパウダーとを合わせたものを、振るいながら何回かに分けて加えながら丁寧に混ぜて行けば、トルテ生地の出来上がりだ。
これをオーブンで焼くのだが、この焼く工程については経験豊富なアデーレさんにやって貰う。
オーブンと言っても電気オーブンなどはもちろん無く、つまり伝統的な石窯なのだが、火加減や焼き時間などの調整と管理はやはり経験豊富な人でないと難しいからね。
それで、トルテを焼いている間に、ショコレトールのグラサージュを用意する。
グラサージュとは要するに、焼いたトルテつまりケーキの表面をコーティングするものだ。
生クリームを沸騰させないように温め、溶かしたショコレトール、ショコレパウダー、砂糖を加えて行く。
砂糖のほか水飴も良いらしく、あとゼラチンを加えたりする場合もあるようだが、いまはないのでそれは諦める。
その代わりに、先日にシルフェ様のところからいただいて来た、蜂が自ら納めに来るという大女王様への献上蜂蜜を加えてみましたよ。
そうして、焼き上がりの粗熱を取ったあと冷やして落ち着かせていたトルテに、このグラサージュ・ショコレトールを上から豪快にかけて、全体を覆い尽くせば出来上がりだ。
冷えたトルテにかけられたグラサージュ・ショコレトールは、直ぐに固まり始めている。これを更に冷やせば完成ですな。
「もうもう、美味しそうですよ、これは」
「ツヤツヤしてますよね。とても綺麗」
「切って食べるのが楽しみですよぉ」
「どうかな、アデーレさん。なかなかの出来だよね」
「はい。お味は食べてみないとですけど、材料と手順からして、たぶんとても美味しい筈ですよ。それに何よりも、シンプルですけど美しいです」
「カァ」
「そろそろ、出来た頃合いなんじゃないー?」
「ごめんなさい。ライナさんが騒がしくて」
「ザックさんが新しいお菓子を作ってるって聞いたから、見に来ましたよ」
「あら、なんだかよい香りがします」
あー案の定、ライナさんとエステルちゃんが来ましたか。
それに到着したばかりなのだろう、シルフェ様とシフォニナさんも一緒だ。
シモーネちゃんも来てるよね。
「あ、シルフェ様、シフォニナさん、いらっしゃい。アルさんは?」
「アルはいったん自分の家に帰ったから、少し遅れて来るみたい。何日かしたら来るでしょ」
「それで、風になって来たのですけど、アルさんの上に乗って来る方が楽だとか、おひいさまが煩くて」
「そんなことよりも、新しいお菓子よね。試食できるのかしら?」
「この香りって、なんだか以前に嗅いだことのあるものみたいな気がしますよ」
「あらそう?」
それでふたりが、くんくんと匂いを探っている。風の精霊って、とかく何ごとも匂いから入るよな。
「まあ、試作ひとつ目だけど、仕方ないから試食のお裾分けをしちゃいましょうか、アデーレさん」
「ふふふ、そうですね。ここでお断りしたら、あとで怖そうですから」
「やったー」「カァ」
俺とアデーレさん以外のこの場にいる全員が、やったーと声を挙げている。
えーと、何人いますか? 10人と1羽ですか。それではナイフを入れますよ。
試作品は上々の出来だった。
甘くて大人っぽい味の、少し重量感のあるトルテ。どうしてなのか、俺は切なさと愛おしささえ感じてしまう。記憶の中にある、かつて食べたものとほぼ同じに出来ていた気がするのだけど、どうだろうか。
試食をした女性たちにも大変好評だ。これならば、一般の人に提供しても大丈夫なのではないかな。
屋敷の全員に食べさせてあげたいのと、アデーレさんが作り方に習熟しながら出来上がりも微調整したいと言うので、あといくつか作ることになった。
ダークショコレトールはまだあるからね。
「こんどはわたしが作りますから、ザカリーさまはシルフェさまとシフォニナさんに、昨日のショコアをご馳走されたらいかがですか」
「ああ、そうだね。そうしたら、改良するところがあったらお願いします、アデーレさん」
「はい、任されました」
エディットちゃんとソフィちゃんも手伝うと言い、シモーネちゃんも「わたしもお手伝いしたいです」と厨房に残った。
それでは俺とカリちゃんは、ショコアを作ってラウンジに持って行きましょうか。
エステルちゃんたちは先に行っていていいよ。
「それで、いまのトルテは、何というお名前ですの? やっぱり、グリフィントルテとか?」
ああ、シルフェ様の言うそれでもいいんだけど、俺の頭に当初から浮かんでいた名称があるんだよな。
でも、それを口に出すのがちょっと恥ずかしい。
「何ですの? 珍しく口籠って」
「ザカリーさまはー、もう名前を決めてるんじゃないのぉ。白状しちゃいなさい」
「それがですね……ザックトルテ」
「え?」
「ザックトルテにしようかと」
「なーに? 声が小さくて」
「ザックトルテ、であります」
「カァ」
「ザックトルテ、なんですね。ザックさまがご自分の名前を付けるなんて、すっごく珍しいですぅ」
「カァカァ」
「え、そうなの? クロウちゃん。曰くがあるのね」
「まあ、どんな曰くがあってもいいじゃない。ザックトルテ。良いお名前ですよ。ねえ、シフォニナさん」
「はい、とても良いお名前です」
要するに、「ハ」を「ク」にだけ変えただけなんだけどさ。
ただし前世の世界の綴りだと、俺は頭文字がZで、あちらはSで始まる家名なんだよね。
でもこんな名前でいいでしょ? クロウちゃん。カァカァ、カァ。安直なパクリネーミングだけど、それでいいんじゃない、ですか。
「それにしても、このショコアでしたっけ? このお飲物も美味しいわね。寒くなったらもっと美味しくいただけそうよ」
そうですな。ココアと言えば、冬に飲む方が美味しいですからね。
「やっと思い出しましたよ」
「なあに、シフォニナさん」
「さきほどのザックトルテも、それからこのショコアも、その元になっているものですよ、おひいさま」
「あら、あなた、知っているの?」
「おひいさまもご存知の筈です。これの元は、精霊の食物と呼ばれたものですよ」
「カァ」
精霊の食物、ですか。
それって、精霊が食べる食物ってことですかね。でも、シルフェ様のところでもニュムペ様のところでも、チョコレートなんて食べませんよね。
え? なになに、クロウちゃん。カカオの学術名であるテオブロマというのは、ギリシャ語で神の食べ物って意味なの? カァ。
「ほら、大昔に、ドリュアさまがエルフの民に種子を下賜して、これを栽培するようにとおっしゃって。それで、その実からエルフたちが飲み物を作るようになって。エルフたちは、その実のことを別名で精霊の食物って呼ぶようになったんですよ。普通のお名前は、えーと」
「ショコレトール、ですか?」
「そうですそうです、ザックさま。そのショコレトールです。別名を精霊の食物と」
「ああ、ドリュアさんが渡した種から出来たからなのね」
そういう起源のものですか。だからエルフが栽培して、エルフが飲んでいるものなんだね。
「わたしも何となく思い出したわよ。確か大昔にエルフどもがドリュアさんに、出来た実から加工したものをお供えをして、それでドリンクを作って貰って飲んだのよね。でも、ただ不味かった、としか記憶にないわ」
シルフェさまとシフォニナさんがあのショコレトールドリンクを飲んだのがいつのことだか分からないが、大昔と言うからには相当に昔のことなのだろう。
それでエルフたちは、あのショコレトールドリンクを昔から延々と伝えて飲んで来た訳か。
まあ、ベースとなるショコレトールリカーまで辿り着いたのは、大したものだけどね。
それで俺たちは、一昨日に王宮からマレナさんがそのショコレトールリカーと豆を持って来てくれたこと。
飲んでみたけど、かなり不味かったので、俺が昨日に加工を加えてこのショコラを作ったこと。
それからそのショコレトールの豆は、遠方のエルフの商人から商業国連合が買い付けたものであることなどを話した。
しかし、この世界のカカオであるショコレトールの豆の大もとは、樹木の精霊のドリュア様でしたか。
まあ、そう言われてみれば納得なんだけどね。
「でも、何千年? も、あの不味いままだったのが、ザックさんがたった2日であんなに美味しいお菓子に変えちゃったのね。これはドリュアさんにも食べさせないとだわ」
「あー、それは僕とクロウちゃんの魂から響くものがありましたので」
「ふーん、そういうことなのね」
「さっきのトルテの材料に少し手を加えたものなんですけど、これも食べてみてください」
俺はまだ少し残っていたミルクショコレを、無限インベントリから出して精霊様のふたりに食べて貰った。
「あー、やっぱりまだ隠し持ってるー」
「残り物だよ、ライナさん。また作るからさ」
「あらあら、これは美味しいわよ。いいわね、これ。もうこれでお終い?」
「本当に甘苦くて優しいお味。口の中で直ぐに溶けちゃうのが、勿体ないですよ」
学院祭に向けてザックトルテを用意しないとだけど、その材料のダークショコレトールとは別にミルクショコレトールも作らないといけませんな、これは。
それに、お菓子のショコレトールは色々なバリエーションが可能だからね。
その辺はアデーレさんやトビーくんと工夫すれば、大変な商品価値を産み出しそうだよな。
「ザックさま。そしたら、午後からもショコレトール作りをしましょうよ」
「そうだね。豆もまだ大量にあるし、頑張って作りますか、カリちゃん」
「カァ」
考えてみると、このカリちゃんは世界初のドラゴンのチョコレート職人ということになりますなぁ。
そしてソフィちゃんが、この世界初の人間の伯爵令嬢のチョコレート職人ですか。
いいのかなぁ。まあいまさらだけど、良しとしましょう。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




