第695話 ショコレトール
これは身体に悪いものでは決してないと俺がみんなに言ったので、この場にいた者たちもひと口ずつ飲んでみた。
さっきティモさんとフォルくんもいた筈だけど、逃げましたか。
「むぐっ」
「苦っ」
「不味いですぅ」
ですよね。
この間にクロウちゃんと密かに考察、検討をした結果では、このドリンクのベースとなっているペーストは、荒い作りながらもカカオリカーではないかという結論に至った。
つまり自然発酵し乾燥させたカカオ豆を焙煎して、外皮を除去した後に粒が無くなるまですり潰し液状化したものだ。
ちなみにこのペースト状のものをカカオリカーと呼び、冷却して固められたものはカカオマスと呼ばれる。
「先ほど、遠方のエルフの商人から買い付けたとマレナさんは言いましたけど、どうしてこれを僕のところに?」
「はい、それなんです。とても珍しいものだと、これが王太子さまのもとに届いたのですが、添えられていた説明書きの通りに、つまりいまみたいに飲み物にしても、どうも美味しくなくて。それで王太子さまと相談の結果、これはザカリーさまに進呈いたしましょうとなりました。王太子さまがおっしゃるには、ザック君ならきっとこれを使って美味しく出来るって。わたしたちもそう思いましたので」
ああ、そういうことですか。なるほど、って俺はお菓子屋さんとか料理人とかではないのですけどね。
「ちょっとお聞きしますけど、説明書きが添えられていたということですが、これはそのように飲まれているものなんですか?」
「ええ、その遠方のエルフの間では、どうもそうみたいですよ。多少変化をつけるために、薬草なども加えるらしいですけど。でもそれって飲み物じゃなくて、お薬ですよね。ほほほ」
まあこれがカカオだとしたら、抗酸化物質であるカカオポリフェノールが含まれていて、血圧を下げたり動脈硬化予防や老化防止に効果があるらしいからね。
そういう意味では薬であるとも言えるよな。
「これの名前は?」
「えーと、確かショコレトールとか言いましたか」
やっぱりチョコレートやココアの原材料になるカカオマス、カカオリカーじゃん。
なになにクロウちゃん。前世の世界で中米のアステカ王国の王様や貴族が飲んでいたのが、ショコラトルという名称の飲み物で、それを16世紀前半に故国スペインに持ち帰ったのがコルテスという人物なのか。
俺の前世のときには、もうヨーロッパに渡っていたんだね。
ヨーロッパではそのショコラトルに砂糖を混ぜて、甘いドリンクになったという訳ですか。
そこからチョコレートドリンクがヨーロッパの上流社会で広まり、やがて時を経てココアや固形のチョコレートに発展して行ったのだそうだ。キミって物知りだよなぁ。カァ。
だから、これにも砂糖とか入れれば飲めるようになるんじゃないの、っていうことか。
「マレナさん。その小さな樽には、カカオリカー、じゃなかったショコレトールのペーストが入っていたと思うんですけど、あっちの大きめの樽には?」
「はい、その元です」
「ショコレトールの豆が入っているですか。樽が3つとは、おお、たくさんありますなぁ」
「カァ」
「あ、はい、そうです。その通りですけど、ザカリーさまはどうして豆と? なぜわかったんですか? もしかして既にご存知で」
「あ、いや、なんとなくそんな気がして」
おい、そこで頷き合っているお姉さんとドラゴン女子高生の魔法姉妹弟子は、余計な発言はしないようにね。
樽の蓋を開けさせて貰って中身を見ると、確かにカカオ豆が入っておりました。
大昔に見た記憶があるけどそうだよね。おそらく程よく自然発酵がされていて、乾燥しております。
これって、お菓子の方向性が見えて来ちゃったんじゃない。ねえ、クロウちゃん。カァ。
「それで、先ほどのお話ですと、セオさんはこのカカオ豆、じゃなかった、えーとショコレトールの豆を僕に進呈いただけると」
「はい。王宮に置いていても、何の役にも立ちそうにありませんので。是非ザカリーさまに貰っていただきますれば」
「いただきましょう、引き取りましょう」
「カァ」
「あの、ザックさま」
「うん? 何かなエステルちゃん」
「クロウちゃんとふたりで、さっきから盛り上がってるみたいですけど、あんなに苦くて不味い、あ、ごめんなさいマレナさん」
「はい、不味いです」
「あんなに苦くて不味いものの元を、樽に3つもいただいて、どうするんですか?」
「ふふふ、エステルちゃん。良薬は口に苦し。でもこのショコレトールは、美味しいお菓子に変貌するのですよ。あ、きっとだけど。僕の魂がそう言っています」
「カァ」
「ザックさまの魂が……。あぁ、そういうことですか。そうなんですね」
エステルちゃんは俺のその言い方で、直ぐに了解したようだ。
カカオ豆を持って来てくれたマレナさんは、替わりに大量のお菓子をエステルちゃんから持たされ、上機嫌で帰って行った。
「ぜひ、美味しいものにしてくださいね。せっかく送って来てくれた国にも、良い報告が出来ますので」とか、帰りがけに言っていたよな。
王太子を経由してはいるけど、お菓子が特産品となったグリフィン子爵家、つまり俺に何かを開発させてあわよくば商売に結びつけたいとか思ったのでは、というのは穿ち過ぎだろうか。
そうだとすれば、ヒセラさんとマレナさんはさすが商業国連合から来た人だということだろう。あのふたりって、やっぱり調査対象案件かな。
それはともかく、いまはこのカカオ、いやショコレトールだ。
「これって、本当に美味しくなるんですかぁ?」
「苦過ぎて、お菓子とかは真逆のものの気がするが、ザカリーさま」
「そこをなんとかするのが、ザカリーさまよねー」
「そうですそうです。御使いさまの御技に不可能はないですよ」
カリちゃんはひょろっと何を言ってるのかな。
「まあ、いまあるこれを多少飲めるものにするのなら」
それでエディットちゃんに、砂糖とミルクとまたお湯を持って来て貰うように頼んだ。それに新しいカップもね。
暫くして、彼女と一緒にアデーレさんもラウンジに来る。
ちょうど夕食の支度前の休憩中だったようだけど、アデーレさんにまずは試して貰いたいよね。
それから、小さい方の樽に入ったショコレトールリカーをスプーンに10杯ほどボウルに移し、あ、ボウルは自前のを無限インベントリから出しました。
「どうして、あんなの持ってるのかしらねー」
「ザック部長、どこから出したんですか?」
「そこは、置いておいてあげてください」
そのボウルの中のショコレトールリカーだけど、少々まだ作りが粗いから、もっと滑らかにしようかな。
そこで俺はその粗めのショコレトールリカーを、土魔法で残った粒などを潰しながら練り込む。
この魔法の遣い方は、グリフィニアでヴァネッサ館を造った際の漆喰壁作業の応用ですな。
ほどよく練り込んだら、そこに砂糖とミルクを加えて更に練り込んだ。
まだカカオ、いや元のショコレトールの割合がかなり多いし、カカオバターと呼ばれる油分も含まれているけど、さっきのよりは飲めるものになるでしょ。
ずいぶんと滑らかになりました。土魔法でやっているので作業は早いが、きめが細かいですよ。
このペーストをカップに入れ、お湯を注いで泡立つぐらいに撹拌する。
さて、試飲をしてみましょう。
おそらくだけど、俺が前世にいた世界で西洋にカカオが伝わった当時に、まず飲まれていたチョコレートドリンクはこんな感じだったのではないかな。
そこは想像でしかないけど、チョコレートの香りが立ち、砂糖とミルクで甘く飲み易くなっていて、なんとなく前々世の頃の懐かしい記憶が想い出されて来る。
マカロンやプディングを作ったときとはまた異なる感覚が。
「ザックさま……」
「どうして泣いてるの? ザカリーさまー」
「カァカァ」
「あ、いや。さあ、みんなも飲んでみて。さっきのよりは飲めるものになっていると思うよ」
人数分の新しいカップにペーストを入れ、お湯を注がせたらそれぞれにかき混ぜて貰う。
うん、そうそう、しっかり撹拌させてくださいな。
「へぇー、美味しいのかどうなのか、まだ良くわかんないですけど。でも飲めます。さっきのとはぜんぜん違います」
「苦くて甘いっていうのが、不思議な感覚ですよ」
「わたしは美味しいですよぉ、ザックさま」
「おお、確かに先ほどとはまったく違うな」
「口当たりもずいぶんと良くなりました」
「ザカリーさまは、どうして涙を流したのー?」
「カァカァ」
身体は現世のものだけど、その身体に染み込んで行っている過去の記憶が、何かを口に入れると刺激されるってあるんだよな。
悲しいとか嬉しいとかのそんな感情の動きではなくて、そういう刺激がもたらした涙みたいなんだよね、ライナさん。でもそれは口には出せないけど。
「どうですか? アデーレさん」
「はい。不思議なお味ですね。みなさんが先に飲んだという、何も加えてないものもちょっと飲んでみたのですけど、元の独特な苦みや酸味が良くわかりましたよ。油分も少し強いですかね。でも、いまのザカリーさまみたいに丁寧に練り込んで、お砂糖とミルクを加えてドリンクにすると、ほどよい変化が起きたみたいで。なんだか、苦みや酸味がクセになるお味に変わったようですよね」
おお、さすがはアデーレさんだ。専門家の感想は違いますな。
「それで、このドリンクを学院祭で出されるのですか?」
「うん、そうだなぁ。これを出してもいいんだけど、僕としてはドリンクじゃなくてお菓子にして出してみようかなって。アデーレさんはどう思う?」
「はい。このドリンクに更に甘いお菓子をセットにすると、ドリンクが強過ぎてお菓子の方が負けちゃいそうですから、これをお菓子に出来るのならその方が良い気が、わたしもしますよ。ザカリーさまが作れば、なんだか何度でもまた食べたくなるような、そんなお菓子が出来る予感がします」
「アデーレさんが凄く良い評価をしてますよ」
「アデーレさんが言うのなら、間違いないわよねー」
「そうだな。これは楽しみだぞ」
お姉さんたちも盛り上がって来ましたか。やっぱり専門家の言葉って、強いよなぁ。
カァカァ。それで、チョコレートを作るのかって?
うん、もちろんそれもいいんだけど、今回の魔法侍女カフェ用にはチョコレートのトルテを作ってみたいんだよね。
クロウちゃんの記憶のデータベースに、あれがあったでしょ。
大昔に俺、あれの作り方やレシピを見て、自分で挑戦してみたことがあるんだよ。なんちゃってだったけど。
カァカァ。そうそう、出来上がりのイメージはそれ。
前々世でときどきデパートにあったお店で買って、食べたんだよな。
カァカァ、カァ。ああ、レシピはそんな感じ。手順も見えて来たよ。でもまずは、ひと手間ふた手間加えてベースとなる製菓用のチョコレートを作らないとだな。
「あの、ザック部長、どうしちゃったんですか?」
「あー、放っておきなさい、ソフィちゃん。きっと、クロウちゃんとよからぬ相談をしてるのよー」
「御使いさまと式神さまは、誰にもわからない密談が出来るのですよ」
そこの魔法の姉妹弟子は、余計な会話をしないように。
それからカリちゃん、何度も言うけど、いや口に出していまは言わないけど、俺は御使い様とかじゃないからね。クロウちゃんは式神だけど。
「ザックさまとクロウちゃんは、相談はまとまったんですか?」
「はいです」
「カァ」
「そうしたら、みんなはお仕事に戻りますよ。ソフィちゃんは宿題を終わらせないとよね。それでアデーレさん。すみませんが、またよろしくお願いします。この人が無茶や無理を言ったら、叱ってくださいね。それでは、解散しますよ。あ、この樽は厨房の方でいいですか? お片づけも手伝ってくださいね」
「はーい、エステルさま」
エステルちゃんの号令で、この場にいた全員が動き出した。
俺も作業は明日からにしましょうか。
とは言っても、夏休みは残り3日。まあ魔法を活用すれば、3日あったらアデーレさんに引き渡す目処はつけられるでしょう。カァ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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