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第660話 大森林は人生観を変える!?

 第1地点での昼食を挟んで午後も同じ組分けで訓練を行い、それで本日は子爵館へ帰ることとなった。


 森オオカミの姿は見えず、リンクスなど他の危険な獣も近づいて来ることはなかった。

 さすがにこれだけの人数の人間が、それぞれ闘気を発して剣術の訓練を行っていれば、獣たちも不用意に接近して来なかったというところだろう。


 ただ、いちどだけ緊張感が走ったことがあった。

 ティモさんのピーッという指笛が鳴り、ジェルさんがいったん総合武術部員を集合させて、それからその方向に慎重に進ませる。


 あの指笛は、危険が迫ったと報せるものではなく注意を促す程度のものだったので、第1地点の開けた場所に戻るのではなく、まずは騎士組に合流しようとした訳だ。


 俺の横にはいつの間にかカリちゃんがいて、「なんか来ましたかねぇ」とか暢気に言っている。

 王太子も集合後に辺りに気を配りながら森の中を歩き、ヒセラさんとマレナさんは念のためその脇を固めている。



 俺たちの組が進んでいると、木々の間からエルノさんとそれからバディを組んでいるユディちゃんが現れた。


「あれはきっと、アルポでしょうぞ」

「え? ティモさんの指笛だったよ」

「ふははは。いやいや、指笛はティモのものですが、アルポがセルバスあたりを追い込んだのでは、という気がしますな」


 セルバスというのは中型の鹿だね。大森林の鹿は、本来は中型のセルバスでもエルク並みに大きな身体を持っている

 エルノさんの予想では、周辺監視だけでは物足りないアルポさんが、セルバスを見つけて騎士組の方に追い込んだのではないかということだ。


「エルノさんも同じ考えで、ふたりでセルバスとかを探してたんだよ」

「これ、バラすな、ユディ」


 そういうことね。

 森に入れば狩りがしたくなるのが、アルポさんとエルノさんだからな。


「鹿肉って美味しいよね」

「そうそう、カリちゃんよ。セルバスぐらいは狩って料理長に献上せんとな」

「アルポさんとお兄ちゃんは、見つけたのかな」


 あー、この人らは暢気だよね。

 ジェルさんたちお姉さん教官も特に危険は感じてない雰囲気だが、訓練の一環として皆に緊張感を保つようにさせている。



 騎士組に合流すると、もう事は済んでいた。

 上気した雰囲気の彼らが囲んでいたのは、地に横たわった1頭の大型のボアだった。

 セルバスではなくてボア、つまりイノシシだったんだね。


「これは、ボアか。大きいな。おまえらが仕留めたか」

「ははっ、なんとか」


「いや、王太子様。指笛の音が響いたと思ったら、森の奥からこのボアが突進して来ましてな。直ぐさま、ブルーノさんたちが弓矢を放って、それで突進が弱まったところを我らが囲んで仕留めたという訳で」


「それにしても、ブルーノさんとティモさんの弓の腕前はさすがでしたぞ。続けて2射ずつ。ほれ、すべてが頭部と首筋を射止めておりまする」

「ほう」


 ランドルフさんとドミニク爺さんが、そう話してくれた

 1本はボアの片目に刺さっているので、これはブルーノさんだろうな。

 彼の弓は従来の達人級の腕に風の精霊の加護が加わって、百発百中だ。ボアぐらいは軽いものだろう。


「これって、どこから?」

「アルポさんでやすよ。ボアの尻にも矢が刺さってるでやしょ。ほら、来やした」


 ブルーノさんが苦笑しながらそう言い、言葉通り、アルポさんとフォルくんが木々の間から姿を見せた。

 エルノさんが予想した通りという訳だ。


「意外と大型でしたの」

「やっぱりアルポさんの仕業かぁ」

「ふふふ。せめてこういうのが来ませんとな。大森林らしくのうて」


「ふたりだけで追い込むの、結構大変だったんですよ、ザックさま」

「いいなあ、お兄ちゃん。こっちは見つからなかった」


 うちのお姉さんたちも一瞬で状況を把握したようで、仕方がないなぁという表情だ。

 まあ、騎士たちには良い経験になったでしょ。



「血の匂いが拡がるので、そろそろ解体してしまいますぞ。ご自分たちでされますか?」

「え? 自分らが解体ですか?」

「獣の解体なんて、したことがありません」


 ほとんど王宮での仕事ばかりの王宮騎士団員は、まあそうだよね。グスマン伯爵家の騎士ふたりもそうらしい。


「ならば、我らでちゃっちゃと解体してしまいましょうぞ、ジェルさん」

「そうだな。よろしいですか? ザカリーさま」

「だね。ぐずぐずしてられないし」

「では、ライナ」

「はいはーい」


 体長が2メートル近くあるかなり大型のボアなので、人数を掛けて解体と血抜き、臓物などの始末を同時に行ってしまう。

 そこでボアが横たわる直ぐ側に、ライナさんが大穴を開ける訳だ。

 だが、その前に。


「大森林からの恵みに感謝を捧げ、その大切な命とその血肉を我らの糧としていただいて参ります。ありがとうございました」


 俺が代表して感謝の言葉を述べ、うちの者たちも頭を下げて、ありがとうございましたと大森林に感謝する。

 他の人たちはどうしていいか分からず、そうしている俺たちを眺めていた。

 地元のカロちゃんをはじめうちの部員たちは、同じように頭を下げているね。



「はいな」と変な声をライナさんが発すると、スコンと大穴が開いた。

 それと同時に男衆がファータの腰鉈こしなたやナイフを使って皮を剥ぎ、お姉さんたちも内蔵を抜き出して血とともに大穴に流し込んでいた。


 そして肉を切り取り捌いていく。こういう作業は手慣れたものだし、あっと言う間だ。

 えーと、俺はいつものように手出しをさせていただけません。

 ただし、切り出した肉を包んで持ち帰るために、皆が解体作業に注視している隙を伺って無限インベントリから布と紐を出しておきました。

 はい、カリちゃん、これを持っててね。


「ザカリーさまー、お水」

「はいです」


 血などを洗い流すための水を魔法で俺が出すのも、いつものことだよね。


 解体処理作業はあっと言う間に終了し、余った骨や頭部などをライナさんが魔法で大穴に落とし込んで埋め戻した。

 その間に、カリちゃんとフォルくん、ユディちゃんがもう肉を布に包んで紐で縛り始めている。


 それを見ていたカロちゃんが「わたしたちもお手伝いします」と言い出し、うちの部員たちも肉の梱包作業を手伝っていた。



「す、凄いんだな、君たちは」

「いえいえ、これがいつものことですから。森の中での解体と肉の処理は素早くしないといけないですし、特にいまは夏ですからね」


「いや、そうなのだろうが。さっきまで横たわっていたあの大きなボアが、もういくつもの肉の包みになっている。それにあの大穴。ライナさんが土魔法の達人とは聞いていたが」


 まあ、そうでしょうな。王太子が驚くのも分かりますよ。

 手慣れた者たちが人海戦術で解体を素早く終わらせてしまったし、スコンと開いてドサっと埋め戻されるライナさんの大穴には誰もが驚かされる。


 一方で、ニコラスさんたち王宮騎士団の面々は、解体処理作業にジェルさんたちお姉さん方が一緒にやっていたのに吃驚したようだ。

 作業が終わったあと、彼女たちに近づいて何か話している。


 騎士や従騎士といった立場のそれもうら若き女性が、ナイフを手に獣の解体をしている姿を見るのは、前々世の感覚ではもちろんだが、この世界の王宮騎士にとってもかなりの驚きだったのだろう。


「ソフィちゃんも驚いたかな」

「いえ、あ、はい、あの。ジェルお姉さんたち、凄いです」


 うちの3年生部員は以前にナイアの森でこういった解体作業を見ているが、ソフィちゃんとカシュくんは始めてだったよね。

 特に伯爵家の令嬢であるソフィちゃんは、こんな大型の動物が解体されるのを見るのは生まれて始めてのことだろう。


「わたしも、次は出来るようになりたいです。いえ、出来なくても、お手伝いします」


 そうですか。どんなことにも前向きに興味を持つソフィちゃんらしいと言えばそうなのだけどいいのかな、と思いながら、俺は近くにいたドミニク爺さんの顔をなんとなく見た。

 爺さんは、ほっほっほと嬉しそうに笑っておりました。


 自分たちで倒したものは自分たちで持ち帰る、ということで、布に包まれ梱包されたボアの肉は騎士さんたちが手分けして運びます。

 夏の暑さで傷みが早いといけないので、俺が魔法ですこしだけ冷温処理をしておきましたよ。


 俺の無限インベントリや、念のためにティモさんとライナさんが持って来たマジックバッグに収納してしまえば簡単なのだが、そこは見せたくないのと、やはり自分で重さを感じながら運ばないとだよね。

 うちの部員たちも運びたいというので、結構な量になっていたお肉はすべて持って帰ることが出来ました。




 その日の夕食は、イノシシ鍋というかボアシチューとボアステーキがメイン料理だ。

 今晩は大森林訓練帰りということで、大広間の特設食事会場にうちの家族や王太子も揃ってみんなで一緒にいただきます。


「おお、こういうのは何だかいいな」

「うちのザックは、こういうのが好きなんですよ、王太子さま。王都屋敷では、いつも屋敷の全員で一緒に食事をしますし」


「そうなんだな、アビーさん。俺もそこにお呼ばれしたいな」

「ザックさんのいるときに、あなたも王都屋敷に来ればいつでも大丈夫よ」

「そうですか、シルフェ様。ぜひとも、そうさせていただきます」


 王太子とアビー姉ちゃんとシルフェ様という、おい大丈夫かと思う面子で話をしているが、それにしても王太子は、いつからシルフェ様と様付で呼ぶようになったのだろうか。

 うちの家族が皆、そう呼んでいるからかな。


「初めて大森林に足を踏み入れたご感想は、どうでしたかな? 王太子様」

「はい、そこです、カーティス殿。俺は、いえ私は、人生観が変わりました」

「人生観、ですか?」


 おい大袈裟だな、セオさん。

 カートお爺ちゃんの何気ない質問に、彼は人生観が変わったとか言い出した。


「まずは、ザック君の指揮のもと、ジェルメール騎士ら配下の者たちが、細かく指示をしなくても速やかに、しかし注意深く行動する。いや、これは大森林を直ぐ側に控えて活動している、グリフィン子爵家ならではのものでしょう。ただ、皆がザック君を信頼しているのが良く分かる」

「ふむふむ」


 いやあ、それほどのことも今日は無かったよね。第1地点に行って訓練して帰って来たぐらいのものだし。


「次に、私とヒセラとマレナの3人が、ザック君に稽古を付けて貰いました。あんなに木々の密度が濃い森の中での剣術は、とても難しかった。俺はともかく、あのヒセラとマレナは剣でもかなりの手練てだれなのですが、年少者を指導するように丁寧に相手をしていただいた。実際にザック君と木剣を合わせて、彼の強さをあらためて実感しました。ザック君は、そうですね、剣聖と言っても良いのではないか」

「ほほう」


「だが、いちばん驚いたのは。いえ、これは私自身の経験不足ということなのですが、うちの騎士団員たちが倒したというボアを見て、それからそのあとに行われた解体処理を見たことです。まず、倒されたボアですが、確かに騎士たちが剣を入れているが、実際にはその前にブルーノさんたちが急所に矢を正確に射込んでいる。あんなに的確に射込まれた矢を見たのは初めてです」


 王太子はなかなかにちゃんと見ているね。もしかしたら、ヒセラさんとマレナさんがそれを指摘して解説したのかも知れない。


「そして解体処理だ。ザック君が大森林に感謝を捧げ、そしてライナさんが地面に大穴を開け、ジェルメールさん以下、皆が手慣れた作業であっと言う間に処理してしまった。気が付いたら、そこには肉のブロックの包みが大量に置かれ、何ごとも無かったように地面は元の状態だった。まるでひとつの魔法を見ているような手際の良さだったが、しかし驚いたのはそれ以上に、騎士だ魔導士だ、男性だ女性だとかは関係なく、全員で手分けしてそういった作業をしていたというところです。ザック君だけは、手を出してはいませんでしたが」


「ああ、それはザックが出来ないとかじゃなくて、手を出すと怒られるからですよ。ジェルさんが許可したら、たぶんザックならひとりで終わらせちゃいます」

「そうなのか、アビーさん。そうなんだね」


 いや、俺も水を出して洗っていたでしょ。カァ。



「つまり、そういうことを見たり体験したりして、ずいぶんと感ずるところがあったと、そういうことですかな」

「はい、カーティス殿。うまく、言葉に出来ないのですが、俺は、私は、ただ王宮の中で日々を過ごし、そこで起きるつまらぬ小さな争いを眺めて、何も出来ぬばかりでは、いけないのではないかと」


「ふうむ。それは、そうかも知れません。知れませんが、しかし、王太子様とザックとでは、与えられているお役目が違うのだと思いますぞ。このアラストル大森林が、王都の隣には存在しないのと同じように」

「しかし」


「もし、この大森林で感ずるところがあったのならば、それをしっかりと心に留めながら、その経験をうまく活かして、王太子様は王太子様の戦場いくさばで、王太子様としてすべきことにお力を振るわれれば良いのです」


 王太子は、カートお爺ちゃんの言葉を噛み締めるようにして、暫く無言でいた。

 戦場いくさばというのは少し大袈裟な表現だが、でも王太子がこれから歩む道やその環境はそういったものなのかも知れない。


 少しして彼は、「はい、しっかりと心に留めます」とぽつりと口にした。

 それが今日の経験なのか、カートお爺ちゃんの言葉の内容なのか。


「明日もあるんだよな、ザック君。目的地は、今日と同じ?」

「ええ、明日も行きますよ。明日は、そうですね、もう少し奥に入ってみましょうか」

「おお、それは楽しみだぞ。それなら、明日に備えて腹ごしらえだ」


 王太子は朗らかな声でそう言って、ボアステーキを頬張った。



「大森林に行って、良かったみたいですね、ザックさま」

「うん、うちの部員たちにも騎士さんたちにも、良い経験になったようだし」

「それでは、明日の訓練はわたしも行きましょうかね」

「エステルちゃんも来る? わかった」


「エステルちゃんが一緒だと、ザックは甘えて無茶するから、気をつけたほうがいいわよ」

「それは充分わかってますよ、アビー姉さま」

「だよね」


 そういう認識なんですか。

 今日だってじつに自制心の塊だったし、ぜんぜん大丈夫でありますよ。ね、クロウちゃんもそう思うよね。カァ。



いつもお読みいただき、ありがとうございます。

引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。

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