第647話 ヴァニー姉さんの出立
昨晩の夕食の席は、まだ食堂にテーブルと椅子を足せば収容出来る人数だったので、王太子以下のお客様や祖父母たちも加わって、賑やかな会食となった。
なお、王太子の侍女さんふたりは、会食中はその側に控えていてうちの侍女さんの手伝いをしてくれる。
このふたりや護衛の王宮と男爵家双方の騎士団員たちには、大広間を特設会場にしてお食事を提供した。
俺たちの会食の場には珍しくウォルターさんとクレイグ騎士団長も加わって、ウォルターさんはブランドン王宮内務部長官と、クレイグさんはランドルフ王宮騎士団長と、まあそれぞれ外交で言うカウンターパートナーという感じで話をしている。
ウォルターさんとクレイグさんは、15年戦争当時に若手騎士としてランドルフさんと共に闘った間柄ということだが、北辺貴族家と王家という立場の違いからぶつかることも多かったと前に話していた。
昨晩は男爵家で、ランドルフさんとお爺ちゃんたちはそんな戦争の話になったそうで、特にジルベールお爺ちゃんはご機嫌斜めにしていたよな。
今夜はクレイグさんとで喧嘩とかしないでよねと思って、ときどき様子を伺っていたのだが、ふたりはガハハと時折笑い声を上げながら楽しそうに食事と会話を楽しんでいた。
まあ、タイプの良く似ている同世代のおじさんふたりですからね。
主賓の王太子はうちの家族たちと、にこやかに学院生時代のヴィクティムさんとの想い出話やヴァニー姉さんが学院生のときに王都のパーティーで初めてヴィクティムさんと会ったときの話を披露していた。
こういう場での持ち前の明るさというか、王太子のざっくばらんな性格は助かるよね。
父さんたちもだいぶ心証を良くしていたみたいだった。
さて、翌日は実質的にヴァニー姉さんの結婚式がスタートする。
いよいよエールデシュタットに出発するのだ。
朝食を終えて準備を済ませたあと、姉さんと付き添いの母さんは馬車が待つ正面玄関前へと出た。
護衛を担うのは愛馬の栗影に騎乗したアビー姉ちゃんを筆頭に、オネルさんの父上のエンシオさんが小隊長を務めるラハトマー騎士小隊。
その全員が、グリフィン子爵家騎士団独特の華やかな準礼装に身を包んでいる。
姉さんたちの馬車の後ろには、先行して準備に加わるウォルターさんとミルカさん、そしてコーデリア家政婦長と筆頭侍女のリーザさんの4人が乗る馬車が続いていた。
「それじゃ、行って来ます。父さん、泣かないんだよ」
「お、おう。行って来い」
「ザック、エステルちゃん、クロウちゃん、行って来るね」
「明日、向うで会うのが楽しみだよ、姉さん」
「ヴァニー姉さま……」
「カァカァ」
「あらあら、エステルも泣いてるの? アビーがあっちで馬に乗ってるから、うちの泣き虫さんがひとり減っていて良かったわ」
「もう、お母さまったら。道中、お気をつけて、ヴァニー姉さま」
「はい。大丈夫よ、エステルちゃん」
エールデシュタットまでの街道の道中は何の心配もないが、姉さんにとっては人生の新たな道中への出発だ。
「シルフェさま、シフォニナさま、アルさん、それからカリちゃん。お爺さまお婆さま、屋敷のみんな、騎士団長やジェルさんたちお集りのみなさん、行って参ります」
午前中の早い時刻とはいえ夏の暑さが集まった皆を包む屋敷の玄関前を、爽やかで涼しい風が吹き抜けた。
もちろんそれが、シルフェ様の御業であることは、シルフェ様たちの正体を知っているうちの者なら分かっている。
ヴァニー姉さんはにっこりと微笑み、そして集まっている皆に深く頭を下げた。
「それでは、行って参ります」
顔を上げてすっと姿勢を正す姉さんの立ち姿が、とても美しい。
なんだか普段以上により一層輝いて見えるのは、シルフェ様たちが授けた大地の母たる者としての加護のせいもあるのだろうか。
俺は思わず拍手をし、それに続いてこの場の全員が拍手をして姉さんを送り出した。
「行ったなあ」
「行ったね、父さん」
「カァカァ」
「子爵さまたちったら、何を惚けてるのかしらー。もう馬車は正門を出たわよー」
「こらライナ、静かにしとけ」
「でもヴァネッサさまは、一段とお綺麗でしたよね。なんだか輝いて見えたような」
「ふふふ、オネルちゃんたちもわかった? ヴァニーちゃんは大地の母たる者の道に一歩踏み出したのよ」
「大地の母たる者って、何ですかー、シルフェさま」
「おひいさまが、ヴァニーさんに授けたご加護ですよ、ライナさん」
「ほぉー」
姉さんの馬車を見送ったあと、シルフェ様のところにうちのお姉さん方が集まって何やら賑やかに話をしている。
おいおい、向うに王太子とかもいるんだから、あまり大きな声でそういう話は。
そう思ってそちらを見たら、ソフィちゃんがちゃっかりその輪の中にいた。
いまの話を聞いていたのかな。いや、聞いていたよね。
だいたい昨日も、ドラゴン女子高生のカリちゃんと結構話していたりして、どんな話題なのか怖くて聞けなかったんだよな。
俺はその危険な女性集団から遠ざけるために、王太子に近づき屋敷の中に入ろうと促した。
「今日のヴァニーさんは、本当にお美しかったよなぁ。ヴィックが羨ましいよ」
「いやあ、それほどでも」
「カァカァ」
お客様用ラウンジに腰を落ち着かせたら、クロウちゃんは何故か王太子の侍女さんのひとりに抱かれている。
いつの間にそこに行ったんだ、キミは。
「それほどでもって、君はお姉さんのことだからそう言うけどね。俺はグリフィニアに来て思ったのだが、ここって美人の産地か何かか? アナスタシアさんがお美しいのは以前からの評判だが、アビーさんも凛々しく美しいし、それに君の配下の女性騎士たちだろ。あと侍女さんたちも綺麗どころが揃っていて。何よりもエステルさんとお姉様のシルフェさん、それからシフォニナさんも、なんだか次元の違う美しさだ。何と言っていいのか、ちょっと普通の人間の女性とは違うというか、うまく表現出来ないのだけど」
「いやあ、それほどでも。はははは」
カートお爺ちゃんたちは、出来たばかりのヴァネッサ館を見学に行くと言ってたな。
ソフィちゃんやシルフェ様たちはどこにいるんだろ。一緒に見学に行ったのかな。
あっちはエステルちゃんが付いているので、たぶん大丈夫だろう。
今日1日は、母さんやウォルターさん、コーデリアさん、それからリーザさんと屋敷の主立った人たちがエールデシュタットに行ってしまったので、彼女はとても忙しい。
午後遅くには本日のお客様が到着するだろうし、夜は夜でそのお客様たちを迎えての晩餐会も控えている。
だからフラビィさんやエディットちゃんなど、残った侍女さんたちを指揮しなければいけないんだよね。
王太子様のことはお願いしますねと言われているので、俺は王太子の接遇担当だ。
父さんは惚けからもう復活していると思うが、午後の来客をお迎えする役目がある。
随行して来る護衛の人数も増えるけど、そちらはクレイグ騎士団長以下騎士団、特に王都での常駐経験が長いことから俺の独立小隊が中心になって当たるので、フォルくんとユディちゃんもジェルさんたちに従って準備に余念がない。
ということで、このラウンジで王太子の相手をしているのは、俺とクロウちゃんだけなんですよね。
クロウちゃんは、片方の王太子付きの侍女さんの大きな胸に抱かれて、ずいぶんと機嫌が良さそうだけどさ。カァ。
「アラストル大森林から湧き出る水を飲んでるからですかねぇ。そんなことを言ったら、セオさんの侍女さん方も、とてもお美しいじゃないですか。それに何やらお強そうな。あの廊下での出来事のときにも、うちのミルカさんからちょっと聞きましたけど」
「ザカリーさまは、お言葉がお上手です。ほほほ」
「エステルさまたちに比べたら、わたしたちなんて。ふふふ」
比べたらという表現が美人ということなのか、それとも強いという方なのか。
「ああ、このふたりか。そういえば名前をちゃんと教えていなかったな。こっちがヒセラで、そちらがマレナだよ」
「あらためまして、ヒセラです」
「マレナです。今後ともよろしくお願いいたします」
「カァ」
王太子の隣に座っているのがヒセラさんで、その隣でクロウちゃんを抱いているのがマレナさんね。
なんだか名前の語感が似ている気もするけど、同じ出身地なのかな。
そう言えばふたりとも、ソフィちゃんのように前世の南欧風な顔立ちで、でも色白ではなく小麦色っぽい肌をしたちょっとエキゾチックな美人さんだ。
「もしかして、おふたりとも南の方のご出身ですか?」
俺がそう尋ねると、ふたりは顔を見合わせて「あら」「ふふふ」とか言っている。
「このふたりに興味があるかな」
「いえ、興味というか、ただの侍女さんではないところが」
「ははは。ザック君には適わないな。そうしたら、君と俺とで、種明かしをひとつずつって言うのはどうだ。尤も俺の方は、君ほど隠し持った種はないけどさ」
この4人とクロウちゃんだけで暇というか寛いでいるというのもあるんだけど、王太子がそんな提案をして来た。
種明かしですか。シルフェ様のことを教えろとか言われても、そうそう直ぐには種明かしはしませんぜ。
「そうだなぁ。俺の方はヒセラとマレナの出身地。ザック君はエステルさんの出身地。これでどうだい?」
ああ、搦め手から来ましたか。昨日、俺がシルフェ様はエステルちゃんの一族の中で高貴な御方と説明したから、まずはそのエステルちゃんの一族というところから攻めて来た訳ですか。
まあ、だいたいは推測しているんじゃないかとは思うけど。
「いいでしょう。でもセオさん。これはセオさんだけに留めておいてくださいよ。王宮内で迂闊に漏らしたら、僕は本当に怒らないといけなくなりますから」
「お、おう。俺はザック君との関係は大切にしたいんだ。それに、君を本当に怒らせてはいけない気がするし」
「わかりました。エステルは、ファータの一族。ファータの本家の孫娘ですよ」
俺の言ったことを聞いて王太子は真剣な顔つきになり、ヒセラさんとマレナさんは再び顔を見合わせて、やっぱりという感じで頷き合った。
これはじつは、俺がかなり重要なことを言っていたりするんだよな。
と言うのも、まずファータ人はエルフやドワーフの他の精霊族のように、おおっぴらに人族の社会にいない。
人族と外見上の違いが無いというのもあるが、その本人が明かさない限り周囲は誰も分からないのだ。
隠れ里である本拠地がどこにあるのかは他族に隠されているし、どこの国の人間という帰属関係も基本的には無い。
それがひとつ。もうひとつは、ファータの一族の生業が探索であるということと、その仕事に必要なかなりの戦闘能力を備えているということで、存在が秘されている。
長い年月、貴族や大商人などが隠されたルートからこのファータ人を雇って、秘密裏の調査や探索の仕事を依頼して来た。
北の里の里長でファータ本家の当主であるエーリッキ爺ちゃんは、その大元締めだ。
そして加えて言えば、このセルティア王国の領主貴族グリフィン子爵家の次期当主である俺の婚約者が、ファータ本家の孫娘。つまり国内の貴族とかの娘さんではなく、外国出身と思われる人族ではない者であるということだ。
この世界のいまの時代では、例えばセルティア王国人であるとかどうとか、国民として暮らす国への精神的帰属意識はそれほど強くない。
民族国家ということでもなく、この世界では人族ならただ人族であり、特に人族のなかで前世の世界のような民族として細分化されてはいないからね。
だからこの世界では、外国人だからどうこうはあまり関係がないのだが、ファータ本家の孫娘となると話は多少違って来る。
俺はそちらの方を明かして、本来のお題である出身地という場所については誤摩化した訳だ。そっちは本当の秘匿事項だからさ。
「わかった。それは王宮では誰にも話せないな。俺も精霊族ファータという人たちが存在するというぐらいは知っている。だけど俺にとっては、まるでお伽話か伝説の中の存在だよ。いや、これは言い過ぎか。しかし、エステルさんが、ファータのお姫さまとはな」
「お姫さまというか、遠くの田舎が出身地のお嬢様って感じですけどね」
「カァカァ」
「ふうむ。しかし、ファータの本家の孫娘が君の嫁さんになるのだとすると、君は将来……」
「はいはい、種明かしはひとつだけです。今度はセオさんの番ですよ」
「むむ、約束だから仕方ないな。このふたりはだな。ミラジェス王国の更に南から遥々やって来た人たちなんだよ」
「それは」
「カァ」
セルティア王国の南隣がミラジェス王国。カートお爺ちゃんとエリお婆ちゃんが仮住まいする国であり、ファータの西の里がどこかに存在する国でもある。
その更に南とは。何気に王太子の方の種明かしのお題になったヒセラさんとマレナさんの出身地だけど、ちょっと興味が湧いて来ましたよ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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