第644話 ヴァニー姉さんに贈られた風の精霊の加護
「さてさて、燕の魔法石の首飾りに奇跡の万能薬エリクサーと驚きのプレゼントが続き、残すところあとは風の精霊様からだけとなりました」
「なあ、俺はだいぶ疲れて来たんだが、ザックはまだあんな感じなんだな」
「ふう、さすがはザックって言うか、なんともだよね」
「アビーさま、ザックさまってほら、特殊ですから」
「なんだか、ごめんなさいね」
この結婚祝いの贈呈も、あとはシルフェ様たちだけだ。
風の精霊様からなのだから、気持ちも新たにと俺は思っているだけなのですよ。カァ。
「はいはい、わたしたちね。そうしたらシフォニナさんとシモーネと。エステルは、うーん、今回はまだいいか」
まだいいかって、エステルちゃんも自分たちの方に混ぜようとしてましたよね。
「わたしたち精霊は、モノというのをあまり持っていませんから、ヴァニーちゃんへの贈り物は、わたしたちの加護とします。ヴァニーちゃん、こちらに」
「あ、はい、シルフェ様」
シルフェ様を中心に、左右にシフォニナさんとシモーネちゃんが並んだ。
その3人の精霊様の前に、ヴァニー姉さんを立たせる。
シルフェ様たちが掌を前に出して両の手を軽く掲げた。
それに合わせて、姉さんが床に両膝を突く。
「わたくし、真性の風の精霊シルフェの名において、ヴァネッサ・グリフィンやがてヴァネッセ・キースリングとなるそなたに、風の精霊の加護を授け、風とともに生き、風とともに闘い、風とともに護れるようにいたします」
シルフェ様、そしてシフォニナさんとシモーネちゃんからも爽やかな風が起きて、ヴァニー姉さんの身体を包み込む。
「そうね、もうひとつ加えておきましょうか。ヴァネッサ・グリフィンやがてヴァネッセ・キースリングとなるそなたは、アラストル大森林の傍らにあって北辺の要である地の母たる者として、その家族を、その地に生きる人びとと幼き子らを護り慈しみ、清らかで豊かな恵みをもたらす支えとなるでしょう。そなたは、その母たる者に成らんと志しますか? どう? ヴァニーちゃん」
「あ、はい。わたしに出来ることであれば、シルフェ様のお導きに従い、志します」
「わたしたち精霊は、この世界とともに見護り、お助けするだけよ。自らの志に従いなさい」
「わたし、まだ良くはわかりませんが、それがわかるように、それが出来るように、わたし自身の志とします」
「そう、それでいいわ。では重ねて加護を差し上げましょう。わたくし、真性の風の精霊シルフェの名において、ヴァネッサ・グリフィンやがてヴァネッセ・キースリングとなるそなたに、家族と人びと幼き子らを護り慈しみ、清らかで豊かな恵みをもたらす支えとなる、大地の母たる者としての加護を授けます」
再び3人の精霊様から風が起きる。今度は先ほどよりも温かみのある風のように感じた。
その風がヴァニー姉さんを包み、そして姉さんの全身が少し光を帯びたようにも思えた。
この子爵執務室の室内でその様子を見守っていた父さんたちは、深く頭を下げていた。
父さんも母さんも、そしてアビー姉ちゃんも目を潤ませていたのかも知れない。
ヴァニー姉さんはまだ両膝を床に突いたままだ。
風の精霊様が起こした清浄な風が、静寂の時とともに室内を循環するように巡っていた。
「(あの、シルフェ様)」
「(なあに、ザックさん)」
「(いまの加護、特に後の方ので、姉さんには何か変化があるんですか?)」
「(ええ、そのことね。そうねぇ、初めの方では風魔法が少し強化されたわね。ヴァニーちゃんはあまり得意じゃなかったでしょ?)」
「(あー、はい。火と風の適性はありますけど、火の方が得意だった思います)」
「(おひいさまは少しって言いましたけど、人間としてはかなり強化されたと思いますよ)」
「(直ぐにわかるものとしては、ひとつめはそういう感じね。それでふたつめは、そうねぇ。例えばヴァニーちゃんの居る周辺は、作物がいつも豊作になるわ)」
なんと、そうなのでありますか。
それって、風に乗って作物の交配が進むとか、そんなことでありましょうかね。
「(あとは、周りの人たちが元気な赤ちゃんをたくさん産むとかかしら。もちろんご本人もよ。うふふ)」
おいおい、やっぱり交配絡みでありますか。姉さんは子だくさんになるですかね。
「(それってお姉ちゃん、わたしとかにも……)」
「(あら、エステルも? でもあなた、ファータだから。ううん、少し考えておく。ね、ザックさん)」
「(ひょー、わたしって何を。恥ずかしいですぅ)」
「(カァカァ)」
ファータ人は子供の数が少ない。夫婦ひと組にひとりか、稀にふたり。兄弟姉妹は俺が知る限りでも、エルメルさんとミルカさん兄弟、ユリアナさんとセリヤさん姉妹ぐらいだ。
子供が授からない夫婦もいるそうで、だからファータ族は人族と比べると遥かに人口が少ないのだ。
俺たちが念話でそんな会話を交わしているうちに、室内も元の状態に戻って皆もそれぞれに何かを話していた。
母さんも、いまの加護によってヴァニー姉さんに何か変化があるのかシルフェ様に尋ねたので、同じように教えてあげていた。
それを一緒に聞いていた姉さんは、また顔を真っ赤にしている。
「あの、畏れながらシルフェ様。そういうご加護は、我がグリフィン子爵領には」
「あら、ヴィンスさんは意外と欲張りなのね」
「これは、誠に申し訳ございませんでした。大地の恵みと聞いて、つい」
「父さんは何を言っているのかな」
「何をってだな、ザック。それは領主として」
「だから、何を言っているのかな、ですよ。そもそも、そんな加護を授けていただける風の精霊様ご本人が、グリフィニアにこうして滞在しているんだから、そんなの自然にそうなっているに決まってるじゃない」
「あっ」
「ヴィンスさん。うちのおひいさまとか、真性の精霊がその場所に居ると、ザックさまの仰る通りごく自然にその地は影響を受けるのです。それに、エステルさまもいらっしゃいますので。ですから、ご心配はいりませんよ」
「あ、はい。ありがとうございます、シフォニナ様」
そう考えると、この人外の方たちが長期滞在しているというか、実質的に住んでいるうちの王都屋敷って、現在はいったいどんな状態なんでしょうかね。
そんな会話も交わしつつ、最後にヴァニー姉さんがあらためてお礼を言って、この結婚祝いの贈呈イベントは終了した。
なんだか結構時間も掛かって内容も濃かったので、人間のみなさんはだいぶお疲れのようですな。
仮設宿舎の建築工事の方も、アルポさんたちが製作していたドアや窓枠の木工作業が順次終わって取り付け工事に入り、それに合わせてアルさんがカリちゃんを助手にしてガラス製作を進めた。
一方で俺はライナさんと水回りの工事に入り、お風呂とトイレ、洗面所の製作、上下水道工事、ソルディーニ商会から届いたお風呂のボイラーの取り付け工事などを行う。
ボイラー関係はほとんどダレルさんにやって貰いました。
グリフィニアに供給されている上水は、アラストル大森林の浅い場所に流れる森林内の川から取水されていて、ヴァニー姉さんが大森林の水で産湯に浸かりと夏至祭のときの挨拶で言った通りだ。
この大森林の水で育った者が、生粋のグリフィニアっ子という訳ですな。
この水も元を辿れば、いまも水の精霊が棲んでいる湧水地だったりするし、その他にも数多くの水源があるらしいから、上質な水には事欠かない。
グリフィニアに上水道で供給されている水ではなく、少し奥地に入った場所で冒険者が直接汲んで運んで来る水は、更に最高級のミネラルウォーターとしてレストランなどで提供されていたりする。
下水の方もグリフィニア内では暗渠の下水道網が完成されていて、これは長年に渡るグリフィン子爵家の功績と言って良いのではないかな。
大森林の傍らにあって、そこからの恵みが大きな産業となっているグリフィニアとしては、人間が出す汚水で大森林の近隣を汚したくないという強い思いがあったのだろう。
上下水道が内リンクの中では完備されているものの、外側の一般庶民のエリアではまだまだの王都と比べると、都市の規模は小さいながらも社会インフラはよっぽど進んでいるといえる。
こうして仮設宿舎の建築工事を進めつつ、日にちはあっという間に経過して行った。
エステルちゃんは、風の加護を授かったヴァニー姉さんに請われて、風魔法の特訓に付き合っている。
俺の方は工事の合間に、ジェルさんとオネルさんがフォルくんとユディちゃんをアシスタントに特別指導をしている騎士団見習いの子たちの剣術稽古を覗きに行って、一緒に木剣を振ったりした。
グリフィニアに来て以来、トビーくんの結婚式に出すデザートづくりの手伝いをしているエディットちゃんも、どうやらそろそろ完成したらしくほっとした表情をしていた。
どんなデザートを開発したんでしょうかね。俺は敢えて聞いていないけど、当日が楽しみですな。
あと、ヴァニー姉さんが結婚式で身に着ける衣装の数々が納品された。
以前にミルカさんが予想していた通り、結婚の誓いの儀用に1着、結婚披露の宴用に2着、馬車パレード用に1着の計4着らしい。
そのほかに普段着を何着か新調していて、装飾品などもあるからかなりの物量だ
納品日にはソルディーニ商会から商会長のグエルリーノさんと奥様のラウレッタさん、そしてカロちゃんも屋敷にやって来た。
もうひとつの発注先のマルティ商会からは、テオドゥロさんと奥様のブリサさんも来ている。
そういえばこの夏休みは、ブリサさんのお店に顔を出していなかったね。
その日はヴァニー姉さんをはじめ、母さんやアビー姉ちゃん、エステルちゃんにシルフェ様たち、そして侍女さんたちの女性陣全員が2階の家族用ラウンジに集まって、大変な騒ぎでした。
もちろん試着会だから、男性は出入り禁止ですな。クロウちゃんも男性だからね。カァ。
尤も、もし呼ばれて感想とか求められると難儀なので、俺はダレルさんたちと仕上げ工事です。
そうして7月の10日。仮設宿舎がいよいよ完成した。
お昼に屋敷や騎士団、内政官事務所の人たちが集まって、ちょっとした落成式とパーティーを開きました。
この2棟の建物は取りあえず仮設宿舎と呼んでいたのだが、ウォルターさんとクレイグ騎士団長のおじさんふたりが相談して、正式には「ヴァネッサ館」と名付けることになった。
上棟式らしきものを俺が思いつきで行った際に、ヴァニー姉さんの名前を刻んだ銘板をそれぞれの建物の梁に掲げたということもきっかけになったらしい。
落成式にはシルフェ様たちももちろん出席して、このヴァネッサ館に祝福を授けていただけることになった。
それで当日は片方の建物の大きな玄関ドアを開放して、玄関ホールのラウンジと屋外を会場とする。
「あら、この建物って、もう祝福がされてるのね。それもお母さまのだわ」
「そー言えば、建物の大枠が出来て屋根を乗せるときに、上棟式とかいうのをザックさまがやって、そしたら、アマラさまとヨムヘルさまがいらして、ザックさまと話していらっしゃいましたよ」
側にいたカリちゃんが、小声でシルフェ様にそう教えた。
「まあ、そういうことなのね」
「結婚式にもいらっしゃるって、そうおっしゃっていたような」
「うふふ、お母さまったら。ほんと、ザックさんには甘いのよね」
「そうなんですかぁ」
まあまあいいですから。落成式を始めますよ。
父さんが挨拶し、この建物を造った代表はおまえだからと俺にも挨拶させ、そしてシルフェ様に祝福をいただいた。
そしてヴァニー姉さんが感謝の挨拶をし、なぜだかアルさんの音頭で乾杯。
実質的に棟梁のダレルさんが遠慮してアルさんにお願いしたようだ。
それらのセレモニーが終了すると、まずは全員で建物内の見学ですな。
「こんな短い日にちで、凄いっすよね、ザカリー様。これで食堂と厨房を造れば、宿屋が出来るっすよ」
「トビーは何を言ってるんだ。子爵館の中で宿屋を開いてどうする」
「そのぐらい、良く出来てる建物っていうことっすよ、親方」
「じゃあ食堂と厨房も造って、トビー選手とリーザさんに任せようかな」
「典型的なやぶ蛇って奴っすよね。そういうとこ、ザカリー様には感心させられるなあ」
そんな他愛もない会話を交わしながら、レジナルド料理長とトビーくんたちと建物内を廻る。
いや俺としては食堂と厨房も造りたかったんだけどさ、ライナさんに却下されたんすよ。
見学会が終わったあとは、料理長とトビーくんが大量に料理を用意してくれたので、集まってくれた皆でランチパーティーを楽しんだ。
ふたりも忙しいのに、ご苦労さまでした。
「ザカリー様」
「ミルカさん、最近あまり顔を見なかったけど」
「ええ、相変わらずあちらこちら暇なしで。それよりもザカリー様。王太子様ご一行が無事に王都を出立し、本日は最初の宿泊地に向かっているとのことで、予定通り12日にはご来訪となります」
いよいよ王太子が来るんだ。その翌日には他のお客様も到着する。
これから姉さんの結婚式に向けて、本格的に忙しくなりますよ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




