第643話 奇跡の万能薬伝説
「この瓶の中にはですね、僕らが作ったあるお薬が入っています」
「お薬って、何のお薬なの? ザック」
「それはですね、姉さん。あらゆる怪我や病を治し、回復させる万能薬であります」
「万能薬……?」
どうやら誰もピンと来ていないみたいだな。
「ねえザック。それって、錬金術ギルドで供給している治癒ポーションとどう違うの?」
「母さん、僕はあらゆる怪我や病を治し回復させる、と言いました。つまり、怪我だったらおそらく指の1本や2本を無くしても、お腹に剣を突き刺されても。病なら死に至るような重大な病気でも、でありますよ」
「おい、アン。そんな薬ってあるのか? たしか治癒ポーションは、重い病にはほとんど効果はないと聞くし、ましてや身体の一部を無くすような大怪我だと」
「わたしの回復魔法でも、それは無理……」
「ああっ! あ、ゴメン、なんでもない」
アビー姉ちゃんが回復魔法でも、という母さんの言葉を聞いて、大きな声を出したが直ぐに黙った。
姉ちゃんは俺とエステルちゃんがシルフェ様たちと、肉が削ぎ落とされる大怪我をしたユニコーンのアリュバスさんを治した件を知っているからね。
「あの、もしかしてだけど、もしかして、それって……」
「奇跡の万能薬よ、アンさん」
「つまり、エリクサーじゃよ」
母さんが何かを思い付いたようだが、シルフェ様とアルさんが先に答えを言った。
「奇跡の万能薬……。エリクサー……。あーっ」
この結婚祝いの贈呈イベント中、俺たちは子爵執務室の中で椅子には座らず、会議テーブルを囲んで全員が立っていたのだが、母さんがそのシルフェ様とアルさんの言葉を聞いて崩れるようにしゃがみ込んでしまった。
「どうしたっ、アン」
「お母さま」
「母さん、どうしたの? 大丈夫?」
「ええ、はい。大丈夫よ。大丈夫じゃないけど」
とりあえず母さんを会議テーブルの椅子に座らせる。その母さんはテーブルの上に置かれた小瓶をじっと見つめていた。
「どうやらアンさんは、奇跡の万能薬エリクサーのことをご存知のようね」
「あ、はいっ、シルフェ様。これも古い文献に記された伝説で読みました。かつて、すべての怪我や病を治癒する、エリクサーという名の万能薬が存在していたと。それはその文献が書かれたよりも更に大昔に、人間が白いドラゴンからいただいたものだそうです。あるとき、古代の戦士の男が深い森にひとり迷い込んだ。すると、森の中だというのに、若くて美しい娘が大木の根本で膝を抱えて座り込んでいるのです。これはどうしたことかとその戦士が声を掛けると、その娘が言うには、なんでも恋人と大喧嘩をして、この森の中にひとり置き去りにされてしまったのだとか」
母さんが以前に読んだという、古い文献に書かれた話をしだした。
ところでアルさん、そこでどうしてもぞもぞ落ち着かない感じなの。
「戦士は、森の奥深くでこんな美女が独りでと怪しみ、魔物か物の怪の類いではないかと警戒しながらも、その娘が語る話を聞いていたそうです。娘によると、どうやら立場だか家系の問題だかで、ふたりは一緒になれない運命なのだとか。だから最近は、一緒にいても言い合いになることが多く、ついには今日、大喧嘩になってしまったのだと、そう話して娘はさめざめと泣き始めました。戦士は心優しい者だったので、背負っていた袋から果実酒やら食べ物やらを出し、娘を慰め愚痴を聞きながら、その晩はふたりで楽しく飲み明かしたのだそうです」
「あー、その話はまだ続きますかのう」
「どうした、アルさん。せっかくいいところなのに」
「そうですよ。続きを聞きたいです。お母さま、それでどうなったですか?」
「むー、続きはわしが話す。朝その戦士が目覚めると、娘の姿は消えておった。それで昨晩は夢でも見たのかそれとも化かされたのかと、その娘のことは頭から消して戦士が森を抜けるために出発したのじゃが、途中に魔獣に襲われ、足を片方失う大怪我をしてしまったのじゃ。これで自分の生涯もお終いかと観念したとき、空から白いドラゴンが現れ、その魔獣は逃げ去った。魔獣の次はドラゴンかと、戦士は気を失ってしまったそうじゃ。しかしふと目覚めると、そこには昨晩のあの美しい娘がいて、これはエリクサーという万能薬です、これであなたの失った足を治しなさい、昨晩楽しくお酒をいただいて慰めてくれたお礼ですと、ポーションをふたつ差し出した。戦士は出血が酷くて朦朧としていたのじゃが、気が付くともう娘はいなくなっておった。それでも半信半疑ながら、そのポーションのうちひとつを開けて、膝から下が無くなり血がまだ激しく流れ出る部分に中身の液体をかけると、足の失った部分がみるみる伸びて復活し、元どおりになった。そしてエリクサーという万能薬の名前と、残ったもう1本が手元に残った、そういう話じゃな。同じ話じゃろ? アンさん」
「ええ、同じ話です」という母さんの答えを聞いて、アルさんは何故か不機嫌そうに頷いていた。
というか、もうだいたい分かっちゃいましたよ。カァ。ああクロウちゃんも分かったよね。
「ふふふ。その話の内容って、アルはずいぶんと良く知ってるのねえ」
「それはそうじゃろ、シルフェさん。本人から聞いたでな」
「本人って、その戦士の男性から?」
「違いますよぅ、アビーさま。白いドラゴンの方ですよ。っていうか、曾お婆ちゃんからですよね、師匠」
「ふん、そうじゃ。おぬしの曾婆さんに、わしがここで話したって言うんじゃないぞ」
つまり、お話に出て来た白いドラゴン、恋人と大喧嘩をして深い森の中にひとり残された娘さんというのは、クバウナさんのことですなぁ。
そして、クバウナさんを置き去りにした恋人っていうのは……。
「あの頃から、アルは人化の魔法を使うのを止めてたのよね」
「シルフェさんは、余計なことを言わんでも良かろう」
アルさんは俺たちのところに来るようになって、もの凄く久し振りに人化の魔法を使い始めたそうだけど、その頃から止めていたんだね。
当時は自分も人間の男性の姿になってだろうな。へぇー、そういうことですか。
「クバウナさんが大喧嘩をした恋人って? 立場とか家系の問題とか。それって」
「エステルちゃんも、そこは掘り下げんでもええて」
「あとで僕の想像したことを話すよ、エステルちゃん」と、俺は彼女の耳元で囁いておいた。
「あの、わたし、なんだかいけない話を持ち出してしまったのでしょうか」
「いやいや、アンさんが読んだその文献に書かれた伝説というのは、おそらく人間のその男から聞いた話がもとになっておったのじゃろう。別にそれは構わんし、クバウナさんが人間にエリクサーを与えたのは事実じゃからな。まあ、ザックさまが作ったこのエリクサーも、大もとはクバウナさんじゃしの」
「エリクサーという薬を人間の戦士に与えた白いドラゴンのクバウナさんという方が、カリちゃんの曾お婆さまで、ザックが出したこのお薬がまさしくそのエリクサー。失った片足すらも復元するという奇跡の万能薬。それをザックたちが作ったと……」
母さんがそう独り言のように言うと、父さんたちもこの薬の重大性に気づき始めたようで、部屋の中にいる誰もが言葉を失っていた。
「どうしてこのお薬をザックたちが作れたのかは、怖くて聞けないわ。でもお薬なんだから、何かの薬草とか、基になった材料があるのよね。アラストル大森林で採取出来るものなのかしら」
「ああ、母さん。もちろん材料は必要だよ。でも、その材料は大森林では採取出来ないんだ」
「そうなの……」
材料がアラストル大森林で採取出来ないと聞いて、母さんは酷く落胆した表情を見せた。
もしかしたらうちの地元に材料があるとか、ちょっと期待したのかも知れない。
「じゃ、じゃあ、その材料はどこで手に入れたの?」
「あー、それは、ドリュア様からいただいたもので」
「ドリュアさまって、もしかして」
「樹木の精霊様」
この冬に俺とエステルちゃんとクロウちゃんが真性の樹木の精霊様であるドリュア様のところに会いに行ったのは、もちろん母さんたちも知っている。
ただそれが、5,000キロメートル以上も離れたニンフル大陸の東の果て、世界樹の立つところであるのは知らないんだけどね。
「アンさん。ザックさんは言いにくいでしょうから、わたしからお話ししますけど、このお薬はね、ドリュアさんから貰った世界樹の樹液が材料になってるのよ」
「おひいさま、いいんですか?」
「あら、ここにいる人たちならいいわよ。ただし、他言は絶対に無用よ」
あらら、シルフェ様があっさり正解を喋っちゃいましたよ。
一方でそれを聞いた母さんたちは、「世界樹の樹液!?」とその単語を必死に理解しようとするように押し黙ってしまった。
子爵執務室の室内に静寂が訪れる。
「あの、シルフェ様。世界樹は、この世界にあるのですね」
その沈黙を破って、ウォルターさんが恐る恐る言葉を発した。
そうなんだよね。世界樹なんてお伽話か伝説の中の存在だ。少なくとも人族にとっては。
もちろんエルフはその存在を知っているが、彼らは他の人間の種族の者には決して漏らしたりはしない。
「ええ、それはもちろんありますよ。ドリュアさんは世界樹を護ってそこに棲んでいるし、この冬にザックさんたちと行ってきましたからね」
「そ、そうですか。それは、どこに。あ、いえ、これはお聞きしてはいけないと、以前にもお叱りをいただきました」
「別にウォルターさんを叱ったわけじゃないのよ。でもほら、あのときも言いましたけど、わたしたち精霊の居場所は、人間が知るべきではないとね。ただそれだけよ。世界樹はドリュアさんのお家ですからね」
「そのドリュアさまから、世界樹の樹液というものを、うちのザックがいただいて来たと」
「そういうことね、アンさん。それで、カリちゃんが曾お婆ちゃんのクバウナさんから、奇跡の万能薬のつくり方を教わっていたので、それでこの4人で作ったということ。あと、作るときの条件はもうひとつあるんだけど、それはクバウナさんとたぶんザックさんしか出来なくて、エステルもある魔導具を使えば出来るんだけど……」
「おひいさま、そのぐらいで」
「シルフェさん、話し過ぎじゃて」
「あら。つい喋っちゃったわ」
「白いドラゴンのクバウナさまと、ザックしか出来ないこと……」
母さんは絶句してしまった。
父さんなどはあまりの驚愕に、もはや思考を停止して凍り付いてしまっているみたいだった。
「まあなんだ。ここにあるエリクサーは正真正銘のエリクサーであると、わしが確認させて貰ったでな。それをザックさまたちが、ヴァニー嬢ちゃんの結婚祝いに進呈するということも、シルフェさんはじめわしらが了承した」
「ということね。うふふ」
「そ、そんな大層なお薬、わたし、いただけません。いくら、いくら自分の弟が作ったものだと言ったって、世界樹とか、白いドラゴンさまとか、奇跡の万能薬とか、そんなお伽話でしか聞いたことのないようなもの。わたし、畏れ多くて。わたし……」
「姉さん」
遠い昔に人間の戦士にエリクサーを与えた白いドラゴンはお伽話かも知れないけど、ここに黒いドラゴンの爺様がいるんだけどね。
「姉さん。この薬は、いざというときのためのもので、本当はこれを使うことなんかが起きない方がいいんだ。だから、仕舞っておけばいいんだよ。ただ、もしかして、万万が一、姉さん自身やヴィクティムさんや、姉さんとヴィクティムさんの子供に何かがあったときのために使えばいい。でも、僕がこの薬を姉さんに贈ってもいいなと思ったのは、そんな万万が一のときというより、姉さんがこのグリフィニアを離れて、たったひとりでお嫁に行く心の支えのひとつになればいいなって、そう思ったからなんだ。だから姉さん自身の安心のためと、それから父さんや母さんが安心して姉さんを送り出すためのものだと思って受取ってほしい。エステルちゃんたちも賛成してくれて、これは僕たち4人の考えなんだよ」
「ザック、あなた……」と小さく声を漏らして、それからヴァニー姉さんは泣き崩れた。
直ぐにエステルちゃんとアビー姉ちゃんにカリちゃんも側に寄って、それぞれ小声で何か囁いている。
どうも嫁入り前のいろいろな思いが、再び沸き起こってしまったみたいだ。
暫くそんな状態が続き、ようやく落ち着いたヴァニー姉さんが俺の方を向いた。
「ザック、わたし、いただきます。でも、あなたの言う通り、使わないで大切に仕舞っておきます。父さんや母さんや、アビーやエステルちゃんや、そしてあなたやグリフィニアの人たちと、このわたしを繋ぐ大切な心の拠りどころとして。ありがとう、ザック、エステルちゃん。クロウちゃんとカリちゃんも、ありがとう」
「うんうん、それでいいわ。でもヴァニーちゃん。ひとつだけ約束してほしいの。これはわたしがザックさんに許可した条件よ」
「はい、シルフェさま」
「まず、このお薬が手元にあることを、決して誰にも知られないこと。それはヴィンスさんやアンさんやウォルターさんも同じよ。アビーちゃんはわかってるわよね」
「ヴィクティムさまにもですか?」
「そうね、出来たら。でも、旦那さんにはいいかしら。ねえ、どう? ザックさん」
「ヴィクティムさんだけなら、いいですよ」
「そうしたら、向うでは旦那さんだけね。こちらは、誰に知られても良いのかはザックさんが決めます。そう思っていてくださいね、ヴィンスさん、アンさん」
「わかりました」
「はい、仰せのままに」
「そうしたらの、ヴァニー嬢ちゃん。さっきの首飾りとこのエリクサーとは、このマジックバッグに入れるのじゃ。使い方は知っておるかな? ほれ、そこに入れて。そうそう、それでバッグの口から手を入れてみなされ」
「あっ、燕の魔法石の首飾りが入った開かずの宝石箱とエリクサーの小瓶って、ふたつの名前が頭に浮かびました」
開かずの宝石箱? それって。
「よしよし。それでは、ひとつずつ頭に浮かべて取り出したいと考えなされ」
「はい」
姉さんはマジックバッグから、宝石箱とエリクサー小瓶を順番に取り出した。
「そしたらの、そのエリクサーの小瓶を宝石箱に仕舞って、それからまたバッグに入れるのじゃ。そうそう。それで手を入れると、どういう名前が頭に浮かんだかの」
「燕の魔法石の首飾りとエリクサーの小瓶が入った開かずの宝石箱、です」
「よしよし、それで良いそれで良い」
「アルさんさ、開かずの宝石箱って?」
「おお、ザックさまよ。いやなに、あの宝石箱はの、開けられる者を限定出来るのじゃよ。それで昨晩にあのあと、わしがヴァニー嬢ちゃん専用のものに魔法を付与しておいたのじゃて」
「つまり、姉さんだけが開けられると。他の誰も開けられないんだ」
「まあ正確に言うと、魔法を付与したわしと、あとシルフェさんとか、たぶんザックさまは開けられるじゃろうな。魔法の強さとしてはそのぐらいじゃて。ともかくも、普通の人間は開けられんので、あの宝石箱に入れておけば安心じゃろうて」
「ああ、魔法鍵か」
「そういうことじゃな」
「あと、マジックバッグがエリクサーと認識したで、あれは正真正銘のエリクサーじゃな」
「そういうこと?」
「そういうことじゃ。さあ、このバッグごとヴァニー嬢ちゃんのものにしなされ」
「はいっ」
おい、昨晩一気飲みして、「完成しておる、と思う」とか曖昧なこと言ってましたよね。
しかしマジックバッグって、あらためて考えると高性能だよな。
「ねえ、ザック。つかぬことを聞くんだけど」
「なあに、母さん」
「そのお薬って、いまの1本だけ、なのかしら。あ、ごめん、つまりその」
母さんならそれを聞きますよね。先ほどまでの驚きからは、だいぶ回復して来ましたかな。
「アルさんとカリちゃんにも差し上げました。ドラゴンだからね」
「そ、そうよね。えーと、ごめんなさい」
俺の無限インベントリに入っているのがあと5本。
尤も、世界樹の樹液の樽入り原液はほとんど消費していないから、まだまだ山ほど作れるんだけどね。でもこれは黙っておきますよ。カァ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




