第641話 燕の魔法石の首飾り
「そうねえ。アルはどう思う?」
「そうですのう。まず、このエリクサーは、人間ではやたらに手に入らぬふたつのものを材料としているところではあるがの。しかしそのどちらも、ザックさまとエステルちゃんのものじゃ。そして作ったのも、そのふたり」
「材料の所有者も製作者も、どちらもザックさんとエステルということね」
「そうですな。であるからには、ザックさまとエステルちゃんがこれを誰に進呈しようと、われらとてそれを否定することは出来申さぬ。しかしの」
「問題は、贈られた方ということね。つまり、ヴァニーちゃんの方の問題と、アルは考える訳ね」
「まあそういうことじゃな。あるいは、人間の方の問題ということか」
アルさんが言いたいことはだいたい理解しました。
要するに、世界樹の樹液の原液はドリュア様から俺とエステルちゃんがいただいたものだし、もうひとつの材料ともいえる聖なる光魔法もふたりで行使して製作した薬だ。
だから、作ったことに問題は無いのだが、贈られたヴァニー姉さんにとっては、まさしく通常の人間社会の範疇を超えたものを貰ったことになるし、それが人間の間で知られることになれば、もっと大きな問題になる可能性があるということだね。
なぜなら、原材料の樹液の元である世界樹は、エルフにとっては神聖で不可侵とも言うべき存在なのだ。
その樹液から作られた薬を人族が持っているというのをエルフに知られると、何が起きるか分からない。
俺はこの冬に世界樹の根元で対面した、光のエルフと呼ばれる面倒くさいエルフたちの顔を思い浮かべた。
「ヴァニーちゃんが、嫁ぎ先で誰にも話さなければいいんじゃない? それで、本当にいざっているときにだけ使えばいいのよ。もちろん、そういうことがないなら、それに越したことはない訳だし」
「なんだか難しいんですね。わたし、いけないアイデアを出しちゃったですか? もし拙かったら、すみませんでした」
「あらあら、カリちゃんは悪くはないのよ。面倒くさいのは人間の世界の方なんだから。ただ、わたしたちの世界のことと、人間の世界とを繋ぐようなことがあったときには、そういう面倒くさいことが時々起きるって、それだけは覚えておきましょうね」
「はい、わかりました。シルフェさま」
カリちゃんが珍しくしゅんとしていた。
シルフェ様が言ったような、人外の世界と人間の世界とを繋ぐようなことって、その両方が良く分かっていないと難しいよね。
「そうしたら、ザックさん」
「はい」
「そのお薬は、真性の風の精霊の責任において、あなたとエステルからヴァニーちゃんに贈ることを許可します」
「え、いいんですか?」
「ええ、いいわよ。ただしこのことは、あなたのご家族と、それからそうねぇ、ジェルちゃんたちに教えるようなことがあったら、それはあなたの責任において良しとするわ。どうせライナちゃん辺りが、直ぐに勘づくでしょうからね。あの子の場合は、念話の訓練もしてるから、もういまさらですけどね」
やっぱりシルフェ様って、色んなことが分かってるんだなぁ。
「そうしたら、ヴァニー姉さんには、辺境伯家に嫁いでも誰にも秘密にするように、そう約束して貰えばいいんですね」
「そうね。人間のそれも人族の生命なんて儚いものですし、あの子自身やそれから旦那さんや、もしかしたらお子さんとか、大切な誰かに生命の危機が訪れないとも限らない。そういういざというときに、このお薬を使いなさいって、そう言ってあげなさい」
「はい、わかりました」
「それでザックさまよ。このエリクサーは、ヴァニー嬢ちゃんに何本あげるのじゃ?」
「そうだね、アルさん。いまの話からしても、やっぱり1本だけかな。姉さんの手元に複数あって、万が一に流出するとかがあるといけないし」
「そうじゃな。それがよかろうて。……あの、それでお願いなのじゃが」
「はい、アルさんにも2本ぐらいどうぞ」
「これは。かたじけない」
「カリちゃんもそういう目で見ない。はい、カリちゃんにも1本ね」
「てへへ。ありがとうございます、ザックさま」
ドラゴンというのは、本当に自分が所有していないお宝には目が無いんだよな。
だいたい爺さんの方は、さっき一気飲みしたでしょうが。
欲しがりドラゴン爺さんとドラゴン娘にも、ちゃんと進呈しますよ。
「それでアル。あなたもヴァニーちゃんへのお祝いを持って来たんでしょ」
「おお、そうじゃ。いつ差し上げたら良いかの、ザックさま」
「そうだね。あと何日かしたらこの屋敷にもお客様が来るし、姉さんも出発の日にちが迫ると落ち着かないだろうから、早めに渡してあげた方がいいか。明日とかはどうかな。ねえ、エステルちゃん」
「そうですねえ。王太子様や男爵お爺さまたちがいらっしゃるのが、12日ですよね。それまでに、グリフィニアの人たちでお祝いのご挨拶に来られる方もいるそうですし、あとたしか、ドレスが届くのが7日か8日辺りでした。そのぐらいから、かなりわさわさしますから。その前の方がいいですよね。明日なら、姉さまもまだ忙しくないですし、いいと思いますよ」
「まあ、結婚式のドレスね。それは早く見たいわ」
「それは楽しみですよ、おひいさま」
精霊様のふたりは、そういうのが大好きだからなぁ。目がキラキラしだしてる。
それにしてもエステルちゃんは、帰省してから大半の時間をヴァニー姉さんや母さんと過ごしているので、さすがに良く把握しているよね。
「アルは何を持って来たのかしら」
「むふふ、それはの。渡すまで秘密にしておこうかとも思ったのじゃが、まあこれじゃよ」
アルさんは、手元にあったマジックバッグをテーブルの上に置いた。このドラゴン爺さんはいったいいくつ、マジックバッグを所有しておるのでしょうかね。
そしてそのバッグの中に手を突っ込むと、シンプルなつくりではあるが宝石箱のような箱を取り出した。
「それって、宝石なの? アルさん」
「まあ待ちなされ、エステルちゃんよ。中身はこれじゃて」
箱の蓋を開けると、中に納められていたのは大きめの飾り石がいくつか付いたネックレスらしきものだった。
「首飾り?」
「そうじゃて。だがもちろん、ただの首飾りではござらんぞ」
「あ、その石は、スワローマジックストーンではないですか? アル殿」
「おお、さすがはシフォニナさんじゃて。そうそう、その通りスワローマジックストーン。つまり燕の魔法石じゃ」
「カァカァ」
「え? なになにクロウちゃん。つばくらめの子安貝じゃないかって。それって何だっけ」
クロウちゃんが教えてくれたことによると、燕の子安貝とは、俺の前世の世界の竹取物語、つまりかぐや姫のお話に出て来る宝物だ。
美しく育ったかぐや姫に5人の公達が求婚するのだが、姫はそれぞれに宝を手に入れて来いという難題を課す。
その5人のなかのひとり、石上中納言に課せられたお題は「燕の子安貝」だった。
ツバメが卵を生むときに体内に現れて一緒に出て来るというその子安貝は、安産をもたらす貴重な宝とされるが、石上中納言も結局は入手に失敗する。
ツバメの巣に手を突っ込んで何かを掴んだ拍子に木から落ちて腰を痛め、おまけに掴んだものはツバメの糞だったのだ。
彼はそれで意気消沈し、骨折と病気で寝込んで終には死んでしまう。
西洋世界でもスワローストーンという特別な石をツバメは海辺から運んで来て巣の中にしまっており、その石は人間の女性に安産をもたらすとされ、かつては隋分とツバメの巣が荒らされたそうだ。
子安貝とは現実に存在するタカラガイの別名で、そのカタチが女性器に何となく似ているということと、ツバメもじっさいに貝殻を拾って来て巣に運ぶことからその伝説が生まれたようだ。
どうやらツバメは生んだ雛へのカルシウム補給のために、貝殻を与えているらしいということだそうだ。
以上はクロウちゃんの解説ですが、カラスのお宝とかはないの? カァ。
「燕の魔法石って、何なの? アルさん」
「おお、それはじゃな。数居るツバメのなかでも、極めて稀に何百年と長生きするものがいるのじゃよ。まあ凶暴ではないので魔獣ではないが、それに近い存在じゃな。このツバメは長生きであると同時に、身体も大きくなり、飛ぶ速さもとてつもなく速くなる」
「カァカァ」
「ははは。クロウちゃんには、さすがに適わんぞ。でもかなり良い競争相手にはなるじゃろ。それでな。このツバメがこれもまたごく稀に番となったとき、その母親の身体から卵と一緒に生み出されて来るのが、この燕の魔法石なんじゃよ」
「貝とかじゃないんだよね?」
「貝? ああ、貝のようにも見えるが、海や川の貝ではないぞ。じゃが、この燕の魔法石は卵の殻とは別に卵を護るものと言われておるから、ある意味で貝殻のようでもあるな」
「それで、この燕の魔法石は、人間にとっても安産のお護りになると」
「やはりザックさまじゃな。まさにその通り。ツバメの巣にあって卵と母ツバメを護るように、人間の母親と胎内の子、そして産まれた後の赤子も護る魔法の護り石じゃ」
おお、クロウちゃんが指摘したように、竹取物語の燕の子安貝や西洋のスワローストーンにも通じるものだが、この世界らしくその魔法効果は更に高いお宝のようだ。
「燕の魔法石は、ふつう長命化したツバメの巣に1個だけあると言われてますけど、この首飾りには5つも付いています。それだけ、この首飾りは凄いものですよね」
「シフォニナさんも物知りじゃの。そうなのじゃ。どれだけ昔の物かはわからんのじゃが、わしの宝物庫を探索して唯ひとつ、この首飾りを見つけたのじゃよ」
「ほぉー」
「へぇー」
「ひょー」
「カァ」
シルフェ様も含めて他の女性たちは、もの凄く感心していた。
安産のお護りで、赤子とお母さんを護るお宝かぁ。ヴァニー姉さんの結婚のお祝いとしてはぴったりというか、凄いものだよなぁ。
しかしこのお宝、もし市場に出たとしたら、いったいいくらぐらいの値が付くのだろうと、そんな俗物っぽいことが頭に浮かぶ俺は、一方でまだその俗物性が自分に残っていることに少し安心したりする。
「ザックさまとエステルちゃんが、先ほどのエリクサーをヴァニー嬢ちゃんに贈るのなら、それを保管しておくためにも、このマジックバッグを進呈しようと思うぞ」
ああ、やっぱりマジックバッグごとあげちゃうんですね。
これでうちの関係者は、いくつ貰ったんでしょうかね。マジックバッグのインフレですね。
「わしの贈り物も披露したでな。それでシルフェさんとシフォニナさんは、何を贈るのじゃ?」
「わたしたち? わたしたちはアルみたいに、たくさんの宝物を持ってる訳じゃないから、ヴァニーちゃんにも加護をあげようかと思うのよ。先にアビーちゃんにあげてるから、お姉さんのヴァニーちゃんにもと思ってね」
「あ、それはいいですね。僕からも是非ともお願いします。姉さんは誰も連れずに、たったひとりでお嫁に行くので、どうか彼女の心の安心というか、支えとなるように」
「わたしからもお願いします、お姉ちゃん」
「そうね。それほど遠くないお隣とはいえ、お父さまやお母さま、アビーちゃんやあなたたちと離れて、ひとりでお嫁に行くのね。それは、あの子らしい強さや律儀さだからこその決意かも知れないけど。でもまだまだ、か弱い女の子なのだから、わたしたちが護ってあげられる加護を進呈しましょうね」
「ありがとうございます、お姉ちゃん」
「ありがとうございます」
「カァカァ」
俺たちはシルフェ様とシフォニナさんに頭を下げて、そうお礼を言った。
「あのう、わたしも何か贈り物とか……」
「カリちゃんは何を言ってるの? ザックさまが作ったお薬は、あなたがアイデアを出して作り方も教えてくれたのだから、これはあなたとクロウちゃんも加えた4人からの贈り物なのよ。ねえ、ザックさま」
「そうそう。カリちゃんがいなかったら、たぶんいまでも、僕はエステルちゃんからお小言を貰っておりましたからな。だからあれは、4人からの贈り物ね」
「カァ」
「はいっ」
先ほどから大人しくなって神妙にしていたカリちゃんだったが、いつもの明るい笑顔が戻ったみたいだね。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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