第638話 世界樹の樹液から万能薬を作る
カリちゃんの曾祖母であるクバウナさんが教えてくれたという話をちゃんと聞いてみると、世界樹の樹液の原液はそのまま服用すると、とても効果の強いものなのだそうだ。
人間には強過ぎるかも知れないとカリちゃんは言った。
だから世界樹ドリンクとしては、カップ1杯の水に対してスプーン1匙で良いということらしい。
だが、その原液を例えば大怪我をした傷口にほんの少しだけ振り掛けると、たちどころに傷口は塞がり、失った体力も回復するらしい。
しかしこれもその量を間違えれば、人間の場合だと取り返しのつかないことになるかも知れないというのだ。
「えー、あの樽の中に入っているのは、そんなに危険なものだったのね」
「カァカァ」
「あの、ちなみにでありますが、その量を間違えた場合の取り返しがつかないこととは?」
「うーん、曾お婆ちゃんも人間の場合は言ってなかったですけどぉ、その傷口が塞がれたあと筋肉が盛り上がり過ぎるとか、下手すると亀の甲羅みたく頑丈になっちゃうとか?」
「おい」
「そんな危険なものを、ヴァニー姉さまへの結婚のお祝いにプレゼント出来ませんよぅ」
「だからぁー、話は最後まで聞いてくださいよ。あのですね、曾お婆ちゃんが教えてくれたことによると、世界樹の樹液の原液をですね、10倍ぐらいに薄めて、それからその薄めた液に聖なる光魔法を一定時間照射すると、過剰な効果が緩和されて、どんな怪我でも病気でも治せる万能薬になるんだそうです。人間ぐらいの弱い生き物が使っても、大丈夫だとか教えてくれました」
「ほう」
「ひょー」
「カァ」
天上から来た最高位のエンシェント・ドラゴンで五色竜のおひとりであり、ホワイトドラゴンとしておそらく地上世界で最高の白魔法の遣い手である、そのクバウナさんから教えて貰ったことなら間違いはないのでは。
まさか、曾孫のカリちゃんに嘘は教えないだろう。
それにクバウナさんは、聖なる光魔法の極めて数少ない遣い手のひとりなのだそうだから。
樹液の原液を10倍ぐらいに希釈して、かつ聖なる光魔法を一定時間照射するのか。
世界樹ドリンクの場合だと、およそ200ミリリットルに対して小さなスプーンで1杯だから5ミリリットル。つまりおよそ40倍の希釈だ。
これが10倍ぐらいの希釈だとかなり効果も強く、人間にとっては危険度もまだまだ相当高いと思われるが、そこに聖なる光魔法を照射することで、要するに聖なる浄化と治癒の力を加えて、安全でかつどんな怪我にも病気にも効く万能薬に変化させるということなのかな。
「どうですどうです。これこそが、ザックさまとエステルさまにしか出来ない、最高のプレゼントだと思いませんか。えへん」
カリちゃんはそう言って、えへんと胸を思いっきり張った。
彼女もいつもはうちの侍女服姿だから、お胸がやたら強調されている。
最近かなり大きくなってる気がするけど、それって人化魔法の微調整効果ですか、っていまはそこではない。
俺とエステルちゃんは、カリちゃんの話を聞いて顔を見合わせた。
彼女のその目が「どうします?」と聞いて来ている。
「カァカァ」
「ですよね。クロウちゃんの言う通り、作ってみればいいんですよ」
「だけどさ」
「作るだけなら、危険なことはないじゃないですか」
「そうねぇ」
「うーん。じゃあ、作るだけ作ってみるかなぁ、エステルちゃん」
「そうですね」
それで俺たちは、世界樹の樹液による万能薬の製作実験のため、果樹園の中の子爵家専用魔法訓練場へと行った。
今日は夏至祭の2日目なので、屋敷の者は交替で中央広場に出掛けているし、騎士団員も警備や何やらでほとんど出払っている。
なので子爵館の敷地内は静かなものだ。
それでも魔法訓練場に入ると、念のために入口の鍵を掛けた。
まずは、訓練場のフィールド脇にある休憩場所のテーブルの上に、ドリュア様からいただいた世界樹の樹液の原液が入った樽を出す。
前世の俺の世界でいう二斗樽といったところだから、36リットル入りだろうか。
これまでにここから出したのは、せいぜいがスプーンで15杯ほどだから100ミリリットルも使っていない。
「カリちゃんの話を聞いて、あらためてこの樽を見ると、危険物が樽いっぱいに詰め込まれているとか、怖いよねえ」
「恐ろしいですぅ」
「なに言ってるんですかぁ。人間が一生を掛けても絶対に手に入れることの出来ない、世にも貴重なお宝ですよ。わたしたちの一族だって、そうそうに手に入らないんですから」
あ、カリちゃんもアルさんと同じで、お宝には目のないドラゴンでした。
そのドラゴン族でも、そうそうに手に入らないのか。
ドリュア様はなんで、これ家に帰ったら飲んでね、美味しいわよ、みたいな感じの手土産でひょいっと持たせてくれたんですかね。
「まずは10倍に薄めるんだよね。えーとまずは道具を出してと」
俺は無限インベントリから、希釈用に陶器製の大きめのボウルとそれから計量用にカップ、混ぜるための大きな木製の篦なんかを取り出した。
「ザックさまって、ホントに何でも持ってるんですね。これ、何のために収納してるんですか?」
「何のためとか聞くと本人がいちばん戸惑うから、聞かないでおいてね、カリちゃん」
「カァ」
それから、アルさんの洞穴で湧く甘露のチカラ水を出す。
仮にも万能薬を作るのだから、希釈用の水はやっぱりこれでしょ。
「このお水、やっぱり美味しいですよね」
「夏の暑い日は、これに限るわよね。ザックさまが保管してるのは、ほど良く冷えてるし」
「カァ」
ああ、あなたたちはすっかり寛いでますよね。これから危険物を用いた製作実験をするんですけど。
まずはカップで5杯弱、甘露のチカラ水をボウルに入れた。
そして樽からカップに半分の量で原液を入れ、それをボウルの水の中に入れる。これで水10弱対原液1だ。
少々水の割合が多くて11倍希釈に近いけど、10倍ぐらいということだからまあいいだろう。水自体がアルさんの洞穴産の甘露のチカラ水だしね
原液は世界樹色というか濃いめの緑色をしていて、ボウルの中で溶かすように混ぜるとその色は薄まったが、世界樹ドリンクよりはかなり濃い色だ。
「あー、世界樹にいたときの良い香りがしますよ」
「え、そうですか? どれどれ」
匂いや香りに人一倍というか、風の精霊並みに鋭敏なエステルちゃんが鼻をひくひくさせてそう言った。
「確かに香りがしますけど、世界樹にお泊まりしたとき、こんな香りでしたっけ。さすがエステルさまは精霊様です」
だから、エステルちゃんはまだ精霊様ではないと思うんだけど。
そのエステルちゃんは、ボウルの上に顔を出してふんふん嗅いでいる。
そんなにずっと匂いを嗅いでいて大丈夫なのかな。
「なんだか、気持ちは落ち着くのに力が漲って来るというか、不思議な感じですよ、ザックさま」
「え、そうなの? 大丈夫なのかなぁ。鼻の穴の中が、亀の甲羅みたいにはならないかな」
「えっ、大変ですぅ」
エステルちゃんは慌てて顔を離して、鼻をむにゅむにゅ指で暫く揉んでいたが、「柔らかいから、大丈夫そうですよ」と言った。
俺も試してみようと思ったが、もしかしたら精霊化が進行しているかも知れないエステルちゃんだから平気なのであって、俺は危ないかもと止めておきました。
一方でカリちゃんは、エステルちゃんと交替してくんくんしながら「なんだか鼻がむずむずして、人化魔法が解けちゃいそうですー」とか言うので、嗅ぐのを直ぐに止めさせた。
「それじゃ、聖なる光魔法の照射か。これはやっぱりエステルちゃんとふたりでやろうか」
俺はそう言いながら、無限インベントリからエステルちゃんの愛剣である白銀のショートソードを取り出して、彼女に手渡した。
エステルちゃんはこの白銀を遣うことによって、聖なる光魔法が発動出来る。
「ねえカリちゃん。聖なる光魔法を一定時間って、どのぐらい?」
「あー、それは曾お婆ちゃんじゃないと。でも、ザックさまがいいと思うぐらいで大丈夫な気がします。なんとなくだけど」
俺がいいと思うぐらいか。なんとなくって、それで大丈夫なのかなぁ。
まあやってみるしかないか。
それで俺はボウルから少し離して手を翳し、エステルちゃんは白銀の剣先をボウルの上に伸ばして、いちにのさんで聖なる光魔法を発動させた。
「あー、世界樹の液が光り始めましたよー。凄い凄い。光が広がって行きます」
「カァカァカァ」
カリちゃんが大きな声を出した通り、ボウルの中の樹液の希釈液がまるで沸き立つようにその中から光始め、そして液の表面から外へと光が溢れ始めた。
水蒸気ならぬ、沸き上がる光の粒子だ。
「よおし、ストップストップ。エステルちゃん、もうストップ」
「はいぃー」
俺の心の中で、何かがもう充分ですよと言った気がした。世界樹の樹液がそう伝えて来たのか。世界樹の樹液って、生きてるの? そんなことはないよね。
「これで、出来たの、かな?」
「出来た、ですか?」
「きっと、出来たんですよぉ」
「カァ」
ボウルの中で約1リットルの、カリちゃんが言うところの世界樹の万能薬をこのままちゃぷちゃぷさせていると、なんだかいけない気がしたので、取りあえず別の容器に納めることにした。
「その小瓶って?」
「それって、治癒ポーションを入れる小瓶ですよね。なんでそんなに、その空の小瓶を持ってるですか、ザックさまは」
「いや、何故かと言われても」
錬金術ギルドで供給している治癒ポーションの入っている小瓶は、だいたい100ミリリットルが入るぐらいだ。
前々世でいうところの、栄養ドリンクの小瓶ぐらいの容量と考えて良い。
怪我などをしたときの治療としては、この小瓶から半分ぐらいを傷口に振り掛け、残りを飲ませると治癒効果が高まる。
俺はその治癒ポーションの空の小瓶を10本出した。
ついでにお玉のような調理用の道具も出して、ボウルから完成していると思われる世界樹の万能薬の液体を、その小瓶に入れて行く。
「ザックさまって、ライナ姉さんとかがいつも言ってますけど、本当に便利なんですね」
「ははは。そうなのよね。何だか、ちょっとわたしが恥ずかしいんだけど」
こぼすといけませんから、静かにしていてくださいよ。
「さあ、これで良しっと。良しなのかなぁ」
「やったー、完成ですよ」
「カァカァ」
「完成、なのかしら」
これが本当にどんな怪我でも病気でも治せる万能薬ならば、まさに世界樹ポーションとも呼ぶべきものなのだろうけど。
でも本当に、そういう効能が発揮されるのだろうか。
「ザックさまは、なにカタナとか出してるんですかぁ」
「それって、ザックさまのカタナっていう武器ですか? なんだか良く斬れそうです」
「いや、ちょっと効果を試してみようかと思ってさ」
「試すって、どうするんですか? 何かを斬るんですか?」
俺が無限インベントリから次に取り出したのは、不動国行1尺9寸3分5厘だ。
俺が持っている前世の刀の中では刀身が短い方だが、斬れ味はかなり鋭い。
エステルちゃんの白銀は、その代りにもう収納して置きましたよ。
「だから、こうして」
「あーっ」
「ひゃっ」
「カァ」
俺は不動国行の鞘を払い、その抜き身の刃を前腕部分につぅーっと走らせた。
刀傷が出来て、みるみる血が湧き出て来る。
「あ、いま回復魔法をっ」
「エステルちゃん、大丈夫だから慌てない。回復魔法で治したら意味ないからさ」
「えーっ」
「だから、この世界樹のポーションの液を垂らして」
俺は先ほど作った世界樹ポーションの小瓶から1滴、ぽたりと血の出ている刀傷に垂らした。
おお、なんだか治って来る気がしますぞ。痛みは液が触れた途端に消えて、いまは傷口が塞がっている感覚がある。傷口内部でも肉が塞がって来ているな。
念のため見鬼の力でその部分を見てみると、聖なる光とキ素力とそれ以外のなんだか知らないものが混ざり合って強烈に働き、急速に治癒させている様子が見えた。
「ザックさま、はいこれ」と、エステルちゃんがハンカチを渡してくれた。
俺はもういいだろうというところで、そのハンカチで前腕の血に濡れた部分を拭う。
ふーむ、刀傷がまったくありませんぞ。これは凄いですぞ。
まるでインチキ大道芸の実演みたいですぞ。蝦蟇の油売りだっけ。カァ。
念のために水を魔法で出してその部分を奇麗に洗い、その様子を見つめているエステルちゃんとカリちゃんとクロウちゃんに見せた。
「き、きれい、です。傷跡がまったくありません」
「ホント、きれいですね。固くとかなってないですよね」
「カァカァ」
「うん、まったく皮膚にもその奥にも変化はないみたいだよ、ほら」
その部分をエステルちゃんとカリちゃんが交互に、指でぷにぷに押していた。
いや、いま治したばかりなので、あんまりぷにぷに押さないでください。
しかしこれは、完成と言っていいんじゃないですか。
果たして、どんな怪我や病気にも効く万能薬なのかは分からないが、少なくとも命起草などの薬草から作られる治癒ポーションとは比較にならない効果を発揮した。
1滴垂らしただけでこれだから、もしかしたらなまじの回復魔法よりも治癒効果が高いかも知れない。
えーとこれは、世界樹ポーション(仮)を作っちゃいましたよ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




