第619話 王家ご招待の方針
「ヴィクティム様とヴァネッサ様の結婚の儀、このたび目出たく両家で合意が整いました。あらためて、おめでとうございます」
「キースリング辺境伯家のこれまでのご尽力に、深く感謝いたします」
ベンヤミンさんは姿勢を正し、頭を下げながらそう挨拶した。
ここからが本日のちゃんとした会談ということですな。
「結婚の儀のあらましに関しましては、ザカリー様には既にご承知のことと思います」
「はい。昨日にミルカさんから聞きました」
「特に、結婚披露の宴につきましては、大広間と中庭を会場として行うこと。大広間では着席、中庭は立食と、同時に進行いたしますこと、これについてもご承知かと」
「より多くの方々に参加していただいてご披露するというお考え、僕も大賛成です」
「ザカリー様にそうおっしゃっていただけると、苦労した甲斐がありますよ。そこで、大広間でご着席いただく、ご招待者のことです」
「領主貴族のすべての家をご招待すると決まったと、そう伺いましたが」
「はい。各家でふたりずつです。当家とグリフィン子爵家、そしてそれぞれの母方のご実家である2家を除いた19家を、すべてご招待いたします。いえ、各家の当主ご本人やご夫人が出席されなくても良いのですよ。代理人でも、おひとりだけでも、ご出席いただければそれで充分。仮に欠席となっても、当家の次期当主とグリフィン子爵家のご長女の結婚の儀に、ご招待をしたという事実が大切ですからね」
そういうことですか。
さすがに俺も、王国各地の領主貴族の当主やご夫人がこぞって出席するとは思わないけど、代理人でも欠席でもぜんぜん構わないんだね。
招待をしたという事実、つまり貴族間の付き合いと礼儀を失していないということが大切か。
領主貴族の長男と長女の結婚だから当然なのだけど、これは王国内での貴族外交の一環なのだと、あらためて感じさせられる。
「当家もザカリー様の家も、本当に近しい貴族は限られていますからね。まあ、両家に最も近しいと言えば、ザカリー様のお爺さまの家。当家でもせいぜい、北辺の各家です。ブライアント男爵家は当然ですが、あとご当主夫妻がお越しになりそうなのは、そのぐらいでしょう」
北辺の各家とは、うちと辺境伯家、ブライアント男爵家、そしてエイデン伯爵家とデルクセン子爵家の、それぞれアラストル大森林に領地を接している領主貴族家だ。
あとは、うちの南隣、ブライアント男爵領の西隣に領地を持つティアマ海沿いのオデアン男爵家ぐらいだろうか。
この家は、貴族領としては規模が小さく大森林の恩恵も得ていないが、領都自体もティアマ海に接している港町なので、海の幸や船での交易で比較的豊かだと聞いたことがある。
このオデアン男爵家とのやりとりはうちの場合、港町アプサラの代官を代々務めているオルティス準男爵家が主に担当しているんだよね。
「そこまでは理解しました。それで問題は、王家に対するご招待ですよね」
「はい。いま申しましたように、領主貴族家に対しては考え方もわりと簡単なのですが、王家に対してはそうも行きません。特に当家の場合は」
キースリング辺境伯家は、セルティア王国内で最も実力を備えた領主貴族家とされている。
先の15年戦争で北方帝国の侵攻を真正面から受け止めた武力、領地の規模、アラストル大森林とティアマ海からの両方の恩恵を背景とした経済力と、貴族の位階としては公爵、侯爵の次に位置する三番目ではあるが、実力では他のそれら上位貴族を凌いでいる。
だが一方で、辺境伯という名の通り、王国内では北の辺境に位置して王都から離れて在り、しかもグリフィン子爵家と同じく、王国の建国戦争には参加していない。
つまり、建国後にセルティア王国に加わったのだ。
それらの理由からか、王国中央の政治からは常に距離を置いている。
そしてこれは、うちも同じようなものなんだよね。
グリフィン子爵家は辺境伯家よりも規模も小さく、爵位も子爵と伯爵の下だから、せいぜいが中の下の貴族だ。
しかし、同じく大森林とティアマ海の双方からの恩恵を得て経済力も比較的高く、何よりも北辺の武闘派貴族というふたつ名、じゃなくて評判を貰っているらしい。
おまけに、辺境伯家以上に王家や王宮からは距離を置いている。
その両家の長男と長女の結婚式だからなぁ。
「まずヴィクティム様は、ザカリー様も良くご存知のように、セオドリック・フォルサイス王太子と大変に仲がおよろしい」
学院時代の先輩後輩で、いまでもヴィック、セオさんと呼び合う仲だからね。
昨年の学院祭で会ったときには、俺にもそう呼べと言われてるんだよなぁ。
周囲が懸念したり面白がったりするように、これがザック、ヴィック、セオさんとなると、何かと疑念や警戒を持たれるらしいけどさ。
「普通の庶民の結婚式であれば、親しい友人代表となれば、文句無くセオドリック様ということになるでしょう」
「ですね」
「しかし相手は王太子です。本来、まだ爵位を得ていない辺境伯家長男の結婚の儀に、王家から次の王である王太子が出席するということはあり得ませんし、その王太子をご招待するということもないのです」
そういうものですか。
いくら次期当主とはいえ、位階第三位でしかない辺境伯家の無爵位である息子の結婚式だ。
これが爵位を得ている伯爵以上の本人とかであれば、王はさすがに出席しなくても、王太子出席の可能性は大きいのだろうけど。
それに何よりも、領都のエールデシュタットまでは遠い。
普通に馬車で行けば、王都から3泊4日だよね。2日ぐらい滞在したとしても合わせて10日間。
それに、現在でもなお仮想敵国である北方帝国との国境の貴族領だ。
「ふーむ、セオさん、あ、いや、セオドリック王太子が出席するのは、なかなか難しそうですねぇ。でも、あの王太子なら、出席するって主張しそうだよな」
「そこなのですよ、ザカリー様」
ベンヤミンさんは俺の言葉に頷きながらも、とても困ったという表情をした。
「でも、それは疾うにわかっていることだから、辺境伯家でもずいぶんと方策を検討したんですよね」
「ははは。ザカリー様は手厳しい。ええ、そうなのです。まあ本日は、その結論をザカリー様にご報告にお邪魔したということと、それと」
「それと?」
「いえ、まずは結論をご報告いたします」
ベンヤミンさんが王都に来て、わざわざまずは俺のところに訪れたというところに、どうもキナ臭いものが漂って来ましたよ。
だいたい、王家に対するご招待問題の辺境伯家の結論を、俺に報告というのがちょっと怪しい。
「王家に対しては、特に王太子云々は一切触れずに、結婚の儀の報告と王家に対するご招待を行います。つまり領主貴族の場合と同じように、どなたが代理で出席されても、欠席でも構わない。そういうことです」
「なるほど。でもそれだと」
「はい、それを王宮の内務部から知らされことになると、間違いなく王太子側から文句というか、ヴィクティム様が王太子様から怒られます。場合によっては、今後の関係にも影響が少なからず出るかと」
「ですよねぇ」
「そこでです」
「はい」
「明日、この報告とご招待状を王宮の内務部に私が届けに参るのですが。これには、ミルカ殿もご同道いただきます」
「はい」
「それとは別に、王太子様へのご面会の願いを既に出しておりまして」
「はい」
「それで、王宮内務部へ足を運んだ後に、直ぐに王太子様とのご面会が適いまして」
「はい」
「そのご面会に、是非ともザカリー様もご一緒いただきたく、ひらにひらにお願いいたします」
「はい?」
ベンヤミンさんは「ひらにひらに」と言って、ソファに腰掛けたまま目の前のテーブルに手を突いて平伏した。
俺も一緒に王宮に行って、セオさんに会うですか。またまた、急な話でありますよ、これは。
「ザックさま、大変ですぅ。何を着て行きましょうかねぇ。お土産とかはどうしましょ」
いやいやエステルちゃん、そういうことの前にさ、俺が行く理由を話して貰わないとだよ。
まだ承諾した訳ではないんだからさ。
「ザカリー様にご同道いただきたいのはですね、王太子様にこのことが内務部からお耳に入る前にお話しして、ご意向を直接伺いたいからなのですよ。これはもしヴィクティム様が王都に来られるものならば、ご友人としてわりと簡単なことなのですが、さすがに7月のご結婚を控えていて難しい。そこで、王都におられるザカリー様を頼れとの、ヴィクティム様のお願いなのです」
「はあ。それは何となく理解しますが、直接ご意向を伺うとは?」
「つまりです。エールデシュタットまで行って出席など、とても出来ないということであれば、それでこの話は終わりです」
「まあ、そうですね」
「しかし、そうはおっしゃらないだろうと、ヴィクティム様も予想しております。なので、王家にご招待状をお届けしたことをお伝えし、王太子様の方からご出席いただくご意志を直ぐに表明していただいて、王家や王宮内で強く主張していただくのならば。そうすれば、王太子様からのご発案ということになりますので」
「つまり、辺境伯家としては、セオドリック王太子を実質的にお招きすると、そう決められたのですね」
「はい、そうご理解いただいて結構です。いえ、当家としては、仮に王家の誰も出席せず、内務部の長官あたりを寄越すのであれば、それで一向に構わないのです。しかし、余計な者が王家から来ると、却って厄介なのですよ。例えば第2王子とか」
あー、そういうことですか。
あの第2王子なら、この結婚式に横から食い付く可能性はあるよな。
なにせ王位継承順位は第3位と低く、王太子と比べればだいぶ格が落ちる。しかし、それが逆に出席を主張し易くする。
ヴァニー姉さんと面識があるというのも理由にしそうだ。
なにせ姉さんの2年先輩で同時期に学院生だったらしいし、舞踏会で一緒に踊ったことがあるとか抜かしておったですからなぁ。
ましてや第2王子は、自分の立場の弱さや将来への足場作りの野望から、実力のある領主貴族との繋がりを求めている。
個人の野望や欲望、保身や政治的思惑だけのために、あんな失礼な男がヴァニー姉さんの結婚式に出て穢して欲しくない。
もしそんなことが起きたら、俺は赦せませんぞ。
「ザックさま。お顔が酷く歪んでますよ。直しましょうね」
「あ、はいです」
「あの、急にお怒りになられたのでは。私は拙いことを言いましたか、ミルカ殿」
「いえ、ベンヤミン殿は大丈夫です。少々、ザカリー様の琴線に触れる名前が出ましたので。本当に怒られたら、誰かが死にます。マイラも落ち着いていなさい」
そんなことはないですよぉ、ミルカさんてば。
「わっかりましたー。明日ですね。僕が王宮に行ってセオドリック王太子にお会いして、何としてでも結婚式に出ていただくか、それがどうしても無理ならば、あんな失礼な第2王子が来ないよう、セオさんに防いで貰う話をすればいいんですね。だいたい、第2王子などまったくもって論外だ。最近は話題に上らなくて安心していたけど、2年前のことを思い出しましたよ。放っておけば、あいつなら絶対にしゃしゃり出て来る。そんなもの、断固粉砕します。討伐する勢いで粉砕します」
「ザカリー様」
「落ち着いて、ザックさま。ベンヤミンさんとマイラさんが吃驚してますからね。すみません、ベンヤミンさん。この人、どうも最近、ちょっとお父さまに似て来たところがありまして」
「あはは。たしかに。ヴィンス兄さんも怒らせると、周囲が火の海になりますからな。しかし、ザカリー様を怒らせると、比喩ではなく本当に火の海になりそうだ」
自分の屋敷を火の海にはしませんよ。
しかしどうも最近、ヴィンス父さんに似て来たって良く言われるよなぁ。
魂脈と血脈の兼ね合いは難しい、って昨日もそう思ったですぞ。
「お父さまとお母さまは、このことをご存知なのですか?」
「はい、エステル様。じつは子爵様と奥様にはご了解を得ております。ザカリー様にご了承いただけるなら、という条件でしたが」
「ウォルターさんとクレイグ騎士団長も承知していますよ」
「それから、明日はおふたりと、ミルカ叔父さんが王宮に行かれるのですよね。ザックさまのお供や護衛はどのぐらいが」
「そうですね、エステル様。王宮の内務部へは両家から正式の訪問ですが、王太子様のもとへは半ば内密の私的な訪問と言っていいものですから、人数は極力少ない方がよろしいかと考えております」
「そうですか。ではお供は、ジェルさんとオネルさんとライナさんの3人だけで。馬車の御者にはブルーノさんと、それからティモさんにもお願いしましょうか。辺境伯家からも馬車を出されますか?」
「いえ、2台は大袈裟になりますので」
「そうしたら、うちの馬車にお乗りください。マイラさんもね」
「え、エステル嬢さま、それは」
「いいのよ。いいですよね、ベンヤミンさん」
「お気遣い、ありがとうございます。それでは、そうさせていただきましょう」
その辺のところは、エステルちゃんの言う通りで間違いないと思いますよ。
ベンヤミンさんとマイラさんは明日再び同じ頃合いに、うちの屋敷に来ることになった。
護衛とお供を兼ねて、うちからは要するにレイヴンの5人。ただし王宮の建物内に入るのはお姉さん方3人だけだ。
「王太子様に、お土産を持って行って貰わないとですよね。やっぱりマカロンとプディングかしら。それでいいですか? ザックさま」
「うん? はい」
俺が初めて王宮の中に行くということで、エステルちゃんもそわそわしている。
さて、レイヴンメンバーに明日のことを話さないとだよな。
お、クロウちゃん、そういうことになったんだよ。カァ。
うん、クロウちゃんは残念だけどエステルちゃんとお留守番ね。カァカァ。
あ、特に行きたくはないのね。ですよね。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。
【注記】
1/11に投稿した筈の第617話(本話の前話)が消えて抜けていることに、本日(1/13)気がつきました。
そこで割り込み投稿をしています。
もしまだ読まれていない方がおりましたら、大変に申し訳ありませんでした。
よろしければ、あらためて第617話もお読みいただければ幸いです。
 




