第603話 エイディさんたちの初戦
課外部剣術対抗戦、初日の第1試合。総合剣術部Bチームと強化剣術研究部との対戦は、結果から言うと強化剣術研究部の4年生の強さが際立つものだった。
5人対5人の対戦は、強化剣術研究部の3勝2敗。
初戦で負けてしまったのはまずは先鋒の2年生ヴィヴィアちゃんで、彼女が相手の同じ2年生より実力的に劣っていたということではなく、大会の初戦での酷い緊張から自滅してしまったせいだった。
おそらくは、早く落ち着こうと逆に焦ってしまっていたのだろう。しかし相手の男子も同じくガチガチに緊張していたのだ。
数合、木剣を打合わせたあと、いったん離れたヴィヴィアちゃんは焦って突っ込み、間合いに入るところで少し足を縺れさせてしまった。
体勢を立て直すために後方に下がって再び間合いを外せば良かったのだ、彼女は斜め前によろけてしまう。
木剣は上段に担ぐようにしていたので、不安定な上体ががら空きのまま相手の目の前に崩れてしまったところを、同じく焦って受けようとしていた男子の木剣が胴に咄嗟に緩く入り、ヴィヴィアちゃんの負けが告げられてしまった。
この対抗戦では、選手の全員がしっかりと軽装の装備を身に着けているので、あの程度ではおそらくはほとんど痛さも感じなかった筈だ。
しかしヴィヴィアちゃんは、基本的な足さばきが出来ずに自滅してしまったことがショックだったのだろう。
フィールドにペタンと座り込み、暫くは呆然としていた。
これはエイディさんなら「どんな負け方でも、斬られて負傷したことに変わりはないのでありますよ」とか言いそうだよな。
続くロルくんとオディくんの試合は激戦となった。
強化剣術研究部に2年間在籍し、めきめきと実力を付けているロルくん。そして、俺と一緒のゼミであらためてその実力を確認したオディくん。
良い勝負になると思っていたが、その通り激しい打ち合いが続き、一進一退の攻防となる。
試合時間の5分間がもう直ぐに終わろうかという頃合いで、とうとう決着がついた。
少し間合いを空けたあと、木剣を右上に掲げ、一気に攻め掛かろうとするロルくん。もしかしたら突っ込みながらキ素力を込めて、強化剣術気味に打ち掛かろうとしたのかも知れない。
しかしオディくんが、いきなりトップギアで逆に突っ込んで来た。
学院生ながら、なかなか速い。そして俊速の突き。
そういえば、今年から始まったゼミでは、ルアちゃんとの素早い攻防を練習していたな。
さすがにフィロメナ先生のゼミを選択しただけあり、速さに自信があったようだ。
「負けた、です」
俺の隣に座っていたカロちゃんが、そう言葉を漏らして嘆息した。
剣術の力は拮抗していたが、最後の最後、オディくんの速い突きが僅かにロルくんの胸板に届いた。
攻撃としては甘いが、ロルくんはキ素力を込めようとした刹那だったので、その切っ先を躱して後の先を取ることが出来なかった。
疲労困憊のふたりは、互いに肩で息をしながらも握手を交わしている。
そしてロルくんがちらっと、俺たちのいる観客席の方を見やった気がした。
直ぐに目を伏せてしまったが、たぶんだけどカロちゃんの方を見たのじゃないかな。
「まだまだ、です」
彼女もそれに気が付いたようで、そうぽそりと小さく呟く声が聞こえた。頑張れ、ロルくん。
しかし、それからあとの試合は強化剣術研究部の4年生3人が強かった。
総合剣術部三番手のペルちゃんは必死にジョジーさんに向かって行ったが、打ち込み稽古のように受けられ捌かれ、散々に木剣を振らされたあげくに、動きが鈍くなって来たところで胴を軽く打たれて負けた。
副将戦の4年生女子とハンスさんの試合も激烈な打ち合いとなったが、ハンスさんは相手の動きが良く見えている。
4年生女子の動きが雑になったのを見て、踏み込んで来るところで体を躱し、突き出された木剣を上から強烈に叩いて落とす。そこで試合は終わった。
そして大将戦。総合剣術部Bチーム大将のマトヴェイさんと、エイディさんが向かい合う。
エイディさんは大柄で体格もがっしりしているが、その彼よりも幾分、マトヴェイさんの方が大きい。おそらく、今回の対抗戦でいちばんの巨漢同士の対戦だろう。
ふたりは開始線から同時にゆっくりと近づき、間合いを測りながら木剣を構える。
この試合も激しい打ち合いになるかと思いきや、しかし決着はあっけなく着いた。
間合いに踏み込むと同時に、木剣を上段に担いだマトヴェイさんが重量感のある一撃を繰り出す。
だが、エイディさんが下段から、その振り下ろされた木剣に相手を上まわる強烈な一撃を当てた。
ガンという大きな音が、静寂の中で満員の観客たちが試合を見つめる会場内に響き、マトヴェイさんの大きな身体が打ち上げられるように、下から上へと跳ね飛ばされた木剣に引っ張られ、大きく伸び上がったかに見えた。
「むん」という、エイディさんの気合いの声が聞こえる。
そしてそのときには、振り上げた木剣を高速に回転させ、伸び上がったマトヴェイさんの上体を横からしたたかに打っていた。
マトヴェイさんは身体をくの字に折り曲げるようにして、フィールドに倒れる。
「ほう」というジェルさんの口から思わず出た声が、俺の後ろから聞こえる。
フィールドでは、マトヴェイさんがなかなか起き上がれなかった。
負傷者が出た場合に治療にと手伝いに来ていたジュディス先生と、それから学院の治療室のクロディーヌ先生のふたりが慌てて出て来た。
そして何か言葉を交わしながら、回復魔法を施している。
マトヴェイさんは声を出せないようで、苦しそうな表情をして横たわっている。
あれはどうやら、肋骨部分を打撲してしまったようだな。息をする際に強烈な痛みが来るのだろう。
「ザックさま、あの大きい人、大丈夫かしら?」
「あなたが診てあげた方が良さそうよ、ザックさん」
俺の隣のエステルちゃんと、その横に座っているシルフェ様がそう声を掛けて来た。
打撲ならばクロディーヌ先生の治療で問題ないと思うけど、明日の試合に影響しちゃうと可哀想だよな。それにとても苦しそうで、気が遠のいているみたいだ。
治療が続いているので、会場内もザワザワとし始めている。
そのとき、フィールドで治療していたジュディス先生とクロディーヌ先生が、観客席の俺を見つけてどうやら来てくれと呼んでいた。仕方ない、行きますか。
この大勢の観客の前で、客席からフィールドに跳び降りるのも何なので、俺は素早く通路を走ってフィールドへと出た。
「あ、ザックさん」
「頼むぜ、ザック」
少し心配そうな顔のエイディさんと厳しい表情のフィランダー先生が、フィールドに姿を現した俺に気がついたので、俺は大丈夫と片手を擧げて応えながら横たわっているマトヴェイさんの方へと歩いて行った。
「ザックくん、お願い出来るかしら。打撲だと思うのだけど、痛みが強そうで、息も苦しそうなの。意識もはっきりしてないみたい。回復魔法は施したのだけど」
「はい、ちょっと診ますよ」
じつは近づきながら、既に探査と見鬼の力で診察している。
肋骨は折れていないし、罅も入っていない。ただ内出血が酷く、それが呼吸器に影響している。肺自体の損傷は無いようだ。
ジュディス先生とクロディーヌ先生の回復魔法で、内出血はだいぶ治り始めており、少しばかり切れていた筋肉も繋がっている。
ただ、呼吸時の苦しさにより顔は青ざめ、ずいぶんと衰弱してしまったようで明日の試合が心配だ。
「強い回復魔法を施します。ただ、あまり大勢の人に見せたくないので、先生方で囲んで立っていただけますか」
「わたしたちは見てもいいのかしら」
「ええ、それは仕方ないですね」
ここにいるのは審判員の剣術学の教授3人と、ジュディス先生とクロディーヌ先生、そして少し離れて立っているエイディさんだ。
そのエイディさんも加えて6人で、横たわるマトヴェイさんとその横にしゃがんでいる俺を囲んで貰った。
それで周囲からまったく見えなくなる訳ではないが、まあ衆目の中でというよりはいいでしょう。
俺は通常の回復魔法を強めに発動させながら、同時にそれに聖なる光魔法を織り込んだ。
昨年のナイアの森で、肉体を削がれるほどの重傷を負ったユニコーンのアリュバスさんへの治療からヒントを得た合わせ技だ。
まあこのぐらいの負傷だと、そんな合わせ技はまったく必要はないのだが、明日の試合に影響を出さないための治療ですね。
普通の回復魔法だと、特に見た目には何も起こらない。しかし例えば、うちのアン母さんやエステルちゃん、そして近ごろのライナさんクラスが強い回復魔法を発動させると、魔法を施した対象部分が淡い光で包まれる。
今回はそこに、更に聖なる光魔法を織り交ぜたので、ごく軽くではあったがそれでもマトヴェイさんの全身が眩い光で包まれた。
「え、ああっ」
「ああーっ」
ジュディス先生とクロディーヌ先生のふたりが、思わず声を漏らす。
剣術学の教授たちは、ただ驚いているだけだろう。
「よし、これで良いでしょう。マトヴェイさん、僕の声が聞こえますね? どこか痛むところはありますか?」
「うー、あー、その声は……。おお、ザカリー君。なんだか、僕は眠っていたような。辛かったものが溶けて行って、とても気持ちが良くて……。痛みなど、何も無いのだけど……。あっ」
フィールドに寝ている自分と、その自分を6人の人間が囲んで心配そうに見下ろしているのに気が付いて、マトヴェイさんは慌てて立ち上がった。
「おい、マトヴェイ。おまえ、立って大丈夫なのか? 痛みはないのか? 苦しくは?」
「大丈夫でありますか?」
「え? 痛いとか苦しいとか、ぜんぜん無いですけど。ああっ、僕はエイディに負けたんだ。強烈に横から打たれて、それで倒れた。そこから、あまり憶えてないけど……」
「治療してくれたのはザカリーくんよ。それにしてもあなた、ずいぶんと顔色がいいわ」
「あ、クロディーヌ先生。そうか、そうですか。ザカリー君、すまなかった、ありがとう。なんだか、これからもうひと試合出来そうな、爽快な気分だよ」
「ははは、良かったですね、マトヴェイさん。ちょっと両手を上に伸ばして。そうそう、身体全体を伸ばしてください。どこも痛みは無いですね。そうしたら、その両手を伸ばしたままで下に降ろして、それから大きく深呼吸。はい、もういちど。痛みや苦しさは無いですか? 大丈夫ですね。これで明日も試合が出来ますよ」
彼を囲んでいた輪を解き、教授たちは少し距離を空ける。
その囲いの中にいたマトヴェイさんが立ち上がって元気そうな姿を見せると、会場から大歓声が沸き上がった。
その歓声の中で彼は大きな身体を伸ばして二度三度、ぴょんぴょんと垂直に跳び上がり、そして深々と頭を下げた。
こんなに大勢の人たちに心配して貰ったことへの、お礼だったのだろう。
そこにエイディさんも並び、彼も頭を下げた。
そしてマトヴェイさんに声を掛け、ふたりで握手を交わした。
会場は再び大きな歓声に包まれる。
「ザカリーくん、説明は、無しなのよね」
「でもわたし、あなたが何をしたのか知りたいのですけど」
会場の観客全員がマトヴェイさんとエイディさんに注目している間に、俺はこっそりフィールドから出ようと歩き出したら、両脇を近寄って来たジュディス先生とクロディーヌ先生に挟まれてしまった。左右の腕をその、柔らかいので圧迫しないでください。
仕方ないので、そのまま3人で歩いてフィールドから出る。
「まあ、見ちゃったので、聞きたいこともあるでしょうけど、取りあえずはそんなこともあるという感じで。ははは」
「わたし、ずいぶんと昔にあなたのお母さんのアナスタシアさまが、いちど凄く強い回復魔法を掛けたときに居合わせて、その掛けた相手の人の身体の一部分が淡く光ったのを、見たことがあるわ。でも、さっきのあなたのは、そんなものじゃなかった。人間の身体ぜんぶが回復魔法で光に包まれるなんて……」
「光? 光に包まれた。光魔法? でも、灯りの魔法なんかじゃない。別の光魔法って」
「はい、ストップ! ジュディス先生」
「あ、はい」
「クロディーヌ先生とジュディス先生には、いつかご説明するかもですけど、いまは口を閉ざしていてください」
「わかった。でも、フィロちゃんたちも一緒に見てたし。あと、ウィルフレッド先生とかが遠くから見ていて、何か勘づいたかもよ。クリスとふたりで、どこかで観戦している筈だから」
あー、あの爺さん先生はちょっと面倒くさいな。
でも6人で周りを囲んで貰っていたから、直接的には見えなかっただろう。
フィロメナ先生たちは、適当に誤摩化せばいいか。
まあいまは、マトヴェイさんが明日も試合が出来るよう、治療回復を終えたことで良しとしましょう。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




