第601話 脳内で共鳴するって
今日の剣術特訓は、ランチを挟んで午後には再び素振りからの相手を替えての打ち込みを行い、16時頃に早めに終了とした。
特にブルクくんとルアちゃんは、打ち込み相手を入れ替えている。ルアちゃんにアルポさん、ブルクくんにはティモさんだね。
午前3時間、午後3時間の特訓でへとへとになった部員たちには、着替え後にラウンジで王都屋敷謹製のグリフィンプディングと紅茶のセットをご馳走しました。
「どうだった、ブルク、ルアちゃん」
「いやあ、ティモさんは凄く手強い相手だったけど、何よりもアルポさんが怖かった」
「あたしも。ティモさんはなんだか掴みどころがないというか、捕まえさせてくれないというか。打ち込んでるだけでも、とっても大変で。それでアルポさんには、わしを殺せって言われて、でもあたしの方が殺されるかと思ってびびった」
「こっちが受けるときも、ちょっとでも気を抜いたら、本当に殺されかねなかったよ」
「あんなに緊張しっぱなしの打ち込み練習って、初めてだよ」
そのアルポさんは、訓練が終わるとさっさと門番仕事に戻っている。タフな爺さんだ。
「ヘルミちゃんはどうだったかな」
「わたしですか? あの、わたし……」
初めてうちの屋敷に来て特訓に参加したヘルミちゃんは、ちょっと驚いちゃったかな。
総合武術部をもう辞めますとか、言い出されたらどうしよう。
彼女の相手は、午前はエステルちゃんで午後はユディちゃんと組んで貰ったんだよね。
「気持ち良かったです」
「ん?」
「というか、だんだん気持ち良くなって来たというか。1日中、こんなに身体を動かしたの初めてですけど、身体はちょっと辛かったですけど、でもいい気分になって行って。あれ、なんだかわたし、変なこと言ってる。恥ずかしいです」
木剣を振り続けて、いつもの課外部での訓練より長い時間、訓練をして、それで気持ちよくなったということだろうか。
自分の身体を酷使することで出て来た高揚感的なことなのかな。
「(カァカァカァ)」
「(え、クロウちゃん、何だって? ミラーニューロン? の共鳴現象じゃないかって、それなに)」
クロウちゃんによると、脳の中にあるミラーニューロンという神経細胞は、他者の行為や行動を観察するとき、あるいは自分自身が行動するときの両方で活動するもので、例えば優れたスポーツ競技などを観戦していると見ている者の脳の中で強く反応し、共鳴現象を起こすのだそうだ。
「(カァ、カァカァ)」
「(一例をあげると、剣術とかの型稽古を真剣に見ていると、脳内のミラーニューロンが強く反応して、それを自分も覚えようと集中し高揚してくるのか。それが見取り稽古になるんだね。なるほどねぇ)」
「(カァカァ)」
「(相対している人の表情や雰囲気にも敏感に反応して、それがその場にいる全員にも共鳴的に影響するんだ。ふーん)」
「(ザックさまはヘルミちゃんをほったらかして、クロウちゃんとなに難しいお話をしてるですか? ちゃんとお話を聞いてあげないとダメですよ)」
「(あ、そうだった)」
「(カァ)」
「わたし、変なこと、言っちゃいました」
クロウちゃんとの念話で黙っていたので俺が呆れているとでも勘違いしたのか、ヘルミちゃんは顔を真っ赤にして下を向き、ぼそっと小さな声でそう言った。
幸いにその様子に気がついたのは。俺の隣に座っていたエステルちゃんと膝の上のクロウちゃんだけで、他の部員たちはお姉さん方と話している。
「いや、ぜんぜん変じゃないよ。そういうこともあるよなって、ちょっと考えてたんだ」
「カァ」
「この人、ときどき自分の世界に入っちゃいますから、気にしないでね」
「あ、わたしもそういうとき、あります」
「そうそう、わたしも誰かと木剣を打合ってたり、あとザック部長とエステルさまとの凄い稽古とか見させて貰ったときに、身体のここら辺が熱くなって、なんだか気持ちよくなりますよ」
ヘルミちゃんの隣にいたソフィちゃんは、こっちの話や様子が分かっていたんだね。
彼女は掌を広げてお腹から下腹部辺りにぐるぐる回しながら、そんなことを言った。というか、その仕草と発言は誤解を与えるからやめなさい。
「ふふふ。訓練をしていて気持ち悪くなるより、気分が良くなったのなら、その方がいいわね。ヘルミちゃんがそう感じたのなら、良かったわ。ね、ザックさま」
「あ、そうでありますな。そうです、そうです。皆で厳しく剣術の稽古をすると、そういうこともあるのでありますよ」
「この人なんか、辛い修行をひとりでやっていても、もの凄く嬉しそうですから」
「ははは。そうでありますな」
「カァ」
それは、クロウちゃんが言うところのミラーニューロンの共鳴現象とは関係ないよな、きっと。
え? 俺の場合、前世での修行時の多幸感が蘇るんじゃないかって? そういう過度の幸福感って薬物中毒に近くないか? カァ。
「ソフィ先輩がいま言った、ザック部長とエステルさまのお稽古って、どんなのなんですか?」
「すっごい速さで走って、あっと言う間に剣を合わせて一気に離れたり、ありえない高さに跳んだり、それはそれは、同じ人間とは思えない闘いなの。それを本物の剣でやるから、見ていて怖いんだけど、目が離せなくなって、そうしたら見ているこっちも熱くなって、気持ち良くなって来るの」
だから、お腹から下腹部辺りをぐるぐるはやめなさいね、ソフィちゃん。なんだか、グスマン伯爵家に申し訳ないですから。
「へぇー、わたしも見てみたいです」
「ザック部長、エステルさまとの高速立体機動戦闘、次回は見たい。あたし、目標にしてるんだからさ」
こちらの会話内容を聞き付けて、ルアちゃんも話に加わって来た。
そうだね。この子はそれを、剣術学ゼミでも課外部練習でも今年の訓練目標にしてたんだ。
「あら、ルアちゃんはそれが目標なの?」
「えへへ、エステルさま。わたしの目標は、アビーさまとエステルさまのいいとこ取り」
「あらあら、ルアちゃんはずいぶんと欲張りさんなのね」
「えへへ」
そう言えば、これまでこういう特訓とか合宿のときには、1回は真剣を使った訓練をエステルちゃんとやって見せていたよな。
ルアちゃん以外にはまともな見取り稽古としての役に立たないかもだけど、闘いに真剣に向き合うきっかけにはなるかもね。気持ちが熱くなるってソフィちゃんも言うし。
では、次回の特訓ではやりましょうか。
甘い物を食べて、賑やかに話をして、身体が疲労している筈の部員たちはそれでも元気よくうちの屋敷を後にして行った。
明日からはまた学院なので、揃って皆で寮まで歩いて帰るそうだ。
「部員たちはどうだった?」
彼らが帰ったあと、ジェルさんたちに評価を聞いてみた。
ジェルさんには午前はカシュくんで午後はソフィちゃん、オネルさんには午前がカロちゃんで午後はカシュくん、そしてライナさんには午前をソフィちゃんで午後はカロちゃんの相手をして貰ったんだよね。
「ずいぶんと良くなって来たと思いますぞ。ソフィちゃんはやはり、天賦の才能がありますな。彼女は強くなる。午前にライナから活を入れられたようだが」
「うふふ。わたしが魔法職だと思って、少し遠慮してたみたいなのよねー。だからちょびっとねー」
「ライナ姉さんを知らない人は、誰も魔導士だとか思いませんよ」
「わたしは魔導士とかなんだとかじゃないのよー、オネルちゃん。わたしは闘う女なのぉ」
「わかったわかった。で、ライナから見て、あの子はどうだった?」
「ソフィちゃんねー。狩りでもいいから、いちど実戦をさせれば、ひと皮剥けそうよね。あの子の天稟て、そうやって皮を剥いていけばもっと表に出て来るわよー」
「なるほどな。わたしもそれは感じた」
一昨年の夏合宿では、森の中で現れたファングボアを当時の1年生みんなで狩って、実戦訓練をしたんだよな。
去年の夏合宿ではそういう機会もなかったので、ソフィちゃんとカシュくんは経験していない。
ジェルさんやライナさんが言うように、たしかにソフィちゃんは稀な才能の持ち主だと俺も思う。
ただそれを表に出させる必要があるんだよな。そのために実戦をさせて、皮を剥いて行くということか。
ライナさんならではの意見だけど、さてさて、学院生で伯爵家のお姫様にそれをさせられるのだろうか。
「カロちゃんはどうだった?」
「彼女も、ずいぶんとしっかり上達して来ましたよ。わたしが見るところだと、うちの騎士団見習いの上級生とでも、一緒に訓練が出来そうですよね」
「なるほどね、オネルさん」
うちのグリフィン子爵家騎士団の見習いはかなりレベルが高いので、つまりカロちゃんも相当にレベルが上がって来たというところか。
「あの子って、冒険者の戦士兼回復職で相当にやれそうになるわよねー。心の底に強いものを持ってそうだし」
「ライナさんたら、カロちゃんは冒険者にはならないと思いますよ」
「あら、わかんないわよー、エステルさま。人生は何がどう転ぶか、誰にも正しい予測は出来ないんだからー」
そう言葉を交わしているライナさんとエステルちゃんが、まさにそうなんだよね。
カロちゃんだって、いまは大商会のお嬢さんだけど将来は誰にも分からない。
「カシュくんはどうかな」
「彼本来の良さは、真面目な努力家というところですな。剣も真面目だ。あのまま真面目に剣術をやっていれば、卒業後には騎士になれるでしょう。ただ、その真面目さには自信もやはり必要だ。そろそろ相手を倒すということを経験させたい」
彼には剣術に対する自信がなく、自分が下手だと思い込んで来たことはうちのお姉さんたちも知っている。
だが彼に、上級者にも挑んで行く心が育って来ていることは確かだ。
だから、ジェルさんの言うことも良く分かるよな。彼には例えいちどだけでも、向かい合う相手を倒し切らせる経験をさせてあげたいね。
「わたし、彼には突きを鍛錬させるのがいいんじゃないかと思いますよ」
「突きか。そうか。ただ真面目に剣を振ろう振ろうとするのではなく、相手の意表を突く、か。それもありかも知れん」
「オネルさん、次回に鍛えてあげてよ」
「了解です、ザカリーさま」
相手の意表を突く突きを、見習い時代から得意としていたのがオネルさんだ。
その彼女の意見を取り入れてみるのも、いいかもだよね。よし、学院の練習でも少しやらせてみよう。
「ところで、ザカリーさま」
「はい、なんでしょうか、ジェルさん」
「ザカリーさまは、今日はほとんど動いておりませんでしたな」
「え、あ、そうでありましたかな」
「素振りは一緒にやってましたけど、あとは見ていただけですよね」
「そうでありましたでしょうか」
「なんだか剣先を地に突き立てて、妙に少しも動いてなかったわよねー。あれはあれで、結構疲れそうだったけどぉ」
「顔と目は動かしておりましたのですが」
お姉さん方は、俺の方にもちゃんと目を配っておったのでありますな。油断しておってはいけませんな。
「なんでも、不動の姿勢? とか言うらしいですよ。それも修練の一貫だとか、言い張るんです」
「不動の姿勢、ですか、エステルさま」
前々世で良く言われる不動の姿勢とは、直立不動、顎を引いて胸を張り、手を下に伸ばした気をつけの姿勢だが、それより昔は顎を少し前に出し、やや前傾気味に立つ姿勢だったそうだ。
まさにこれから動き出そうとする直前の姿勢。それが本来の不動の姿勢らしい。
俺が前世で身に付けた不動の姿勢は、相手の攻撃を防ぎ、または後の先で相手を倒す直前の姿勢。あるいは、次の攻撃動作に繋げる殘心に通じる姿勢である。
つまり、闘いに勝つための行為の寸前を保つ姿勢と言ってもいい。
「でありまして、決してサボっておったわけではないのでありますよ」
「なんだか、ザカリーさまって、なんでも修練とか理屈を付ければ赦されるとか思っていそうよねー」
「まあ、言わんとしていることは、わからんでもないですがな」
「あんなに長い時間をじっとしているのは、たしかに大変そうでした」
「でもザックさん、お顔の表情だけはくるくる変わってたわよね」
「嬉しそうだったり、目を輝かせていたり、考え込んでいたり。忙しそうでした」
それまで静かだった精霊様たちが、そんなことをバラしますか。
「お気持ちは、不動ではなかったということですな」
はいジェルさん、その通りでありました。俺もまだまだです。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。
 




