第600話 闘う気持ち
今朝、部員たちが屋敷に来る前に、ジェルさん、オネルさんと今日の特訓指導について簡単に打合せをした。
俺の考えとしては、今日は試合稽古を行わない。
3回ある特訓日程のうちの初日の今日は、徹底的に打ち込み稽古を行いたい。
選手のうち、カロちゃんとソフィちゃん、そしてカシュくんにはあらためて基本をレイヴンメンバーに指導して貰う。
そして中心選手であるブルクくんとルアちゃんのふたりには、剣を振るう、剣を合わせる、剣を受ける厳しさ激しさを経験して貰うつもりだ。
いつも通り軽くストレッチを行って身体をほぐし、それから素振りを行う。
「素振り、始めっ」の鋭い掛け声がジェルさんの口から発せられる。
そのときには、エステルちゃんとティモさんが遅れて合流していた。
ティモさんはブルーノさんとやっていた馬の世話を終えて来たようだ。
「よおし、やめ」
普段の課外部での練習よりも少し長めの素振りが、ジェルさんの声で終了した。
それぞれに木剣を振り終えた訓練場の全員に、俺は目を向ける。
総合武術部員が8名、そしてうちの屋敷から参加している者がシモーネちゃんも加えて俺を除くと10名だ。
ここに参加していないエディットちゃんは、アデーレさんを手伝ってランチの準備をしている。
ブルーノさんはどうやら残りの仕事をひとり引き受けて、ティモさんをこちらに寄越してくれたようで、ここには姿を見せていない。
素振りにはいつの間にかアルポさんも加わっていた。門番仕事にエルノさんを残し、参加しに来てくれている。
あとは、シルフェ様たち人外のお三方とクロウちゃんも見学に来ていた。
「今日の訓練方針を皆に伝える。いいか」
「はいっ」
ジェルさんが皆を集めて口を開いた。
うちの部員たちは訓練時のジェルさんらの厳しさは知っているが、初めてのヘルミちゃんもジェルさんの声の調子や皆を包む空気が変わっているのに気が付き、少し緊張しているのかも知れず顔が硬い
「今日は午前、午後とも、徹底して打ち込み訓練を行う。試合稽古を本日は行わない。それは次回とする。いいか」
「はいっ」
「よし。では、打ち込みの組み合わせだが。午前は、ブルクくんにアルポさん、ルアちゃんにティモさん、カロちゃんにオネル、ソフィちゃんにライナ、そしてカシュくんにはわたしだ。ヴィオちゃんにはユディ、ライくんにフォル、ヘルミちゃんにエステルさま。これでいいのですかな? ザカリーさまは?」
「うん、それでいいよ。僕は全員を見ていることにする」
「わかりました。あと、カリちゃんはシモーネちゃんとでお願いする。みんな、いいか」
「はいっ」
おそらくこの組み合わせは、これまでで全員が初めてだ。
特にアルポさんを相手に指定されたブルクくんは、一瞬、俺の方に訝しげな、しかし少し緊張した目を向けて来た。アルポさんの実力は、部員たちの誰も知らないからね。
ただ、この前の冬休み中に辺境伯領の領都エールデシュタットを俺たちが訪れたとき、同行していたアルポさんとエルノさんを、辺境伯やヴェンデル辺境伯騎士団長ら北方15年戦争に従軍した人たちが知っていたのを、同席していたブルクくんも承知している。
だから、ただの門番の爺さんとは思っていない筈だ。もしかしたら、あとで彼らについて話を聞いたかも知れない。
ルアちゃんには、どんなに速い動きでも対処能力のあるティモさんを組み合せた。
エステルちゃんでもそれは可能だが、彼女には昨年にルアちゃんと試合稽古をして貰っているからね。
せっかくの機会だから、これまで組み合せたことのない相手にした訳だ。
あと、ジェルさんが相手をすると言ったカシュくんが、もの凄く緊張している。
君の憧れの女性騎士が相手だぞ。頑張れ。
「準備はいいか。他の組との距離を充分に取れ。いいか。よしっ、打ち込みはじめっ」
それぞれの組で、まずはうちの屋敷のメンバーが受け手となって打ち込み稽古を始めた。
俺は少し離れ、木剣の剣先をフィールドに突き立ててそれらを見る。
昨年までは良くアビー姉ちゃんが、学院の剣術訓練場でこうして自分の部員たちの練習を見ていたよな。
その姿勢良く堂々とした、しかしとても美しかった後ろ姿が頭の中を過る。
そんな懐かしさがふと湧くが、いやいやいまは皆の訓練を見ることに集中しよう。
まずは、アルポさんに受けて貰っているブルクくんだ。
彼も近ごろはずいぶんと体躯が大きくなってきて、がっしりして来た。
見切りの訓練を続け、身体の捌きも良くなっているが、振るう剣も鋭い。
「それで敵が殺せるかぁっ。わしを殺せぇっ」
「は、はいっ」
そんなブルクくんの木剣を、微動だにせず数合受けたアルポさんの怒声がいきなり飛んだ。
もの凄い大音声が訓練場の空気を震わす。とにかくファータの爺さんの声はどデカい。
その声のデカさと激烈な言葉に、相手のブルクくんばかりか他の部員たちもビクっと身体を一瞬硬直させたようにも見えた。
カシュくん、おしっこちびってないよね。ヘルミちゃんは大丈夫かな。
「(あら、ザックさん、嬉しそうねぇ)」
「(口元が綻んでますよ)」
「(しかし、アルポ爺さんの声はデカいのう)」
「(カァ)」
人外のお三方の念話が聞こえてくる。
俺の口元、緩んでましたかね。でも、ああいう風に、発破をかけられるのはいいよね。
しかしアルさんが、アルポさんを爺さんて呼ぶのもなんだよな。
去年の地下拠点建設でずっと一緒だったので、この爺さんたちはとても仲が良い。
ブルクくんはアルポさんの大声に、弾かれるように向かって行って激烈な剣を繰り出し始めた。
アルポさんの強さを量ろうと、多少様子を見る感じで剣を振るっていたのをアルポさんに見抜かれたことに、自分自身が気が付いたのだろう。
さてルアちゃんはどうだろう。
こちらはティモさんに翻弄されていた。打ち込んでも打ち込んでも、すっと抜けるのようにいなされ躱されるのだ。
以前にエステルちゃんが相手をしたときには、敢えて動かずにしっかりと受けて貰っていたが、同じファータでもより実戦剣法のティモさんは、受けてもほんの僅かに動いてタイミングをずらし、気づかないうちに流されてしまう。
こういったタイプの剣を身に付けている者はもちろん学院には誰もいないし、ルアちゃんもおそらく初めてだろう。
有効な剣をなかなか振るわせて貰えないルアちゃんは徐々に焦り、少し雑になり始めていた。
そこをすかさず、ガンと上から木剣を叩かれる。
さすがに木剣を落とさなかったものの、それで彼女は体勢を大きく崩された。
「直ぐに距離を取って、立て直す」
「あ、はい」
初めて発したティモさんの声に、ルアちゃんはぴょんと後ろに跳んで距離を開き、木剣を構え直した。
そしてひと呼吸整えると、「行きますっ」と言って再び飛び込んで行く。
うんうん、いいね。
さてさて、うちのお姉さん方が相手をしている3人はどうでしょうね。
オネルさんが相手をしているカロちゃんは、この2年でずいぶんと体力もスタミナも付き、体幹も安定して来た。
学院の練習では動きの激しいルアちゃんと木剣を合わせているので、速い動きにも順応し直ぐにへたばることも無くなった。
しかし今日の相手はオネルさんだ。つまり本職。生半可な剣で歯が立つような相手ではない。
そのオネルさんは、カロちゃんに打たせに打たす。しっかり打たせ、弾き、躱し、とにかく打たせる。
カロちゃんの打ち込みが単調になると、受けで変化を付けて間合いを変え、更に打たせる。
カロちゃんにすれば、いくら打ち込んでも崩せぬ大きな壁に見えているだろう。
だけどその壁は、もっともっとと誘って来る壁だ。カロちゃんも負けずに頑張って向かって行っている。
一方で、ライナさんが相手をしているソフィちゃんはどうだろう。
昨年1年間で、それまでの剣術の家庭教師の先生ひとりを相手に稽古して来たのとは違って、うちの部員たちなど異なる何人かと木剣を合わせて来た。
その点ではたくさんの経験を積んだ筈だが、今日の相手のライナさんはひと味もふた味も三味も違う。
なにしろグリフィニアで少女時代から、冒険者流の融通無碍な剣術や闘い方を訓練して来ているからね。
それでソフィちゃんは、一向にリズムが掴めずに苦労している。そうそう、普通の会話程度ではなかなか通じない、そんな相手もいるんですよ。
暫くそんな打ち込みが続いていたみたいだが、突如ライナさんがするすると進んで、本来は自分から前に出ない受け手が接近し、間合いに入って軽く剣を合わせた。
合わせた剣は軽かったけど、あれって闘気を少し込めたよな。
強化剣術のようにキ素力を爆発的に放出してはいないけど、ライナさんの闘気が合わせた木剣を伝わってソフィちゃんの身体を震わせたようだ。
「なにまごまごしてるのー」という感じだな。そこでびびったら負けだよ、ソフィちゃん。
しかし彼女はそれをきっかけに、我武者羅に木剣を打ち込み始めた。
それを「いいわよー」という感じで、ライナさんが受ける。
ソフィちゃんはおそらく、生まれて初めて闘気というものを直接に身体で感じ取った筈だ。
そこからようやく本当の闘いが始まるんだよ、ソフィちゃん。
選手のなかでの最後はカシュくんですな。
まあとにかく、頑張れとだけ言っておきましょう。なにしろうちの屋敷で、剣術では一番強いジェルさんが相手をしておるのですからね。
本物の剣士というものを十二分に体験してください。
あと、ライくんの相手をするフォルくん、ヴィオちゃんの相手のユディちゃん、そしてヘルミちゃんの相手をしているエステルちゃんは、それぞれ充分に剣を受けてあげていた。
特にエステルちゃんは、ときどき首を傾げながらも至極丁寧に木剣を合わせている。
なぜ首を傾げているのかは、まあ分かりますけどね。
ヘルミちゃんが緊張し続けているのもそうだけど、それよりも向き合う気持ちの問題じゃないかな。
基礎はわりと出来ているし、剣も素直なんだけど、カタチだけと言うか闘うための剣じゃないんだよね。
昨年に入学したばかりの頃のソフィちゃんも初めはそれに近かったけど、ヘルミちゃんにはそもそも闘うという気持ちが無いようにすら思える。
でも学院生で、わずか12歳の貴族の女の子で、それで剣術の練習で闘う気持ちが出せるのかと言ったら、とても難しいのかもだよな。
俺が学院に入学したてのときに、闘う術を身に付ける課外部として立ち上げた総合武術部だけど、そもそも闘う気持ちが出ないのならばどうなのだろう。
いまは2年生になったソフィちゃんやカシュくんは、それまでの少女少年時代から引きずって来た何かから脱却するために、その闘う気持ちを奮い立たせているところがある。
ソフィちゃんの場合はもうひとつ分からない部分もあるけど、カシュくんなどは近い将来に騎士団に入って行く行くは騎士になるという目標があるしね。
しかしヘルミちゃんの場合には、そういったことをまだ俺はまったく知らない。
この世界にスポーツというものは存在しないけど、剣術をスポーツ的に楽しんで行うのか、それとも別の何かの目的でやるのか。
そこら辺は、身の危険や闘いが身近にあるこの世界だからこそ、なかなか難しいよね。
「(あら、こんどは難しい表情になってるのね、ザックさんは)」
「(いろいろとお考えのようですよ)」
「(考えておるより、わしと格闘戦でもしますかの)」
「(カァ)」
いやいや、部員たちの前でアルさんと格闘戦とか出来る訳ないじゃないですか。
この訓練場をぜんぶ空けて貰わないといけないだろうしさ。
それにしても、精霊様にはみんなバレちゃうよな。
「よおしやめ。それでは続けて攻守交替だ。休みは無しだぞ。まずはあらためて気息を整えろ。いいか。よおし、はじめっ」
「はいっ」
ジェルさんの号令により、今度は攻め手と受け手を交替する。
その場で気息を整えるだけで休息を取らないのはなかなかに厳しいが、更に部員たちにとって厳しいのは、うちの屋敷のメンバーが打ち込んで来るのを受けなければいけないのだ。
「よぉーし、ならば行くぞっ。ぐだぐだ考える前にしっかり受けろや、こわっぱ」
「は、はいっ」
早速にアルポさんのどデカく激烈な声が、ブルクくんに向けて飛んだ。
その声で、まだ構えがちゃんと出来ていなかった他の部員たちも、慌てて自分の相手に集中する。
そうだねアルポさん。ぐだぐだ考える前にしっかり受け止める。まずはそこからだ。
訓練場のあちらこちらで、激しく木剣を合わせる音が響き渡って来た。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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