第598話 従騎士の叙任
ライナさんがとても珍しく大粒の涙を流したのは、従騎士へ昇格したという発表にただ単に驚いたとか嬉しかったというだけでなく、いろいろ複雑な思いが交錯したからだったようだ。
その気持ちを直接聞くこともまたあるだろうが、おそらくは彼女の出自や幼い頃のこと、そしてグリフィニアに来てからのこれまでに関係があるのではないかな。
あらためて言うと、ライナさんはじつは騎士爵家の娘さんなのだ。
出身地は、グリフィン子爵領から遠く離れたアルタヴィラ侯爵領。
彼女の正式な名前はライナ・バラーシュといい、そのアルタヴィラ侯爵領にあるバラーシュ村を治めるバラーシュ騎士爵家の長女だ。
たしか、お兄さんがいたのではないかな。
お爺さんは北方15年戦争において、自らが率いる魔導士部隊の撤退戦で部下を守って戦死された。
そしてお婆さんはそのときにはもう引退していたが、同じ部隊の魔導士だったらしい。
だからライナさんは、騎士団の魔導士部隊長で騎士であるお爺さんと魔導士のお婆さんの孫であった。
騎士爵を継いだお父さんには魔法適性がなく、お母さんも普通の商家の娘さんだったらしいし、同じく騎士団にいるだろうお兄さんにも魔法適性はなかったそうだが、お爺さんとお婆さんの血はライナさんに色濃く受け継がれた。
その祖父祖母の血を継いで、魔導士としてアルタヴィラ侯爵家騎士団に入団することを期待されたライナさんの魔法適性は、誰にもその実体が把握されていない土魔法。
通常は攻撃魔法には役に立たないと考えられており、彼女は幼くして騎士団に入団することを諦めざるを得なかった。
しかしそれでも僅か8歳のときから土魔法の訓練を独力で行い、11歳の歳の暮れにお婆さんの後押しもあってバラーシュ村を家出同然で出奔。
土魔法の達人のダレルさんと、魔法の天才と言われたアン母さんのいるグリフィニアに、冒険者となるためにひとり目指した。
そのきっかけには現在は学院の魔法学教授で、かつてはアルタヴィラ侯爵家騎士団の若き魔導士であり、ライナさんの魔法適性を確認したクリスティアン先生の存在がある。
そんな自分の出身家や騎士団、騎士というものとの関係。それらを捨てて、幼い頃にひとり村を出て遠くグリフィニアを目指したことに、いまはどんな思いがあるのだろうか。
ライナさんはそれからグリフィニアで土魔法の若き達人となり、あらゆる戦闘技術も身に着けた冒険者として、少女ながらあっという間に一線級となった。
彼女は戦闘の天才でもあるからね。
そして14歳で、グリフィン子爵家騎士団のエキスパート募集に応募して従士となり、現在に至る。
だから、自分が従騎士に任命されたということには、ひと言では決して言い表すことの出来ない複雑な感情が沸き起こったのだろう。
これまでは、ブルーノさんと同じく冒険者出身のエキスパート従士として、わりと自由で気軽な気持ちだったのかも知れない。
そこのところは、従士に応募した当時の思いも含めて、本人に聞いてみないと分からないけどね。
「ライナさん、従騎士、受けてくれるよね。僕がそうしてほしいんだ」
「うん。はい」
俺が発表した途端、大粒の涙を落として泣き出してしまったライナさんの、その普段は見たこともない様子に家中の皆はもの凄く驚いた。
直ぐにエステルちゃんとジェルさん、オネルさんが駆け寄り、シルフェ様とシフォニナさんや、ここのところ魔法の姉妹弟子として一緒にいることが多いカリちゃんも側に行く。
そしてようやく落ち着いて来たところで、俺は彼女にそうあらためて確認した。
どうこう言って、この王都屋敷にいる現在のメンバーで、俺とライナさんが最も古い知り合いなのだ。
良く冗談で話題を出されるように、俺が2歳でライナさんがグリフィナに来たばかりの11歳の頃から知っているからね。
「そうしたら、もうひとつ発表というか、これはまだ正式じゃないんだけど、グリフィン子爵家で話し合われている構想を言っちゃいます」
「なーに? わたしたちが従騎士になるのと関係があるの?」
「なんですかな、ザカリーさま。まだ発表があるのでしょうか」
「うん、ジェルさんたちも聞いて。正式には、まだこれからなんだけどさ。ジェルさんとオネルさん。そして今回、従騎士になるブルーノさんとライナさん。それから従騎士待遇になって貰うティモさん。つまりレイヴンだね。このレイヴンは近い将来、まあ言ってみれば他の騎士小隊から独立した僕の直属の部隊に、正式になる予定なんだ」
「つまり、エンシオ・ラハトマー騎士の騎士小隊から分離するということですか?」
「まあ、そうなる訳だね」
「だから今回の、3人が揃って従騎士になるという任命なんですね」
「そんなんだよ、オネルさん」
エンシオ・ラハトマー騎士はオネルさんのお父上で、騎士小隊の小隊長をしている。
ジェルさんとオネルさんにブルーノさんとライナさんは、正規には現在のところその小隊の所属団員なんだよね。
メルヴィン騎士や従士のイェルゲンくんとか、俺に関係の深い騎士団員はほとんどその騎士小隊の所属だ。
「なるほど、そういうことですか。それで納得が行きました。いえ、ブルーノさんとライナが従騎士に上がるということは、うちの騎士小隊の人員構成が他の小隊とは違うものになるなと思ったものですからな」
「ですよね。でもそれで、わたしも得心しました」
うちの騎士小隊の構成は、騎士4名、従騎士2名、従士12名の計18名を基本単位としている。
ジェルさんとオネルさんが納得したというのは、つまりそういうことだ。
エンシオ・ラハトマー騎士の騎士小隊員のままだと騎士4名に、従騎士も4名、従士10名になっちゃうからね。
「しかし、今後のこととはいえ、我らがザカリーさま直属の独立部隊になるとしても、ティモさんを加えても5名しかおりません。従士もおらんですしね」
「いや、ジェルさんよ、わしらがおるぞ」
「われらふたりも、その独立部隊員に数えて貰わんと」
そこで、それまでは静かに様子を見守っていたアルポさんとエルノさんが、大きな声を上げた。
ああ、このファータの爺さんたちならそう言うよな。
15年戦争当時はファータの特別戦闘工作部隊の部隊長と副部隊長の猛者で、現役は引退したが、ついこの間にはうちの調査探索部の嘱託部員になって貰ったばかりだ。
あと、父さんやウォルターさんたちとの構想では、フォルくんとユディちゃんも加わるのだけど、まだこの場では言えないよね。
「まあまあ。まだ構想段階だし、正式にはこれからだよ。もちろん、どのぐらいの陣容にするのかもこれからだからね。今回の正式発表は、まずはブルーノさんとライナさんとティモさんのことね。それで、明日は叙任式とパーティーを、内輪だけだけどするよ。みんないいかな?」
「そうですよ。まずはきちんとしてから、お祝いですよ。あしたのお昼にしますからね。さあ、準備をしなければですよ。アデーレさん、お料理とかの相談をしないとですよね。エディットちゃんもお願いね」
「はい、エステルさま」
「わかりました」
エステルちゃんの言葉で、今日は解散となった。
そう言えば、俺ってまだ夕食をいただいてないんですけど。かなり腹ぺこなんですけど。カァ。
「ザックさま、お夕食の用意、あっちにあるよ」
「冷めちゃいましたです」
ああ、ユディちゃんとシモーネちゃんが、エステルちゃんから言われて俺に夕ご飯を食べさせるように来てくれました。
俺が食べちゃわないと、片付かないからね。カァ。
翌日のお昼前、王都屋敷の広間に屋敷の全員が揃った。
今日の主役のブルーノさんとライナさん、そしてティモさんはグリフィン子爵家騎士団の準礼装姿だ。
ジェルさんとオネルさん、そして昨年に準礼装を誂えてあるアルポさんとエルノさんも同様だ。
シルフェ様とシフォニナさんは、今日は風の精霊のドレスを着ている。
うちの屋敷でこの姿になるのは珍しいのだが、敢えてこの衣装にしてくれたようだ。
そしてアルさんは昨年の姉ちゃんの卒業パーティーでも着た、余所いきの豪奢な執事服だね。
エディットちゃんにユディちゃん、シモーネちゃんとカリちゃん、アデーレさんは魔法侍女服。フォルくんは小姓の制服にした。
これは、今回は内輪の式とパーティーなので、それで揃えて貰ったのだ。
俺も子爵家長男としての準礼装で、エステルちゃんは以前にシルフェ様からいただいた風の精霊のドレスを着ている。
いろいろ悩んだみたいだが、ひとりだけ貴族衣装のドレスを着るよりもシルフェ様に合わせる方を選んだみたいだ。というか、それを着なさいとシルフェ様から強く押されたらしい。
彼女がこの衣装に袖を通して、皆の前に現れるのは初めてだよね。
たぶん試しに着てみたときに、俺とクロウちゃんしか見ていない。
「それではこれより、グリフィン子爵家騎士団ブルーノ従士、ライナ従士の従騎士任命、それからティモ調査探索部員の従騎士待遇任命の叙任式を行いますぞ」
今回の叙任式の進行は、アルさんが「わしがする、執事じゃからの」と主張した。
いや確かにそう自称して久しいけど、大丈夫かな。まあ内輪だけだからいいけど。
これもアルさんなりの、3人に対するひとつのお祝いの気持ちの表れなのだろう。
フォルくんとユディちゃんがファンファーレを奏でた。
こういうところは、しっかりきちんとセレモニーらしくやりたい。
「それでは、ブルーノ従士、ライナ従士、ティモさん、前に出てくだされ」
「は」
「はいっ」
「ははっ」
3人が前に出て並ぶ。ライナさんの顔が紅潮している。
ブルーノさんは落ち着いたいつもの表情だ。ティモさんは少し緊張してるかな。
「それではザックさま、お願いしますぞ」
「はい」
俺が3人の前に立つと、3人は片膝を床に突いて蹲踞した。
従騎士の任命は、騎士叙任、騎士爵叙爵とは異なり、うちの子爵家でも特に決まった形式はない。
今日は内輪の式ということもあり、簡略化して行う予定だ。
「それではこれから、ブルーノ従士、ライナ従士の従騎士任命、ティモ調査探索部員の従騎士待遇任命を行います。まずはブルーノさん、立ってください」
「はっ」
俺の後ろにはフォルくんが控えていて、クレイグ騎士団長から送って来た任命書を持っている。
そのうちのブルーノさん宛のものを、俺に手渡してくれた。
「ブルーノ従士。グリフィン子爵家騎士団における貴君のこれまでの働きと功績に鑑み、本日より貴君を、グリフィン子爵家騎士団従騎士と任ずる。貴君は、アマラ様とヨムヘル様、そして精霊様のご加護のもと、我が騎士団の従騎士として、その剣を捧げ、真理と正義を護り、我が領民と我が領地、そしてすべての幼き子を守護する任に着くものとする」
「はっ」
「ブルーノさん、これからもよろしくお願いします」
「もちろんでやすよ」
任命書に書かれた文言を読み上げ、ブルーノさんにその任命書を授ける。
後半の文章は、騎士叙任の文言と基本は一緒だね。
ブルーノさんはそれを受取り、そして一歩下がって再び片膝を突いた。
「続いて、ライナ従士」
「はいっ」
ライナさんにも同じように任命書の文言を読み上げ手渡す。
彼女の目には、昨晩と同じように涙が光っている。
「ライナさん、僕が小さいときから、ありがとう。そしてこれからもね」
「ザカリーさまはー」
ほら、また泣かないんだよ。
「それからティモさん」
「ははっ」
彼にも同じようにして任命書を手渡す。
「ティモさん。僕とエステルちゃんを、これからも頼みます」
「承知いたしました」
「3人とも立つのじゃ。それでは続けてジェルメール騎士より、従騎士の証しとなる徽章を授与しますぞ」
3人の任命書は、いったんオネルさんが預り、俺の隣にはジェルさんが並んだ。
そしてやはりクレイグ騎士団長から送られて来た従騎士の徽章を、ジェルさんが声を掛けながら3人に授与する。
「ブルーノ従騎士、ライナ・バラーシュ従騎士、ティモ従騎士、おめでとう。そしてこれからも、我がグリフィン子爵家とこの王都屋敷のために、よろしくお願いします」
徽章の授与が終わると、俺はそう言って頭を下げた。
普通はこういった場面で主家側が頭を下げたりはしないのだが、俺はそうしたかったのだ。
それを見た3人も慌てて頭を低くする。
「ザカリーさまー。わたしの名前は……」
「ライナさん、任命書にもそう書いてあるでしょ」
「書いてありますよ、ライナ姉さん」
「オネルちゃん、ほんと?」
「だからライナさん。あなたは今日、従騎士になったこのときから、ちゃんと家名を名乗りなさい。これは命令ではないけど、もうあなたはそうしても良い頃合いだと僕は思うよ」
「ザカリーさまは、ほんとにもー」
「ほら、もう泣くなライナ」
「ライナ嬢ちゃんよ。これで叙任式は終わりじゃが、最後にシルフェ様たちが祝福を授けていただけるそうじゃから、しっかり立って並ぶんじゃ」
「はい、アルさん」
アルさんがそう言って、シルフェ様とシフォニナさん、それからエステルちゃんとシモーネちゃんもシルフェ様に呼ばれて4人で並んだ。
「ブルーノさん、ライナちゃん、ティモさん、良かったわね。あなた方3人のこれからのますますのご活躍と、それからグリフィン子爵家とこの王都屋敷の安寧を祈って、風の精霊の祝福を授けます」
シルフェ様とエステルちゃんが並び、その両脇にシフォニナさんとシモーネちゃんが立って4人で手を繋ぐと、4人が輝き出し、そして春の爽やかで清々しい風が甘い香りとともに流れはじめて、広間にいる全員を温かく包んで行った。
「さあさあ、それじゃお祝いのパーティーを始めますよぅ。みんなで準備しますよ。アデーレさん、お料理の方はいいかしら。ほら、ライナ従騎士も、いつもみたいに笑顔でしっかりしなさいな」
「もう、エステルさまもー」
「そうだぞ、ライナ従騎士」
「そうですよ、ライナ姉さん従騎士」
「カァカァ」
「なによー、みんなでー」
広間はいつもの和やかな笑いに包まれる。さあ、美味しいお昼をいただきましょうか。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。
ーーーーーーーーーーーーー
作者の仕事の都合により、1週間ほど連載の更新がお休みなります。
いつも読んでいただいている方には大変申し訳ありませんが、再開まで暫くお待ちください。




