第590話 ヘルミーナさん
「やあ、よく来てくれましたね。僕は3年A組、総合武術部の部長のザカリー・グリフィンです。さあさあ、こちらに座ってくださいな」
その1年生の女の子、ヘルミーナ・アンドロシュさんは俺の顔をじっと見て、しかし4人掛けのテーブルの空いている席には直ぐに座らなかった。
身長は隣にいるソフィちゃんよりも低い。ソフィちゃんは背が高いからね。
肩まで下がった髪は少しばかり赤みがかった茶色で肌の色はとても白く、同じ色の瞳が俺を見つめている。なかなか可愛いらしい子ですな。
「座りましょうよ、ヘルミーナさん」
「あ、はい」
暫くそうして立っていた彼女は、ソフィちゃんに促されてようやく椅子に腰掛けた。
「あの、ソフィーナさまが秘書をされている上司の方は、ザカリー・グリフィンさまなんですね。グスマン伯爵さまのご令嬢さまのソフィーナさまの上司ということは、この学院ではザカリー・グリフィンさまが、いちばんお偉いということなのでしょうか」
ほら、ソフィちゃんが秘書ロールプレイとかするから、話がややこしくなっているでしょうが。
確かに貴族基準で言うと、現在の学院生で伯爵家の息女が最上位だとしたら、その息女が秘書として務めている上司がその更に上位になってしまう、というおかしな理屈だ。
上司と秘書は抜きにして、伯爵家四女と次期子爵の子爵家長男とでは貴族社会的にはどうなのかな。
そういうのは、俺には良く分かんないんだよね。
いやいや、ソフィちゃんお気に入りの遊びだから、真面目に考えてもしょうがないんだけどさ。
「あははは。ソフィちゃんの秘書云々は、彼女が言っているだけだから」
「そんなことないですよ、ザック部長」
「ソフィちゃん、話がややこしくなるから。それよりヘルミーナさん、学院では身分は関係ないから、様付じゃなくて、さんとかでいいんだよ」
「あっ」と言って彼女は慌てて椅子から立ち上がり、奇麗なカーテシーの挨拶をする。
「たいへん失礼をいたしました。ザカリー・グリフィンさまにお会い出来て光栄です。わたしはアンドロシュ準男爵家次女、ヘルミーナ・アンドロシュと申します」
もういいから座ろうね。
しょっぱなから変な感じになっちゃってるから。
「それでね、僕があなたに会ってみたいと思って、ソフィちゃんにお願いして声を掛けて貰ったのはね」
「それは、秘書たるわたしのお仕事ですから」
「ソフィちゃん、少し静かにしてようね」
「はい、ザック部長」
「コホン。それは、ほら先日、僕とソフィちゃんとで中等魔法学の講義を見学させて貰ったでしょ。それで、あなたの魔法がちょっと気になってね」
「わたしのって、なにか変な魔法だったでしょうか。わたし、魔法は下手なので」
ヘルミーナさんの眼が大きく見開かれ、前に座っている俺を再びじっと見つめる。
その赤茶色の瞳が少し輝いたように俺は思えた。
この子って、眼からキ素力が漏れてるんじゃないかな。人間にそんなことってあったっけ。
俺は2年前に会った、王家の第2王子に従っている王宮魔導士のラリサ・カバエフのことを少し思い出した。
「いやいや、あなたの魔法が変だったとかじゃないよ。ただ、キ素力が他の1年生よりも、なかなか強いなって感じただけだから」
「あ」
ヘルミーナさんは可愛らしい唇を開いて、「あ」と声だけを出した。
「わたし、あの、そのキ素力が、わざとじゃないのに、ときどき漏れ出ちゃうらしいんです。いちど、侯爵家騎士団の魔導士の方に、そう言われたことがあって」
この前に見学した中等魔法学で、ウィルフレッド先生に言われて俺がアナスタシア式キ素力循環の準備運動を教えたのだけど、その際に彼女のキ素力の強さに直ぐに気が付いた。
あのときウィルフレッド先生も、そしてソフィちゃんもそれが分かったようだ。
しかし、キ素力が勝手に漏れ出ちゃうのか。制御が出来ていないんだよね。先ほどの彼女の眼から感じたのも、おそらくそれなのだろう。
「そうなんだね。僕たちが見学に行ったときに、キ素力循環の準備運動をして貰ったけど、ああいうのって、いままで教えて貰ったことはあったのかな? というかヘルミーナさん、あなたはこれまで魔法の先生は?」
「あ、はい、あのときが初めてです。魔法は、8歳のときに侯爵家騎士団の魔導士の人に適性を見て貰って、それで火の適性があるって言われて、それからときどき、侯爵家騎士団の魔導士の人が先生になって教えていただいて」
グラウブナー侯爵家騎士団の魔導士がどのぐらいのレベルなのかは知るよしもないが、火魔法は教え、キ素力循環の訓練は教えていないというのは分かった。
ということは、キ素力の制御が必要なヘルミーナさんに対して、その必要性を感じたり教えたりもしなかったということだろう。
「話は変わるけど、ヘルミーナさんはまだ、どこかの課外部には入部していないのかな。例えば総合魔導研究部とか」
「まだ、どこにも入ってません。その、ザカリーさまがおっしゃった魔法の課外部からは勧誘されましたけど、断りました。というか、中等魔法学の受講者は全員勧誘されたみたいです」
そうなんだね。まあ総合魔導研究部としてはそうだろうな。
「どうして入部しなかったの?」
「えー、だって、わたし、魔法が下手くそなのに、講義が終わってからも魔法をやるなんて、おかしいじゃないですか。それに課外部に入るかどうかって、学院生の自由なんですよね」
俺の隣で何か言いたそうな表情のソフィちゃんの気配を感じ、顔を見て目で制する。
ソフィちゃんは口を固く結んでへの字に曲げていた。
「自分で魔法が下手だと思ったら、総合魔導研究部に入って練習するとかもありじゃないの? それにあなたは、少なくとも中等魔法学の講義を取っているんだし」
「それは……。中等魔法学を受講したのは、初等の方はまったくの初心者が集まるって聞いていましたし、わたしはいちおう少しは習って来ましたから」
この子の場合、短縮詠唱で火焔魔法が撃てているから、どうやらまったくの初心者が集まっているらしい初等魔法学に行く必要はない。
そういう現状の力よりも、いま以上に魔法を修得したいという意欲があるかどうかの問題だよな。
「ヘルミーナさん、あなたは魔法が好きですか? それとも嫌いですか? どうなのかしら」
ずっと口をへの字に曲げていたソフィちゃんが、我慢出来なくなったのか口を開いて、それでもなるべく優しい口調でそう尋ねた。
「えーと、あの、嫌いじゃないです。嫌いだったら、魔法学の講義は取りません。騎士団の魔導士さんからも、学院に入ったら専門の教授がいるから、ちゃんと学んでみるのもいいって、そう言われましたし」
ふーむ。どうやら結局、このヘルミーナさんは魔法にちゃんと向き合っていないんだよね。
自分がどうしたいのか、魔法に対してどういう欲を持っているのか、まだ自分自身が分かっていないということではないかな。
これはおそらく他の1年生も同じで、それから剣術の方でも似たようなものだろう。
魔法も剣術も何かの必要性があったり、欲や意志がない限り、どうしても学ばなければならないものではないのだ。たぶんだけど。
「ヘルミーナさん。こうして呼び出していろいろ聞いちゃって、ごめんね。気分を害してしまったら、謝ります」
「いえ、有名なザカリーさまとお会いして、そのお尋ねに答えるのはあたりまえです。気分を害したとか、ぜんぜんありません。ソフィーナさまともお知り合いになれたし」
「そう、だったら良かった。それからさっきも言ったけど、学院では様はいらないからね」
「はい、ザカリーさん、ソフィーナさん」
「あと、もうひとつふたつ聞いてもいいかな?」
「はい、なんでしょう」
「ヘルミーナさんは、剣術の方はどうなのかな?」
「剣術ですか? そっちもやっぱり、侯爵家騎士団の騎士に教えて貰っていました。でも、わたしは剣術の才能が無いのか、さっぱり上手にならなくて」
「へぇー、剣術も教えて貰ってたんだ。稽古は辛くなかったのかな」
「稽古ですか? ぜんぜん辛く無かったですよ。魔法も剣術も」
「でも、剣術学の方は、たしか講義を取ってなかったんだよね」
「はい、良くご存知ですね。なんだか恥ずかしいです。剣術の方は、そうだなー、あまり考えていなかったというか、騎士さんにも特に言われなかったですし。なので、なんとなく」
「なんとなく取らなかったのね」
「ダメでしたか?」
「あ、うーん」
ソフィちゃんはそう尋ねて、なんとも困ったという感じで口を閉ざした。
彼女の感覚からすれば、これまで魔法も剣術も稽古をして来たのなら、あたりまえに学院でもどちらも履修するだろうということだ。
片方はなんとなく取って、もう片方はなんとなく取らなかったというのが理解出来ないに違いない。
「もうひとつはね、うちの総合武術部というのは、魔法と剣術の両方を練習する課外部なんだ。それで、もしヘルミーナさんが、魔法と剣術の両方に興味があったら、うちの部に入るのはどうかなと思って。まあ、それが今日お会いした目的なんだけどね」
「でもわたし、どっちも下手ですから」
「いや、僕の見るところ、あなたは魔法がとても上手になる可能性がありますよ。それから、キ素力が漏れちゃうとかも、訓練すれば治すことが出来ます。剣術の方は見ていないから分からないけど、騎士団の騎士に教えて貰っていて、辛くは無かったというのなら、伸びる可能性はあると僕は思います」
「ザック部長は、この学院始まって以来の魔法学と剣術学の両方の特待生ですよ。魔法と剣術に関してだけは、いいかげんなことを言うひとではないです。それ以外のことは別として」
「ソフィくん」
「あ、すみません、秘書としたことが、つい」
君は秘書じゃないけど。でもほかのことでも、そんなにいいかげんなことを言わないと思うんだけどなぁ。
俺とソフィちゃんのやりとりを聞いて、ヘルミーナさんは初めて面白そうに無邪気に笑いを堪える表情を浮かべた。
彼女の受け答えを聞いていて、この子はとても素直な子だと俺は感じていた。
ただ、何かとちゃんと向き合うということを、まだ知らないのだ。
12歳の女の子だったらそうなのかな。どうなんだろう。
この世界にいるとどうも忘れがちになるけど、前々世の12歳をなんとなく想像してみる。
「うちの部のことは、もし考えて貰えるようだったら考えてみてね」
「はい、考えてみます」
「今日は、講義終わりの時間を潰しちゃって、悪かったね」
「いえ、ザカリーさんとお会いしてお話し出来て、とても嬉しかったです。凄いひとって噂で聞いていて、怖かったけど興味もあって、でもお優しそうなひとでした」
「ええ、そこはうちの部長の数少ない美徳です」
「ソフィくん」
「うふふ。なんだか、楽しそうな課外部なんですね」
「でも、練習は厳しくやってるんですよ。そこも部長の美徳でした」
「ソフィちゃん」
ヘルミーナさんは丁寧に挨拶をしてテーブルから離れて行った。
どうやら広い学院生食堂内の向うの方に、クラスメイトらしい女の子たちがいたようだ。
そこに合流して、こちらを見ながら何か話している。
「あの子、どうですかね、ザック部長」
「うーん、良くわからないと言えば、わからないなぁ。素直な良い子だとは思うけど」
「魔法や剣術の稽古が嫌い、って訳じゃなかったんですね」
「そうみたいだね。どんな稽古をして来たのかはなんともだけど、辛く無かったって言ってたし」
「そこのとこ、うちの部だと重要じゃないですか」
「え、そうなの?」
「そうですよ。厳しい練習を少しも辛いと思わない特殊な能力が、総合武術部でやって行くためには必要なんです。どうしてそんな肝心なことが、部長にはわからないんですかね」
そう言えば、領主貴族家の子である魔法少年魔法少女をはじめ、うちの部員たちはうんざり顔はしても、サボらずにちゃんと練習をするよな。
あれって特殊な能力だったんだ。
俺の周りって、小さいときからうちの姉さんたちやエステルちゃんだから、そういうのが特殊な能力だって知らなかったです。
「貴族の子って、楽をしようと思えば、だいたいはそうしていられるんですよ。敢えて厳しいことに、飛び込んで行かなくても」
「そうなのかぁ。そういうのって、僕の育った環境には無いからなぁ」
「グリフィン子爵家がちょっと変なんですよ」
「なんだか、少し納得した」
「さあ、まだ時間がありますから、お着替えして魔法訓練場に行きますよ」
「へーい」
「貴族のご子息で、そういうお返事をするひとも、わたしは部長が初めてです」
「なんだかすみません」
さて、急いで魔法の練習に行きましょうか。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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