第588話 疲れて元気のないときには身体を動かすのが、我が家の流儀
その日の夜、屋敷に戻った。
この10日間が気分的にずいぶんと長かったので、久し振りに帰って来た感覚だ。
3年目ともなると、この王都屋敷がすっかり自分の家という感じになったよな。
「アルポさん、エルノさん、帰ったよ」
「おお、お帰りなさいませ、ザカリーさま」
「エステル嬢さまがお待ちですぞ」
このファータの爺さんふたりの、厳ついが優しい表情の顔を見ただけでほっとする。
庭園に囲まれた道を歩き、屋敷の玄関ホールに入るとエステルちゃんとクロウちゃん、それからカリちゃんに少年少女4人が出迎えてくれた。
俺の帰りを察知したクロウちゃんが報せたのだろうね。
「お帰りなさい、ザックさま」
「お帰りなさいませ」
「うん、ただいま」
「なんだか、珍しくお疲れの様子ですよね。何かありましたか?」
「久し振りの学院で、ちょっとね」
「お食事は済ませて来たんでしょ。シャワーを浴びてくださいな。フォルくん、お支度を」
「はい」
シャワーを浴び、ラウンジに腰を落ち着かせる。
少年少女たちが少し心配そうに立っていたが、もう夜も更けて来ているのでエステルちゃんが彼らを解散させた。
エディットちゃんが淹れてくれていた紅茶をいただく。彼女が淹れる紅茶は、いつも絶品だ。
「お部屋に行きますか?」
「いや、少しここで和むよ」
俺はそう言って、見慣れた屋敷の中をなんとなくぐるりと顔を動かして眺める。
このラウンジは玄関ホールに隣接したわりと広い空間で、前々世のホテルのロビーラウンジに似ている。
広めに造ってあるけどとても落ち着く雰囲気で、普段の俺の居場所だったり、屋敷内でミーティングを開く場所だったりする。
クロウちゃんはさっきからソファに座る俺の横に、ずっとくっついて丸くなっていた。
キミはもう眠いんでしょ。カァ。
「学院でのお話をされますか。それとも、なんだかやっぱりお疲れみたいですから、明日にします?」
そんな俺とクロウちゃんの様子を、エステルちゃんは暫く黙って心配そうに見ていたが、そう口を開いた。
俺が学院から屋敷に戻ると、その夜は10日間の学院での出来事を包み隠さず彼女に話して聞かせるのが、この2年間の習慣、というか義務ですな。
「いや、いま話そうかな。いろいろあったけど」
「そうですか?」
それから、この10日間のことを順番に話して行った。
履修選択した講義のこと。なかでも剣術学と魔法学で、ふたつずつもゼミを取ることになったこと。
魔法学ゼミの3年生に、回復魔法の特別講義と適性判定を行ったこと。
2年生の中等魔法学の講義で、今年もやはりジュディス先生の手伝いをすることや、フィロメナ先生のパーソナルトレーニングにルアちゃんも加わったことも話した。
そして、新入生の勧誘活動の話だ。
「ほぉー、いろいろしたんですね。それはお疲れさまでした。その適性があったおふたりに、回復魔法を教えるんですね」
「うん、8人の3年生を見て、そのうちのふたりだから、なかなか割合はいいんじゃないかな」
「そうですね。冒険者さんたちはあんなに大勢いて、結局は4人だけでしたものね。それから、ソフィちゃんにも適性があったのは、なんだか良かったですぅ」
「そうなんだよね。取りあえず、カロちゃんと一緒に練習するように言ってあるけど、こんどあのふたりの訓練を、エステルちゃんが見てくれないかな」
「はい、任せてください」
近ごろはあまりカロちゃんの魔法を見てあげられていなかったので、エステルちゃんは「あのふたりを、そのうちお屋敷にお呼びしましょうかね」と言った。
一方でヴィオちゃんにどうやら適性が無さそうなのは、彼女には分かっていたようだ。
「こればっかりは、仕方ないです」
「魔法の力はとても優れているんだから、ほかの攻撃魔法を磨いて貰うしかないよな」
「そうですね」
「それでまだ、1年生はひとりも入部して来てないんですね」
「そうなんだ。10日間で入部希望者はなし。みんな頑張って勧誘活動をしたんだけどね」
「おひとり、魔法の上手そうな女の子ですか。その子が入るといいですけど」
「まだ単に目に付いただけで、話はしてないし、どんな子かもぜんぜん分かんないんだよ」
「今年の1年生はみなさん、剣術や魔法に熱心じゃないんですか」
「どうやらそうなんだよね。どうしたものやら」
「なぜなんでしょうかね」
「なんとなくはわかる気もするんだけどさ」
俺は薄れつつある前々世の記憶を探る。
人は平和が長く続くと、怖がりになってその方面を忌避するんじゃないかな。
闘うとか怪我をするとか、死ぬ可能性もあるようなこととかに。
もちろん、平和であるのに越したことはない。
肉体をもって闘う必要もないし、無闇に怪我をしたり、ましてや天寿を全うせずに死に至るようなことに挑む必要もない。
剣術がスポーツで、ほかにも肉体を使って競える競技がいろいろあれば、そういうスポーツや競技に関心を持つ人たちが大勢現れるだろう。
しかしこの世界での剣術は、闘う技術であり、相手を傷つけ制圧して倒し殺す行為だ。
ましてや、前々世の世界には存在しなかった攻撃魔法などは、スポーツでも競技でもなんでもない。
北方15年戦争が終結して今年で34年。
セルティア王国ではその34年間、外国との戦争も内戦も起きていない。
昨年に俺たちが壊滅させた傭兵崩れの強盗団や山賊団などの類いはまだ各地にいて、頻繁に襲撃の被害があるようだが、この王都や他の都市城壁に囲まれた領都の中で暮らしていれば、それは城壁の外で起きた自分には関係のない出来事でしかない。
アラストル大森林ではごく身近な魔獣や魔物も、そういった自分が入る必要のない地に近づかなければ、ただの伝聞で聞く見たこともない存在だ。
学院に在籍している学院生の親は、既に北方15年戦争を経験していない世代になろうとしている。
それでも北辺の地では祖父や祖母、あるいは周りにいる人たちに戦争経験者が多い。
しかし王都圏をはじめ、北辺以外の貴族領では戦争経験者が比較的少ないということもあるのかな。
「だから、剣術とか攻撃魔法とか、別に一生懸命に訓練しなくてもいいって考える子たちが増えて来たんじゃないかな」
「でも、文官や商家の子はともかくとして、騎士爵家のお子さんとかも結構いますよね」
「そうだけど、ほら、王宮騎士の大半だって、メタボ騎士らしいしさ」
「めたぼ騎士??」
「あ、剣術とか熱心にやらない、鍛えてない騎士のこと」
「目多忙騎士ですか。身体を動かさないで、目だけ忙しく動かしてる騎士さんですね。一昨年に会ったあいつみたいな、周囲の力関係とかだけに目を配ってる連中かぁ」
いや、メタボ騎士の言葉はもう忘れてください。つい口に出しちゃっただけだから。
しかし、周囲のことばかりに忙しく目を動かして伺っている目多忙騎士って、何となく意味が分かるようで不思議だ。
翌朝、朝食の席ではいつものようにレイヴンのお姉さんたちに、この10日間の出来事を聞かれる。
それで昨晩、エステルちゃんに話した内容をもういちど話した。
「それはご苦労さまでしたな、ザカリーさま。しかし、総合武術部への入部希望者がおりませんでしたか」
「1年生全体で、剣術と魔法のレベルが低下しているみたいだというのも、結構重要なことなんじゃないですか?」
「そうなんだよね、オネルさん」
「そんなんじゃ、グリフィン子爵領ではとても生きて行けませんよ」
「グリフィン子爵領の常識は、王国全体だと非常識なのよー、オネルちゃん」
「でも、騎士爵家の子も多いんですよね。そんな家の子もそうなんですかね」
「ザックさまが言うには、目多忙騎士が増えてるからだそうですよ」
「めたぼう騎士??」
そこで、エステルちゃんが解釈するところの目多忙騎士を、彼女が皆に説明した。
だから昨晩につい口に出したのは、メタボ腹の騎士のことなんだけどさ。
「なるほど、腕や足を動かさず、目だけを忙しく動かして周囲ばかりを気にしている目多忙騎士ですか。ザカリーさまも上手いことを言う。まあそんな輩は、我がグリフィン子爵家騎士団にはひとりもおりませんがな」
それから暫く、その目多忙騎士のワードが王都屋敷で良く口にされたが、もう放っておきました。
「それがいまの王国の風潮になって行くとして、もしも強い魔獣や魔物と闘う羽目になったり、強盗団とかがもっと増えて治安が悪くなったり、それから万が一に戦争が起きたりしたら、どうなるんでしょう」
「当てに出来ない連中が、ますます増えてしまうってことだろうな。我ら北辺の者は別として」
「でも、北辺だけが浮いちゃうってことにもなりかねないわよねー。武闘派とか言っても、なんだそれって感じになりそうだわ」
闘う専門家のお姉さんたちがそんな意見を交わすのを、俺は黙って聞いていた。
俺がいた前世の世界では、やがて誰でも簡単に人を殺めることの出来る銃器が登場し、剣技は武芸となり、時代がもっと下るとスポーツや競技となる。
この世界でも銃器が現れるのだろうか。
魔法がある世界なので、銃や大砲などの火器の必要性があるのかどうか分からないが、もしも魔法が衰退して行ってしまったとしたら、代りに火器が登場して使われるのかも知れないよな。
その辺のところは、少なくともまだ魔法が多く存在し、精霊様や神様がちゃんといるこの世界だと、なんとも予測がつかない。
そもそも火薬が発明されているのかどうかも、俺は良く知らないし。
「ザカリーさまはやけに大人しいけど、なに考えてるのー」
「この人、昨日から疲れていて、ちょっと元気が無いんですよライナさん」
「ふーん。なんだか世界を背負って疲れたみたいな顔だけどー、ザカリーさまだってまだ学院生なんだから、やたらに重たいものを背負わなくてもいいのよー」
「世界を背負って疲れたとか、ずいぶんと大袈裟だな、ライナ」
「ザカリーさまなら背負えそうですけど。でも、ひとりで背負う必要なんてないですよね」
俺ってそんなに大層なものを背負って、疲れているみたいな顔をしていたのかな。
でも、ライナさんは妙に鋭いし、俺が小さい頃から知ってるから、表情や雰囲気に何かを感じたのだろうか。
そうだね。まだたかだか学院3年生の小憎で、そんな小憎の課外部に誰も入部希望者がいなかった、というぐらいの話にしておいた方がいいよね。
「それよりも、ザカリーさまは新入生の勧誘活動やら何やらで、あまり訓練をしておらんですよね。では朝食も終えたことですし、ひと息入れたら木剣を振りますぞ。フォルたちも一緒にな」
「午後はー、カリちゃんとわたしとで、魔法研究の時間よー。いいわね」
「お願いします、ザックさま」
「そうですよ。疲れて元気のないときは、まず身体を動かすですよ、ザックさま。目ばっかり動かしてちゃダメですよ。さあ、さっさと訓練場に連れて行っちゃってくださいな、ジェルさん」
ああ、いつの間にか目多忙が俺のところに来ましたか。疲れて元気のないときは、ゆっくり休むとかじゃないんですね。
「エステルさまのご指示だ、ザカリーさま。さあ着替えたら行きますぞ」
「へーい」
「お返事」
「はい」
では今日は、久し振りにフルの戦闘装備に着替えて、丸1日身体を動かしましょうかね。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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