第586話 1年生の剣術学中級を見学した結果
春学期が始まって6日目、講義の2サイクル目となった。
新入生たちも選択科目がそれぞれ確定し、本格的な講義へと入る。
俺は昨日の総合武術部のミーティングで話に出た通り、4時限目の軍事戦術学の講義時間に剣術学訓練場へと行ったのだった。
これまで、1年生のときに初めて地下洞窟に潜った日を除いて、他の講義途中で抜け出したことはあっても、ひとつの講義をまるまる欠席したことがない。
ましてやお腹を壊したのでとか、そんなつまらない嘘の理由は言いたくない。
なので、講義開始前に軍事戦術学の教授にちゃんと欠席の断りを入れた。
教室に現れた俺を見て、同じくこの講義を選択しているヴィオちゃんとライくんは少し恥ずかしそうな顔をしている。
軍事戦術学の教授は、ヴィルマー先生という白髪年配の方だ。年齢はおそらく、カートお爺ちゃんやジルベール男爵お爺ちゃんと同じぐらいかな。
もちろんかつては、どこかの騎士団か軍事関係者らしい。
「ほほう、ザカリー君はわざわざ欠席の断りを入れに、この教室に来たのですかな」
「ええ、大変申し訳ないのですが」
「欠席されるのは構いませんが、今日の講義についてあとでレポートを書いて提出していただきますよ。よろしいですか?」
「はい、了解しました」
「それでは、そうですな、ヴィオレーヌ君」
「へ、あ、はいっ」
「あなたが今日の講義内容をザカリー君に伝えなさい。書いていただくレポートのテーマも、講義終わりに言いますから、あなたがザカリー君に伝えてください。よろしいですか」
「はい」
「どうやら、ザカリー君の欠席理由は、ヴィオレーヌ君とそのお隣にいるライムンド君も承知しているようです。ということはおそらく、あなたたちの課外部絡みのことでしょう。いえ、理由はそれ以上言う必要はありません。相手に話すこと漏らす情報を取捨選択して行動し、ことを進めるのは戦術上は正しい。しかし戦略なき戦術は、思わぬところで齟齬を生んだり落とし穴に嵌ることがあります。このひと言だけですが、これをザカリー君に本日お教えする講義とします。従いまして、あなたは欠席とはなりません。ただしレポートは書いて貰いますよ。それでは行きなさい」
「はい、ありがとうございました、ヴィルマー先生」
おそらく70歳代なのだろうが、実際の戦闘でもこの先生は相当に強かったのだろうということが伺える。
そういう点でも、カートお爺ちゃんや男爵お爺ちゃんとかと同じ匂いがする。
教室を出るときにヴィオちゃんとライくんの方を見ると、ふたりは縮こまり少し緊張して先生に視線を向けていた。
こういうたぶん歴戦のお年寄りを侮っちゃいけないんですよ、おふたりさん。
それで剣術訓練場の前に着いてみると、ソフィちゃんが俺を待っていた。
彼女はこの時間は講義が無いそうだし、俺と一緒に1年生の剣術学中級を偵察すると言ったからね。
でもソフィちゃん。あなたもここに来るのに、魔法侍女服を着ているんですね。
着替えて来いとか言うとあとが大変そうだし、まあいいか。
それでふたりで剣術学訓練場に入り、フィールドを囲む観客席の方に行く。
ああ、やってますね。まだ始まったばかりのようで、皆が素振りを行っている。
えーと、ひとりふたり、ぜんぶで8名ですか。2年生もたしか8人ぐらいだったよね、ソフィちゃん。
今年も初回のオリエンテーション講義では、それほど厳しくはしかったんだろうね。
おっさん先生も、ちゃんと学ぶべきところは学んでおりますな。
さて、1年生の素振りはどうでしょう。
ふーむ、不可ではないけど、というところかな。中級の講義を選択受講するだけあって、もちろん未経験者ではないのだろうけど。
俺が1年生ときのこの講義だったら、おそらく誰も残らなかったのではないだろうか。
「よし、やめっ。それでは集まれ。これから、ふたりひと組みになって打ち込みを行う。打ち手はしっかりと踏み込んで打ち込み、受け手はしっかり木剣を合わせる。受け手側が躱すのは良いが、逃げてはいかんぞ。躱すのと逃げるのは違うからな。それではまず、組を作れ。ほら、話し合いや相談などはいらん。どうせこの1年で、相手は順番に替えて行くのだからな。そろそろいいか。相手は決まったか」
フィランダー先生には珍しく、ずいぶんと言葉が多いというか世話を焼いているというか、焼かされているというか。
それから「始めっ」の声に、1年生たちが4組に分かれて打ち込み稽古を始めた。
先生の号令も、心無しか大人しめだ。
それで始まった打ち込みの方も、ふーむ。
「ザック部長……」と、隣に座って見ていたソフィちゃんが声を出した。
「そうだねぇ」
「やっぱり、これはちょっと、ですか?」
「そうだなぁ」
小声でそんな会話にならないことを口にしていると、フィールド上のフィランダー先生が俺たちの方を見て手招きをしている。
どうせあの先生のことだから、俺たちが観客席に姿を見せたときから気がついていたのだろうけどね。
「先生が呼んでますけど」
「まあ、行くか」
「行くんですか? 行きましょうか」
「まあ僕的には、いつものことだし」
これまでこのようなケースでは、俺は観客席からそのまま跳んでフィールドに降り立つのだが、何となく今日は止めておきましょう。
それで俺たちは観客席の後方から出て、歩いてフィールドへと向かう。
そして、4組8名の1年生が打ち込み稽古をしている様子を、ひとりぽつんと離れて立って見ているフィランダー先生の方へと歩いて行った。
ソフィちゃんは、その俺のあとを従うように付いて来る。
「ザック、見学か」
俺たちが近づいて来たのに気が付いて、フィランダー先生が振り返る。
俺に従うようにいるソフィちゃんの魔法侍女服姿を見て、少し彼の目が開かれた。
「後ろは、ああソフィが一緒なのか。ソフィも離れてないで、こっちに来い」
「わたくしは、ザック部長のお付き侍女でございますので」
「おいザック、ソフィは何を言ってるんだ。おまえと関わると、みんな少しずつ変になるよな」
おっさん先生は何を言っているんでしょうか。
それからソフィちゃん、何かその魔法侍女服に合わせてロールプレイとかをしているのかもだけど、貴女は伯爵家四女のお姫様なんだからね。
「そんなことより、どうですか今年の1年生は」
「ふむ。おまえ、見れば分かるのに、敢えて聞いて来るのか」
「いやあ、先生がやけに丁寧親切に指導されているので、どうなのかと思いまして」
「そりゃおまえ、そうせざるを得ないだろうが。分かっていて聞くな」
「それより先生、ほら」
それほど時間は経過していないが、打ち込み側も受け手側も、もうへばり始めている。
フィランダー先生は慌てて1年生たちの方を向くと、声を出した。
「攻守交替だ。疲れても気を抜くんじゃないぞ。怪我をするからな。よし、始め」
結局、受講生たちがどんどん疲労して行くのを暫く眺め、先生は打込み稽古を止めさせて休憩を入れた。
1年生たちはフィールド上に座り込む。
「よおし、暫時休憩だ。座ったままでいいから気息を整えろ。それから、せっかくなので紹介しておくぞ。俺の横にいるのは、皆も知っているかもしれないが、3年生のザカリーだ。剣術学と魔法学の特待生だな。それから後ろにいるのは2年生のソフィーナ。彼女も剣術に優れているが、ああ、着ている服は気にするな」
俺は軽く頭を下げ、ソフィちゃんは侍女さん風の優雅な物腰で黙って挨拶をした。まだそれ、続けてるのね。
俺たちが紹介されると、1年生たちは慌てて立ち上がろうとした。
いちおう俺とソフィちゃんが領主貴族家の子だって、彼らも知っているのかな。
「ああ、立たなくていいですよ。はい座って座って。いまはあなたたちの講義中ですから、先生の指示に従って休息し、気息を整えてください。僕らはただの見学ですから」
「はい、ザカリーさま」
剣術の技能や体力はあれだけど、礼儀は出来る子たちなんだね。
それからかなり長めの休憩を取り、再び打ち込み稽古をして1年生の剣術学中級の講義は終了した。
8名の子たちが礼儀正しくフィランダー先生と、それから俺たちにも挨拶してフィールドを出て行く。
俺たち3人は、その後ろ姿を黙って見送った。
「なあザック、おまえこれから少し時間があるか。あ、ソフィもな」
「ええ、大丈夫ですよ」
「わたくしは、ザック部長のお付き侍女ですので、お供を」
ソフィちゃんは、まだ続けていましたか。もう終わりにしてくださいな。
それで訓練場の休憩室に場所を移す。
「なあザック。今年はこんな感じなんだ。去年も多少は大人しいかと思っていたんだが、今年はなぁ」
「どうやらそのようですね。ソフィちゃんたちの学年の方が、正直言って遥かに良いです。ねえ、ソフィちゃん」
「はい。わたしなんかに偉そうなことは言えませんが、どうも剣術の技能だけじゃなくて、体力とか覇気とかが」
「そうなんだよ。現時点での技能は、あのときいろいろあったにせよ、例えばザックの学年が1年のときの初級の受講生よりも下に思える。それからソフィの言う通り体力と覇気が足らん。どうしたもんかな、ザック」
それを俺に聞かれてもねえ。
いまの3年生が1年のときは、初級の講義に中級諦め組と呼ばれた連中が雪崩れ込んで、結果的に初級の講義レベルを押し上げたんだよな。
それはあくまで結果論としても、確かにいま見た限りでは中級の講義というより初心者レベルだ。
ということは、剣術学初級はもっと落ちるということか。
これはもういちど、フィロメナ先生辺りに聞いてみないといけないかな。
「うーん、正直に言って如何ともしがたいというのが、今日講義を見させて貰った僕の正直な感想ですね。地道に稽古を続けて貰えれば、としか。少なくともあの8人が、この講義を選択して受講して来た訳ですし」
「まあ、そうなんだよな」
「昨日エイディさんに聞いたんですけど、彼の部にはまだ誰も入部希望者が無くて、あ、うちもそうなんですけど、おまけに総合剣術部でさえ2、3人なんだとか」
「それでおまえが見学に来たんだろ。そうなんだよ。おまえやエイディのところは特殊だからっていうのもあるが、総合剣術部の入部希望者は、正式にはまだふたりだ。さっきの受講生の中にいたんだがな」
「そうですか」
これは課外部だけの問題じゃなくて、セルティア王立学院全体にとって問題だよな。
「ジュディス先生にも聞いたんですけど、魔法の方もどうやら似たり寄ったりみたいですね」
「そうらしいな。ウィルフレッド先生も嘆いていたよ」
「それって、学院にとって大きな問題ですよ、先生、ザック部長。いえ、この王国の将来にとってもです」
「まあまあ、ソフィちゃん。これが今年だけのことなのか、来年以降もそうなのか分かんないからさ」
純粋で真面目で正義感に溢れ、そして領主貴族の子女であるソフィちゃんらしい発言だが、確かに王国随一のエリート教育の場で、剣術と魔法にこのような状況が続くと、将来が危ぶまれる。
この世界は、決して平和で暢気な世界ではないのだ。常に様々な危険が直ぐ近くにあるのを、忘れてはいけない。
だからこそ、この学院では学問と同時に剣術と魔法を重要視している。
フィランダー先生とそれから暫く、情報交換や1年生の剣術レベルについて分析をしてみたりしたが、これといった結論は出なかった。
学院の講義としては、結局は無理をさせず地道に指導して行くしかない。
「あの、ザック部長」
「なに、ソフィちゃん」
「今年は諦めましょうか。わたし、後輩が無しでもいいです。無理をさせちゃいけませんよね。特にうちの部だと、無理になっちゃいそうです」
剣術訓練場を出て歩きながら、ソフィちゃんは寂しそうにそう口にした。
俺はもう、1年生の素振りを見ただけでそう思っていたんだよね。
無茶はしても無理はさせない。それがうちの総合武術部のモットーだし、例え万が一に誰かを勧誘して入部させても、結局は無理をさせちゃいそうな気がするんだよな。
それから俺とソフィちゃんは言葉少なに、新入部員勧誘の出店へと向かうのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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