第56話 北方帝国ノールランドのこと
「さ、勉強を始めようかね。ザカリー様」
ボドワン先生とふたりきりになった俺はお勉強だ。しかし今日は教えてほしいことがある。
「先生、今日は北方帝国について教えてほしいんだけど」
「北方帝国ね。ザカリー様はアプサラの港で、初めてノールランドの人と会ったのだったね」
「はい。フォルくんとユディちゃんの村に突然、兵士を送って無理難題を要求したというその国です」
「なるほど。そんな国がどういう国なのか知りたい訳だ」
「はい」
「そうだな、北方帝国に関しては子爵様とか騎士団長あたりの方が詳しいかも知れないが、まぁいいだろう」
ボドワン先生はそう言っていったん口を噤んだ。何を話そうか考えているようだ。
「北方帝国ノールランドは、わたしたちのセルティア王国と国境を接している」
「はい、北辺境伯領ですね」
「そうだ。正しくはモーリッツ・キースリング辺境伯領だ。そしてこの北辺境伯領はグリフィン子爵領の北隣でもある」
俺たちのグリフィン子爵領の北がモーリッツ・キースリング辺境伯領で、その更に北に北方帝国ノールランドが存在するということになる。
アプサラに行ったときに通った領都の北西門を出て、北方向に伸びる街道を行くと北辺境伯領に至る。
「ザカリー様は、26年前に戦争が終わったのを知っているね」
「はい。セルティア王国と北方帝国が戦った北方15年戦争ですね。たしか、アヌポス歴2501年に始まって、2515年に終わりました」
アヌポス歴とは、この世界が共通して使用している暦だ。アヌポスというこの星の名前が冠されている。
「その通りだ。前にセルティア王国の歴史で勉強したね。この戦争の詳しい経緯や推移に関しては、また学ぶこともあるだろうが、いまは詳細は置いておこう。ただ、事の発端は、決してセルティア王国側の一方的な言い分という訳ではなく、北方帝国がセルティア王国の領土を侵したからなのだ」
「ええ、そう学びました」
戦争の始まりは、ある日突如として北辺境伯領との国境地帯に、北方帝国軍が姿を見せたことだと以前に教えて貰った。
規模はおそらくまったく違うのだろうが、まるでフォルくんとユディちゃんの村に突然、帝国兵士が現れたように。
「北方帝国ノールランドはその国名の通り、帝政を敷いている。つまり皇帝が国を強固に統治しているということだ。そして彼らの国是は拡張主義だ」
「拡張主義……。それは、いつでも自分たちの領土を広げたいと思っている、という意味ですか?」
「そうだ、その通り。彼らの国はもともと、このニンフル大陸の北方内陸部に興ったと言われている」
「セルティア王国の東辺には北方大山脈があるのだが、ザカリー様は知ってるね」
「はい、セルティア王国は西のティアマ海と東の北方大山脈に挟まれた国ですね」
北方大山脈は南南西方向から北北東方向に長く伸びていて、王国の東側の国境はこの大山脈の尾根とされているが、その辺りは曖昧だ。
俺は屋敷の図書室にある不完全な王国地図をいくつか参照し、およその位置関係を把握している。
真北を上方向とすると、セルティア王国はティアマ海と北方大山脈の間を、右斜め上から左斜め下にやや縦長に広がる国で、南北方向はおよそ750キロメートル、東西方向はおよそ400キロメートルぐらいではないかと、俺は推測している。
「そうだ。北方大山脈は北北東方向に連なって行って、セルティア王国を離れた辺りから東方向、大陸の内陸部へと伸びているそうだ。だがどこまで連なっているのかは、少なくともセルティア王国の私たちは良く知らない」
「そうなんですね。グリフィン子爵領の、というかこの領主館の東にあるアラストル大森林は、北方大山脈にまで広がっていて、それから北の方にも広がっていると聞きました」
「アラストル大森林はとてつもなく広い。そして、その内部を踏破した者は誰もいない。だからすべては推測なのだが、大森林は大山脈に沿って北方帝国内にまで広がっていると考えられている」
「話が逸れてしまったね。ノールランドの話だ。北方帝国の元の国は、大陸の北部を東方向に伸びた大山脈の麓近辺で興り、西へ西へと攻め込みながら拡張して行き、現在の帝国になったというのが定説だ」
「ティアマ海を求めたということでしょうか」
「おそらくそうなのだろうな。ティアマ海の幸、海運と海軍力、貿易と商業による富み、まぁそんなところだろう」
「それで、ティアマ海に到達したので、今度は南のセルティア王国に拡張しようとした」
「戦略目標はそれほど単純ではなかっただろうが、基底にある動機はその通りだ」
「北方15年戦争は、国境を挟んでときにはセルティア王国の北辺境伯領側、ときには北方帝国側を戦場とし一進一退しながら続いた。もっとも両軍とも、国境を跨ぐアストラル大森林の中に入って戦うことはなかったがね。あそこに国境は無く、奥に入ればどちらも全滅だ。」
「うちのおじいさんも前線で戦ったと聞いています」
「そうだね。子爵様や私、オスニエルなんかはまだ小さな子どもだったが、前のグリフィン子爵と騎士団、子爵領兵は北方15年戦争を戦った。クレイグ騎士団長や家令のウォルターさんたちは、戦争の終盤の時期に若者ながら戦場で活躍したと聞いているよ。そしてどちらも勝利者となることなく、戦争は終わった」
クレイグさんやウォルターさんは、この世界の戦争を生身で体験しているんだね。
俺のおじいさんは、子爵として前線で指揮をし自ら戦ったという。それはどんな闘いだったのだろうか。
おじいさんとおばあさんには、まだ会ったことはないのだけど。
「とにかく、北方帝国ノールランドとはそういう国なのだ。たしかにここよりも遥か北にあり、環境や風土も厳しいものがあるのだろう。しかし、武力で国を拡げようとするのはいただけない。まぁ現在は少なくとも、セルティア王国とは和平を結び貿易も行っている間柄だがね」
「それは、またいつか国境を侵す野望を、まだ残しているということですか?」
「野望というより、国是は変わってはいない、と言った方がいいかな。おそらく今は戦争で疲弊した力を回復し、機を伺っているのではないかと私は見ている」
力を回復する、か。その一環として、身体能力に優れているらしい竜人、ドラゴニュートを無理矢理、力づくで取り込もうとしたのかも知れない。
あるいは単に、北方帝国に従おうとしないドラゴニュートの村を、拡張主義の国是から併呑しようとしただけなのか。
おそらくその両方なのだろうな。
「北方帝国は15年戦争後、海運力の増強に力を注ぎ、ティアマ海を渡ってエンキワナ大陸にある国とも盛んに交流や貿易をしていると聞く。ザカリー様はノールランドの船を見たのだろ。それに乗って来た北方帝国人とも会ったのだよね」
「はい、かなりの大型船でした。そして船員たちは荒っぽかったように思います」
海運力の増強、そしてエンキワナ大陸の国との交流か。
俺は5年前の夏至祭での魔人事件を思い出した。しかしまだ、俺が知る知識や情報はとても少ない。
フォルくんとユディちゃんを預かった件をきっかけとして、俺の意識は北の方に向くこととなった。
だがこれは、ほんの始まりに過ぎないのだろう。
俺がこの世界に来た理由。それを知り、これからを生きるほんの始まりに。
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エステルちゃんが主人公の短編「時空渡りクロニクル余話 〜エステルちゃんの冒険①境界の洞穴のドラゴン」を投稿しました。
彼女が隠れ里にいた、少女の時代の物語です。
ザックがザックになる前の1回目の過去転生のとき。その少年時代のひとコマを題材にした短編「時空渡りクロニクル外伝(1)〜定めは斬れないとしても、俺は斬る」もぜひお読みいただければ。
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