第566話 辺境伯領へ出発
辺境伯領の領都エールデシュタットに行く日となった。
ウォルターさんとミルカさんからこの件を聞いたあと、家族内でもこの話を父さんと母さんから正式に貰った。
父さんは、「その、なんだ。すべてはウォルターに任せておけばいいからな。おまえが正式代表だが、余計なことはするんじゃないぞ。そこのとこ頼むな、エステル」ですと。
母さんは、「先方がザックに来てほしいらしいのよ。まあ良い顔見せの機会よね。1泊2日だけだから、大丈夫だと思うけど、お願いね、エステル」。
アビー姉ちゃんは、「いいなー。わたしも行きたかったなー。けれど、ザックが公式のお役目じゃ仕方ないわね。でも楽しんで来てね、エステルちゃん」。
そして当事者のヴァニー姉さんは、「わたしも一緒に行けるのだったらいいんだけど、まあ頼むね、ザック。と言っても、ぜんぶウォルターさんがしてくれる筈だから、ザックとエステルちゃんはエールデシュタットがどんなところだか、見て来るといいわ。よろしくお願いします」
発言だけを比べると、やっぱりヴァニー姉さんご本人がまともでしたな。
姉さんはそう言って、俺とエステルちゃんに頭を下げた。
分かりました。この弟に任せなさい。
あと、父さんと母さん、特に父さんは不安そうな顔を止めなさい。
一昨日には人外の方々が帰って行った。
はっきりといつ頃とは言っていなかったけど、どうやら3月にはまた王都屋敷の方に来るらしい。
まあ、もういまさらなので、いつ来てもぜんぜん構わないですよ。
それで出発前日には、騎士団本部会議室に同行する全メンバーが集まり、クレイグ騎士団長と騎士団長付きのアビー姉ちゃんも加わって打合せを行った。
馬車は2台。いつもなら最少限で済ますのだが、今回は俺が子爵家の正式代表なので、俺とエステルちゃんだけで1台を使う。
ウォルターさんとミルカさん、お付きのフォルくん、ユディちゃんでもう1台。
カリちゃんはどうしようかと思ったが、人間の社会にまだほとんど慣れていないので、俺の方の馬車にお世話係という名目で乗せることにした。
騎馬はレイヴンのお姉さん方3人、そして正式に調査探索部の嘱託部員となったアルポさんとエルノさんの5騎だ。
アルポさんとエルノさんはこの決定をとても喜び、そして「張り切ってお仕えしますぞ」と口を揃えた。
あまり張り切り過ぎないようにお願いしますよ。
ブルーノさんとティモさんが、それぞれ馬車の御者役を務めてくれる。
「今回は、ザカリー様を御者台には乗せませんでやすからね」とブルーノさんから釘を刺された。
名目上は公務ですからな。知らない土地を行くので、道中は御者台から景色を見たいところだけど、我慢しますよ。
朝早い時刻、家族と屋敷の人たちに見送られ、北を目指して出発した。
馬車は子爵館から中央広場巡ってノースウェスト大通りに入り、その先の北西門へと進む。
王都に行くには南門を潜るが、領内西の港町のアプサラや辺境伯領へは、この北西門を出ることになる。
南門方向だとサウス大通りとアナスタシア通りの交差点に冒険者ギルドがあって、俺が王都に出掛けるときとかには、大勢の冒険者たちがギルドの前に並んで見送りをしてくれるのだが、さすがにこちらにはいないよね。
それがちょっと寂しいと思ってしまう自分に気が付く。いやいや、慣れというのも恐ろしいものですな。
警備兵の皆さんに見送られ、アプサラと往来する馬車で賑わう北西門を出て、多くの馬車が行き交う西ではなく北の街道へと進路を取る。
北方面の村々や辺境伯領へと向かう馬車もあるのだろうけど、やはりこちらの街道の方が交通量は少ないようだ。
「馬車ってゆっくり進むから、なんだか面白いですね」
そうか。カリちゃんて、人間の馬車に乗るのは初めてなんだよね。
シルフェ様たちのお買い物に同行して街に出たときも、徒歩だったみたいだし。
「のんびりでしょ。だから結構時間はかかるけど、その分、景色はたくさん見られるのよ」
「そうですね、エステルさま。でも、こんな低い高さで、何もしないのに前に進んで行くって、新鮮な体験です」
カリちゃんやアルさんて、ドラゴンの姿のときには空間魔法だか重力魔法だかで音も無く地上を進んじゃうし、あとは大空を飛ぶんだからなぁ。
「僕らにすれば、空を飛べるカリちゃんたちが羨ましいよ」
「カァカァ」
「ああ、クロウちゃんも含めてね」
「ですね」
「そんなの、ザックさまは神様の御使いさまで、エステルさまは風の精霊さまみたいなものですから、飛べばいいんじゃないんですか?」
「いやいや僕ら、いちおう人間だからさ」
「そうですかぁ? そうしたら、わたしたちドラゴンみたいに、空間魔法と重力魔法で飛べばいいんですよ。クロウちゃんもそんな感じですよね」
「カァ、カァ」
「あ、風も同時に使ってるんですか」
「だって、僕らには翼がないしさ」
「風は操れても、風にはなれないわよ」
「ドラゴンだって、ほとんど翼は使わないんですよ。風に乗って滑空はしますけど」
「やっぱりそうなんだね」
カリちゃんは細身だけど、あの巨大なアルさんが翼を羽ばたかせて空を飛んでるとは、これまでも思っていなかった。
本人も、ほとんど魔法で飛んでるって言っていたしね。
「そうすると、空間魔法と重力魔法を訓練すれば、僕らも空が飛べるようになるのかな」
「ザックさまとエステルさまなら、大丈夫だと思いますよ」
俺は、空を自由自在に飛行する自分の姿を想像してみる。
前々世の映画やアニメなんかでは、そんな主人公の姿が描かれるのを良く見たけど、果たして現実にはどうなのかな。
でも、空気中にキ素力がある限りは、魔法を使えばなんとか出来そうな気もしてくる。
この世界では、そうであると認識して可能な状態をイメージすることが重要だしな。
俺は数十年前の前々世に見た映画で、主人公がその世界が仮想現実であると正しく認識した結果、空を飛んだシーンを思い出す。
「ザックさまったら。お空を飛ぶ魔法の訓練とか、やってみようって考えてますよね」
「まずは、空間魔法と重力魔法の修得からだよなぁ」
「一緒にお稽古しましょう、ザックさま」
「カリちゃんも、もう」
「でもさ、エステルちゃん。ふたりで空を飛べたら楽しいよ」
「それはそうですけどぉ」
辺境伯領都エールデシュタットまでは、グリフィニアからだいたい100キロメートル。
馬車を時速13キロから14キロほどの速度で走らせると、7時間半ほどの距離だ。
しかし馬をそんなに長時間、走らせ続けることは出来ないので、2時間から2時間半ぐらいで休憩を入れる。
グリフィニアは領内では多少、北寄りに位置する。
それで、辺境伯領に続く街道を北上して領境を越える手前で早めの昼食休憩を取り、辺境伯領に入ってから途中でもう1回休憩してエールデシュタットに到着する予定だ。
もう2時間は走ったかなと思う頃合いで、俺たちの馬車にジェルさんが馬を寄せて来た。
「あともう少ししますと、領境の手前の村に到着します。そこで昼食休憩をしますので」
「りょーかい」
見知らぬ街道を通ってファータの里に行った旅とかだと、俺が御者台に座ってレーダー役を務めたり、クロウちゃんが空から、あるいはブルーノさんかティモさんが馬を飛ばして先行するなどで、前方の様子や休憩場所を確認する。
しかしここは子爵領内だ。
ジェルさんも街道は良く知っているし、それ以上にブルーノさんが熟知している。
なのでクロウちゃんの出番もまったく無いのだけど、キミは今日まだ1回も飛んで無いよね。
ずっと、エステルちゃんかカリちゃんのお膝の上だよね。カァ。
馬車が停止した。
街道から横道に入ると人家が点在し始め、その先に小さな広場があった。
その広場を囲んで、やはり石材と木材を組み合せて建てられた家々がある。
ここは北の領境にいちばん近い村で、確かオウルフォードとかいう名前だったよね。
このオウルフォード村は子爵家の直轄地で、ジェルさんのバリエ村やオネルさんのラハトマー村のような騎士爵領地ではない。
つまりここは内政官事務所が所管する村なのだが、村には村長がいて内政官の代りを務めている。
内政官事務所の筆頭内政官は、俺の幼少期の担当侍女だったシンディーちゃんの旦那さんであるオスニエルさん。そして、そのオスニエルさんの上司は子爵家家令のウォルターさんなので、まあウォルターさんが事務官としてはいちばん偉いんだよね。
俺たち一行がその広場に到着すると、何人かの人たちが待ち受けていた。
後ろの馬車からウォルターさんが降りると、その人たちが最敬礼して挨拶をしている。
真ん中にいるのが村長さんかな。立ち姿を見ると、とても姿勢の良い人たちだ。
停止している馬車の車窓からそんな様子を眺めていたのだが、ところで俺はまだ降りちゃいけないんですかね。
なんだか公務の旅って面倒くさいよね。
そのうちに、フォルくんがすすすっと馬車に近寄り、外からドアを開けてくれた。
「ザック様、エステル様。昼食休憩を行うオウルフォード村でございます。お降りくださいませ」
村の方々がいるから、フォルくんも余所行きの口調だよね。
「うん、ありがとう」
それで俺が馬車から降りてエステルちゃんが続き、カリちゃんも従う。
クロウちゃんはカリちゃんに抱かれている。
すると、俺たちが馬車から降りたのに気が付き、村の人たちが片膝を地について畏まった。
「みなさん、こんにちは。ザカリー・グリフィンとエステルです。お昼の休憩にお邪魔しますね。それで、もう畏まらなくていいので、立ってくださいな」
「ザカリー様の仰せです。みなさん立ってください」
ウォルターさんがそう促して、村の人たちを立たせた。
「グリフィン子爵家は、ご承知のようにざっくばらんな家風ですから。まあ僕らとは、気楽に接してください」
「エステルです。とても美しい村ですね。少しのお時間ですけど、よろしくお願いしますね」
「これは。ご挨拶が遅れました。村長を拝命しておりますランドルと申します。オウルフォード村に、ようこそお出でくださいました、ザカリー様、エステル様、そして皆様方。ごゆっくりという訳には行かないでしょうが、どうぞ時間の許す限りご休憩くださりますよう。それにしても、ザカリー様は噂通り凛々しく、エステル様は人間離れしたお美しさだ。いや、これはつい、余計なことを申してしまいましたぞ。はっはっは」
ランドル村長は、なかなか豪快な雰囲気の人みたいだね。中高年といった感じだけど、ガタイがとても良い。
その後ろに並んでいる同じくらいの年齢層の人たちも、揃って逞しい感じだ。
挨拶のあと、村役場を兼ねている村長さんの家に案内されたのだが、ブルーノさんが「ここは15年戦争中に整備された村で、退役した兵士などが入植したのでやすよ」とこっそり教えてくれた。
なるほどね。村長さん始めおそらくは村の重役であろう皆さんも、元は戦士という感じだよな。
戦争中に出来たということだから40年ぐらいの歴史の新しい村だけど、やはり領境の村ということでそういった人たちが入植したんだね。
言ってみれば退役軍人の村ということなのかな。
「まあ、私どもの戦友たちの村ということなのですよ」
「これは、ウォルターさん。勿体ないお言葉で。ブルーノさんは戦後も有名になりましたから、良く存じ上げていますが、そちらのおふたりも、なにやら見たことがあるような」
「そうかの。わしがアルポで、こっちはエルノよ。ザカリー様とエステル嬢様の配下じゃて」
「戦時中に見たことがあったかの。まあ、わしらの当時の正体を明かせば、特別戦闘工作部隊よな」
「おお、なんとそれは。すると、言ってよろしいのか。その、ファータの、ですかな」
「戦友の村ならば、明かしてもええですな、ザカリー様」
「うん、僕にとっては大先輩が作られた村の方々ですし。それに身内のみなさんだから、いいんじゃない。村長さんのご想像の通りですよ」
「なんと、お身内とは、ザカリー様からもそのような勿体ないお言葉をいただくとは。そうです、この村の者はすべて、グリフィン子爵家にお仕えするお身内でございますぞ。今日はなんとも嬉しい日だ。ザカリー様、エステル様。休憩などとはおっしゃらず、本日は我が村にお泊まりいただく訳にはいきませぬか」
俺も一行の皆も苦笑せずにはいられなかったが、それでもそう言う村長さんたちの気持ちが凄く嬉しかった。
いつか、この村に宿泊してみるのもいいかな。でもそうすると、領内の50ヵ村のすべてから泊まりに来いって言われそうだよなぁ。
そんな気さくで豪快な村の人たちから美味しい昼食をご馳走になり、楽しいひとときを過ごして俺たちは領境へと出発するのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。
 




