第543話 大森林の奥地再訪
昨日は買い物に散々付き合わされました。男の義務ですから、はい。
「わしは良いかな」と渋るアルさんも、「あなたは、エステルの執事じゃなかった?」とシルフェ様に強制的に同行を命じられた。
それで、シルフェ様たちが来る前は5人でと考えていたフォルくん、ユディちゃん、シモーネちゃんを連れ、ジェルさんとオネルさん、ライナさんも護衛兼お付きで同行したから、結構な人数でグリフィニアの街に繰り出しました。
王都でも同じようなメンバーで商業街に行くことはあるのだけど、グリフィニアが王都と違うところは、お店の人や道行く人たちが皆、気軽に気兼ねなしに声を掛けて来るところだ。
冒険者などに出会ってしまえば、立ち止まって腰を折って挨拶される。
「さすがにザックさんたちの街なのね」とシルフェ様たちは感心していたが、領都民のこの気さくさがグリフィニアの良いところではあるものの、なかなかに面倒くさい部分もある。
さて、そんな1日をグリフィニアで過ごし、今日は大森林の奥地へと出掛ける。
ジェルさんたちには昨日にいちおう、アルさんに乗せて貰って俺とエステルちゃんが奥地まで行くことは話しておいた。
「それは、われらも同行させていただきたいところですが、やむを得ませんな」
「ゴメンね。人間の数を増やさない方が良いところに行くから」
「仕方がないわよー。わたしたちが、あまり深入りしちゃいけないとこよねー」
「エステルさまの安全第一でお願いしますよ、ザカリーさま」
はいはい、わかっております。
強さで言えば、この世界で何本かの指に数えられるドラゴン執事さんが一緒ですし。そこらの猛獣よりも、エステルちゃんの方が遥かに強いと思いますし。
「ザカリーさまが変なことしなきゃ、エステルさまも安全よねー」
「婚約者が無茶したせいでの巻き添え被害だけは、やめてくださいね」
「われらが心配なのは、そこだけですからな。シルフェさまやアル殿は、なぜかザカリーさまには甘いですし」
あ、そういう意味でしたか。大丈夫です。明日は強面のルーさんのところに行きますので。
アルさんに時間魔法で調整して貰うから、午後からゆっくりでも良かったのだけど、いろいろとまた説明が必要になるので、朝食をいただいてランチ用のサンドイッチを収納したら直ぐに出掛けることにした。
それで出発場所の子爵家魔法訓練場に行こうとしたら、一昨日に話をした面々が見送ると付いて来る。
いやいや、アルさんの背中に乗ったら直ぐに黒雲に包まれて飛んじゃうんだから、見送りはいいですよと思ったが、父さんたちも興味半分、心配半分なのだろうね。
本来の姿に戻ったアルさんの背中に俺はトンと跳び乗り、直ぐにエステルちゃんも後ろに乗って俺の背中に抱きつく。
クロウちゃんは自分で飛んで来たが、俺の懐に納まった。
そのあとニュムペ様、シルフェ様、シフォニナさんと精霊の3人も、するするっとアルさんの背中に乗った。
「それじゃ、帰りは夕方遅くにはならないと思うけど、行って来まーす」
「あいつら、本当にお気楽だよな。アンとアビーは、乗せていただいたことがあるんだろ」
「すっごく怖かったわよ。わたしはもういいかも。あの子たちは、どうして平気なのかしら」
「それは、ザックとエステルちゃんだからさ」
聞こえてましたよ。それじゃアルさん、お願いします。
冬の空をアルさんに乗って飛ぶ。一定の高度に上がって覆っていた黒雲が解除されたので、まるで良く晴れた青空に囲まれて飛んでいるみたいだ。
しかし左手方向遥か遠く、つまり北方向の空は厚い雪雲に覆われているのが見える。
北方帝国はこの季節、きっともの凄く寒いのだろうな。
アルさんは素晴らしい速度で大森林上空を飛び、以前と同じくかつてベースキャンプ地にした開けた場所に着陸した。
ここが大森林の入口から約20キロの地点だ。ここからは走って移動することになる。
アルさんは竜人の姿には変化せずに、ブラックドラゴンのまま小型化しただけだった。
前回もそうだったけど、本人は森の中ではこの方が動きやすいと言うのだが、ナイアの森では竜人姿で動いてるよね。
これは絶対に、ルーさんに見せたくないからだよな。
さて移動を始めましょうか。
猿飛の術で枝を伝わって、中空を行くのは無しですか? あ、エステルちゃんが俺を見失うと嫌なのでダメですか。そうですか。
仕方がないので地上を走る。クロウちゃんは低空飛行で頭上にいる。
シルフェ様とニュムペ様、シフォニナさんとアルさんは、滑るように移動して行く。
奥地の湧水地を目指すのもこれで3回目だ。
一昨日にクレイグ騎士団長から聞かれたこともあり、今回はベースキャンプ地からの距離をざっくりと測ってみることにした。
なので、空間把握の能力を使いながらなるべく直線移動に留意し、走る速度はマラソン選手よりもやや遅い時速15キロを保つように心掛けた。
それで走り続けると、湧水地までだいたい30分で到着。7.5キロぐらいということになった。
つまり、大森林の入口から27.5キロ地点に、この湧水地があるということだ。
東西の距離が200キロメートル以上と推測されるアラストル大森林なので、ほんとまだまだ浅い場所なんだな。
でも、そんな地点でも人間が来るのが難しいのだから、大森林全体を踏査するなんて絶対に無理だよな。
アッタロスさんの親戚のユニコーン一族とかは、どの辺りに棲んでいるのだろうか。
ルーさんがどのぐらいの範囲を管理、いや監視対象エリアとしているのかも気になるところだ。
湧水地に俺たちが到着すると、池の中から10人ほどの水の精霊さんたちが現れた。
そしてニュムペ様の姿を認め、近づいて来て彼女の前で跪く。
「お帰りなさいませ、ニュムペさま」
「お元気そうでなによりです」
「一緒に行った子たちは元気ですか?」
「妖精の森は、どうなりましたでしょうか?」
精霊というのは大陸の各地にいるそうなのだが、真性の精霊様が拠点としている妖精の森などには大勢の精霊さんたちがいて、そこを護っている。
だが水の精霊の場合、ニュムペ様がこの大森林に隠棲した際に付き従ったのはごく少数で、あとは様々な場所へと散らばったのだそうだ。
いま現在、ナイアの森の新生妖精の森にはネオラさんたち4人が常駐していて、大森林のここにはこの10人がいるということなのだろう。
ナイアの森の整備が進んだら、もっと多くの精霊さんを集めるとは言っていたけどね。
それでニュムペ様は、この10人の水の精霊を促して俺たちのところに連れて来て挨拶をさせた。
真性の風の精霊のシルフェ様が来ているからね。
「シルフェさまの妹様のエステルさまと、ザカリーさまですね。以前にお話は伺っておりました。このたびは水の精霊のために、お力をお貸しいただきまして、誠にありがとうございます」
「この人は、ここを任せているネリルさんです。ネオラとはそうですね、従姉妹みたいなものでしょうか」
「そうですか。初めまして、ザカリー・グリフィンです。ザックとお呼びください」
「エステルです。それからこの子はクロウちゃんです。よろしくお願いしますね」
「ネオラとは長い間、離ればなれになってしまって。でもあの子がナイアの湖や湧水地をひとりで護ってくれたお陰で、妖精の森を再建出来たのですね」
「あなたもこんど、ネオラに会いに行きましょう」
「でもニュムペさま。わたしは、ここをお護りする役目がありますので」
なかなかしっかりした精霊さんだ。
シルフェ様におけるシフォニナさんと同じような立場なのかな。
ナイアの森ではネオラさんが側近の立場だが、あの人はすっかりただの食いしん坊のイメージになってるけど。
「ねえ、ザックさま。お昼用のサンドイッチとか、どのくらいありましたっけ」
ああ、エステルちゃんは、この精霊さんたちにもお裾分けしたいんだよね。
「多めにはあるけど、でも10人分も余分にはないなぁ」
「ほかの食べ物とか、あそこにあるんでしょ」
ふむ。俺が非常食用にいろいろ料理なんかを無限インベントリに保管しているのを、エステルちゃんは把握しておりましたか。
たしかに何か外で食事をする折々に、余った料理などをそのまま保管しておりますな。
時間が停止して大気の酸素なんかにも触れていないので、劣化はまったくしておりません。
「仕方ない、出しますか」
「こういうときにこそ出すものでしょ」
「はい」
「カァ」
「お菓子もね」
「はい」
「カァ」
とは言っても、ランチにはまだだいぶ早い。お菓子でも先に出す? テーブルを出そうか。カァ。
今日はエステルちゃんが肩から下げているマジックバッグに、テーブルや椅子とか飲み物を入れて来てるからね。
「あなたたち、何を相談してるの?」
「ランチのことと、お菓子を出そうかとかですよ、お姉ちゃん」
「あら、いいわね。お菓子タイムにしましょ」
「そしたら、椅子とテーブル出しますから、ザックさまはお菓子を出して」
「へーい」
あ、椅子はたくさん持って来てるんですね。人数分があるんだ。ほんと、こういう用意はいいよね。
でもアルさんは小さなドラゴン姿だから、椅子に座れないし、お菓子も食べにくいよね。
「わしは、このままで良いですから」とか言ってるけど、もう森林内の移動は理由に出来ませんぞ。
ひとりドラゴン姿で椅子に座ってテーブルを囲めないのが結局は悔しかったのか、渋々竜人の姿に変化して、何ごともなかったようにお菓子を食べている。
このドラゴンの爺さん、意外と甘いもの好きだしね。
水の精霊さんたちは、俺たちが椅子とテーブルを出し、飲み物やお菓子を広げると、うわーっと声を上げて集まって来た。
さあ、どうぞ。あなたたちが人間の食べ物の虜になるのは、既に承知していますからね。
アラストル大森林の奥地で、そんなおやつの時間を過ごしていると、大きな存在感のあるものが近づいて来るのを感じ、身体がぴくっとした。
「いらしたようですね」
「そうね、直ぐに現れないから、どうしたのかと思ってたけど」
「まったく、勿体つけおってからに」
「これはこれは、お揃いで。良くいらっしゃいましたな」
森の木々の間から、白銀の毛並みを輝かせて神獣フェンリルのルーさんが現れた。
その表情がニコニコと笑顔のように見えるのは、俺の気のせいでもないか。
「シルフェ様、シフォニナさん、ようこそ。ニュムペ様は、ずいぶんとお元気になられたみたいだ。ザックとエステル、クロウも良く来たな。おや? そこのドラゴニュートの年寄りは誰だ? 初対面だったかな。まるで執事のような格好だが、ザックの家来か」
「煩いわい。おぬし、わかっていて言っておろうが。ホントに性格の悪いイヌッコロよの」
「おお、その減らず口は、どうも黒大トカゲの爺様に似ているな。いつからドラゴニュートになりよったのだ」
「おぬしみたいな森の中を駆けずり回る犬と違うて、人間のいる場所で活動しておるわしには、この姿が必要なのじゃ。それにほれ、いまはお菓子を楽しんでおるところぞ。まあ、おぬしには無理じゃろうがな」
「まあ、あなたたちったら、顔を合わせたらどうして直ぐに、そういう風に言い合いになるのかしら」
竜人の姿になるのを嫌がっていたアルさんは、ルーさんにからかわれてこういう言い合いになるのを予想していたようだ。
まあその姿にならなくても、言い合いは始まるけどね。
「ふむ。ならば」
ルーさんはひと言そう口に出すと、フェンリルの大きな身体が白い霧に包まれた。
そしてその霧が直ぐに晴れると、中から人間の姿が現れる。
良く見ると人族ではなくて、見た目は耳をぴんと立てた狼犬人族らしき男性だな。外見年齢は壮年という感じだろうか。
端正な顔と肩に掛かる銀色の長い髪が、神話に出て来る主人公を思わせた。
その衣装は、宮廷の魔導士が着るような白いローブだ。
「これなら、一緒に椅子に座れましょうな」
「ふん、ええからこっちに来い。ザックさまが持って来たお菓子はうまいぞ」
「ご相伴にあずかろう」
どうこう言って、アルさんとルーさんは決して仲が悪い訳ではない。減らず口の叩き合いは習慣みたいなものなのだろう。
それにしても、ルーさんもやっぱり人化が出来るんだね。高位の神獣だからそうなんだろうけど、でもいきなりでちょっと驚きましたよ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




