第542話 800年前の話のつづき
「それでは続きをお話ししますね」
屋敷の2階にある来客用ラウンジで、お昼前と同じメンバーがそれぞれ腰を落ち着けている。
「どこまで話しましたっけ」
「男の子が8歳になって、妖精の森を出されたところまでですよ、ザックさま」
「ああそうだった。ありがとう、エステルちゃん」
俺は紅茶をひと口飲み、喉を湿らせた。
「その男の子、まだ家名のないワイアットくんは、母親の下級精霊であるネーレさんや他の下級精霊から、妖精の森を出されました。そして、近くの人間の集落で拾われたと言いますから、そこはおそらくフォレスト公爵家の先祖が住む村だったのではないかと思われます。そして彼はその集落の村の長、つまりフォレスト公爵家の先祖に育てられて、やがて戦士へと成長して行きます。彼のその成長過程で、母親や他の下級精霊がまったく見捨ててしまったのではなく、その都度なにがしか助けていたのではないかと想像しています。そしてワイアットは、大人になる前から小さき戦士と、周囲から呼ばれるようになったと。これは広く知られた伝承や子供が習う歴史でも、小さき戦士王という名前が出て来ますよね」
俺はここでひと息ついた。ここからが肝心な話なのだ。
「セルティア王国の建国伝説では、当時、その地を治めていたのは部族王マルカルサス。周辺の各部族や人びとを暴力と圧政で苦しめていた、残虐非道な悪人であると伝えられていますよね。王国の歴史でもそう教わります。しかし僕は、これは違うと考えています」
「おい、待て。なんだと、ザック。それはどういうことだ。何を根拠に」
「それはですね、父さん。僕が、いやエステルちゃんやシルフェ様たちも、マルカルサスさんにお会いして、彼の人となりを知ったからなんだよ」
「なんだってぇー」
「ザック、あなた」
「どういうことですか、ザカリー様」
「じつはマルカルサスさんはアンデッドになって、王都地下にある地下墓所の霊堂にいらっしゃいます。それでつい昨年12月にも、アビー姉ちゃんとミルカさんも一緒で会って来たんだ」
「な、なんだと。アビーにミルカさんもか。するとジェルメール騎士たちもだな」
「ミルカさん、黙っていたのですね」
「ええ申し訳ありません。ザカリー様のご指示があるまでは、話せませんでしたので」
「そうですか。そうであるなら、仕方ないな」
俺はエステルちゃんと相談して、この際、この件に関してはかなりぶっちゃけて話すことにしたのだ。
それであらためて、地下洞窟のアンデッド大掃除の経過を簡潔に説明する。
これついては、父さんたちもおおよそは知っていることだ。
「マルカルサスさんがどんな部族王だったのか、その真実はわからないし、本人にも聞いていない。なので、あまり僕の推測だけで話すのは良くないよね。ただ、自分の見立てを信じるのなら、彼が人びとを苦しめるような部族王であったとは、とても思えません。そんな歴史やあの人への評価は、後世に作られたものではと、それだけ言っておきます」
王家が伝える歴史なんて、そんなものだ。いまはそれしか言えない。
「それで話を戻すと、成長した小さき戦士ワイアットは、周辺の部族を糾合して旗を揚げ、マルカルサスさんに戦いを挑んで勝利した。この旗揚げには、ワイアットを育てたフォレスト公爵家の先祖をはじめ、現在の三公爵家の先祖たちが大きく関わっていた、というかワイアットを担ぎ上げたのだと思う。この辺は、学校で教わる建国の歴史にもある通りなんだろうね。ただし、水の精霊の妖精の森で旗揚げをしたなんて、あり得ないと僕は思いますよ。そうですよね、ニュムペ様」
「わたしの妖精の森で、人間が集まって戦の準備をしただなんて、酷い嘘です。人の戦に水の精霊が関わるなんて、ぜったいにありませんし、わたしが許しません」
「そうよね。いくら心優しいニュムペさんでも、そんなことは決して赦さないわ。精霊は、人間同士の争いには関与しない。これがこの世界の大原則よ」
「ただ……。ネーレと何人かの下級精霊については、わからないんです。わたしの記憶も曖昧で。わたしはシルフェさんみたいに、森の外に出ることがありませんでしたし」
「それが普通ですよ、ニュムペさま。うちのおひいさまは、風なので。それにちょっとおかしいんです」
「あら、シフォニナさん、わたしがおかしいとか、あんまりよね、うふふ」
精霊としておかしいと言われて自分で喜んでるから、シルフェ様の場合、自覚はあるんだな。
「それは、ネーレさんたちが、ワイアットの戦にも手を貸した可能性がある、ということですか?」
「はい、ザックさん。でもそれは、ずっと後に考えて、そういうこともあったのかと想像しただけなんです。地下墓所を造るのに手を貸していますから」
水の精霊の関与については、マルカルサスさんに聞けば何か分かるんじゃないかな。
尤も、いまそれを掘り返しても、あまり意味は無いのだろうけど。
「戦がワイアット側の勝利で終わったあと、マルカルサスさん側は一族郎党、皆殺しにされたのではないかと想像しています。でもこれも、あくまで僕の想像ですね。あるいは、多くが生きたまま、現在の王都の真下にある地下洞窟に閉じ込められたか。その真実はわかりませんが、かなりの人数が地下洞窟に造られた墓所に葬られたのは事実です。そして、この地下墓所建設に、ニュムペ様がおっしゃられた通り、ネーレさんたち幾ばくかの水の下級精霊が関与しました」
そこでまた、俺はひと息ついた。
エステルちゃんが「紅茶、飲んで」とカップを渡してくれる。
「それでその後に、この事実を知ったニュムペ様はお怒りになり、ネーレさんたち関与した下級精霊を追放したということです」
「追放と言いますか、水の精霊であるということを消し去りました。その、わたしの権限で」
「わたしたち真性の精霊はね、配下の精霊に対して、精霊であることを消せるのよ。滅多にしないことですけどね」
「精霊であることを消すって、消された精霊はどうなっちゃうんですか?」
「それはザックさん。風は風に、水は水になるだけよ」
「なるほど、そうですか」
「話を続けると、そのことがあって、ニュムペ様は長い年月、大変悩まれました」
「わしも話を聞きに会いに行ったことがあるが、あのときは酷い有様だったの」
「ごめんなさい、アル」
「いやいや、ニュムペさんが悪い訳ではないぞ。だが、ニュムペさんがあまりに長い間、悩んでしまって、妖精の森も衰退してしまったのじゃな」
「わたしの監督不行き届きで、あんなことが起きてしまったので、わたしが悪いんです。それに下級精霊をいちどに複数も消すなんて、初めてのことでしたし」
「あの当時は、わたしもニュムペさんから相談を受けたり、慰めに行ったりしてたんだけど、そのうちにこの子、音信不通になって所在がわからなくなっちゃったのよ」
「はい、あの、人間がいる場所から距離を置いて、少し自分を癒せと、誘っていただいたものですから」
「わたしには、言ってくれても良かったじゃない」
「すみません、シルフェさん。あのときは、そのまま直ぐに連れて行かれてしまって」
「あら、まあ」
「あのイヌッコロめ、やることが乱暴なのじゃ」
「アルさん、しっ」
「おお、すまぬ。しかしの」
アルさんが漏らした言葉は大丈夫だったかな。聞かれていないことにしましょう。
それにしてもフェンリルのルーさんが大森林から出て、迎えに行ったんだな。
「コホン。えーとですね。それでニュムペ様は、アラストル大森林の奥地にある水源地に隠棲されることになり、つい昨年の春まではそこに棲んでいた訳なのです。話は以上です」
俺はここで話を終了させた。
来客用ラウンジは暫し沈黙に支配される。アルさんはひとり、ブツブツまだ何か言っているけどね。
「ふーむ。何となく理解出来たような、俺らでは理解出来ないような。ともかくも、800年前の出来事があって、畏れながらニュムペ様は、ご自身の妖精の森からアラストル大森林へと移られた。そういうことでいいんだよな、ザック」
「そうですそうです、父さん。それで今年の春に、王都近郊のナイアの森に妖精の森を再建されて戻られた。その再建に、シルフェ様たちや僕らがお手を貸したという訳です」
「ザックさんには、本当にお世話になっています」
「いえ、それは誠に畏れ多いことで。こんなザックがお役に立ちますれば、どんなことにでもお使いください」
いや父さん。俺も人間ですから、出来ることは限られますから。
「それで今回、シルフェ様とニュムペ様と、お揃いでお越しになられたのは」
「それはね、ヴィンスさん。ほら、大森林にもまだニュムペさんの配下の精霊を残してますから。その様子を見にね。ね、ね、ニュムペさん」
「あ、はい、そうです、そうです。ね、アル、そうでしたね」
「お、おう、そうですぞ」
精霊様は嘘とかつかないから、こういう隠しごとは下手なんだよな。
配下の水の精霊さんの様子を見に行くというのは、決して嘘ではないからね。
「あの、ザカリー様、少々お聞きしてもよろしいですか」
「なんでしょう? クレイグさん」
「その、畏れながらニュムペ様がおられました大森林の奥地とは、どのぐらいの奥地なのでしょうか。水源地があると、先ほどお話されていましたが」
ああ、騎士団長としてはそこが気になるよね。出来るならば大森林の奥地のことも知りたいのだろうな。
「えーと、ですね。冒険者の到達した最奥地から、さらに奥に入ったところとだけ、言っておきましょう」
グリフィニアの冒険者がこれまでに到達した最奥地点は、大森林の入口から20数キロメートルほどだと俺は推測している。
ほぼ20キロ地点に、かつてベースキャンプを張った場所があるので、そこから奥へ入ったところだよね。
「それは、ブルーノとかも知っておるのでしょうか?」
「いや、ブルーノさんも行ったことのない場所ですよ」
これまでに冒険者が到達した最奥地点とは、要するにブルーノさんが行った場所だからね。
そこから先が本当の奥地だ。
しかし、東西の距離が200キロメートル以上と推測されるアラストル大森林においては、それでさえほんの入口に過ぎない。
「ザカリー様とエステル様は、行かれたことがあるのですな」
「正直に言うと、あります。ニュムペ様がおられたときに、会いに行ったので。あ、いえ、アルさんに連れて行って貰ったんだよ」
「そうですか。そこは我らが行けるところなのでしょうか?」
クレイグ騎士団長も、なかなか突っ込んで来るよな。
大森林での活動の安全を管理し、子爵領の防衛を担う立場としては当然なのだろうけど。
「それについては、ザックさんとエステルはわたしたちが連れて行ったので、お答えにくいと思いますよ、クレイグさん。だから、わたしがお答えしましょう」
「あ、シルフェ様。それは、大変申し訳ありませんでした。つい自分の立場上」
「ええ、いいんですよ。お知りになりたいのは当然です。大森林のそこから奥はね、まだ人間の与り知らぬ場所なのです。わたしやニュムペさんの母と父、つまり、アマラさまとヨムヘルさまが、ある者に管理を命じている場所、とだけ言っておきましょう。管理と言いますか、監視の方が正しいわね。簡単に言えば、人間とは異なる存在の地、人外の地ってことね」
アマラ様とヨムヘル様の名前を出されると、もうそれ以上何も言えない。
しかしルーさんて、大森林の管理と監視を命じられてあそこにいるんだな。初めて知りました。
「いろんなことを聞き過ぎて、やっぱりお腹がいっぱいになったわ」
「ホントね、母さん。こんなお話、わたしたちが聞いてしまって、良かったのかしら」
「難しいことは、ザックが決めてくれるよ、姉さん」
「ヴァニーちゃん。あなたがお嫁に行っても、お隣なのだし、これからも大森林の側で暮らすのよね。ですからあなたは、ザックさんやエステルやアビーちゃんと離れる訳ではないのです。なので、ザックさんが聞いていて欲しいと判断したことは、聞いて知っておいてね。それはきっと、あなたのこれからに無駄にはなりません。それからアビーちゃんも、もう大人で大切なお役目に就くのですから、あなたが知って考えて行動することも大切ですよ」
「わかりました、シルフェさま」
「はい、頑張ります」
母さんじゃないけど、主に話をした方の俺も今日はお腹がいっぱいだよな。
さて、ルーさんに会いに行く件だけど、「(で、ルーさんとこには、いつ行きますか?)」とシルフェ様に念話で聞いてみた。
「(今日、こちらに来たばかりだし、ほら、ニュムペさんもグリフィニアは初めてだから、明日は街にお買い物とか、行きたいわよね。ねえいいでしょ? エステル)」
「(あ、明日はお買い物、行きますか? ちょうどザックさまと行こうと思ってたんですよ、お姉ちゃん)」
「(じゃ、決まりね)」
「あの、シルフェさま。それでこれからのご予定ですが」
「明日は、ザックさんとエステルに、グリフィニアの街を案内していただこうかと思ってるのよ、アンさん。ニュムペさんは初めてですしね」
さいですか。観光とお買い物ですね。はい、わかりました。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




