第528話 ふたりの姉の新しい始まり
「それでミルカさんにお話というかご相談したいのは、エーリッキ爺ちゃんにファータの里の守りを固めて、これまで以上に警戒して貰うよう、伝えたいってことなんですよ」
「はい。私もそれをいま考えておりました。しかしそれには、お聞きしたエルフの件と、それから先般のナイアの森の件も話さないと、理解されないと思うのですが」
そうなんだよな。ただの伝聞として、大陸の反対側にあるらしいエルフの母なる地の話だけを理由にしても、それほど真剣には受け止めて貰えないかも知れない。
やはり俺たちが直接関与したナイアの森で起きたことも、多少は説明しないとだよな。
「ザカリー様は里長から、大昔のクロミズチ襲来の伝承は、もちろん聞かれていますよね」
「うん、初めて里に行ったときに聞かせて貰ったよ」
クロミズチ襲来の伝承とは、大昔に大蛇の魔物であるクロミズチがファータの里を襲ったという話だ。
里はもはや全滅というところで、シルフェ様の大竜巻がその中に魔物を閉じ込め、そしてシルフェーダ家のご先祖様がダガーでクロミズチの両目を突き刺し、終には討伐を果たした。
現在でも里を囲んで守っている迷い霧は、その討伐後にシルフェ様から霧の石をいただいたことによる。
「私たちのファータの里は、あれ以来、伝統的に里の守りを常に固めています。しかしそれでも万全とは言えないでしょう。私も知識でしか知りませんが、そのエルフの母なる地を襲ったというアステリオスという魔物は、かなりの脅威であるらしいですし、先日のテウメーのように、ほとんど知られていない魔法攻撃もあります。それに多数の配下を引き連れて襲って来るとなると」
大昔のこととはいえ、クロミズチ襲来伝承があるからこそファータの警戒心は強い。
ミルカさんがことさらに脅威を感じて警戒するのも、尤もなことだった。
「そうだね。本当は僕が里に行って話をすれば良いのかもだけど」
まあ、アルさんの背中に乗せて貰えば、問題無く国境を超えて行けるとは思うんだけどね。
「僕がエーリッキ爺ちゃん宛にお手紙を書いて、説明出来る範囲で説明するようにしましょう。あと、年が明けたらシルフェ様がこちらにいらっしゃる予定ですから、あの方にも言葉を添えて貰いますよ」
「そうですね。そうしていただければ。シルフェ様はまた、グリフィニアに来られるんですか?」
「うん、アルさんとね」
「それは?」
「遊びに来る、と言いたいところだけど。まあそれ以上は、聞かないでください」
「は、はい。わかりました」
いくらミルカさんでも、さすがに神獣フェンリルのルーさんに会いに、アラストル大森林の奥地に行く予定とは話せない。
「あと、僕が少し心配しているのは、ほかのファータの里のことなんだよね」
ファータには、エステルちゃんやミルカさんの地元の里のほかに、何ヶ所か別の里があると聞いている。
ユリアナお母さんとセリヤ叔母さんの出身地である里とか。
「そこまでご心配いただき、ありがとうございます。ザカリー様はご承知かと思いますが、ファータ族にはユリアナ義姉さんの里と、そのほかにあとふたつ、隠れ里があります」
「へぇー、そうなんですね、叔父さん」
エステルちゃんも知らなかったのか。
というか、エステルちゃんも13歳でグリフィニアに来て、15歳になってからはずっと俺と一緒だからなぁ。里を離れてもう10年近くだ。
見た目はいまだに15歳のままだけど。
「エステルは知らなかったか。そうなんだ。ファータの隠れ里は、シルフェ様の妖精の森を囲むように、東西南北に4ヶ所あると伝承されている。尤も、シルフェ様がどこに妖精の森を構えられているのかは、我らは誰も知らないのだがね」
どうやら東西南北にある里のうち、北にあるのがエーリッキ爺ちゃんの里で、西にあるのがユリアナとセリヤさんの実家のある里らしい。あと、東と南にもあるんだな。
「残りの3つの隠れ里については、いずれ里長からザカリー様に説明があると思いますが、ユリアナ義姉さんの里はミラジェス王国内にあるとだけは言っておきましょう。すべては、うちのシルフェーダ家の分家筋が里長をしております」
つまり、最も古い里がリガニア地方の南部にあるエーリッキ爺ちゃんの里で、西はミラジェス王国内にある里ということか。
寿命の長いファータ族だから、何百年前の分家なのかは分からないが、各地の里長の家はすべて親戚ということになるのだろう。
「それぞれの里長には、ファータの連絡網で報せることになるでしょう。その辺のことは、うちの爺様に任せていただければ大丈夫ですよ」
「わかりました。ではそちらはお任せします。あと、ファータの里に何かあったら、わたしが絶対に赦さないってシルフェ様が言っていました」
「それはなんとも、恐れ多いことです」
この世界の大晦日である冬至の日の前日、冬至祭が始まる。俺は密かに冬至イヴと呼んでいるけどね。
俺が始めたクリスマスツリーならぬ冬至ツリーが、騎士団の手によって屋敷の前庭に立てられ、街の中央広場では商業ギルドと冒険者ギルドが中心となって設置されているだろう。
昨年辺りから大きな店舗や一般の裕福な家でも、それに似たものが飾られ始めていると聞く。
俺とエステルちゃんも一昨日、レイヴンの皆やダレルさんと身寄りのない子たちが暮らすアナスタシアホームに行って冬至ツリーを室内に飾り、ささやかなパーティーをしてきたばかりだ。
毎年恒例となったこの活動も、どうやらグリフィニアの領都民の間で伝わっているらしい。
正午前には、グリフィン子爵家で揃って中央広場に向かった。
俺も5歳のとき以来、夏至と冬至の年2回欠かさず参加して側で見ている、恒例のヴィンス父さんの開始宣言。
昨年からはエステルちゃんもステージに上がるようになったが、来年の冬至祭ではここにヴァニー姉さんはいないのだろうな。
姉さんは嫁ぎ先の辺境伯領都で行われる祭に参加して、たぶん主役になっているよね。
かつて、アン母さんが子爵家に嫁いで来て、領都民に大変な人気を博したと聞いているように。
そしていまこれから、そのヴァニー姉さんの婚約発表と、アビー姉ちゃんの卒業報告に騎士団入団の発表がある。
こういう場でも滅多に動じることのない父さんが朝からそわそわし、中央広場に到着してからも落ち着かなかった。
まあもう諦めて落ち着きなさいな。カァ。
「それでは子爵様、お願いします」と、司会を務める筆頭内政官のオスニエルさんの声が響く。
彼も、俺の乳幼児時代に担当侍女だったシンディーちゃんと結婚して、ふたり目の赤ちゃんも生まれ、一男一女のパパだ。
「お、おう。コホン」
いつもは良く通る戦場声で直ぐに話し出す父さんだが、今日は返事をしたあとなかなか言葉を発しない。
寒さのなかにも陽光が心地よい冬晴れの中、広場に詰めかけた領都民の皆さんも、どうしたのかと思いながらも静かに注目している。
「よしっ」とひと声気合いを入れた父さんが、ようやく話し始めた。
「我がグリフィン子爵領は、アマラ様とヨムヘル様をはじめとした神々、そして精霊様たちからの数多くの恵みをいただいて、無事平穏にこの1年を過ごすことが出来た。これもすべては、領民の皆が真面目に頑張って来たおかげだ。みんな、本当にありがとう」
そこで父さんは、多くの聴衆を前にして深く頭を下げた。それを見て、俺たち家族も慌てて頭を下げる。
例年は開会宣言のスピーチの途中でこのように礼をすることはないのだが、大切な発表を前にして、まずは領民のみなさんにお礼をという気持ちになったのだろうか。
広場の皆さんも礼を返してくる様子が、なんだか微笑ましくて心を温かにしてくれる。
「今日は、冬至祭を始める前に、皆に発表することがある。発表はふたつだ。まずはアビー。アビー、俺の隣に」
「あ、はい」
姉ちゃんが父さんの隣に急いで行く。
「ここにいるアビー、アビゲイル・グリフィンは、つい先ごろに王都のセルティア王立学院を無事に卒業した。そしてこれからはまた、このグリフィニアで暮らすことになる」
広場内から「アビゲイルさまー」といくつも声が掛かり、自然に拍手が起きた。
「アビーは卒業式において、学院より剣術学特待生の栄誉を授かった。ザックも既にいただいているが、卒業のときとはいえ、姉弟が同時にいただくなど前代未聞のことだぞ。アビーの剣術がいかに認められたかの証しだ。みんな、アビーを褒めてやってくれ」
また大きな拍手が起きる。
「それでだ。本人が強く望んだことなのだが、年を越すと直ぐに、アビーは我がグリフィン子爵家騎士団に入団することが決まった。よって来年からは、騎士待遇の騎士団長付きとして、騎士団の仕事を学びながら、このグリフィニアと子爵領と領民の皆を守るため、働くことになる。どうかみんな、アビーを応援していただきたい」
父さんとアビー姉ちゃんが頭を下げ、俺たちもそれに倣う。
わーっという歓声が広場に広がり、「応援しまーす」「頑張れー」という声があちらこちらから掛かった。
「よおし次だ。ふたつ目の発表だぞ。ヴァニー、隣に来てくれ」
「はい」
広場内が再び静かになり、こんどはどんな発表だろうと期待の雰囲気が広がっているようだ。なんとなく予想している人たちも、いるのかも知れない。
「あー、そのだな」
「父さん」
案の定というか言いよどんでいる父さんの脇腹を、姉さんが突っついた。
「ここにいるヴァニーの婚約が決まった」
一瞬の静寂。そして大歓声が沸き起こった。
広場の皆さんから様々な声が飛ぶが、歓声が大きく重なって何を言っているのかが良く分からないぐらいだ。
父さんがゆっくり片手を挙げて、その大歓声を静める。
「お相手は、キースリング辺境伯家のご長男である、ヴィクティム・キースリング殿だ。このたび、正式に両家の間で話がまとまり、婚約ということになった」
「おおーっ」「きゃーっ」という声が再び上がる。
「結婚式の日取りはまだ決まっていないが、その、なんだ、遠からずヴァニーは嫁に行き、このグリフィニアを離れることになる。だから、つまり」
おい父さん、ちょっと涙声ですよ。泣き出すんじゃないですよ。
「だから、つまり、残されたグリフィニアでの暮らしが一層良いものとなり、辺境伯家に嫁いでからは、ヴァニーがこれまで以上に幸せになれるように、みんな、祝福してやってほしい。発表は、以上だ」
父さんはそう言うと、大きな拍手が続くなか踵を返して下がろうとするので、アン母さんから押し戻された。
「あ、申し訳ない。それでは、冬至祭を始めるぞ。みんな、思いっきり楽しんでくれ」
「もう、あなたったら、ひやひやさせないでね」
「おう、すまん」
酷く疲れた顔の父さんは子爵家のテントの中で椅子に座って、外の焚き火を眺めながらぼーっとしている。
母さんはその父さんの前にしゃがんで、口では小言を言いながらも落ち着かせるように手を握ってあげていた。
「あなたたち、先に行って来なさい」と、母さんが振り返って俺たちに祭の屋台を廻って来るように言う。
「うん、わかったわ。アビー、ザック、エステルちゃん、クロウちゃん、行きましょうか」
「そうね、姉さん。でも、ザックとエステルちゃんとは離れてないと、ほら足止めされちゃうから。先に行きましょ」
「ええ、毎回のことだしね」
ああ、恒例の冒険者たちの挨拶だね。あっちでもう待ち構えているのが見えますよ。カァ。
姉さんたちのことも、こうして領都民の皆さんへの発表を無事に終えた。
あとは、夕方からの屋敷でのパーティーもありますからね。頑張れ、父さん。
それにしてもこれでようやく、今年も終わりだ。
なんだか、いろいろあったよな。特に夏から秋にかけては大変だった気がする。
来年は果たして何が待っているのだろうか。王都での生活も、いよいよ後半の始まりだしね。
ヴァニー姉さんとアビー姉ちゃんは新しい生活に進んで行くけど、俺もあらためて気を引き締めて頑張らないとだな。
「ザックさま、ザックさま、さあ行きますよ。フォルくんとユディちゃんとシモーネちゃんが待ってますから。さっさと冒険者さんたちのご挨拶をいただいて、美味しいもの食べに行きますよ」
シモーネちゃんは初めての冬至祭だよね。待たせていると悪いよな。それじゃ、行きましょうか。
俺は引っ張られたエステルちゃんの手を握り返して、ゆっくり歩き出すのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今回で第十三章は終わりです。次話からは第十四章となります。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。
 




