第523話 フィランダー先生の思い
そろそろパーティーもお開きという頃合いになった。
俺とアビー姉ちゃんは再びステージに上がる。
「えー、みなさんお楽しみのところすみません。このパーティーも、そろそろというお時間になりました。それで最後に、そーだなー、フィランダー先生がいいか。フィランダー先生に締めていただきましょう。先生、こちらに来てステージに上がってください」
「あ、俺か?」と、ジェルさんと何やら話していたフィランダー先生が促されて、どすどす歩いてやって来た。
相当な量のワインを飲んでいたみたいだが、さすがに足取りはしっかりしてる、かな。
「この4年間で、姉ちゃんがいちばんお世話になった先生と言えば、やっぱりフィランダー先生でしょ。先生、はなむけの言葉を姉ちゃんにいただけませんか」
「お、おう、そうだな」
雰囲気はしっかりしてそうだが、顔が真っ赤になって赤鬼みたいで大丈夫かな。
まあ、基本的に脳筋の人は酒が強いから、ワインの1本や2本ぐらいなら大丈夫だろう。
会場の皆も談笑をやめて、こちらに注目している。
「その、なんだ、アビー様よ。卒業おめでとうは、もう何回も言ったからな。おめでとうも言い過ぎると軽くなり過ぎるし、もう聞き飽きただろう」
フィランダー先生は姉ちゃんの方と会場内とを交互に見ながら、そう話し始めた。
「だから、卒業式で話したことの続きを、少し話させてくれ」
そして先生は、少し考えるように間を開ける。
卒業式で話した続きというと、剣術学特待生の話だよな。
「子爵家の方々はご存じないかも知れないのでもういちど話すと、4年前にアビー様が学院に入学した時に、剣術学特待生をという話があった。いやなに、言い出したのは俺なんだけどな」
ワインがたくさん体内に入っているせいか、それとも単に照れ隠しか、口調がいつも以上に砕けて来ている。
「それで学院長はじめ、教授方の了解を貰って、アビー様を特待生候補として試験を受けさせることになったんだ。しかし、それを彼女に告げると、こいつは辞退しやがった。学院で何十年振りってぐらいの剣術学特待生だ。魔法学だって近年だと、ここにいるふたりの母上であるアナスタシア様ぐらいのもので、その前となると遥かに昔のことなんだ。そんな栄誉ある特待生になれるかも知れんのにだ」
会場内はしーんと静かになり、皆がフィランダー先生の話に耳を傾けている。
「それで、その辞退の理由というのが、自分はとても特待生の器じゃない、なぜなら自分よりずっと強い弟が、あと2年したら学院に入って来るからだって言うんだよ。その弟っていうのが、そこで澄ました顔で立っているザックだけどな」
いや、別に澄ました顔で立ってなんかいませんから。
「まあよ。ザックが入って来てそれは納得したがな。こいつは特待生どころか、教授なんかよりも遥かに高いところにいるのは、俺たちも認めている。それは、この場にいる誰もがそう思っているだろう」
そこでフィランダー先生はひと息ついた。
「話を戻すと、でもその当時はザックのことは知らねえからよ、こいつ何言ってんだ、凄く謙虚なのか、それとも自分によっぽど自信がないのかって、教授たちはそう思ったんだな。だってよ、当時だと僅か10歳のガキより自分は劣るって、そう思っているってことだろ。それで、特待生試験の話は立ち消えになった。まあ普通なら、それが事実だなんて思わねえわな」
「だけど、いまだから言うが、俺は諦めきれなかったんだ。それなら剣術学部長の俺が、4年間で特待生に相応しいぐらいに鍛えてやろうってよ、そのときはそう考えたんだ。だって、それだけの天稟をこいつは持っているって、俺は確信していたから」
そうなんだね。これも初めて聞く話だ。というか、誰にも話してはいなかったんだろうな。
「つまりその、なんだ。口に出すと恥ずかしいんだが、俺がアビー様の師匠になって、自分への自信を持たせてやろうぐらいの気持ちだったんだ。それで、こいつが新しい課外部を立ち上げるときも応援したし、既に総合剣術部の顧問だっが、そっちの顧問も兼任してなった。講義でもゼミでも、課外部の練習でも、出来る限り鍛えようってよ。でも、そんな俺の考えを超えて、アビー様は自分で自分を厳しく鍛えて、どんどん強くなって行きやがった。特に、そこのザックが学院に入って来てからのこの2年間には、目を見張るものがある。そこで俺は気がついたんだが、彼女は自分に自信が無かった訳じゃねえんだな。そこを、俺を含めて教授たちは勘違いしていた。遥かに高みにいる者を、知っているかどうかだったんだ」
あ、やっぱりこの先生、酔ってるよな。こんなに長く話すところを見るなんて初めてだし。それに、ずいぶんと気持ちが入っている。
「だから、アビー様の師匠だとこの4年間、勝手に思っていた俺が、弟子を自分の側から手放す証しとして、あの剣術学特待生の認定を申請したってことだ。まあ、俺からの卒業証書だと思ってくれ。なんだかつまんねえ話を長々としちまったな。はなむけの言葉になったかどうかわからねえが、俺はこの王都からずっと、アビー様のこれからの成長と活躍を見守らせて貰う。おまえなら、どんな立場になっても自分をそれに相応しいところに、自分で引っ張り上げることができる。まあなんだ、自分を信じて進んで行ってくれ」
フィランダー先生は話し終えると、姉ちゃんに向かって頭を下げ、そして会場の皆にも頭を下げてステージを降りようとした。少々、足元が覚束ない。
だが、「待って、先生」という姉ちゃんの声に足を止める。
「フィランダー先生、いえ、フィランダー師匠、ありがとう。先生はこの王都でのわたしの師匠よ。あまり良い弟子じゃなかったけど、わたしはこんな立派な師匠の弟子であることを誇りに、恥ずかしく無いよう、これからの人生を歩いて行く。この4年間、ありがとうございました」
「アビー……」
赤鬼のような図体のデカい先生が、ぼろぼろと涙を流して立ち尽くしていた。
直ぐにディルク先生とフィロメナ先生が来て、フィランダー先生を支えながら彼がいたテーブルの方へと連れて行ってくれる。
そしてその彼を温かい拍手が包む。
「姉ちゃん、なんだか良かったな」
「うん」
ニッコリと微笑んでそう返事をするアビー姉ちゃんの目にも、涙が光っていた。
パーティーはお開きとなり、玄関ホールに姉ちゃんをはじめうちの屋敷の皆が並んで、お客様たちをお見送りする。
屋敷の男性陣は直ぐに正門の方に走って、到着していた迎えの馬車を玄関前の馬車寄せに誘導するなどを始めた。
どうやら女の子たちは、来たときと同じくセリュジエ伯爵家とグスマン伯爵家の馬車に分乗して送り届けて貰うようだ。
ジュディス先生とフィロメナ先生もそれに便乗するんですね。
男子諸君も気をつけて帰ってください。
それから、かなり酔っているフィランダー先生とウィルフレッド先生は、クリスティアン先生たちに付き添いに付いて貰って、うちの馬車を出すことにした。
ティモさん、頼むね。
ラウンジには、オイリ学院長とイラリ先生のエルフふたりが残って座っていた。
お客様全員を見送り終えて、姉ちゃんとエステルちゃんとでそのラウンジ行ってソファに座る。
シルフェ様とクロウちゃんを抱いたシフォニナさん、アルさんの人外のお三方もやって来た。
シモーネちゃんが紅茶を淹れて持って来てくれ、ぺこりと頭を下げて直ぐに大広間の方にぱたぱた走って行く。
屋敷の者たちは、既に大広間の片付けに取り掛かっているみたいだね。
「学院長、イラリ先生、今日はありがとうございました」
「お礼を言うのはこちらです。本当に楽しくて、素晴らしいパーティーだったわ」
「貴族のお屋敷で、こんなに和やかでざっくばらんな雰囲気のパーティーは初めてですよ」
長い年月を生きて王都暮らしも長いふたりなら、貴族が主催するパーティーには何回も出たことがあるんだろうな。
「本当に良かったわね、アビーちゃん」
「ええ、わたしもとても楽しかったです。最後のフィランダー先生のお話には、ちょっと驚いちゃったけど」
「あの人も、こと剣術に関しては強い思いがあるし、特にアビーちゃんのことは自分で話した通りだったと思うわ。尤も、酔いが冷めたら、思い出してまた顔を赤くするかもだけどね」
そんなつい先ほど終わったパーティーでの様子などを少し話して、さておふたりに残って貰った本題ですな。
この場でエルフの噂話の件を知らないのは姉ちゃんだけだが、姉ちゃんにもなるべく知っていてほしいと思って同席して貰っている。
「先日にザックさんにお話いただいた、エルフの母なる地から伝わって来た噂話という件ですけど、あらためてわたしたちにも聞かせていただけるかしら。ドリュアさんの地元のことですから、わたしも同じ精霊として看過出来ませんしね」
「はい、仰せのままに」
「畏まらなくてもいいのよ。普通にお話ししてくださる?」
「はい」
ドリュアさんというのは樹木の精霊様のことね、と姉ちゃんには小声で教えておく。
「わたしたちも多くは知らないんです」
「なにしろ、エルフの母なる地は、遠く離れていますので」
先日のアルさんの言うところによると、アルさんやクロウちゃんが全速力で8時間以上は飛び続けないと着かないほどの距離があるそうだ。
それを聞いて、およそ5,000キロはここから離れているのではないかと俺は考えている。
「ザックさんにお話してから、イラリ叔父さんともあらためて知っている話を突き合わせてみたんです。それと、この話を伝えてくれたエルフの知り合いが、まだ王都に滞在しているそうで、叔父さんは会って来てくれたのよね」
「ええ、そのエルフは商人をやっておりまして、さすがに母なる地までは旅をしませんが、エルフの商人の間で伝わって来る話を届けてくれる男なのですよ。その彼も詳細は知らないと言っていましたが、こんな話でした」
イラリ先生が追加の情報として話してくれたのは、エルフの母なる地を襲ったのが巨大な牛の魔物を頭とする一団だったらしいということだ。
牛の魔物ですか。それって。
「ああ、アステリオスじゃな」
「雷光を操る魔物ね」
「たしか、モレクとかの別名でも呼ばれてましたね」
それを聞いて、人外のお三方がそんな名前を出した
牛の魔物と言えばミノタウロスじゃないの? クロウちゃん。
「カァカァ、カァ」
「へぇー、ミノタウロスの本名はアステリオスなのか。雷光を操る魔物ねえ」
「なにをコソコソふたりで話してるんですか?」
いえ、なんでもないです、エステルちゃん。
「アステリオスだとすると、かなり高位の魔物じゃな」
「モレクは、妖魔族が崇拝している魔物とかではなかったですか? おひいさま」
「そうだったかしら。でも、かなり強いのは確かよね。それで、たくさんの魔獣を率いていたって聞いたけど」
「はい。それが、魔獣と言いますか、牛の頭とゴブリンみたいな身体を持ったものだったらしいのです」
「それって」
「それは、ゴズじゃな。アステリオスの眷属というか配下じゃ。強くはないが、数が多いと厄介なやつらですの」
牛の頭とゴブリンみたいな身体でゴズね。ゴズ? なんだか聞いたことがあるような名前なんだけど、クロウちゃん。
「カァ、カァ」
「それって牛頭馬頭の牛頭のことじゃないかって? あれって仏教でいう地獄の獄卒とかじゃなかったっけ?」
「カァカァ」
「身体がゴブリンみたいっていうのも、初めて聞いたよな」
「だから、ザックさまとクロウちゃんは、なにをさっきからコソコソ話してるですか」
いや、ちょっと、僕らの出身地のローカル話題みたいなものでして。
それにしても、巨大な牛の魔物にその眷属どもか。アステリオスというのは高位の魔物だとアルさんは言うけど、どんな魔物なんだろうね。
それから、シフォニナさんがとても気になることを言っていた。
これは詳しく聞かないとですなぁ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




