第491話 部隊出発
翌早朝、準備を終え早めの朝食をいただいた俺たちは、ナイアの森へと向かった。
馬車は今回、うちの1台だけにした。
森の外までことが及ぶ可能性は極めて少ないと思うが、機動性を重視して俺も騎馬で行く。
昨晩にそう決めたのだが、アビー姉ちゃんとエステルちゃんも、それじゃわたしもと騎乗を主張したので了承したのだ。
なので馬車は、シルフェ様とシフォニナさんに、ウォルターさんとクレイグさんという、精霊様と子爵家重鎮のおじさんプラス、シフォニナさんに抱かれたクロウちゃんという変わった取り合わせになった。
イェルゲンくんが御者役を務めてくれている。
騎馬は12頭とそれなりの数だ。
グリフィニアから騎士団の馬車を引いて来た馬2頭だけを残し、現在王都屋敷にいるすべての馬が出動する。
ちなみにグリフィン子爵家では、父さんがグリフィニアの外に出る場合は18名の騎士小隊の半数、9名の分隊で護衛に付くことが多い。
その場合、従士のひとりは馬車の御者をするので、騎乗が8名になる。
だからその数よりも、護衛部隊としては多い。
俺とエステルちゃんが外出する場合では、レイヴンが護衛なので騎馬は4頭が通常形態だ。
王都では、子爵家の動向を常時レポートしている筋が無いとも限らないので、俺は隊をふたつに分け、ミルカさんにブルーノさんとティモさん、そしてアルポさんとエルノさんの5名をまずは先行させて屋敷を出した。
そして暫し間を空けて、俺たちも出発する。
ジェルさんとメルヴィンさんが先導し、オネルさんとライナさんが最後尾。俺とアビー姉ちゃん、エステルちゃんが馬車を囲んで間に入る。
屋敷の皆で遠乗りに出掛けるといった体だね。
俺が騎乗する黒影も、久し振りの屋敷の外で上機嫌だ。
若い馬だから、うちに来てからも馬体が少し大きく逞しくなっていて、全身真っ黒の毛並みが朝日に光っている。
姉ちゃんの乗る栗影とエステルちゃんの青影も、とても元気そうで同じく馬体が成長した。
特に青影は、もともと黒っぽい毛並みに青味が光って見える馬なのだが、最近はますます青色が強くなって来ている。
何か風の精霊的な影響とかがあるのだろうか。
王都の外リンクの城壁にあるフォルス大門までは、いつも通りゆっくりと進んだが、門を出て暫くするとジェルさんが隊列の速度をかなり速めた。
朝が早く、南に向かう街道は往来する馬車や荷車、人や馬もほとんどいない。
もう幾度となく通ったこの道を、俺たちの部隊は快走する。
途中、いつもの場所で小休止を挟み、ナイアの森の隠し外周路に入って進み、あっという間に森の中に入ると地下トンネルの入口に通じる導入路へと到着した。
トンネルの入口の大扉前では、アルポさんとエルノさんが待っていてくれた。
俺たちがトンネル内に入ったら、内側の閂を降ろし外側からは鍵を掛けるためだ。
アルポさんが扉の外に残り、内側ではエルノさんにイェルゲンくんも手伝って閂を降ろした。
そしてエルノさんは、イェルゲンくんに続いて身軽に馬車の御者台に上がる。
アルポさんは地上を走って、かつての砦跡地の隠し入口から地下拠点に戻る筈だ。
本当にこの100歳越えの爺さんたちは、動きが軽いよな。ファータだからだけど。
馬車と馬たちを地下の馬車庫と厩舎に収納し終え、俺たちは前室区画を通って作戦区画内の作戦司令室へと向かった。
司令室には王都周辺の地図とナイアの森の地図があるのだが、そのナイアの森の大きな地図が既に作戦テーブルに拡げられていた。
これは、水の精霊の妖精の森再建から始まったブルーノさんとティモさん、それからクロウちゃんによる地図作りの成果だ。
王都周辺の地図は、ごく簡易であまり正確ではないものが、王都でも商人向けに高価で市販されている。
それよりはだいぶましなものが学院の図書館にあり、おそらくはもっと詳細な地図が王宮にはあるのだろうが、地図は戦略的かつ政治的に秘匿物だ。
俺は以前にクロウちゃんと学院にある地図を検証してみたが、王都や周辺の村、街道などのポイントの位置関係はだいたい合ってはいるものの、厳密には縮尺やポイント間の距離などがかなり不正確だった。
ナイアの森とナイア湖も記載されていたが、ただ大きな森に囲まれた湖があるのみだ。
なので、ブルーノさんたちはナイアの森の詳細地図作りと同時に、王都周辺の地図作りにも取組んでいる訳だ。
なにせ、上空から観測出来るクロウちゃんがいるからね。
そして、ナイアの森の地図の方は、この夏終盤から秋口にかけての地下拠点建設に合わせて、かなり正確なものが出来て来たということになる。
大きな紙に拡大されて記された、そのナイアの森の地図が拡げられた作戦テーブルを皆で囲む。
「この地図は、なんとも」
「こんなに詳細な森の地図を、見たことがありません」
「ああ、先日の検分の時には見せなかったっけ。これはブルーノさんとティモさん、それからクロウちゃんの労作だよ」
じつは地下拠点建設の時に、ミルカさんも森を探索してかなり手伝っていたのだが、ウォルターさんには報告していなかったのだろう、知らんぷりをしている。
なにせこの地図には、ニュムペ様の妖精の森の正確な位置と迷い霧の範囲が示されているのだ。俺の許可が無ければ誰にも見せることは出来ない。
「まずは位置関係を説明しておきましょう。ここが先ほど僕らが森に入った位置で、ここから導入路、そしてトンネルの入口。トンネルはここまで一直線に伸びて、ここが地下拠点の場所です」
まだ森の全体像を把握していない人たちに、俺はレクチャーを始めた。
地下拠点は、ナイア湖の真北よりもやや西に傾いた方向に位置している。
方位磁石や羅針盤は、前世にいた世界でもかなり古くから使われていたが、もちろんこの世界にもある。
陸上では一般的に使う者は少ないが、船の航海では必需品だからね。
この地下拠点の備品を揃えるにあたっては、エステルちゃんが航海に用いる大型の羅針盤と手持ちの方位磁針を複数個購入しておいてくれた。元探索者ならではの配慮だよね。
大型の物はこの作戦司令室にあり、小型の方位磁針はレイヴンの5名が皆、ひとつずつ所持している。
「そしてこれがナイア湖。ナイア湖にはこの東部分に川が流れ込み、そして西側のここから森の外へと川が流れています。そして、東側の川の上流のここに、ニュムペ様の妖精の森の本拠地があります。あそこはナイアの森の水源地ですからね」
「その本拠地を大きく囲っているこの丸い輪は、なんですかな? とても大きく描かれているが」
「ああ、良いところに気づきましたね、クレイグさん。これが迷い霧の輪ですよ。迷い霧の幅は、だいたい3,000ポードあります。そして、その厚さの輪が囲む円形の広さは、直径がおよそ1万3千ポードほどあります。この迷い霧が囲んでいる内側が、つまり水の精霊の妖精の森ということになります」
3,000ポードは約900メートル。1万3千ポードは4キロメートル弱だ。従って妖精の森の面積は12,000ヘクタールにも及ぶ。
「だいたいは聞いておりましたが、その迷い霧の輪をザカリー様たちが造られたのですね」
「ええ、ウォルターさん。シルフェ様からいただいた霧の石のお陰です」
「ニュムペさんへの、わたしからのプレゼントよ。ここは人間の住む場所に近いですから、余計な者が入り込まないようにね」
「説明を続けますね。この地下拠点から迷い霧の縁までは、直線距離でだいたい6,500ポード。そしてそこからニュムペ様の本拠地までも、6,500ポードということですね。そこまでは獣道よりもか細い道がありますが、ほとんど道とは見分けがつきません。その道を辿って普通に歩くと、迷い霧までは森の中ですから1時間少々ですかね」
「これから、その道を行くという訳ですな」
「はい。だいたい、いま言った半分ぐらいの時間で行きましょうかね」
つまり、ジョギング程度の速度で森の中を走るということですね。まあそのぐらいなら大丈夫ですよね。俺やエステルちゃんなら、15分もかからず走って行けるけど。
「そしてここが、ユニコーンの一族の棲み処です」
妖精の森を囲む迷い霧の東の縁からおよそ7キロメートル東の地点に、アッタロスさんたちのユニコーンの拠点がある。
ここまでは、俺とブルーノさん、ティモさんとクロウちゃんしか行ったことがない。
そしておそらくこの拠点は現在、テウメーどもに占拠されている筈だ。
そのテウメーの本拠地の場所は掴んでいないが、ナイアの森はユニコーンの拠点から北、東、南の各方向に、更におよそ10キロメートルほど広がっているので、そのどこかにあるのだろう。
「つまり、この迷い霧の縁が水の精霊様の防衛線ということですな。そしてここまではまだ、テウメーどもも来てはいないと」
「おそらくは。ただ、斥候は来ている可能性があります」
「皆さんはあまりご存じないと思うけど、精霊の中でも水の精霊は、あまり戦闘力がないのよ。性質も穏やかですしね。テウメーぐらいの上位の賢い魔物だと、そのことは知っているわ。だから、迷い霧を越えて妖精の森に侵入する可能性が、まったく無いとは言えないのよね」
風の精霊だと自在に風を操り、通常よりも遥かに威力の大きな風魔法はもちろん、シルフェ様なら気象操作を用いた強大な攻撃魔法を使うことが出来る。
その最大のものは、大竜巻や大嵐だ。
一方でニュムペ様たち水の精霊は、天地を循環する清浄な水を維持することがお役目なので、水の浄化や回復系の魔法を得意としていて、攻撃系のどのような魔法を使えるのかは俺も良く知らない。
おそらくは、四元素魔法の水魔法は使えるのだと思うけどね。
だが、シルフェ様の言う通り性質も極めて穏やかなので、戦闘力があまりないというのはそうなのだろう。
ナイアの森についてのブリーフィングを終え、あらためて装備を整えたあと、いよいよ妖精の森を目指して部隊は出発する。
クレイグ騎士団長は、どこに行く時も愛用の大型の両手剣、グレートソードを持参しているそうで、今回も何故か王都に持って来ている。
本人は「常在戦場ですからな、はっはっは」と言っておりましたが。
ウォルターさんは、王都分隊から借出した通常サイズの騎士団仕様の両手剣。
メルヴィンさんとイェルゲンくんも愛用の両手剣だが、イェルゲンくんはそのほかに大きめの戦斧も装備している。
そちらの方が彼自身は使い勝手が良く、好きなのだと言っていた。
ミルカさんは、ファータの探索者が良く用いているショートソードを2本。おそらくは投擲用のダガーも装備しているのだろう。
アルポさんとエルノさんの腰には、いつものファータの腰鉈がある。それ以外にも、やはりダガーなどの武器を持っているみたいだけどね。
エステルちゃんや姉ちゃんとレイヴンの皆は、いまは通常時に装備しているそれぞれの武器だ。
古代魔導具の武器はまだ、3つのマジックバッグに分散して収納している。
ライナさんの重力可変の手袋は、彼女自身が持っているけどね。
エステルちゃんの白銀と黒銀の双子のショートソードは、俺の無限インベントリに収納してある。
そして、ヨムヘル様からアルさんを経由していただいた俺の叢星、むらほしの刀も、他の愛刀たちとともに無限インベントリの中にある。
なので、俺は無腰だ。
この世界で子ども時代に父さんから貰ったダマスカス鋼の片手剣は、おそらく今回は使わないので特に装備をしていない。
「ザカリー様は、武器はお持ちにならないので? いや、これは聞かない方が良いのですな」
「まあ、そうして」
クレイグさんがそんな俺の姿に気づいてそう言って来たが、それ以上深くは聞かずに口を閉ざした。
階段を昇って地上へ出ると、まずはクロウちゃんが空に飛び立つ。先行してニュムペ様のもとへ、俺たちが行くことを報せるためだ。
そして部隊は、まずはゆっくりとした駆け足で進む。
暫くはブルーノさんとティモさんが先導して引っ張り、森の中を少し進んでから「では、散開して少し前に出やす」とブルーノさんが言い、ティモさん、ミルカさんと三方に広がって前に出て行った。
先導は俺に代わる。その後ろを部隊が従い、エステルちゃんとライナさんが最後尾に付いていてくれる。
「わたしたちも先行していいかしら」と、シルフェ様とシフォニナさんは風になって飛び去って行った。
初めてその姿を見る人たちは驚いているが、驚くことなんてこれから山ほどありますよ。
俺はほんの気持ち程度に速度を上げながら、後ろの様子を伺う。
メルヴィンさんとイェルゲンくんは、アラストル大森林も活動範囲のうちの騎士団員だから、当然に大丈夫だよね。
ウォルターさんとクレイグさんはどうかな。
昨晩の話通り、アルポさんとエルノさんがちゃんと側に付いてくれていて、何か話しながら走っていた。
まあ、あのふたりに背負われるようなことはなさそうだ。
それを確認すると、俺はもう少し速度を速めたのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




