第489話 ナイアの森からの急報
事件の報せは突然やって来る。起こす方は突然ではなく、起こされた方、報せを聞いた方は突然のことに驚くのが事件というものだ。
学院に戻って、秋学期の日常的な学院生活を送っていると、その日の早朝、朝弁当を毎日届けてくれるクロウちゃんが窓を開けろと叩く音に起こされた。
「えー、どうしたー。今朝はずいぶん早いんじゃないか」
「カァカァ、カァカァ」
ベッドから出て窓を開けると、勢い良く部屋の中に飛び込んで来たクロウちゃんが喋り出す。
何かが起こったことが伝わって来るが、早口なのと俺の頭がまだ廻っていないので直ぐには理解出来ない。
「え? ナイアの森でどうしたって? 寝起きだからゆっくり話してよ」
「カァ。カァカァ」
「なになに。昨晩、ニュムペ様からシルフェ様に緊急の連絡が来たんだね。ナイアの森で何かが起こったのか」
「カァ、カァカァカァ」
「えっ。ユニコーンたちが急襲を受けた? テウメーどもか。それで、アルケタスくんがニュムペ様のところに駆け込んで来たんだね。彼も大怪我をしているのか」
今年の夏前に、俺はユニコーンの棲み処に案内されて、そこでアルケタスくんの父上である一族の頭のアッタロスさんから、キツネの魔物であるテウメーとの争いへの助力をお願いされた。
その時は直ぐにどうこうということではなかったし、夏休みに入る前だったので、その件は夏の終わりにまたということにした。
その後、夏休み中のファータの里行き、王都に戻ってからは地下拠点建設工事に夏休み合同合宿、そして学院祭といろいろなことがあったので、まったく手が廻らなかった。
地下拠点工事がひと段落して、ニュムペ様たちと一緒にアッタロスさんとアルケタスくんが見学に来た時も特に何も言っていなかったので、正直言って放置状態にしていた。
そうしたら、突然の急襲を受けたという報せだ。これは俺も責任を感じてしまう。
クロウちゃんはエステルちゃんからのお手紙も持って来ていたので、それを読む。
内容はクロウちゃんからいま聞いた話と同じだが、昨晩に届いた報せでもあるし、王都屋敷にはまだ引き続きクレイグ騎士団長とウォルターさんたちが滞在しているので、今朝早朝の時点ではまだジェルさんたちには話していないこと。
ただこれは、あとでこっそり話したいと思っているとある。
それから、俺が学院に戻った日にアルさんがアビー姉ちゃんへの贈り物を探すと言って、自分の棲み処の洞穴にいったん帰ってしまったこともあり、シルフェ様と相談した結果、俺が屋敷に戻るまでは先走って動かないようにすることなどが書かれていた。
なるほど。俺が王都屋敷に帰るのは明日の夕方だ。
うちの最大戦力、というか特大戦力であるアルさんが不在の時での行動を、まずは控えたのは賢明な判断だと思う。
しかし、アルさんがここを離れた途端にこんな事件が起きるとか、もしかしたらテウメーどもは上位ドラゴンの存在を察知していて、この間は大人しくしていたのかな。
この夏は地下拠点施設の建設工事で、アルさんはずっとナイアの森にいたしね。
そのアルさんの不在を察知してユニコーンを急襲したというのは、考え過ぎだろうか。
「わかった。ともかくも明日はなるべく早く帰るよ。それまでは行動しないように。あと続報とかがあったら直ぐに報せてね」
「カァ」
俺はその日のうちにアビー姉ちゃんを探して、このことを話した。
これまでの経緯からしても姉ちゃんに黙っておく訳にはいかないし、というかこういうことは、姉ちゃんにはなるべく話しておきたいしね。
「わかったわ。あんた、明日は4時限目の講義はないんでしょ。3時限目が終わったら屋敷に戻る?」
「うん、そうするつもり」
「だったらわたしも、それに合わせてなるべく早く屋敷に帰るわ」
「了解」
2日休日前の最終日は4時限目の講義を入れていないから、通常は図書館で読書をするとかして過ごし、そのあと総合武術部の練習をしてその日のうちに屋敷に帰る。
だが明日は、部活は休んで3時限目終わりで帰るつもりだ。
ちょっと子爵家の急な用件が出来たのでと、部員たちにも伝えた。
翌日、急ぎ王都屋敷に戻る。エステルちゃんがひとり玄関口で待っていた。
「あ、ザックさま、お帰りなさい」
「うん、ただいま。アビー姉ちゃんもおっかけ帰って来ると思うよ」
「わかりました。シルフェお姉ちゃんとシフォニナさんはラウンジにいます」
「ウォルターさんたちは?」
「いまは皆さん、騎士団分隊本部の方にいらっしゃいます」
「そうか。ジェルさんたちには言ったの?」
「はい。ユニコーンがテウメーに襲われたと報せがあったとだけ、ジェルさんにこっそり。ザックさまが戻られるまでは、騒がないようにと言ってあります」
「わかった。ともかくシルフェ様たちと話そう」
「はい」
シルフェ様とシフォニナさんも俺が帰ったのが分かっていて、ラウンジで待っていた。
うちの少年少女たちは、俺がいつもよりかなり早く帰って来たので少し驚いていたが、それでも騒いだりすることなく紅茶を淹れて持って来てくれる。
「(どんな事態になってるんですか?)」
俺は念のため、念話でシルフェ様に聞くことにした。
「(お帰りなさい、ザックさん。ええ、一昨日夜のニュムペさんからの報せでは、テウメーに急襲を受けたと報せに、大怪我をしているアルケタスさんが駆け込んで来たことしかわからなかったの。なので昨日、クロウちゃんと一緒にわたしとシフォニナさんで、ニュムペさんのところに行って、話を聞いて来たわ)」
「(クロウちゃんは、今日も偵察に行ってます。もう直ぐ戻って来ると思うけど)」と、エステルちゃんが付け加えた。
「(それで、ニュムペさんの妖精の森に行ってみると、アルケタスさんは結構な重体だったみたいね。怪我はニュムペさんたちが治したのだけど、まだ眠ったままの状態で。だからニュムペさんも、詳しい話がまだ彼から聞けていなかったのよ)」
「(おひいさまとわたしとで、あらためて回復の魔法を施しまして、ようやく話が出来るようになりました)」
とにかくニュムペ様に報せをと、アルケタスくんはナイアの森の東にあるユニコーンの棲み処から重傷の状態で走って来て、一報を伝えたあとに昏睡してしまったようだ。
よっぽどの攻撃を受けたのだろうな。アッタロスさんや他のユニコーンたちは大丈夫だろうか。
「(それで、どんな状況か彼から聞いたの。最近は森の東も平穏で、ユニコーンたちも気が緩んでいたみたいなのね。そうしたら突然、テウメーとキツネの魔獣が大軍で一気に襲って来て、ユニコーンたちは防戦するのが精一杯で、結果的には棲み処を奪われて散り散りに逃げたそうなのよ。アルケタスさんは、お父さんからニュムペさんのところに報せに走れと命じられて、妖精の森を目指そうとしたら、途中で攻撃を受けて大怪我をして、それでもなんとか辿り着いたってことね)」
キツネの魔獣の大軍か。以前にアルケタスさんは、テウメーが数頭のキツネの魔獣を率いていると言っていたけど、大軍というニュアンスではなかったよな。
魔獣の数が増えたのだろうか。
「(なるほど。急襲を受けた理由を、ユニコーンたちは分かっていましたか? どうしてこのタイミングとか)」
「(それについては、彼らは良く分かっていないようだったわ。それで、わたしも気になって、ニュムペさんとその点を話したのよ。これはあくまで推測ですけど、たぶんこの夏の終わりから、わたしたちがナイアの森にいたでしょ。特にザックさんとアルが。それで夏が終わって、地下のあの施設も出来て、行く頻度が減ったじゃない。それに関係してるんじゃないかって。ニュムペさんも同じ意見ね)」
やっぱりシルフェ様たちも同じ意見だったんだな。
でもさ、アルさんは分かるけど俺もですか。その点では、うちの人間が常駐したり、入れ替わり立ち替わり行っていたからね。
つい先日にアルさんがこの地を離れたタイミングを狙ってというのは、ちょっと穿ち過ぎかな。
「(つまり、僕たちがナイアの森にいるのを、テウメーたちは察知していたということですか? そして、最近はあまり行かなくなったってことも)」
「(キツネの魔獣どもですからね。その辺のところは探知能力もあるだろうし、偵察とかもしてたのじゃないかしら)」
この前の休日に、ウォルターさんたちを連れて地下拠点施設の検分には行ったけど、ニュムペ様の水の妖精の森までは行かなかったしな。
ほとんど地下にいたということもあるのかな。
「(ともかく、明日はニュムペ様のところに僕も行きますよ。アッタロスさんから助力を頼まれていたのに、こんな事態になった責任も感じますし)」
「(ザックさんに責任なんてないわよ。たまたま向うが先手を打っただけ。ユニコーンたちが壊滅した訳ではなさそうだから、まだこれからよ)」
「(ザックさま。ウォルターさんたちはどうしますか? 黙っている訳にはいきませんよね。どうも、何となく異変を感じてるみたいですし)」
「(ああ、そうだろうな。僕が動けば、黙って見過ごさないだろうし、ジェルさんたちもウォルターさんやクレイグさんを無視する訳に行かないしね)」
ジェルさんたちは話を耳打ちされて平静を保ってはいるようだが、あの歴戦の強者のおじさんたちはそんなものは直ぐに見破るだろう。
こういった異変がもたらす緊張感には、とても敏感なんだよね。
「(これについては、話してしまおう。ミルカさんは知っているし、おそらくある程度はウォルターさんにも報告している筈だしね。どうでしょうか、シルフェ様)」
「(ええ、いいわ。あの人たちが、このタイミングでここにいらっしゃるのも、何かのお導きよ、きっと。明日はうちの総勢で、水の妖精の森に行きましょう)」
「(アルさんがいないのが残念ですけどね)」
「(うふふ。アルは本当にタイミングが悪いわよね)」
「(と言いますか、アル殿がいたら、この事態は起きていないと思いますよ、ザックさん)」
シフォニナさんの言う通り、やっぱりそうだよね。
でもこんな事態を起こして、ナイアの森の平和を脅かしたテウメーどもは何とかしないといけないな。
ユニコーンは水の精霊の眷属みたいなものだし、長年に渡って森を護って来た者たちだ。
それに、アルケタスくんに重傷を負わせたとか、俺は赦さないよ。
「(ザックさま、ザックさま、ちょっと怖いのが漏れ出てますよ。怒ってますよね。でもいまは抑えて)」
「(あなた、怒ったところなんか見たことありませんけど、怒ると怖いのですね)」
「(お屋敷が凍りそうですから、抑えていただけませんか)」
あ、ゴメンナサイ。ついカッとしそうになりました。
姉ちゃんも屋敷に帰って来た。
それで、ざっと彼女にも状況を話し、ウォルターさんたちにも話すことを伝えた。
姉ちゃんも俺やジェルさんたちが動くには、その方が良いという意見だ。彼女は未来の騎士団長だからね。
それで、騎士団分隊本部の方にいる全員を呼びに行って貰う。
あと、アルポさんとエルノさんも門の鍵を掛けて来て貰うようにした。
間もなく、いま王都屋敷にいる全員がラウンジに集合する。
クロウちゃんも偵察から戻って来ている。
エステルちゃんやジェルさんたちから何か聞いているのかミルカさんは平静だったが、メルヴィンさんやイェルゲンくんは何ごとが起きたのかと緊張している。
ウォルターさんとクレイグさんは、無言でじっと俺の方を見た。
「あー、みんな、集まって貰ってありがとう。ウォルターさん、クレイグさん、それからメルヴィンさんとイェルゲンくんも、事情が直ぐに理解出来ないかもだけど、暫くは黙って僕の話を聞いていてください。お願いします」
「了解ですぞ、ザカリー様」
「はい、まずは拝聴いたします」
おじさんふたりがそう答え、メルヴィンさんとイェルゲンくんも頷いた。
「ミルカさんは事情をほとんどご存知ですが、ナイアの森には真性の水の精霊様であるニュムペ様が今年に妖精の森を再建し、その再建のお手伝いを僕らがしました。それで、ニュムペ様がこの地に戻られて妖精の森が出来るまでは、ナイアの森は水の精霊がナイア湖におひとりと、それから奥地の東のエリアにはユニコーンの一族がいて、ナイアの森を長年に渡り護って来ました」
初めて聞く人には、神話や物語の世界のような荒唐無稽な話に聞こえるかもだけど、そういうものだと理解してくださいな。
「ユニコーンの一族は、あとからナイアの森にやって来たテウメーというキツネの魔物と、その眷属であるキツネの魔獣どもと長い間争っていて、じつは僕は、この夏の前にユニコーンの頭から助力をお願いされていたんです」
「なんと、それは」
「はい。もう少し聞いていてください」
クレイグさんが思わず声を出したが、もう少し黙って聞いていてください。
「ユニコーンは森の清浄な水を護る役割を持っていて、言わば水の精霊様の眷属にあたる存在です。ですので、彼らからの助力の願いを僕は受けました。それからこの夏は、特に大きな出来事もなく、僕らは地下拠点施設の建設を行っていた訳ですが、それが完成し、僕らがあまりナイアの森に行かなくなったこのタイミングで、テウメーが大軍でユニコーンの棲む拠点を急襲し、ユニコーンたちが負けて追われ、散り散りになったという急報が届きました」
ここでひと息入れて、俺は皆の顔を見渡す。
ジェルさんたちは俺が行動を決断したことを察しているようで、顔が紅潮している。
一方でグリフィニアから来ている人たちは、まだどう理解したらいいのか混乱しているようだ。
「これは、水の妖精の森の再建をお助けし、ユニコーンから助力を願われた僕たちにとっては由々しき事態です。ナイアの森は今年から、水の精霊様の本拠地。そしてユニコーンの一族は、水の精霊様にとって大切な眷属です。その平穏が脅かされた。僕はそれに対処するために、まずは自分自身で状況を把握すべく、明朝、妖精の森に向かいます」
「我らはどうすればいいですか? ザカリーさま」と、ジェルさんが発言した。
「王都における、グリフィン子爵家騎士団と調査探索部の指揮を任されている者として、僕はこの屋敷の全戦力を率いて行きます。これは僕の責任において、決定です」
俺はそう宣言して、ウォルター調査探索部長とクレイグ騎士団長の顔を見た。
ふたりの百戦錬磨のおじさんは、俺の視線を受けてぐっとこちらを見つめる。
どちらも厳しく強い眼力なのだが、それに反してふたりの口元はなんだか嬉しそうにニヤッとしているのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今回から第十三章です。魔物との戦いが待っている? それと、珍しくザックがちょっと怒ってるのかな。
それでは、引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




