第487話 準男爵位を継ぐ意味
アビー姉ちゃんにベネット準男爵を継がせたいというクレイグさんと、それを後押しするウォルターさん。
このふたりが、今年というタイミングでそのことを決めたいという理由は、次のようなものだった。
もちろん第一の理由は、姉ちゃんが今年いっぱいで王立学院を卒業すること。
何も無ければ来年から彼女は、再びグリフィニアで暮らすことになる。
しかしどのように暮らすのか。
ごく一般的な貴族の令嬢、それも次女という立場であれば、花嫁修業ということになるのかな。
まあこれは一般庶民的な言い方だが、貴族の娘の場合は、お茶会といった貴族同士の交友、セレモニーやパーティ、夜会などへの出席を通じて顔を売り、良い結婚相手を見つける。
あるいは、そのような話が来るのを待つ。
どれも、アビー姉ちゃんには似合わないことばかりだ。
彼女だったら、毎日騎士団に入り浸って剣術の訓練をし、時にはアラストル大森林の巡回探索とかに参加させろと言い、父さんや母さんに言われて、ごくたまにパーティや有力者との懇親の場に出るぐらいだろう。
それでも、王立学院を卒業すれば見合い話が来ないとも限らない。
いや、おそらくは確実にどこかの貴族から来る筈だ。
今年15歳の姉ちゃんは、その性格や志向はともかくとして、どうこう言って美人だ。
整った顔立ちにブロンドの長い髪、ほどよく上背があり、剣術訓練のおかげで体型は引き締まっている。
ドレスを着て、口を開かず静かに立ってさえいれば、お淑やかな令嬢に見える。
だがそれ以上に、学院でおそらくトップの剣術の実力を持ち、3年生でクラスを総合戦技大会の学院トーナメント優勝に導いた立役者として、学院外にも知名度が広がっている。
男女の区別無く隠れファンも多いと聞くしね。
クレイグさんとウォルターさんの考えは要するに、姉ちゃんにそういったお見合い話が来る前に、準男爵位の継承を決めてしまいたいということだ。
それからもうひとつの理由として、これは彼らもはっきりとは言わなかったが、ベネット準男爵を継がせる、つまりグリフィン子爵家騎士団の騎士団長を姉ちゃんに継がせるということ。
うちのグリフィン子爵家の場合、ふたつ持っている準男爵位の振分けは、ひとつは領内第2の規模の重要な港湾都市である港町アプサラを治める代官に対してのもの。
これは代々、ウォルターさんのオルティス家に受け継がれていて、現在はお兄さんのモーリスさんが準男爵だ。
そしてもうひとつは、騎士団長に対するものということになる。
ちなみにセルティア王国の場合、各領主貴族に所属する準男爵位の数は定められている。
王国から分離独立すれば別だが、王国に属している限りは領主貴族が勝手に数を増やすことは出来ない。
これは制度を私にするような領主貴族の勝手を許さない、という王家の権威を維持するためのものだが、同時に領主貴族の権力基盤や実力を強化させないためのものだ。
準男爵位に任じられれば、最下位とはいえ貴族としての権威から武力や財力を強くしやすくなり、こうした寄子を増やすことによって、寄親としての領主貴族の実力が必然的に強化されることになる。
まあ、領主貴族が親会社かホールディングカンパニーだとすると、所属する子会社の数や力を強化することで、グループ会社全体を発展させるといったようなことですな。
なのでそこに制限を課している訳だ。
話を戻すと、アビー姉ちゃんがベネット準男爵になれば、グリフィン子爵家の地位割当ての考え方としては、それは同時に騎士団長になるということだ。
姉ちゃんの剣術の資質といまの実力からすれば、個人の闘う力としては申し分ない。
あとは組織の長としての統制能力や、騎士団を運用する能力、戦略戦術力などが必要となるが、現在でもうちの騎士団にはそれを支える良い人材がたくさんいる。
クレイグさんとしてはまずは爵位継承を決めてしまい、そのあと学院卒業後にその辺のところをじっくり指導して行こうという考えなのだろう。
姉ちゃんが将来の騎士団長か。
本人が学院卒業後に何を望んでいるのかは分からないが、どこかに嫁に行くなどということはおそらく考えていないだろうから、願ってもないオファーだよな。
あとは、名義的にはグリフィン家を離れることになる訳だけど、これは他家に嫁いでしまえば結局はそうなっちゃうしね。
「姉ちゃんが準男爵位の継承権を持つということは、具体的にはどうするの?」
「ああ、それはですね、名義上はクレイグの養子になっていただきます。それで王宮に届けを出してしまいますが、ご生活としては何の変化もありません。グリフィニアに戻られてもこれまで通り、お屋敷で暮らしていただきますよ」
「これはアビゲイル様がご承諾されてからの話になりますが、私としてはあの方に騎士団に所属していただいて、騎士団の仕事を覚えていただきたいと考えているのですよ、ザカリー様」
「私もクレイグの考えに賛成しています。まあお立場としては、準男爵嗣子として、まずは騎士団長付きの騎士待遇といったところでしょうかね」
「なるほどね」
「それで、お考えはいかがでしょうか、ザカリー様」
「話は分かりました。父さんと母さんが承諾したのなら、僕がダメと言うことはないよ。というか、賛成だ。ただし、本人が納得すればだけどね」
「それはもちろんです。ご賛成いただき、ありがとうございます。ほっとしましたぞ」
「それで、僕に事前に話して貰ったのはいいとして、相談というのは?」
「アビゲイル様がご卒業後にどうされたいのか、ザカリー様が何かご存知かを伺いたかったのと、ザカリー様にご賛成いただいたら直ぐにでも、アビゲイル様とお話をしたいと考えまして」
「ああ、そういうことか」
姉ちゃんが卒業後にどうしたいと考えているのかは、俺もはっきりとは知らない。
ただし、今年になってから俺が何かの闘いをする場合には、一緒に闘いたいという気持ちと意志を強く出すようになったこと。そして、その覚悟を持ったようだということ。
それでこの春にナイアの森の盗賊団掃討にも加わって貰い、その際にシルフェ様からも大丈夫だというお墨付きをいただいたこと。
実際の戦闘でも、姉ちゃんは酷く動揺したりすることもなく、良く闘ったことなどを話した。
そして、姉ちゃんが学院での試合などの出場を辞退するようになったのは、それがあってのことだろうと俺は付け加えた。
「盗賊団の一件については、その時の状況も含めて私どもはミルカさんから詳しく聞いております。もちろん子爵様と奥様もご存知です」
「子爵様には、おおっぴらには言えませんでしたがな、我らはアビゲイル様を戦闘に加えられたザカリー様のご決断に、賞賛を贈らせていただきましたぞ」
「そうですか。僕は、姉ちゃんの意志を尊重しただけだけどね。あと、ひとつだけおふたりには教えておこうかな」
「なんですか?」
「姉ちゃんは、昨年秋からシルフェ様の強い加護をいただいています。そして、それをいただく際に、現在よりひとつ上に行くための覚悟と努力を、姉ちゃんはシルフェ様と約束しています。そのひとつ上が、何を目指すものなのかは、これからの彼女次第だと思いますが。ただ、その時から姉ちゃんは、これまでとは少し変わったと僕は思っているよ」
「風の精霊様のご加護を」
「それは、素晴らしい」
シルフェ様は、いまでは普通にごく身近にいるお姉さんになっているので、その存在に慣れ過ぎてしまっているのだが、人間にとっては真性の精霊様と会うことすら考えられない。
ましてやその精霊様から直接に面と向かって加護をいただくなど、もうあり得ないことなのだ。
うちは、ジェルさんたちもいただいているけどね。
ただ、姉ちゃんにシルフェ様が授けてくれた加護は、中でもとりわけ強いものだったとあのときにシフォニナさんが教えてくれた。
それは、姉ちゃんの覚悟と努力への強い意志に、シルフェ様が応えたものなのだそうだ。
なのでアビー姉ちゃんは、この世界でも最も強力な風の精霊の加護をいただいた人間になったという訳だね。あらためていま考えるとだけど。
この夏にはアルさんの宝物庫で、アルさんから衝撃の剣という強力な魔導具武器を貰ったとか、俺が前世から持って来ている刀を進呈してエステルちゃんと密かに抜刀術を稽古しているとか、まだいろいろあるんだけど、さすがにそれは黙っておきましょう。
「あとは、姉ちゃんといつ話をするかだよね。それについては、善は急げでいいんじゃないかな。いつ話をするにしても、僕は反対しないよ」
「おお、そうですか。それでは、明日からまた寮に戻られてしまいますから、本日、屋敷に戻ったら話をさせていただきます」
「わかった。では、そうしてください。えーと、この話、エステルちゃんには話していいのかな?」
「本日、クレイグと私とでアビゲイル様に話をさせていただきますから、エステル様にはザカリー様からお話いただければと思います」
「了解だよ」
ナイアの森の地下拠点施設の検分は、わりと短時間で終えることが出来た。
だいたいの様子は事前に報告を受けていたのだろう。あとはそれを実際にその目で見て、ふたりは驚くばかりだったようだ。
騎馬のメルヴィル騎士や御者役をやっていたイェルゲンくんは、地下トンネルの導入路からもう言葉も出ずに目を丸くしている。
設備や家具、什器が入ったところをまだ見ていなかったミルカさんも、拠点施設らしくなった内部の様子にあらためて感心していた。
「設計図やダレルさんとミルカさんの報告から、理解しているつもりでおりましたが、こうして実際に来てみると、なんとも凄い施設だ」
「人員に対して、充分に快適な居住性を考慮されているところは、さすがにザカリー様です」
「内部の仕上げは、エステルちゃんとアビー姉ちゃんが中心になって、家具や什器なんかを手配してくれたお陰だよ。設置はジェルさんやライナさんたちが中心になって、うちの者だけでやったしね」
「それはそれは」
「つまり、外部の人間は、ここには一切入っていないという訳ですな」
「そういうこと」
あらかたの検分が終了して、居住区画の食堂に全員が集合した。
そこでクレイグ騎士団長とウォルターさんはふたりで頷き合い、皆を前にしてウォルターさんが口を開く。
「皆さん、これまで大変ご苦労さまでした。本日この施設を訪れて、想像以上の出来映えにただただ驚くばかりです。クレイグ騎士団長も、おそらく同じ思いでしょう。今日の検分の結果では、私たちから何も言うことはありません。それで本日をもって、このナイアの森、地下拠点施設を正式にグリフィン子爵家の施設とし、不肖ながら私が部長を務めさせていただいています調査探索部の所管として、謹んでザカリー様より拝受することにいたします。ザカリー様、ありがとうございました」
「良かった。それでは調査探索部に引き渡します」
「はい、ありがとうございます。施設の管理は調査探索部、実際の運用は騎士団ということになりますが、王都での両組織の指揮権はザカリー様にありますので、この施設のすべては引き続きザカリー様のもとにあるとご承知ください。よろしくお願い致します、ザカリー様」
「うん、了解です。今日はみんな、お疲れさまでした。そうしたら、ランチにしましょうかね。いいかな、エステルちゃん」
「はいです」
それで、エステルちゃんやジェルさんたちが持って来ていたマジックバッグから、次々に昼食の料理や飲み物を出して並べて行く。
ちょっとしたランチパーティーだね。
それにしても世にも稀少な古代魔導具のマジックバッグを、料理を運ぶ配達バッグ代わりに使っているのだから、何とも贅沢なものだ。
料理を出すその様子にも、初めて見るメルヴィンさんやイェルゲンくん目を丸くしている。
「前から考えていて、エステルちゃんやジェルさんとも相談していたんだけど、いま僕のところには見ての通り、マジックバッグが4つあるんだ。それでそのうちのひとつを、グリフィニアの騎士団本部に進呈しようと思ってさ。いいですよね、シルフェ様、アルさん」
「ええ、それはもちろんいいですよ。そのマジックバッグは、ザックさんに差し上げたものですからね。元はと言えばアルから貰ったものですけど。いいわよね、アル」
「おお、何の問題もないですぞ。グリフィニアにひとつ持ち帰っても、それもザックさまのものと言えばそうじゃろうしな」
「(またそのうち、ふたつ3つ持って来ますぞ、ザックさまよ)」
「(ああ、そうね。そうしてあげて、アル)」
「(いやー、いいのかな。まだあるの?)」
「(わしも自分でいくつぐらい持っておるのか、把握しておらんのじゃて。10や20はまだあるじゃろ。ふぉっほっほ)」
「(さいですかー)」
そんな念話のやりとりもありまして。
ともかくも、まったくカラにしておいたマジックバッグをひとつ、クレイグ騎士団長に手渡す。
「使い方は、うちの誰かに聞いてください」
「おおー、これは恐れ多い。このバッグには、どのぐらいの物が入るのですかな?」
「たしか、王都屋敷の大広間いっぱいの荷物は、大丈夫じゃなかったかな。そんなもんだよね、ライナさん」
「そうねー。そこまでは入れたことがあるけど、まだ入りそうだったわよー」
「なんとも、それは凄い。騎士団本部でお預かりして、大切に使わせていただきますぞ」
グリフィニアの騎士団では後にザック・バッグとか呼ばれるようになるのだが、ザックって前世の世界のドイツ語で袋っていう意味があるんだったよね、クロウちゃん。カァ。
つまりナップザックのザックなのだけど、ザック・バッグだと袋バッグとか変な呼び名だよな。カァカァ。
ともかくもそんな進呈式もあって、本日の検分は終了したのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




