第486話 馬車の中で密談?
ナイアの森に向かう馬車の中で俺はクレイグ騎士団長とウォルターさんに、先の学院祭で辺境伯家長男のヴィクティムさんとセオドリック王太子に会ったこと、そして後日、ヴィクティムさんと準男爵のベンヤミンさんが屋敷を訪ねて来たことを話した。
特に総合戦技大会で、お忍びの王太子とヴィクティムさんが貴賓席でエステルちゃんたちうちの屋敷の皆の席に混ざって観戦した話は、ふたりにはうけたようだ。
「王太子とヴィクティム殿が、エステル様たちの隣で観戦したのですか。それは面白い」
「王宮の連中や王家に近い貴族たちがそれを知ったら、どう思うでしょうかな。はっはっは」
王家に近い貴族たちとは、三公爵家を筆頭とした者たちだよね。
要するに、王国建設以来、王家と深く交わり臣従している貴族のことだ。
特に三公爵家は常に主導権を競い、いま現在は王太子の結婚相手、将来の王妃候補にそれぞれが自分の娘を選ばせるべく争っている。
その渦中の王太子と、それから学院生時代の後輩で仲の良い辺境伯家の長男が、グリフィン子爵家の観戦席の中にいた。
一般の庶民ならたいした話ではないが、ちょっとしたことでも勘ぐり、直ぐに利用しようとしたり、政治問題化させるのが好きな連中が多いらしい王宮関係者や貴族だと、そうはいかない。
グリフィン子爵家にも、年頃の娘がふたりもいるしね。
昨年の総合戦技大会でも、あの第2王子が表彰式でアビー姉ちゃんに、自分が引き取るから卒業したら王宮に来いとか囁いたらしいけど、仮に王太子が姉ちゃんに好意を抱くことにでもなったら大問題だ。
中位貴族の子爵家の次女では王太子の正妻には通常はなれないけど、第二夫人とかならあり得ないことはない。
そうしたらグリフィン子爵家をブリッジにして、王太子とヴィクティムさんは姻戚関係で繋がる。
これまで中央政治にはほとんど関与していなかった辺境伯家やグリフィン子爵家が、中央政治に大きな影響力を持つのではないかと、そんな穿った見方をする者が現れないとも限らない。
お、俄然、アビー姉ちゃんの存在感が大きくなるではないですか。
姉ちゃんのこともうちの家風も分かっている俺からしたら、そんな可能性は1パーセントも無いと確信出来るけどね。
「王太子とヴィクティム殿がそんな風に観戦している場で、ザカリー様が模範試合でお力の一端をお見せしたのですな。それは私も、やはりその場にいたかった。なあ、ウォルター」
「そうですなぁ。これは面白そうな機会を逃した。どのような表情で観戦していたのでしょうね、おふたりは」
隣にいたエステルちゃんにあとで観戦中のふたりの様子を聞いたけど、どの試合も熱心に見ていて、時には声を上げて応援していたようだ。
俺の模範試合の時には、凄く冷静に観戦していたらしい。
らしいと言うのも、その時のエステルちゃんは俺への応援で、それどころじゃなかったそうだからね。
「王太子とヴィクティム殿はどういう印象でしたかな、ザカリー様」
「ああ、おふたりの印象か。そうだね、ウォルターさん。ヴィクティムさんは初めて会った時から親しげにしてくれて、気さくで優しいお兄さんて感じかな。王太子は、意外にもざっくばらんで、なんだか男らしい印象だったよね。お忍びの場で、ってこともあったかもだけど」
王太子がシルフェ様に一瞬で惹かれて、そんな自分を恥ずかしそうにしていたことは話さなかった。
まあ直接的な言葉や態度には、出してはいなかったからね。
「なるほどなるほど。ヴィクティム殿はそういうお方ですよ。王太子はそんな風だったのですね。我らも、子爵様がずいぶんと以前にご挨拶されたぐらいで、王太子については直接的には良く把握してはおりませんが」
「なあウォルター。これは意外と好人物なのかもな。まあ、ヴィクティム殿が仲良くされているということからも、それは察せられるがな」
「そうですね」
俺は、セオドリック王太子がヴィクティムさんとうちの屋敷に遊びに来たいと、戯れ言かもだけどそう言ったことや、もしかしたら俺の方が王太子に招かれるのではないかという、ヴィクティムさんから聞いた話もした。
「ほう、それは」
「こいつは」
それを聞いたウォルターさんとクレイグさんは、それぞれひと言ずつ口から漏らして、何か考えを巡らしているみたいだ。
「ねえ、もしも王太子から招待されたら、どうすればいいと思う?」
「そうですなぁ。ザカリー様はあまり好まれないでしょうが、王宮に行かれるのも一興でしょうかな」
「そうお声が掛かったら、お受けなされるのが良いと私も思いますぞ。この際だから、王太子と親しくなるのは悪くない」
「ただ、公式の招待でしたら、グリフィニアには必ず事前にお報せください。出来れば、私的なものの方が望ましいでしょうが。あと、タイミングもありますな」
確かに王宮からの正式な招待とかが来たら、グリフィニアに連絡して受けていいかどうかの確認をしなきゃいけないだろうな。
尤もそんな正式招待には、招待する理由が必要になるだろうけど、今のところ思い当たるようなものは何も無い。
それに関連して、王家絡みで余計なことには巻き込まれないようにと、ベンヤミンさんから囁かれたことも話した。
「ベンヤミン殿の言葉は、あれですな。辺境伯家としての用心ということでしょうな」
「おそらくそうでしょう。ベンヤミン殿が王都までご同行されたというのは、もちろんご子息の様子を見に来られたという理由もあるでしょうが、たぶん彼はお目付役かと」
ヴァニー姉さんとヴィクティムさんとの婚姻話を変なことで邪魔をされたくない、ということからの発言と俺は推測したが、このふたりのおじさんもそう感じたようだ。
そうか、お目付役ね。大事な時期にヴィクティムさんが不用意な行動や目立つことをしないように。特に仲の良い王太子絡みで、変な勘ぐりを王宮や貴族たちにさせないようにということもあったのだろうか。
「ところで、具体的にはどうなりそう? 父さんは大丈夫なのかな」
「ははは。子爵様はもう納得されていますよ。どうやら、ヴァネッサ様ご自身が乗り気であることに、お気づきになっているようです」
父さんの身近にいるウォルターさんが言うのだから、そうなのだろう。
「ということは、そろそろ成立?」
「はい。内々には年内に。ご婚約の正式発表は年明けになるでしょうな」
「そうなんだ。姉さん、良かったね」
「はい」
「なあ、ウォルター。いいか?」
「そうですね。よろしいでしょう、クレイグ」
ナイアの森に向かって走る一行は、何ごともなく順調に行程を消化している。
騎士団の馬車の中で、ヴィクティムさんや王太子の話がひと段落したところで、クレイグさんがウォルターさんにそう確認するように言った。
なんの確認だろ?
このふたりは、グリフィン子爵家を支える騎士団長と家令で調査探索部長という重鎮であり、かつての北方15年戦争を共に闘った戦友、そして長年の友人同士だ。
俺を赤子の時から温かく見守って来てくれた、家族以外で最も身近なふたりでもある。
そのふたりが、何となく遠慮がちに何かの話を切り出そうとしている。
「何かな? クレイグさん、ウォルターさん」
「3人だけの良い機会ですから、それでは少しお時間をいただいて。今回、ザカリー様に事前にお伝えというか、ご相談することがクレイグからございまして。お聞きいただけますでしょうか」
「え、そうなの? 何かな、クレイグさん」
クレイグさんは俺の方を向きながら暫し両目を瞑り、それからカッと見開いて俺を見据えた。
だがその眼光は、決してただ強いといったものではない。何かを真剣に訴え、願う気持ちを伝えたいというような眼差しだった。
「ザカリー様。私も、そしてこのウォルターも、ずいぶんと齢を重ねました」
おいおい、引退したいとかいう話じゃないよね。
このふたりのおじさんの正確な年齢は知らないけど、20歳になる前から15年戦争に行って最前線で闘い、現在は50歳代半ばか後半ぐらいの筈だ。
引退を言い出すにはまだ早い。
「いや、仕事が辛いとか、身体が言うことが聞かないとかではないですぞ。我らは、まだまだ若い者などには、負けはしません」
「うん」
「ですがな。我らには後継者がおらんのです。まあ具体的に言いますと、跡継ぎですな」
クレイグさんには奥様はいらっしゃるが、お子さんがいない。
ウォルターさんについては、かつては知らないけど現在は独身で、もちろん彼にも子どもはいないと思う。
だからなのかふたりとも、子爵家の子供たちを可愛がってくれているというのもあるんだよね。
ただ、クレイグ騎士団長は、正式にはクレイグ・ベネット準男爵という爵位を持った貴族に列せられていて、その点では跡継ぎがいないというのは問題ではあるのだ。
「私の方は良いのですが、クレイグは仮にも準男爵ですからね。跡継ぎ問題というのが生じるのですよ」
そう言葉を添えたウォルターさんの場合は、彼自身は無爵位で、お兄さんのモーリス・オルティスさんが準男爵として領内の港町アプサラの代官をしている。
クレイグさんとモーリスさんが、グリフィン子爵家に所属する準男爵ということになる訳ですね。
「それでですな、ザカリー様。私は今年になってから、この後継者問題について子爵様と奥様にご相談させていただいていたのです」
「そうなんだね。そろそろどうするか、決めておかないと、ということかな」
「そうなのですが、私の願いとしては、このタイミングでご相談しないと、と考えておりまして」
「え? このタイミングって、どういうことなのかな」
準男爵は、騎士爵と違って最下位とはいえ貴族なので、世襲が可能だ。
ちなみに騎士爵も一般的には、実体はその家の爵位として世襲がされて行くのだが、かたちとしては一代ごとに主家が騎士に叙任し、騎士爵位を授けることになっている。
昨年にジェルさんがバリエ家の騎士爵位を引き継いだ時も、叙任叙爵式を行ったよね。
それで貴族には継承権の設定が必要で、グリフィン子爵家で言えば俺が第1位。現状はヴァニー姉さんが第2位で、アビー姉ちゃんが第3位になっている。
ただし、ヴァニー姉さんがヴィクティムさんと結婚してキースリング辺境伯家に入ってしまうと、通常は姉さんの継承権は消滅し、アビー姉ちゃんが第2位に繰り上がる。
お子さんのいないベネット準男爵家の場合は、継承権の対象者が設定されていない状態だが、この辺は男爵以上の領主貴族家よりも緩い。
だがそのような状態で、仮に当主が亡くなってしまうと、準男爵位については所属している主家である領主貴族に継承者不在ということで爵位が返還され、その領主貴族が準男爵不在のまま爵位だけを所有しておくか、しかるべき新たな誰かに叙爵することになる。
その事態を防ぐためにも、ベネット準男爵家もそろそろ継承権を設定しておくべきなのは確かだが、実子がいない場合は、親戚の誰かの子を養子に迎えるとかが普通なのかな。
クレイグさんにそういう親戚はいただろうか。
「私の願いは、アビゲイル様に我が準男爵位を受け継いでいただくことなのです」
「えっ。アビー姉ちゃんに?」
「はい。アビゲイル・ベネット準男爵になっていただきたいのです」
こいつは吃驚ですよ。仰天ですよ。
そうか。だから今年のタイミングなんだね。姉ちゃんが学院を卒業する今年に、クレイグさんとしてはそれを決めておきたいという願いな訳ですか。
「それでこのたび子爵様と奥様から、ようやくご承諾を内々にクレイグがいただきました。私ももちろん、以前から後押しをしていたのですが、昨年のザカリー様とエステル様との許嫁の正式決定、今年のヴァネッサ様へのお見合い話と、立て続けでしたからね。子爵様もお心が穏やかではなく。なかなかご了承いただくことが出来ませんでした」
それは、父さんも心穏やかにはいられないでありますな。
娘大好き父さんが、ここに来てふたりの娘を次々に手放すような話だからね。
「それで、アビゲイル様ご本人のご承諾が、もちろん最重要なのですが、その前にザカリー様にお話し、ご承諾とご相談をと、クレイグと私とで愚考した次第です。なにしろ、将来のザカリー様をお支えする重要な案件ですからね」
ああ、そういうことか。将来の俺のというか、これからのグリフィン子爵家にとっては極めて重要なことだよね。
だから、完成した地下拠点施設の検分と称して、いやそれも大切なんだけど、それに合わせてこのふたりが揃ってわざわざ王都に来たのですな。
そうですか、そんな話でありますか。俺は反射的に開こうとした口を閉ざして、まずは考えを巡らすのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




