第466話 魔法、そしてフィジカル
ジュディス先生の魔法訓練は、結果から言うとなんとかうまく行った。
まずはひとつの魔法発動での火球の二連続発射を試み、俺が何回か見本を見せながらそれを頭と身体に叩き込む。
初めは1発目もうまく発動しなかったり、2発が出ても飛び出して直ぐに消滅してしまったりと苦労をしたが、何度も何度も繰り返すうちにひ弱で飛翔速度も遅いながらも、なんとか二連続発射が出来るようになった。
「出来たわ、出来たわ。ザックくん、フィロ、わたし、出来た」
ジュディス先生が、まるで魔法を習い始めた子どものように大きな声をあげて喜ぶ。
「やったわね、ジュディ」
「うん、出来ましたね。これが出来てしまえば、あとは数を増やして、それから飛ばす速度を速くするだけです。頑張りました、先生」
「はいっ」
彼女はとても嬉しそうだった。とても小さな前進だけど、ひとつの殻を破って進んだ一歩。自分が思っていた魔法の尺度を違うものにした瞬間だった。
まだ晩夏の陽は出ているが、気がついてみればもう夕方過ぎになっていた。総合競技場に設置されている時計が19時を廻っている。
この世界の1日は長いので、この時刻でもまだ明るいのだ。
隋分と時間を掛けてひとつの魔法だけに取組んでいたが、今日はここまででいいだろう。
「そろそろ今日は終わりにしましょう」
「はい」
「お疲れさまでした」
「お疲れさまでした。ありがとう、ザックくん」
フィロメナ先生は結局、ほとんどが見学していたのでお疲れではないけどね。
「ねえ、ザックくんは夕ご飯どうするの? 良かったら一緒にご飯行かない?」
「ええ、いいですよ」
この時間なら、うちの部員たちは既に学院生食堂でもう夕食を摂っている頃だろうけど、今日はお姉さん先生たちと特訓をしているのを知っている。
あっちに行って合流してもいいのだが、まあ今日は先生たちに付き合いましょう。
それで連れて行かれたのは、教授棟にほど近いレストランだった。
ここは、席数はそれほど多くはないが、教授や学院職員が良く利用する店なのだそうだ。
教授棟の中にある高級レストランには学院長たちと何回か行ったけど、ここは初めてだよね。
レストランと言うより、雰囲気は庶民的なパブかバルに近い。タパス風の様々な小皿料理があるそうだ。
王都には新鮮な魚介が少ないが、それでも淡水の魚や海老などの料理が食べられるらしい。
それを肴に、お酒を楽しむ人たちが多いようだね。
「ジュディちゃん、フィロちゃん、いらっしゃい。おや? 学院生さんを連れて来たのね。珍しいわね」
恰幅の良いおばさんが出迎えてくれた。お姉さん先生たちはどうやら常連のようだね。
「あら、その子、もしかしてザカリーさまじゃないの?」
「ええ、そうよ。ザックくんよ」
「さっきまで一緒に訓練してたの」
「あんた、あんた、ザカリーさまがいらしたわよ。ジュディちゃんとフィロちゃんが連れて来たの」
お店のおばさんが厨房の方に向かって大きな声でそう言い、既に店にいた何人かの職員さんらしき人たちもその声で俺に気がついて、こちらを向きニッコリ挨拶してくれる。
どうこういって学院で働いている人は皆、俺のことを知っているようだよね。
「おう、騒がしいな。いらっしゃい、ジュディちゃん、フィロちゃん。腹空かせてるか? なんだって? おお、そっちはザカリー様かよ。俺の店に良く来てくれましたな」
「おやっさん、お腹が凄く空いてるわ」
「ザックくんに飛び切り美味しいの食べさせてあげて」
「ああ、こんばんは。初めまして、ザカリーです」
「この店で堅苦しい挨拶なんかいらねーよ。さあ座った座った。いま美味いもん出すからよ」
おやっさんと呼ばれたこちらも恰幅の良い男性は、そう言うと厨房の中に引っ込んで行った。
おやっさんとおばさんのご夫婦と、あと給仕の若い娘さんの3人だけの、どうやら気さくなお店のようだ。
「僕のこと、どうして知ってるんですか?」
「それは、この学院で働いている人なら、あなたのことはみんな知ってるわよ」
「どうこう言ってザックくん、有名人だから」
「それより、あなた、お酒は大丈夫よね。ワインでいい?」
「はい、いただきます」
「じゃ、ザックくんとわたしはワインで、フィロは」
「わたしはこっち」
フィロメナ先生はシードルを頼んだ。りんごから醸造されるスパークリングワインだね。
運ばれて来た料理はまさにタパス風だった。
生ハム、茹でた野菜のサラダ、ソテーした川海老、じっくり煮込んだ牛肉、焼いたソーセージやチーズ料理もある。トルティージャみたいな、ジャガイモと刻みタマネギの入ったオムレツもあるんだね。
川魚を使ったパイなども出されたが、やはり海の魚介料理がほとんど無いのが少し寂しい。イカのリング揚げとかさ。
でも美味しい。学院生食堂も美味くてボリュームがあり、毎日の食事としては良いのだが、たまにはこういうところで食べるのもいいよね。
「このお店って、学院生は入っちゃダメなんじゃないんですか?」
「学院生だけではダメだけど、いちおう教授が一緒ならいいのよ」
「ほとんど見たこと無いけどね」
「わたしたちも、学院生を連れて来るなんて、ザックくんが初めてよ」
そうなんだね。そうすると、俺がこの店にまた来たいとしたら、このお姉さん先生たちと来るか、あとはフィランダー先生あたりなら大丈夫そうかな。
尤も、あのおっさん先生とふたりで食事をする光景がぜんぜん思い浮かばないから、他の先生も誘って貰うか、やっぱりこの目の前のふたりだよな。
その夜の話題は、やはり先ほどの魔法訓練のことが中心で、お酒の入ったフィロメナ先生がジュディス先生の泣き出してしまった出来事を蒸し返して、さかんにからかっていた。
ほんと仲がいいんだね、このふたり。
「ねえザックくん、明日の体力づくり訓練て、何するの?
「またまた、ジュディが泣く感じ? みたいなぁ」
「もう泣かないわよ」
「そーでしょうかねー」
フィロメナ先生は、見かけによらずお酒が弱いのかな。少し酔った風でジュディス先生をからかい続けている。
そうですなあ、さすがにベソはかかないと思うけど、身体は泣くかもですよ。
「まあ明日は、うちの部員たちと一緒ですからね。学院生がやっていることですから、ぜんぜん心配いりませんよ」
「そうなの? そうよね。やっぱり走るとか?」
「走ったり、跳んだりで身体を動かす感じですね」
「えへへ、ダッシュ地獄だわー」
フィロメナ先生は俺とのパーソナルトレーニングで、ダッシュを繰り返す訓練とかをいつもやっているので良く知っているんだよね。
それにしてもジュディス先生が怖がるから、あなたは少し静かにしてなさい。
翌日の4時限目が終わり、総合武術部員にうちのクラスのペルちゃんとバルくんを加えた10人が部室から総合競技場に走って行くと、ジュディス先生とフィロメナ先生が既に待っていた。
ちなみに今回から、ペルちゃんとバルくんも体力づくり訓練に加わって貰っています。
本人たちは、ちょっと嫌そうな顔をしていたけど。
「今日から学院祭まで、このメンバーで体力づくりの練習を行います。ペルちゃんとバルくんに、ジュディス先生とフィロメナ先生も参加することになりました。はい、拍手っ」
うちの部員たちが盛大に拍手をし、新たに参加した4人はなぜ拍手されているのか良く分からないという顔をしていた。
部員たちは良く分かっているけど、よくぞこの訓練に参加しましたという、その勇気を讃える拍手でありますよ。
「それじゃ、総合武術部員はいつものメニューで練習を始めてくださいな。こちらの4人は初めてだから、まずは僕が付いて一緒に練習しますよ」
そこでまた部員たちから拍手。この拍手は、うーむ良く分からない。おそらく健闘を願う拍手だろう。
ここからは、それほど特別なことはないですよ。
まずはストレッチで身体をほぐし身体を動くようにすることを教え、そしてフィールドの外周を走るランニング。
少し休息を挟んだあと、走って垂直ジャンプ、また走ってジャンプを繰り返すトレーニング。
それが終わるとステップトレーニング。1メートルほどの間隔で2本のラインをフィールドに引いて、その外側へ飛び越えてステップしながら前進する。
これを順番に何度も繰り返す。
そしていよいよ、地獄のダッシュですな。今日は取りあえず15メートルダッシュ。
15メートル、こちらの世界の長さの単位では50ポードの距離で、こちらと向うにラインを引く。
これは4人全員に俺も加わって行う。俺が合図したら一斉に初めて、まずは3往復でダッシュ6本だ。
「わかったかな? 続けて3往復を全力で走りますよ。僕も一緒にやるから遅れないように」
「いよいよ、ダッシュね。たったの50ポードなんだから、頑張るのよジュディ」
「う、うん、わかったわ」
フィロメナ先生だけ嬉しそうだな。彼女は何回もやっているからね。
そうして俺の合図でまずは、15メートル全力疾走を6本繰り返した。
俺は4人の様子を見ながら並走し、速度が落ちた者には声を掛ける。
フィロメナ先生は余裕で、ペルちゃんとバルくんもなんとか付いて来て、ジュディス先生はかなり遅れながらも何とか6本をこなした。
「よし、いったん休息。休息後、再度3往復、ダッシュ6本」
「えー、これでおしまいじゃないのぉー?」
「まだ1回目ですよ、先生」
「えぇー」
結局3往復、ダッシュ6本を休息を挟んで3回行い、それで今日の訓練は終了とした。
短い時間でしたが4人とも頑張りました。フィロメナ先生だけは、まだまだ余裕がありそうだけど。
「ペルちゃん、バルくん、大丈夫かな?」
「う、うん、なんとか」「お、おう」
「ジュディス先生、大丈夫ですか? フィロメナ先生は、大丈夫ですね。ちょっと楽だったかな」
「…………」
「このぐらいは、軽いものよ」
ジュディス先生は言葉がまだ出ないですか。ベソはかいてないから大丈夫そうだよね、きっと。
今日はこの大人数で学院生食堂に行き、みんなで夕食を共にした。
学院生食堂ではお酒は出ませんからね、フィロメナ先生。
「先生たち、お疲れさま。ザックくんがご迷惑かけてませんか? 今日の練習も、ご迷惑と言えばご迷惑かもだけど」
「ええ、ありがとうヴィオちゃん。その、迷惑とかは別に無いわよ。ちょっと辛かったけど」
「2日続けて、ジュディにはきつかったかもだけどね」
「昨日は、どうした、ですか?」
「それがねー、カロちゃん。昨日は、ジュディがベソ……」
「な、なんでもないのよカロちゃん。煩いわよ、フィロ」
「ああ、なんとなく想像がつきます」
「魔法と剣術だけは、うちの部長、厳しいからね」
「あなたたちも、ザックくんと一緒に練習が続けられてるなんて、ホント逞しいわよね」
「それほどでもないですよね。ねえヴィオ先輩」
「それって、わたしたちが褒められてる訳じゃないと思うわよ、ソフィちゃん」
今度の2日休日の2日目は、ジュディ先生とフィロメナ先生に朝からうちの屋敷に来て貰うようにしている。
昨日はフィロメナ先生が満足に特訓を出来なかったので、ジェルさんとオネルさんにお願いするつもりだ。
先生たちはうちの屋敷に初めて来る訳だが、楽しみでしょ? 楽しみだよね。
美味しいランチもご馳走しますよ。だから、そんな不安そうな顔をしないように。
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