第458話 ナイアの森まで遠乗り
夏の合同合宿が終わった翌日、午前中はのんびりと屋敷で過ごしてから昼食後にナイアの森へと再び行った。
合宿中には門番に戻っていたアルポさんとエルノさんは朝早くに既に行っており、午後に行くのは俺とジェルさん、ブルーノさんとティモさんの4人にクロウちゃんだ。オネルさんは残って留守番をしてくれる。
今回は人数も少ないし、昨日に馬車で帰って来たばかりなので俺も騎馬で行きたいとジェルさんにお願いしたら、彼女はエステルちゃんと相談して渋々許可を出してくれた。
なので、馬車は出さずに4人で騎乗する。
王都では久し振りに黒影に跨がる。
この黒影を含めて夏休み前に新しく購入した3頭の馬は、グリフィニアにも連れて行って向こうでも俺とエステルちゃん、アビー姉ちゃんが少し乗ったが、ファータの里への旅もあったのでほとんどは騎士団に世話をお願いしていた。
王都でもまだ遠乗りはさせていない。日常的な世話と運動不足解消の一貫として、屋敷の敷地内を留守番している誰かが走らせているだけだ。
俺は馬小屋に行って留守番をする他の馬たちに挨拶し、既に馬具をつけられている黒影の側に行く。
「今日から何日かは森だぞ」と言うと、何だか嬉しそうにブルルと鳴き声を出した。
以前にクロウちゃんに、馬の言うことは理解出来るのか聞いたことがあるが、彼も何となく意志の疎通は出来るものの複雑な会話は難しいそうだ。
やっぱり、念話で普通に会話の出来るユニコーンとは違うんだな。あっちは水の精霊の眷属だしね。
俺が騎馬で行くと言うと姉ちゃんは凄く羨ましがったが、こちらに残ってエステルちゃんの備品発注第二弾の手伝いをしてくれることになっている。
夏休みも残り少ないが、空いた時間はオネルさんを手伝って残している馬の世話などをし、そしてオネルさんと剣術の訓練をするそうだ。
姉ちゃんは王国一、剣術に貪欲な貴族のお姫様だろうね。
あと、昨夜にエステルちゃんと相談して、夏休み終了の1日前の26日に王都屋敷の全員で地下拠点の見学会を行うことにした。
シルフェ様やシフォニナさんはもちろんのこと、少年少女たちや料理長のアデーレさんも参加する。
彼女には今後、地下拠点の厨房廻りの整備も手伝って貰うつもりだ。
そのことをお昼に皆が集まったところで発表した。
フォルくんとユディちゃん、エディットちゃんは大喜びだ。シモーネちゃんもぴょんぴょん跳び上がって喜んでますね。
この子たちには、人数が少なくなった王都屋敷をずっと守って貰っていたからな。
夏の最後の、屋敷全員が揃ってのハイキングみたいな感じだね。
それで留守番の皆に見送られ、4人が馬に跨がって出発した。クロウちゃんは既に空に上がっている。
正直なところ王都の屋敷の外で馬に乗るのは、ほぼ初めてだ。
「王都の中では、よほどのことが無い限り、駆歩で走らせてはいけませんぞ」と、ジェルさんからは釘を刺されている。
フォルス大門を出るまで基本は常歩ですよね。何か必要がある場合でも速歩だ。グリフィニアでもちゃんと守ったから大丈夫です。
それでも心配だったのか、ティモさんが先導しブルーノさんが俺の後ろ、ジェルさんが直ぐ横の位置に付いている。
たいていいつも、こういうことで俺は信用されていない。エステルちゃんもいないので余計だ。
ジェルさんから細々と注意事項を告げられて俺が神妙に聞いている間、ブルーノさんは可笑しそうに笑っていた。
しかし、馬の上から眺める王都の景色はまた少し違うよね。
馬車だと窓からの視界が限られているけど、馬上だと遮るものがない。
内リングの門は顔を隠すようにして出たが、そこから先のフォルス大通りの眺めは新鮮だ。
行き交う人や馬車の数が格段に増え、そこで暮らす人びとの匂いや空気が直接に顔に当たるようだ。
大通りなので子どもの姿は少ないが、商人風や職人風の男女、何の職業か分からない数人の一団、人相の悪そうな男たち、巡回する警備兵、などなど。
グリフィニアだと、冒険者たちが直ぐに俺を見つけて近寄って来て、処構わず最敬礼しながら大声で挨拶したり、おばちゃんやおじちゃんたちが声を掛けて来たり、女の子たちが手を振ったりなどするけど、もちろん王都でそんなことはない。
それでも俺は、新鮮に感じる王都内の風景を楽しみながら馬を進めて行った。
「ふう、やっとフォルス大門を出ましたな」と、ジェルさんが安堵したように言った。
王都の中ではずっと空にいたクロウちゃんが、黒影の上に下りて来た。
彼女は王都屋敷で唯一の正騎士で警護責任者であり、そして最も生真面目で責任感が人一倍強い人だ。
いつもは、ライナさんとオネルさんのお姉さんたち3人で行動することが多いのだけど、ここのところはライナさんがずっと離れている。
ましてや今日は俺が騎馬なので、特に王都の都市城壁内ではいつも以上に気を張っていたようだ。
「王都の中を馬で行くと、凄く新鮮だよね」
「それはそうですが、何ごとも無くて良かったです」
「まあ王都も出やしたし、もう安心でやすよ。ふふふ」
「カァ」
後ろから、にこやかなブルーノさんの声がした。
お気楽そうな俺と気を張り続けているジェルさんを、ずっと見てたんだろうね。
「少し速度を上げましょうか、ジェルさん」と先導するティモさんが、振り返らずにそう言う。
「そうだな。よろしいですかな、ザカリーさま」
「望むところだよ」
「では」
俺たち4人は、速めの速歩に切り換えて街道を走る。馬車で行くスピードよりもやや速い感じだ。
やがて街道が分かれる小村を過ぎ、いつも小休止する場所へと着いた。
いやあ、のどかな田園風景の中を馬で走るのは快適だよね。もう直ぐ夏は終わるけど、午後の陽射しも風も気持ちが良い。
「もうちょっと速度を上げてもいいかな」
ジェルさんの「出発しますぞ」という声を聞いて黒影に跨がった俺は、そう言うと駆歩で馬を走らせた。
「あ、ザカリーさま、こらっ。ひとりで先に。速い。ティモさんっ」
ジェルさんの焦った声が聞こえ、3人が追いかけて来る。
あまり速度を出し過ぎると馬がバテてしまうので抑えてはいるが、黒影は若い馬なだけあって駆歩が嬉しそうだ。
先ほどまで一緒に乗っていたクロウちゃんは、揺れが大きくなったので空に飛び上がってしまった。
俺が先頭を走り3人が追いかける隊列で、あっという間にナイアの森の端を廻る脇道の入口に着いた。
脇道の入口は擬装されて隠されているので、そこでいったん止まる。
「もう、ザカリーさまは」
「ごめん、ジェルさん」
「ははは、いい走りっぷりでやしたな」
「遠乗りで駆歩は、初めてではないのですか」
まあ今世では、ティモさんが言う通り初めてなんだけどね。前世でも小さい時から馬を走らせてるからさ。
「馬が疲れますので、ここからは速歩ですぞ。尤も、あと少しですが」
ジェルさんたち騎士団の馬は優秀で体力があるし、俺の乗る黒影も優れた馬だから、そうそうバテはしないのだが、やはり馬は酷使してはいけないからね。
空に上がっていたクロウちゃんは、そのまま拠点建設現場まで俺たちの到着を報せに飛んで行った。
そうして脇道をティモさんの先導する速度で走り、森への入口に到着する。
ここも念入りに擬装されていて、入口とは分からないようになっている。
少し進むとトンネルへの進入路に着くが、現在はまだ地上を走って行く。
トンネルの出入り口は、内側から閂を掛けて閉ざしているからだ。
そして森の中の道を常足でゆっくり走らせて行くと、ようやく砦跡地の拠点建設現場兼野営地へと到着した。
先行してクロウちゃんが報せに飛んでいたので、皆が俺たちの到着を迎えてくれた。
午前に、先にこちらに来ていたアルポさんとエルノさん。夏合宿の間は、ひとりで見張りにあたってくれていたミルカさん。そしてずっと、建設工事に携わってくれているダレルさんとライナさん、そしてアルさんだ。
「いらっしゃい、お疲れさまー、ザカリーさま。あら、ザカリーさまも馬でいらしたのねー」
「うん、ずっと馬車ばかりだったからさ。エステルちゃんとジェルさんの許可もやっと出て」
「大人しく、ジェルちゃんの指示に従ったのかしらー」
「ザカリーさまは、減点1ですからな」
「あらー、何かしたの?」
「えー、ちょっと速く走っただけだよ」
「隊列を崩してはいけない、走る速度はわたしたちに従うと、屋敷を出る時にお約束されましたよね」
ジェルさんは、俺がいきなり駆歩の速度で馬を先行させたことを皆に話し、そう言った。
「それほど怒ることでもありませんぞ、なあジェルさん」
「ちゃんと一緒に、ここに着いておるのですからの。それにザカリーさまは、馬の扱いが上手でいらっしゃる」
「しかしアルポさん、エルノさん。ミルカさん、なんとか言ってください」
「はっはっは。それはザカリー様がいけない。上に立つ者は、約束事は守らねばいけません。ははは」
「ゴメンね、ジェルさん」
ミルカさんは立場上そう俺に言ったが、笑い声での注意だ。
だいたいの傾向において爺さんやおじさんは俺に甘く、お姉さんたちの方が厳しい。
「ジェルちゃんも、ザカリーさまのお世話は長いんだからー、そのぐらい可愛いものだってわかってるでしょ」
「まあ、それはそうなのだがな」
さて、この話題はそろそろにして、工事の進捗を見せて貰って、あとは汚水汚物処理施設の建設と風の石の設置について相談しましょうかね。
それで皆で地下に行ってみる。ちなみに地上との出入りに使っている縦穴は、まだそのままだ。
これもそろそろ雨天対策をしないと、夏の終わりには雨が降りやすくなって水が地下に入ってしまう。
穴を塞ぐのはアルポさんとエルノさんが担当している、木材の設備の取り付けが終わってからだ。
地下に入ってみると、前室区画は現在の全体工事で予定していたものはすべて終わっており、各部屋にはドアも取付けられ、永久発光の魔導具の照明も付いていた。
次に作戦区画に入る。ここもほぼ終了している。あとは居住区画だね。
居住区画は部屋数も多く、今日からアルポさんとエルノさんにより各部屋のドアの製作が再開されている。
現在はダレルさんとライナさん、アルさんにより、残っている部屋の壁立てと仕上げが急ピッチで進められていた。
それじゃ俺も、早速作業に加わりましょうかね。
「ザカリーさまはー、こっちに加わらなくていいわよー」
「え、いいの?」
「こちらは、わしらでやりますのでな。もうひと息じゃし」
「それより、ザカリー坊ちゃんは。なあライナちゃん」
「ザカリーさまはー、汚いものを処理する部屋を造るんでしょー。その前にほら」
「ほら?」
「おトイレと浴室とー、下水管よー。合宿の野営地に立派なおトイレが出来てたって、ミルカさんから聞いたわよー」
「えーと、あの、トイレとかの製作は、ライナさんが慣れてるから……」
「うふふ、それはザカリーさまに譲ってあげるわよー。それに、ジェルちゃんが言った減点1の取消しも、交渉してあげるわ」
あの仮設公衆トイレのことを、ミルカさんはこっちのみんなに話したんだね。
そうですか、俺の担当ですか。
「えーと、アルさんが手伝ってくれるとかは……」
「わしは人間のトイレとかは、わからんですからの」
そうは言っても、その竜人の姿だったらトイレとか使うじゃん。
ダレルさんの顔も見たが、「お任せしますよ、坊ちゃん」と言われてしまった。
どうやら3人で既に相談済みだったようだ。
分かりましたです。トイレと浴室と下水設備と処理施設ですね、任せてください。減点1も無くなるんですよね。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




