第440話 地下拠点の設計
ダレルさんが広げた紙には、地下拠点の平面図が描かれていた。
それを見てみると、基本は俺が構想して伝えた通りだった。
脇道側の森の入口近くから伸びる、馬車も通れるトンネル。その終着点には馬車寄せがあり、馬車庫や馬を世話する空間が広めに取られている。
そこから繋がって倉庫の区画があり、これも広い。主に武器や装備、備品、消耗品をストックしておく施設だね。主な燃料となる薪を乾燥保存しておく倉庫もある。
馬車寄せは前室区画と記された空間に接していて、ここはその奥にあるふたつの区画、作戦区画及び居住区画と拠点の玄関口である馬車寄せとを隔てる空間なのだそうだ。
この前室区画には、ラウンジホールや応接室、警備室などに使える部屋がいくつかある。
もし仮に、関係者以外の人間がこの拠点を訪れることがあっても、この前室区画までしか入れない想定なのだそうだ。
その前室区画の奥に通路で繋がって、作戦区画と居住区画がある。
このふたつの区画はそれぞれ、かなり広めにとられている。
作戦区画には指揮官室や作戦事務室、作戦会議室、図書資料室や武器装備室、兵員待機室、更衣室、トイレ、給湯室、仮眠室などと記された部屋が計画されている。
一方で居住区画には、多くの居住室が予定されていた。
ふたり部屋が20室ほどと、ひとり部屋が10室。つまり50人がここで寝泊まり出来る。
これは広げようと思えば、いくらでも拡張出来るとダレルさんは言った。
あとは全員がいちどに食事が摂れる広い食堂と厨房。隣接して娯楽ラウンジもある。
それから共用のトイレにバスルームだね。
「これは凄いな。ちょっとした要塞だ。でも、こんなに大規模に造れるかな」
「ザカリー坊ちゃんにライナさんと私、それからアル殿も加わるのなら、地下空間の造成は問題ないでしょう。どちらかと言うと、内装や備品類を整備する方が大変ですね」
「あと、気をつけなければいけないのは、空気が汚れないようにすることと、それから問題なのは、汚れたお水やトイレの汚物なんかをどう処理するかよねー」
「ああ、そうだね。換気と汚水汚物処理かぁ」
ちなみにグリフィニアでは都市内に下水が整備され、汚水や汚物はそこに流すかたちになっている。
流れて行った汚物は都市城壁の外に集められ、専門の業者さんによって畑の肥料として周辺の農家に提供される。
これらの費用は、すべてうちの内政官事務所が負担しているんだよね。
王都の場合はどうかというと、内リング内はグリフィニアと同様に下水が整備されている。
貴族の屋敷が多く、あとは騎士爵家や裕福な商家その他の家ばかりだから、広さの割には細かい下水網はそれほど必要ない。
しかし内リングの外側、一般庶民が数多く暮らす地域は下水の整備率が低く、また汲み取り業者がいるものの処理が追いつかず、垂れ流して放置してしまうケースも多いようだ。
インフラ整備がまだまだの文明度合いでは、大規模都市の汚物処理問題は難しいよね。
「汚水と汚物は、森に処理していただき、森の肥やしにするのがいいですなぁ」
ダレルさんは、汲み取って森に撒くのがいちばん良いと言うが、その労力をどうするかもあるよね。
当面はうちの人員だけだし、日常的にこの施設を使う訳ではないのでそれほど問題にはならなそうだが、うちのお姉さんたちに汲み取り作業をさせるのもどうかとも思うし。
「クロウちゃんは、何かいい考えはないかな?」
「カァカァ」
「ばっき? でやすか。それは何でやす」
「カァ、カァカァカァ」
「ああ、ばっ気ね。つまり汚物汚水に空気を送り込んで、微生物の活動を活発化させ、有機物の分解を促進させることか」
「????」
「乾燥させちゃってもいいのかな」
「カァカァ、カァ」
「ああ、そのまま乾燥させちゃうと、後でまた水分に触れた時に有機物分解が起きて、ウンチの臭いやガスなんかが出ちゃうのね。だったら、やっぱり分解させて一次処理した後に乾燥がいいのか」
「????」
ここにいる全員は、クロウちゃんの言うことが分かる人たちばかりだ。
だがその話している内容、俺との会話が理解出来なくて、皆がみな首を傾げていた。
「ザックさま、ふたりで謎の会話をしてないで、わたしたちにもわかるように話してください」
「そうよー。ウンチのくさい臭いとかはわかるけど、あとはぜんぜんわかんないわー」
ライナさん、その美しい唇からウンチのくさい臭いとか、言わないように。
「まあ簡単に言うとですね、糞尿は空気を送り込んでやると、肥料になる訳ですね。地面に撒けば、自然に空気に触れるので良いのだけど、地下のトイレから地上に運ぶのは大変なので、地下に空気を送り込んでそれを処理する施設を造ればいいのではないかと。クロウちゃんのご意見はそういうことなんですな」
「ほぉー」
「カァ」
つまり、汚水汚物の処理問題と換気問題は、隣り合わせにあるということなのだね。
地下に処理施設を造るとして、そこに大量の空気を強制的に送り込み、有機物の分解時に出るガスや臭いを排気してあげないといけない。
それから後処理として、乾燥させるかどうかと運搬作業だよね。
「ザカリー様が、聖なる光魔法で浄化しちゃえばいいんじゃないのー」
「それ、いいアイデアかもですよ、ライナさん」
「ええー」
確かに俺が風魔法で風を送り込みながら、同時に聖なる光魔法で浄化して、それから火魔法で乾燥させちゃえばそれで済むかもだけど、ということは俺が糞尿処理係ということですかね。
「いやいや、ライナちゃん、エステルさま。ザカリー坊ちゃんは指揮官なんですから、いくらなんでも糞尿の始末をご担当いただくのは」
「そうでやすよ。しかし、確かにそれがいちばん早そうなのは、なんとなくわかりやすが」
ダレルさんがいちばんマトモです。ブルーノさんは長い間レイヴンでライナさんたちと一緒なので、ちょっと思考がそっちに引っ張られてますよね。
余計なことを言わずに無言を貫いているティモさん、あなたの態度は正しいです。
そうして皆は少し考え込む。
「ねえ、ティモさんはどう思うのー」
こら、ライナさん。そこでどうしてタイミング良く、ティモさんの意見を求めますかね。
「あの、わかりませんが、例えば、シルフェ様とかにご相談してみるのはいかがでしょう。森の中のことですし、それに空気の流れ、つまり風が必要なんですよね」
「ああ、そうか。いいこと言うなぁ、ティモさんは。森の地下を汚さないようにするためだとお願いすれば、シルフェ様も相談に乗ってくれそうだ。どうかな、エステルちゃん」
「そうですね。ザックさまがご相談すれば、お姉ちゃんもいやとは言いませんよ。それに森の地下を汚さないためですもんね」
この話は結局、シルフェ様と相談して処理設備を作るのが良いだろうということで全員の意見が一致した。
ティモさん、ありがとう。ティモさんの提案が出るまでは、俺が糞尿処理係も仕方ないかなと思い始めていたところですよ。
あとは水の供給だが、飲料水や生活用水については井戸を掘るのが良いだろうということになった。
ナイア湖から用水路を引くという案もあったが、地上だと雨やゴミ、動物の糞尿などの掃除をする維持管理が必要になり、それならば用水路に蓋をするか地中に管を引いての導水が望ましいのだが、だったら井戸を掘ってしまおうということだ。
いずれにせよ、水の精霊さんの地元なので清浄な水には事欠かない。
それよりも、水と森を汚染させないことの方が大切だ。800年前の王都地下の轍を踏むのは、最も避けなければならないことなのだ。
俺たちがそれをしてしまったら元も子もない。
あと、ダレルさんたちが描いた設計図では、地下拠点から地上に繋がる出入り口は、馬車と馬が通れる正面のトンネル以外には徒歩のみのものがふたつ。
ひとつは直ぐ上の砦跡地付近に出るもので階段状になっており、もうひとつは徒歩用の長いトンネルを掘って、迷い霧の内側まで行ってしまうものだ。
これは、妖精の森に何かがあった時も見越して、迷い霧を通らずに駆けつけるためのものだが、迷い霧の効果を無視して妖精の森に行けてしまうので、防衛上の危険度も高い。
それに、人が通れるだけのサイズとはいえ、かなり距離があるのでそれなりに工事が大変になるだろう。
そういうことも含めて、今回の計画はちゃんとニュムペ様には相談して了解をいただかないといけないよね。
まずはシルフェ様と相談して、それからニュムペ様のところに行くという段取りかな。
そのほかいくつかの修正も入れて、ダレルさんたちとの設計確認を終えた。
彼らは図面を複製してあったので、取りあえずは現計画の設計図を1枚預かって父さんたちにも報告し了解を得ることにした。
あと、休暇を終えてジェルさんとオネルさんが戻って来るので、8月8日の出発前日にミーティングを行うことにする。
ダレルさんは図面の修正に、この子爵館を暫く留守にする前に片付けておく作業、それから自身の旅支度となかなか忙しいのだけど、よろしくお願いします。
「という感じで、王都に戻ったらナイアの森の地下拠点づくりに取り掛かります」
父さんの子爵執務室に、父さんと母さん、それからヴァニー姉さんにアビー姉ちゃん、ウォルターさんとミルカさん、クレイグ騎士団長とネイサン副騎士団長が集まった。
俺とエステルちゃんにクロウちゃんも加えて10人と1羽。子爵家に調査探索部、騎士団というメンバーな訳だ。
テーブルの上には、地下拠点の平面図が広げられている。
「凄い計画になったな。大丈夫なのか、ザック」
「ザックにライナちゃんとダレルさん、それからアル殿ね。達人クラスの土魔法の使い手が4人も揃って行うなんて、たぶんほかの誰にも出来ないことよね」
「ふふふ、これは楽しみですな。王家や王宮が知ったら、目の玉飛び出ますぞ。なあ、ウォルター」
「もし知られたら、子爵家と王家の戦になるでしょうがな。はっはっは」
おい、そこのおじさんふたり、物騒な発言は止めておきましょうね。父さんが苦笑してるし。
「よし、わかった。ではザック、取り掛かってくれ。ただ、いちどきにすべてを整備しなくてもいいからな」
「うん。ダレルさんがいる間に、おおまかな造成と建設は終わらせてしまって、中の内装や設備、備品の揃えなんかは、順次やっていくつもりだよ」
「それでいい。予算の管理はエステルに任せる。不足するようだったら報せてくれ」
「わかりました、お父さま。まずは今回いただいた予算の範囲内で、取り掛かります」
これでナイアの森、地下拠点建設計画は公式に始動することになった。
「ねえザック、何かわたしも手伝えることがあるかな」
会合は短時間で終了し解散となった時に、それまで黙って聞いていたアビー姉ちゃんが俺にそう尋ねて来た。
盗賊団の始末以来、ファータの里への旅も経て、姉ちゃんは俺やエステルちゃんと何かをしたいという気持ちが、かなり強くなっているみたいだね。
「そうだなぁ。地下造成や建設工事は無理だとしても、エステルちゃんを手助けしてくれると助かるかな」
「アビー姉さまが手伝ってくれるんですか? それはぜひ。よろしくお願いします」
「うん、わかった。なんでも言ってね、エステルちゃん」
「でも姉ちゃん。課外部の活動とかあるんじゃないの?」
「それはあんたも同じでしょ」
「まあ、それはそうなんだけど。でも、直ぐに寮に戻らなくていいいの?」
「今年はもう、エイディに任せてるのよ。合宿前にいちどミーティングで戻るけど、それまでは自主練習で、エイディが面倒を見てくれてるわ」
「へぇー、そうなんだ」
「姉さまの心配より、ザックさまはご自分の部の心配をしたほうがいいですよぅ」
「そうだよ。合宿の件はちゃんと伝えてあるの?」
「お……」
「お、じゃないですよぅ。王都に戻ったら、直ぐに皆さんに連絡しないと。ヴィオちゃんと相談した方がいいかな。あと合宿に行く前に、部員の皆さんとミーティングもしないといけませんよ。今年は下級生がいるんですし」
「お……」
「だから、お、じゃないです。合宿の方も、ジェルさんたちにお世話になるんですから、今度のレイヴンミーティングまでに、ちゃんと考えておいてくださいね」
「はい」
これは王都に戻ったら結構忙しいではないですか。同じナイアの森で、地下拠点建設と夏の合同合宿と両方をこなさないといかんですぞ。
俺たちの会話を側で聞いていて、ヴァニー姉さんは可笑しそうに笑っている。父さんと母さんはやれやれという表情だ。
さて、どうすればいいですかなぁ、クロウちゃん。カァ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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