第425話 シルフェ様がファータに話すお話
「いきなり来させていただきましたけど、里の皆さんにお集まりいただいて、本当に嬉しいわ。こうして里に来て、わたしの一族の前で姿をお見せするのは何百年振りかしら。それとも千年振りぐらい? まあそれはいいわね。本来、わたしたち精霊は、人間の世界には関わらないのが定めですし、姿も現さないものですけど、今回はザックさんとエステルが婚約のご挨拶で里に来ると聞いて、それならば、とね」
風に乗って、シルフェ様の語る声が広場の隅々にまで届けられる。
「と言うのも、ほら、隣にいるエステルとわたしを見ればわかるでしょ。そう、エステルは、わたしとの結びつきが強いのね。ですからエステルを、わたしの妹にしました。なのでザックさんは、わたしの義弟ね。その妹と義弟がお母さまやお姉さんたちと、わたしの一族の里に婚約のご挨拶に来られるのだから、わたしもこうして何百年振りかに来たという訳です」
なかなか筋が通っている。そういう動機付けなんですね。単に面白がって来たという訳じゃないのですな。
風の便りの手紙には「遊びに行く」とか、軽い調子で書いてあったけどね。
「それでは、せっかくですから、ファータの皆さん、わたしの一族に祝福をお授けしましょう。ほらほら、そこで畏まらなくていいのよ。わたしはいつも、ファータの一族をちゃんと見護っています。あなたたちに身近なご先祖さま? いえ、身近なお姉ちゃんと思っていてくださいね」
時折、こっそり覗きに来ているそうですからね。言っていることは間違ってはいない。
しかし、子供たちを除いてほぼ爺さんと婆さんばかりの里の人たちに、見た目年齢がエステルちゃんと同じかちょっと上ぐらいに見えるシルフェ様が、身近なお姉ちゃんと言うのもどうかと思うものの、広場に集まったファータの皆さんは既に感激で涙を流さんばかりだった。
「ファータの繁栄と安寧と幸せを願って、わたくし真性の風の精霊シルフェが、皆さんに祝福を授けます」
シルフェ様とシフォニナさんが両手を広げて高く掲げ、甘く蕩けるような香りとともに、夏の空気を爽やかなものに変える優しい風が流れ、そして全員を包み込んで行く。
里の人たちは頭を垂れて、その爽やかさと優しさにひととき浸った。
この世界では、人間の日常を縛る宗教というものがほぼ無いと言っていい。
しかし逆にこの世界では、神様や精霊様というものが本当に存在し、人間たちを見護っている。
そんな中で、ここはまさしく精霊信仰の中心地なのだということを、今更ながらにあらためて感じた一瞬だった。
ここで精霊様から授けていただくのは、難しい教義ではなく優しい風だ。
そしてそれを素直に受取っているのが精霊族。
これを原始的って看做すのは簡単だけれど、そもそもが神様や精霊様に、原始的とか近代的とかなんだとかの概念なんてものは無いよね。
シルフェ様と里の皆さんとの対面のセレモニーも終了し、里長屋敷にいったん行って休憩して貰い、広場では宴会の準備だ。
ステージから下りるとき、シルフェ様とシフォニナさんがユルヨ爺に何か声を掛けていた。
「久し振りね、ユルヨ。あなたもすっかりお爺ちゃんになっちゃって」とかの声が聞こえて来た。
俺とエステルちゃんは、その側に近づいて行く。
「ユルヨはね。たぶんだけど、この里の中で前に会って話したことのある、今ではただひとりのファータよね。まだ若者だったけど」
「勿体ないことで。生きている間に再びお会い出来るなどとは、思ってもおりませんでした」
「さっきも言ったでしょ。姿は見せないけど、ちゃんと見てますからね。だからユルヨも、まだまだ長生きして、子供たちを鍛えてあげてね」
「はい。それはもちろんでございますとも」
「それから、エステルとザックさんのこともお願いしますよ」
「それももちろんのこと。我らはザカリー様に従います」
「ふふふ。そうね。それでいいわ。そして、何かあった時にはザックさんを頼るのよ」
「はい。仰せのままに」
ユルヨ爺が若者の姿の時というと、いったいどのぐらい昔のことなのだろうか。
きっとその時には、その時の物語があったのだろうな。また話を聞けることもあるでしょう。
それで、俺たちは里長屋敷に引揚げて、大囲炉裏の側で休憩をしています。
カーリ婆ちゃんとユリアナさんがお茶を淹れて来てくれて、エステルちゃんがお菓子を広げている。
「あんなに大勢の皆さんの前で話したから、緊張しちゃったわ」
「いえいえ、ありがたいお言葉でしたじゃ」
シルフェ様が緊張するとか無いと思いますけどね。
「あの、畏れながら、シルフェ様に少々お伺いしたいことがあるのでございますがの」
「あら、なにかしら。遠慮なく言ってくださいな」
エーリッキ爺ちゃんが、恐る恐るという感じでそう言葉を繋いだ。
「エステルのことですじゃ。その、エステルは普通のファータとは違うのですじゃろうか」
「あなた、なにを」
「お爺ちゃん」
カーリ婆ちゃんとエステルちゃん本人が、その質問にちょっと慌てた。
両親のユリアナさんとエルメルさんは黙って、少し考え込んでいるようにも見える。
母さんや姉ちゃん、レイヴンの皆もエステルちゃんのことなので耳を澄ませている。
「わたしが先ほど、結びつきが強いって言ったからかしらね。でもそれは、魂の結びつきのことなのよね。以前にザックさんにはお話したことがあるのだけれど、わたしたち風の精霊とファータは血の繋がりではなくて、魂の繋がりがあります。血脈という言葉があるのなら、敢えて言ってみれば魂脈かしら」
いつだったか、そんな話をしたよな。あれは初めて妖精の森でお会いした時だったっけ。
シルフェ様の言い方を噛み砕くならば、血つまり遺伝子が子孫に受け継がれて行くのではなくて、風の精霊の魂がファータの子孫に受け継がれて行っているということらしい。
「その魂の繋がりが、時を超えてごくごくたまに、とても色濃く浮かび上がることがあるの。そうするとその子は、魂脈の基になっている風の精霊との結びつきが強くなるのね。それがエステルよ。それで、この子の魂脈の基になっているは、わたしですから」
「そういうことですかの。なんとのう理解出来たような。つまり、ファータにはそういった可能性があると」
「まあ、そうね。さっきも言いましたけど。ごくごくたまにね」
そう言ってシルフェ様は俺の方を見て、ニコっと笑った。
話したことに嘘はないのだろうけど、というか精霊様は嘘をつかないが、それ以外の理由もあると以前にシルフェ様は俺だけに伝えている。
「それで、エステルのことを、その、畏れながらシルフェ様の妹と呼ばれておりますのは」
「ああ、そのことね。遠いご先祖様でも曾曾祖母さんでもいいんだけど、それじゃほら、もしも人間の前で口に出しちゃった時に、見た目からすると変でしょ」
シルフェ様は戯けてそう言った。
「あと、ザックさんには、とても素敵なお姉さんがふたりいらっしゃるけれど」と、アビー姉ちゃんに微笑みかける。
「それでアビーちゃんと、グリフィニアにいらっしゃるヴァニーちゃんが、エステルのお姉さんになっていただけたのだけど、こちらの方にもひとりぐらい姉がいてもいいと思ってね。それにザックさんをね」
最後は小さな声で付け加えたけど、俺を義弟にしたということかな。
「あの、シルフェ様。大変畏れながら、わたくしからもお聞きしたいことがあります」
それまでずっと無言だったユリアナさんが、思い切ってという感じで口を開いた。
「ユリアナさん、何かしら」
「あの、ずっと以前、エステルが生まれて少しした頃に、眠っているわたしは夢を見ました。その夢に、シルフェ様が出ていらして」
「あら、そうなのね」
ユリアナさんが見たという夢のお告げの話だ。
その夢に現れたシルフェ様は、やがて俺が生まれることを予言し、その俺とファータとそしてエステルちゃんとの強い縁を結べと、ユリアナさんに伝えたのだ。
「わたしはそれを、ずっと心に留めておりました。そしてザックさんがお生まれになった時に、子爵さまとアンにも正直に話して、おふたりもそれを真剣に受け止めていただきました」
「だから、今があるのよね」
「はい。わたしたちはエステルを早くからグリフィニアに派遣し、子爵さまたちはそれを受入れてくださった。でも、あとはこのふたりが自分たちで決めたことです」
「そうね」
「それで、あの時のわたしの夢に出ていらしたのは、その、シルフェ様なのでしょうか。今でもはっきりと憶えておりますが、その時に夢で見たお姿が、いま目の前におられるシルフェ様とそっくりで」
「そんなことがあったのね。ふふふ。さて、どうかしら。その頃というと、アマラさまにお会いした頃かしらね、シフォニナさん」
「確かそうでしたね。久し振りにお会いなされました」
シルフェ様は俺的には結構重大なことを言っているのだが、聞いている皆はどうして太陽と夏の女神アマラ様の名前が出たのかが分からず、ぽかんとしている。
真性の精霊様であれば、アマラ様にもお会いするのだろうなと、ただただ感心している感じだろうか。
俺は余計な口を挟みませんよ。アマラ様とヨムヘル様にお声を掛けていただいた経験のあるエステルちゃんも、唇を固く結んで迂闊なことを口に出さないようにしているみたいだね。
「精霊は神さまではないので、この世界の理をどうこうしたり、まだ来ぬ未来について預言したりは出来ませんよ。この世界の素となるもののいくつかを護るのが、お役目ですからね。でも時には、何かをお伝えすることは出来ます。その時もきっと、伝えたいというわたしの思いが、ユリアナさんの夢に現れたのでしょうね」
シルフェ様はそういう言い方をしたが、これは絶対にユリアナさんの前に実際に来てるよね。
風を使った幻惑魔法みたいなもので夢とも現実ともつかぬ状態をつくり出して、夢の中のお告げとして伝えているよな。
そう話しながら凄く悪戯っぽい表情をしていたのを、俺は見逃さなかったですよ。
それからエーリッキ爺ちゃんは、大昔のファータの里へのクロミズチ襲来伝説の話を聞きたがった。
前に里に来た時に話して貰った、特大級の魔物であるクロミズチに里が襲われた話だよね。
多くの里の者が闘って倒れた時に、シルフェ様が大竜巻を起こしてその中に封じ、弱ったクロミズチの両目に里長家のご先祖様がダガーを撃ち込んで倒したという神話だ。
そしてその夜、ご先祖様のもとに美しい少女の姿のシルフェ様が現れて、現在に至るまでこの里を囲む霧を発生させている霧の石を授けた。
その霧の石は、シルフェ様の魂の欠片から作られたものだと、代々里長のシルフェーダ家に伝えられている。
魂の欠片は、シルフェ様が言うところの抜け毛か、伸びた爪を切ったみたいなものですね。
ちなみに先日作り過ぎたという霧の石は、俺の無限インベントリにまだ大量に収納されている。
「あらあら、そうだったかしら」とシルフェ様は記憶を探り、それからシフォニナさんに聞いていた。
ファータの里の大切な言い伝えなんだから、忘れたとか言わないでくださいよ。
「思い出したわ。千五百年ぐらいは前よね」
「もう少し前のような気がしますよ、おひいさま」
「そうだったかしら。まあいいわ。ねえアル、この里を襲ったクロミズチのこと、あなた憶えてる?」
「ずいぶんと昔の話じゃな。クロミズチかの。おお、あの悪賢いヘビか。なんぞ邪な者に唆されたクソヘビじゃったの」
「そうそう。あちこちの人間の村を襲って荒らして、それでとうとうこの里にまで来たのよね」
「わしのところにもシルフェさんが報せを寄越したの。じゃが、わしが行く前に里の衆とシルフェ様とで倒したと記憶しておる」
「おお、アル様もご助力に来ていただける話だったのですかの」
「そうなのじゃよ。わしもあのクソヘビが暴れているのは、承知しておったのじゃ。しかし、あんなやからが人間の村を荒らしても、わしらが助けることはまずない。じゃが、シルフェ様の眷属の里ではの。それで駆けつけようとしたのじゃが、勇敢な里の者が力を合わせて退治したと聞きましたな」
そんなことだったんだね。千五百年ぐらいは昔というと、アルさんもまだ若かったのだろうか。
ふーむ、若い当時のアルさんて想像が出来ないんですけど。
そんな話をしているうちに、里の衆が宴会の支度が出来たと呼びに来てくれた。
1日置きで宴会ですよね。でも今日はまだ昼なので、ランチ宴会?なのかな。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




