第419話 山道から峠越えへ
朝6時前にケルボの町を出て、北方山脈の峠越えへと出発する。
まだかなり早い時刻なので町中を行き交う人も馬車も少なく、都市城壁の門もきわめてスムーズに出ることが出来た。
どこの町でもそうだが、入る時はチェックが厳しくても、出る際はすんなり通してくれる。
ルアちゃんが帰省しているケルボの町は、ほとんど見て廻ることが出来なかったな。
出来れば彼女にも会いたかったところだが、今回は致し方ない。また訪れることも、きっとあるよね。
町を出て少し走ると、道は木立が並ぶ林の中へと入って行く。
グリフィニアやラウモほどではないが、北はアラストル大森林に近いケルボの町の東方向は北方山脈の山裾だ。
俺たち一行はこの山裾に沿って伸びる林道を、峠越えの街道との合流地点を目指して快走する。
今日も町の外に出ると直ぐに俺は御者台に移動していた。御者役はブルーノさんだね。
ティモさんは何かの時のために機動性を確保する意味もあって、騎馬で馬車の前を走っている。
馬車の横にジェルさん。後ろにオネルさんとライナさんだ。
進む速度は今回の旅でいちばん速く、かつ林道ということもあってブルーノさんが手綱を注意深く扱っているのが分かる。
「ティモさんが、予定以上に速度を上げて引っ張っていやすな」
「そうなんだ。時間を稼ぐため?」
「間道を歩く時間に、余裕を持たせるためでやすな」
昨晩ティモさんは、峠越えの間道を3時間から4時間歩くと言っていたが、時間の幅を持たせたのは、アン母さんがどのぐらい歩けるかが分からないからだ。俺もそこは分からない。
アビー姉ちゃんは一緒に走っても、付いて来られるだろうけどね。
1時間半ほど進んだ最初の休憩で宿屋に用意して貰っていた朝食を摂り、そこから暫く進むと峠越え街道に合流した。
だがまだ時間が早いこともあって、見える限り他の馬や馬車の姿は無い。
3年前の時には、リガニア紛争の影響からセルティア王国側に流れて来た山賊対策として、商人の馬車が合同してコンボイを組み、護衛の人数も増やして山越えをするという話を聞いたけど、現在はどうなのだろう。
あの時は、山賊の一団をひとつ俺たちが潰したが、ああいうのって直ぐに湧いて来るからね。
「今回も山賊とかが出るかなあ」
「さてどうでやしょう。でも前回よりは、こちらも戦力が上がってやすし、見えるかたちで護衛がいやすからね」
ああそうか。前回は俺とエステルちゃんのほかは、ジェルさんとライナさん、ブルーノさんの3人だけだったんだよね。
それで、ブルーノさんが御者役で、ジェルさんとライナさんは馬車の中に一緒に乗っていたから、一見すると護衛無しの馬車が無防備にも単独で、さあ襲ってくださいって感じだった。
それが今回は、4騎も馬車を囲んで疾走している。
ゆるゆるとした登り道から、左手の崖下に谷川の流れる山道へと変わり、登りの角度も少しばかり急になって来た。
一昨日、昨日と、これまでは午前中に休憩を2回入れていたが、今日はつい先ほど3回目の休憩を挟んだ。それでもまだ11時ぐらいのようだ。
朝6時前に町を出てから、もう5時間が経過しているんだね。
クロウちゃんは、山道に入ってからは警戒のために空を飛んでいる。
「(カァ、カァ)」
「(なになに、見たことのある場所に近づいてるの?)」
クロウちゃんが珍しく空から念話で言ってきた。緊急の場合は俺だけに通じる思念だからね。
そう言えば、この風景は憶えてるな。前方で道が右に大きくカーブしている。
「(ああ思い出した。山賊が待ち伏せしてたとこだ)」
「(懐かしいですねぇ。今日は、山賊さんはいませんか?)」
「(カァ)」
念話なのでエステルちゃんにも聞こえていて、そんなことを言う。
クロウちゃんはのんびりとした調子で、居ないよーと応えた。そうそう同じところに居ませんよね。
「ブルーノさん、このカーブ」
「ええ、3年前を思い出しやすよね。ほらこの広場。ここで闘いやした」
「そうだね。ライナさんが土壁を立ち上げて、エステルちゃんが竜巻で吹き飛ばしたんだ」
「それで、逃げたやつらをジェルさんとライナさんが追いかけてるときに、山賊の親玉の別働隊が出て来て、ザカリー様が斬りやしたな」
思い出したよ。ブルーノさんがひとり、俺とエステルちゃんがふたりずつ。
うち4人は殺さなかったから、エステルちゃんとライナさんがのたうつ山賊相手に回復魔法の訓練とかしてた。
重傷を負わせといて回復して縛るとか、ホント迷惑な話だよな。
ブルーノさんとそんな物騒な思い出話をしながら少し進んで行くと、上空のクロウちゃんから思念が飛んで来た。
「この少し先で、ミルカさんたちが待ってるよ」
「おお、そうでやすか。ティモさん、前方にミルカさんがいるそうでやす」
「承知」
ブルーノさんが大きく声を出して、馬車の前を進むティモさんにそう伝えると、彼は速度を上げて先行して行った。
ジェルさんも馬を寄せて来る。
「そろそろだと思ってましたが、早く着きましたな」
「そうだね。予定より30分ぐらいは早いか」
前方に人の姿が見えて来た。ティモさんはもう馬から降りて、ミルカさんと話している。
それからあとふたり、同じうちの調査探索部員でミルカさんの部下のアッツォさんとヘンリクさんだ。
もちろんふたりともファータ人で、3年前もここで待っていてくれたよね。
「ザカリー様、お早い到着で良かったです。道中お疲れさまでした」
「うん、ティモさんがうまく調整してくれたからね」
俺は御者台から降りながら、声を掛けて来たミルカさんにそう応える。
間もなく馬車の中から母さんたち3人も降りて来た。
「ミルカさん、みなさん、お出迎えご苦労さま」
「奥さま、無事にここまで到着なされまして、本当に安心いたしました」
「あら、別に何ごとも無かったわよ。そうそう、昨日は盗賊が待ち伏せてたけど」
「なんと。まあ、盗賊ぐらいでは問題は無いでしょうが」
「ザックとライナちゃんだけで、あっけなく済んじゃったのよ。今日も何も出ないし」
「はあ。まあ、問題が起きないのがいちばんですから」
母さんはやっぱり、今日も山賊が出ないかとちょっと期待していたのかな。
血を見るようなイベントよりも、順調に行程をこなす方が大切なんですよ。
既にジェルさんたちは、持って行く荷物で馬車に僅かばかり積んでいたものを、ふたつのマジックバッグに収納する作業をしている。
主に母さんたちの手周り荷物だから、エステルちゃんがあれこれと指示をして手早く行っていた。
姉ちゃんは、車内に置いていた剣を自分で所持して行くのね。まあいいでしょう。
それで、俺たちが乗って来た馬車と馬は、アッツォさんとヘンリクさんがラウモの町まで戻してくれる。
今回は2頭立ての馬車に騎馬が4頭なので、ご苦労をかけます。
騎馬は2頭を馬車の後ろに繋ぎ、ひとりが御者でもうひとりが1頭に乗って、残りの1頭を引いていく訳ですか。
山あいであとひとり調査探索部員が見張りのために待機していて、途中からは3人体制で行くのだそうだ
準備が整ってアッツォさんとヘンリクさんが山道を下って行くのを見送り、「それでは我らもそろそろ行きましょう」というミルカさんの声で、いよいよ間道の峠越えに俺たちも出発する。
この間道は、3年前に辿ったのと同じ道ですね。獣道のような道幅の細いルートだ。
確か前回はゆっくり走って、最後は急な登りを行ってだいたい1時間。そこがこの峠越えの最高地点だった。
今回はそのルートを、予定では2時間ほどで歩き通す。
さあ出発という時に母さんが全員を集めて、朝からの疲労を回復させ、これからのエネルギーを持続させる回復魔法を一気にかけてくれた。
母さんならではの、きめが細かく優しくてかつ強力な回復魔法だ。
まあ、自分自身を挫けさせない意味もあったのだろうね。
エステルちゃんは、「やっぱりお母さまの回復魔法は、勉強になりますぅ」と、あらためて感心していた。
ライナさんは母さんの後ろを歩きながら、何か先ほどの魔法について聞いている。
やがて母さんの言葉も少なくなり、相変わらず話しながら歩いているのはエステルちゃんとアビー姉ちゃんだ。
このふたりのスタミナは無尽蔵だからね。
姉ちゃんは天性のものに加えて、幼少期からの鍛錬で増幅されている野性。エステルちゃんも同じく小さいときからの鍛錬と、あとはやはり最近の精霊化が影響しているんじゃないかな。
俺は走りたいのを我慢しながら、後方から母さんの様子を伺いつつ進む。
エステルちゃんも母さんの前を姉ちゃんと行きながらも、ちらちらと後ろを確認しながら歩いている。
まあギブアップになっちゃったら、俺が背負って歩きますよ。
それでも母さんは、音を上げることはなかった。
およそ2時間。最後の急な登りも、なんとかクリアした。
「最高地点に着きました。皆さんお疲れさま、休憩です」と先頭のミルカさんが全員登り切ったのを確認して、そう皆に告げる。
「ふわぁー、これで登りはお終いなのね」
「お母さま、凄いですぅ。登り切りましたぁ」
「なかなかやるじゃん、母さん」
すっかりへたり込んでしまった母さんだが、元気を取り戻させるかのようにエステルちゃんと姉ちゃんが口々に声を掛けた。
「ミルカさん、ここで昼食でいいかな」
「はい、少し遅い昼食になってしまいましたが、ここで結構ですよ」
この場所には狭いけど休憩が取れる空間があるので、直ぐさまティモさんが人数分の椅子とテーブルを1台出して並べる。
俺は、地面にへたり込んでいる母さんをその椅子に座らせた。
エステルちゃんは、果汁入り甘露のチカラ水を母さんが飲むのを手伝っている。
「よく頑張りました、母さん。ほらあっちを見て。国境の監視所が見えるよ」
「どれどれ、あらー、とってもいい眺めねー。監視所よりもこちらの方が高いのね」
「そうだね。あれだけ登ったからね」
「最後の登りはきつかったわ。でもこの眺めがご褒美なのね」
「そうそう、山登りのご褒美は分かりやすいよね」
「あそこに監視所があるということは、わたしたち、国境を越えたのかしら」
「そうですよ、お母さま。ここが境目、もうリガニア地方にいます」
母さんも、そして姉ちゃんも、国境を越えて他国に入るのは初めての経験だ。
エステルちゃんがそう言うと、母さんはよいしょと椅子から立ち上がって四方を眺めた。
南北に続く山脈。そして西がセルティア王国で東はリガニア地方だ。
「ザック、お昼ご飯にしようよ。母さんももう食べられる?」
「姉ちゃんは、この雄大な眺めよりも昼メシか」
「眺めは楽しんだから、今度はご飯なの。みんなもお腹を減らしてるわよ」
「へいへい」
ライナさんが昼食のサンドイッチを、既にマジックバッグからテーブルに出していた。
ここは握り飯と行きたいところだが、お米を食べる習慣がないからね。
それでもサンドイッチで充分だ。
「では、無事に国境を越えたことを祝して、美味しくお昼ご飯をいただきましょう」
「みなさん、わたしたちをここまで連れて来ていただいて、本当にありがとうございます」
母さんは立ち上がったまま、全員に深々と頭を下げた。姉ちゃんもそれを見て、慌てて頭を下げる。
俺とエステルちゃんも同じくだ。空から下りて来たクロウちゃんも、そんな風にしている。
「いやいや、そのように。われらは当然のことですから、奥さま、頭を上げてください」
「堅苦しいのは、そのくらいでいいでしょー。さあ、いつものようにみんなでご飯を食べましょー」
「ですね、ライナ姉さん」
だよね。あともうひと息だから、元気をつけるために昼食を美味しくいただきましょうかね。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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