第418話 ケルボで峠越えに向けて1泊
「見えて来やしたよ。ケルボの城壁でやす」
「おお、あれがケルボの町かー」
俺たち一行は、ようやくエイデン伯爵領のアラストル大森林近くの町ケルボに到着した。
昨日から辿って来た裏街道がこの町に近づく途中で別の街道に合流し、往来する馬車や人馬と擦れ違うようになる。
いま入ったこの道が、エイデン伯爵領の領都とケルボを繋ぐ道だからだ。
そして近づいて来た都市城壁の一角に口を開けている門の前にも、何台かの馬車が並んでいるのが見える。
俺たちもあの後ろに付いて、町に入る順番待ちをしなければならない。
その門の様子を遠目に見ていると、ジェルさんが馬を寄せて来た。
「ザカリー様、そろそろ馬車の中に。門の警備とチェックが厳しいようですから」
「あ、そうだね。クロウちゃんは空から越えて」
「カァ」
「少し速度を落としやすか?」
「いや、大丈夫」
クロウちゃんが飛び立って行き、俺は御者台から馬車の側面にするするっと掴まりながら降りて、ドアを開けて車内に滑り込んだ。
「もう、ザックさまは。ドアを開ける時は、声掛けてください」
「あ、ゴメンゴメン」
「ケルボの町に近づいたのね」
「うん、母さん。もう少しで門に着く。いちおう打合せ通りね」
「母さんは商家の奥さまで、わたしらはその子どもだよね」
「たぶん、馬車の中は覗かれるだけだと思いますけど、知らんぷりしててくださいね。お母さまは、なるべくお顔が見えない感じで」
「わかったわ、エステル」
暫くして馬車が停まり、それから順番待ちをする。
俺たちがグリフィニアの商家の家族であることを証明する擬装書類というか、うちの内政官事務所が発行した本物の書類なんだけど、その書類をジェルさんが持っている。
これは念のためで、通常は他領のどの町でも口頭で言えば入れる筈だ。
それで警備兵が馬車内を覗き、言った通りの人数が乗っているかを確認すれば終わる。
やがて門の前に着いて俺たちの番になったようで、馬車が停止した。
ジェルさんが門衛と話す声が聞こえる。
そして、馬車の窓の外から車内を覗く警備兵の顔が見えた。母さんは隣に座るエステルちゃんと何か話している風にして、そちらに顔を向けないようにしている。
その向かいに並んで座っている俺と姉ちゃんも、警備兵が覗いているのを無視して話している風に装った。
やがて馬車がゆっくりと動き出す。何ごともなかったようだ。
少々緊張していた車内の空気が緩み、4人はそれぞれに車窓から外の街並を眺める。
ケルボの町は、一昨日に泊まったエルネスト伯父さんのラウモの町よりも少し大きいと聞いている。
なるほど街並も揃っているようで、なかなかにしっかりとした町のようだ。
馬車は町の大通りと思しき道を走り、グリフィニアの中央広場ほどではないが、それでもなかなかの規模の広場の横に着いて停止した。
「ジェルさん、降りていい?」
「はい、大丈夫です」
それで俺たちは馬車の外へと出る。クロウちゃんは既に空から下りて来ていて、エステルちゃんのお胸に飛んで納まった。
「ティモさんとライナで、宿を探しに行っています」
「どこか空いてるといいわね」
「町いちばんの高級宿は、よほどの来客がない限り、いつも空き室を確保している筈でやすから、おそらく大丈夫だと思いやすが」
「あ、あそこに屋台が出てるよ。ねえ、ちょっと見て来ていいかな」
「アビー姉さま」
「姉ちゃん、もう腹を空かせたのか」
「そんなことは、まあ、あるんだけどさ」
「オネル、頼む」
「では、わたしも行きますよ。姉さま、オネルさん、行きましょ」
「やったー」
それで姉ちゃんとエステルちゃんにオネルさんが付き添って、広場に数軒出ている屋台の方に歩いて行った。
その後ろ姿が楽しそうだよな。初めての町って、なんだかそうさせるよね。
「もう夕方なのに、あの子ったら」
「まあ姉ちゃんの場合、1日5食は食べられるから」
「それでも一向に太りませんな」
「姉ちゃんは、食べたそばから身体の中で燃えちゃうからね」
「身体の中で燃えるのですか? 食べた物が?」
「あ、いや、ものの例えだけど」
そんな話をしていると、ライナさんとティモさんの乗る2頭の馬が近づいて来た。
「どうでやした?」
「ブルーノさんの教えてくれた宿屋で空いてたわよー」
「3部屋確保出来ました」
「おお、それは良かった」
「あれ、エステルさまたちはー?」
「ほら、あそこだよ。あの屋台」
「ホントだ。屋台ねー。じゃ、わたしが呼んでくるわー」
ライナさんが馬の手綱を馬車に結ぶと、さっと走って行ってしまった。
「ライナのやつ。自分が屋台を見たいだけだな」
「初めて来た町なんだから、そのぐらいはいいわよ」
「すみません奥さま。どうも緊張感がなくて」
「ライナちゃんらしいわ」
屋台の前ではライナさんが合流して何やら賑やかにやっていたが、やがて4人がそれぞれに何かをたくさん抱えて戻って来た。
「あらあら、ずいぶんと買って来たのね」
「いろいろ美味しそうなのがあったので、夕食用に買っちゃいましたぁ」
「レストランを探すより、屋台のご飯の方が良いのではと思いまして」
「母さんもそれで大丈夫だよね」
「ええ、屋台のお料理ね。楽しみだわ」
「じゃ、宿屋に行くわよー」
しっかり者のオネルさんも加わって、あとのマイペース3人が嬉しそうにそう言うので、ジェルさんも特に文句は言わなかった。
下手に人の目の多いレストランや料理屋に行くよりは、彼女もその方が良いとも考えたのだろう。
ライナさんとティモさんが確保して来た宿屋に着き、部屋に案内される。
クロウちゃんは、部屋の窓から入れてしまうことにした。
以前にデルクセン子爵領の領都の宿屋で、部屋に入れられなくて馬小屋に泊まらせたことがあったよね。あの時はもの凄く機嫌が悪くなったからなぁ。カァ。
部屋は高級宿だけあって、3部屋それぞれがゆったりしていてベッドも3つある。
そのうちのひと部屋には広いリビングが付いており、ここは母さんと姉ちゃん、エステルちゃんに使って貰おう。
それで3つの部屋を確認し、クロウちゃんを窓から入れてから、そのリビングに全員が集合した。
そろそろ良い時間なので、夕食を食べていまいましょうかね。足りない椅子やテーブルはマジックバッグから出します。
あと、ワインを何本かティモさんの持つバッグの方にさっき入れておいたので、ワインも出しますよ。
屋台料理は、定番の串焼きやピタパンに肉と野菜を挟んだケバブ風サンド、タルティフレットのようなジャガイモ、タマネギ、ベーコンにチーズを乗せて焼いたもの、焼きウィンナーにクロケットに似た揚げ焼き料理もある。
北に大森林、東には北方山脈と、森林の側で山に近い町だから、肉やチーズ、ジャガイモなどの料理がほとんどだね。
海からはかなり遠い地なので、もちろん魚介類は無い。
それでも、どれもなかなか美味しくいただけました。
食後はエステルちゃんが紅茶を淹れてくれて、目で言って来るものだからデザートにトビーくん謹製のお菓子を出しました。
今回もトビーくんは、エステルちゃんの要請で大量のお菓子を作らされている。
「さて、明日は峠越えだ。いちおう予定を確認しておきましょうかね」
「そうね。いよいよだわ」
母さんはとても嬉しそうだ。前回の俺とエステルちゃんの旅では山賊が出たことを知っているから、また何か期待しているのかなぁ。
でも盗賊は今日、裏街道で出ちゃったよね。
「では、ティモさんからお願いします」
「はい、それでは確認して行きます」
ティモさんは、今回の計画を統括している調査探索部の部員だ。
「明朝は、これまでより早く出立します。朝の6時頃を予定していますが、皆さんよろしいですか?」
「了解でーす」
「朝食と昼食分の食べ物は持って行けるよう、既に宿屋に用意を頼んであります。ですので、朝食抜きで宿を出ます。それから本日入った門と別の門を出て、東南方向に北方山脈を目指します。そうしますと林道に入り、途中で領都からの山脈越えの街道と合流となります。その前にどこかで朝食という感じですね」
「峠の国境の監視所までは、ここからだとどのくらい?」
「そうですね。領都からよりは多少廻り道になりますが、少し急いで6時間ほどで」
領都からだとゆっくり行って6時間足らずだった筈だから、それよりは遠いが多少急ぐという訳だね。なので朝の6時には出発する。
「もちろん、監視所までは行かなくて、峠の手前でミルカさんたちが僕らを見つけてくれる手筈だよね」
「はい、その通りです。この宿を確保している時に繋ぎを取りましたので、私たちの到着の報せはミルカさんに今夜中に入ります」
ミルカさんたちファータの調査探索部員のみんなは、峠を越えた国境の向うで待機してくれている。そのうちの誰かが、繋ぎ要員としてこの町にいた訳だ。
それで、間道に入るところでミルカさんたちが俺たちと合流し、ここまで乗って来た馬車や馬を、調査探索部員がブライアント男爵領のラウモの町まで戻す予定になっている。
馬車と馬は、俺たちが帰るまでエルネスト伯父さんの屋敷で預かって貰う。世話をおかけするばかりの伯父さんには、感謝しかないな。
「あとは間道を行って山脈を越えるばかりですね。少々きついルートですが」
「間道を行くのはどのぐらいかな」
「今回は歩きですので、途中の昼食休憩を含め3時間から4時間弱ほどで見ています、ジェルさん」
「山道を歩いて3時間から4時間だな。大丈夫でしょうか、奥さま」
「大丈夫よ、心配しないで。体調も万全だし」
「今回は走って山越えはしないのよねー。前の時は、正直しんどかったわー」
ああ、前回は間道に入ったらもう直ぐに走ったのだっけ。山道だからそれほど速度は出なかったけど、2時間も掛からずに山を越えたんだよな。
「ザックとエステルちゃんと動くと、だいたいは走るよね」
「もう慣れちゃったけどねー」
「それじゃ、わたしも走れるようにならないとかしら」
「お母さま」
いやいや、俺とエステルちゃんの場合、走るのは起きて顔を洗ったり食事をしたりと同じ日常的行為ですから。レイヴンメンバーもそれに巻き込んでるけどね。
でも母さんも毎朝走るとか、健康や体力づくりにはいいですよ。
姉ちゃんは放っておいても、野性の女子だから走れる。
まあでも、今回は歩いて山越えをしましょう。ここで無理をしてはいけませんからね。
「リガニア地方側に入りますと、馬車と馬が里から用意されている予定です。ですので、山越えだけはご辛抱を願います」
「それで、今回も野営を1泊挟む感じかな」
「はい、池の側を予定していると思います。前回にも、そこで野営されたと聞いていますが」
「ああ、あそこか」
「気持ちのいいところですよ」
「トゥルータが美味しかったわよねー」
「今回も釣りやすか」
「いいね、ブルーノさん」
前はブルーノさんとミルカさんと3人で、ブラウントゥルータ釣りをしたんだよね。今回もやりたいな。
あそこは、山林に囲まれた広々とした草原と美しい池があって景色のいいところだし、今からとても楽しみですよ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




