第415話 野営の夜
夕食に、セルバス肉つまり鹿肉の煮込みシチューをメインにした料理をいただく。エステルちゃんとライナさん、それにアビー姉ちゃんが手伝って作ったものだ。
時間をかけて煮込まれているので、肉も柔らかく野菜もたっぷりでとても美味しい。
セルバス肉なので少し淡白だが熟成させてあって風味豊かで、そこが野営料理らしさを楽しませてくれる。
「これって、普段いただくお肉と違うわよね。もしかしてセルバスとか?」
「ピンポーン。正解でーす」
「うちの厨房から持って来たの? でもセルバスのお肉なんてあったのかしら」
「ブッブー。不正解でーす。王都屋敷から持って来た物でしたー」
「ザカリーさまが初めに言っている、ピンポーンとかブッブーとかは、どういう意味なのだ、エステルさま」
「それが、わたしにも良くわからないのよ。今みたいな時に、ときどき言い出すんだけど」
「なんかの音っぽいわよねー」
「あー、音ですか。そういえば、何かの音の真似をしているような」
「あの言葉? 音? を言うとき、なんだかいつも凄く嬉しそうなの」
「嬉しい時に出す音なのか?」
「ピンポーンはそんな感じだけど、ブッブーはなんだか嫌よねー」
つい口から出てしまっていた。
エステルちゃんとふたりの時に、そういえば子ども時代から時々言っていた気がするような。
前世では口から出したことが無かったと思うから、何かのきっかけで思い出したのかな。
暗くなってからは、野営している空間の周囲の樹木に気をつけながら焚き火を焚いている。
そこにテーブルと椅子を並べて皆で夕食を食べ、そのあとは寝るばかりだが、この世界の夜は長い。
見張り番は、21時から朝6時までの3時間ごと4交替。野営の際は、だいたいこのシフトだ。
俺やエステルちゃんが、見張り当番に参加すると必ず言うのを分かっているジェルさんは、自分たちを後半のシフトに振り分けて、「それでは、初めはお願いします」と言って来た。
まあ、21時から24時ぐらいの時間帯は、たいていいつも起きているからね。
深夜から早朝を担当するレイヴンの皆は早々にテントの中に入り、今はうちの家族とジェルさんだけが焚き火の側にいる。
「ジェルさん、お父さまのお加減はどうかしら」
「あ、はい奥さま。お陰さまでだいぶ安定しておりまして、村での生活には支障がないようです」
「そう、良かったわ。バリエの村も何も問題はないのよね」
「はい、村もいたって平穏で」
ジェルさんの父上、先代のバリエ騎士爵は、昨年から体調を崩して自分の村で療養生活を送っている。
ジェルさんが騎士爵を叙爵してからもう1年が過ぎたんだね。
お父さんも、体調がそれ以上悪くなっていないようで良かった。
「こんど、わたしがお身体の様子を見に行くわね。わたしの回復魔法が効くかどうか、わからないけど」
「そのような。奥さまに村に来ていただくなど、もったいないです」
回復魔法は傷や骨折などの外科治療には極めて有効だが、内蔵疾患や伝染病などをどの程度治療出来るのかは俺も良く分からない。
俺がもし前々世に医療関係の職業であったら、ジェルさんの父上の病状も多少は分かったのだろう。
話を聞いた限りでは、なんとなく痛風ではないかと想像しているが、なんとも言えないな。
「それでジェルさんも、そろそろのお年頃になって来たわよね」
「な、なんですか、奥さま」
「いえね、いい人がいないかなーって」
「そんなもの、おりません。お見合いもしませんぞ」
王都でジェルさんのお見合い騒ぎがあったのも昨年のことだ。
ジェルさんの父上がかつて王都に行った折りに、たまたま面識を持った王宮騎士のなんとかっておっさんからジェルさんのお見合い話を持ちかけられて、エステルちゃんたちも同行してきっぱりお断りに行ったんだよね。
その時に、そのお見合い相手が王宮騎士団の副団長のサディアスさんだって判明した。
というか、こちらには事前に知らせずに本人が呼ばれて来ていたものだから、ジェルさんたちは怒りまくって帰って来たという事件だ。
そんなこともあって、ジェルさんには王宮騎士とお見合いというふたつの単語は禁句なのだ。
とは言え、ジェルさんも今年で23歳。前々世の世界だったら結婚なんてまだまだ先っていう歳かもだけど、この世界の女性の場合は早いからな。
「私は、少なくともザカリー様が学院をご卒業なさるまでは、そんなものとは無縁です」
「あら、でもジェルさん自身の将来のことは、ジェルさんがご自分で決めないとダメなのよ」
「それは、わかっておりますが」
「やっぱり、ジェルさんのお相手は、うちの子爵領の中で見つけないとかしら」
「奥さま……」
「まあ、ザックが王都にいる間は、ザックとエステルのことはあなたにお願いするので、その間に考えましょうね」
「はい」
以前にエステルちゃんと話したこともあるけど、女性騎士の結婚は考えると意外と難しい。
騎士であるからには騎士団の先頭に立つ立場として、領都の本部やジェルさんの場合だったら王都屋敷に詰めていなければいけない。
一方で騎士爵家当主として、自家が治める村に対する責任もある。普段は村長に任せているとしてもね。
だから他家にお嫁に行くことは通常は適わないし、婿を貰うとしても相手選びが大変だ。
仮に他家に嫁ぐとしたら騎士爵位は別の誰かに譲ることになるだろうけど、ジェルさんの場合はひとり娘なので、譲る相手が自分の家にはいないんだよね。
母さんが殊更にジェルさんのことを心配するのは、単に余計なお節介ということではなくて、そんな事情を充分に分かっている領主夫人としてだからこそだ。
ただジェルさんはもう、この話の続きはしたくなさそうだった。母さんもそれを察して、直ぐに別の話題に変えたけどね。
小声で話していたエステルちゃんとアビー姉ちゃんに、母さんとジェルさんも加わって女性4人で時々笑いながら何やら話している。
クロウちゃんは珍しく俺の膝の上だ。暫くは俺と話していたけど、さっきからはもう居眠りをしている。
夜も24時近くになり、母さんたちにはそろそろ寝て貰わないとだな。
「エステルちゃん、クロウちゃんを頼む。そっちのテントで寝かせて」
「ザックさまは?」
「もう少し、ジェルさんの見張り番に付き合うよ」
「ザカリーさまもお休みになってください」
「いや、ひとりだと寂しいでしょ」
24時からのシフトはジェルさんがひとりで見張り番をすると言っていたが、俺も一緒に起きていることにする。
「(エステルちゃんが起きてると、母さんも姉ちゃんも寝ないから、一緒に寝かせて)」
「(そうですね。じゃあ、ジェルさんはザックさまにお任せしますね)」
「(うん、了解)」
エステルちゃんは、「クロウちゃん、テントで寝ましょうね」と俺の膝の上からクロウちゃんを回収し、母さんと姉ちゃんを促して3人が休むテントに入って行った。
「ザカリーさま、すみません」
「いいんだよ、ジェルさん。僕は楽をさせて貰ってるからさ」
そうして俺たちは、暫く無言でパチパチと燃える焚き火の炎を見ていた。
夏の夜空には満天の星が輝き、大森林は時折フクロウらしき鳥の鳴き声が微かに聞こえるぐらいで、とても静かだ。
「ザカリーさま」
「ん? なに」
ジェルさんが不意に俺に声を掛けて来た。
「先ほどの奥さまのお言葉ですが」
「ああ、ごめんね。あれで母さん、みんなのことを随分と気にかけているから」
「いえ、それは充分に承知しています。ですが、ああいう話が出ると、いつ私が王都のお役を御免になるのかと心配で。しかし、先ほどのお言葉ですと、ザカリーさまがご卒業になるまでは、王都にいていいということですよね」
昨年からもう1年半、彼女は王都屋敷分隊の分隊長になっているが、逆に言えばグリフィニアの騎士団からはそれだけ離れている訳だ。
ましてや昨年の夏に騎士爵位を叙爵されて、本来なら新任の騎士として本部詰めをするところかも知れない。
なので、いつグリフィニアに戻されるのかと、それがずっと心配だったようだね。
「僕が王都にいる間は、ジェルさんにお願いするって言ってたから、母さんだと無責任なことは言わないと思うよ。だから大丈夫」
「そうですね。奥さまのお言葉で安心したのですが、不安にもなりまして」
「お父上のことと村のことと、それから、お相手はいるのかって聞かれたからだよね」
「そうなのです。純粋にご心配いただいているのだと思いますが、騎士になったばかりなのに本部から離れ、当主であるのに村にも滅多に帰っていない自覚があって」
「村になかなか帰れないのは、本当に申し訳ないと思っている」
「あ、いや、王都にいるのが不満ではないのです。逆なのです。どうしたいのかと聞かれたら、出来るだけ王都やお側にいたいのです。ただ……」
ジェルさんには珍しく、随分と言葉数が多かった。深夜の見張りで小声ではあるが、彼女の心配する思いが伝わって来る。
「村とお父上のことは、ジェルさんがいない時には、子爵家と騎士団でちゃんと見てくれるから心配しないで。それでまずはあと2年半、一緒に頼むよ。その後のことは、ゆっくり考えよう。王都のことはジェルさんに任せているんだし、王都屋敷では僕の家族の一員だからさ」
「はい、ありがとうございます。そう言っていただけるのが何よりです。すみません、面倒くさい話をしてしまって」
そんな話をしているとテントからライナさんが、ふわぁーと欠伸をしながら出て来た。
「あらー、ザカリーさまはまだ起きてるのー」
「ライナ、まだ早いだろ。もう少し寝てろ」
「おはよージェルちゃん。目が覚めちゃったのよ。充分に寝たわ。ねえザカリーさま、顔を洗うからちょっとお水出してー」
「ライナ、おまえは」
「いいよいいよ、ジェルさん。ライナさん、ほらこっち来て、水を出すから」
焚き火から少し離れて無限インベントリから洗面器を出し、そこに水魔法で水を満たす。ついでにうがいと歯を磨く用の水ですね、はいはい。
「あー、さっぱりした。ありがとう、ザカリーさま」
「ホントに暢気で勝手なやつだ。ザカリーさまも、余り甘やかしてはいけませんぞ」
まあ、そんなライナさんも嫌いじゃないです。たまに面倒くさいけど。
「それでー、ふたりで何話してたの?」
「ただの世間話だ」
「そおー? なんだか真面目っぽい話をしてた匂いが、ちょっと残ってるけど」
それって、どんな匂いなんだろな。そういうのが残り香で漂うのだろうか。
「ザカリーさまも、ライナと一緒にクンクン匂いを嗅がないでください」
「特に変わった匂いとかしないよ」
「匂いって、その本人たちにはわからないものなのよー。ジェルちゃんは特に鈍感だし」
「ああ、なるほど」
「ライナの言うことを、変に納得しないように」
仲の良いライナさんが加わると、ジェルさんはいつも通りに戻った。
ジェルさんのことをいちばん分かっているのは、たぶんライナさんなんだろうな。
この時間帯の見張り番にしても、ジェルさんが独りでするって言ったものだから、おそらく無理して早く起きて来たのだろう。俺がいたのを見て、ニコってしてたしね。
「ねえジェルちゃん。わたしが初めて、ザカリーさまに会ったときの話ってしたっけ」
「それは聞いてないな」
「あのね、あれって、わたしが12歳になる前の年末のことよー」
「ライナがグリフィニアに来たばかりの時か」
「そうそう。それで、ダレルさんのところに連れて行って貰ったことがあったの。そしたら、すっごく小ちゃいザカリーさまが、いきなりダレルさんの小屋に飛び込んで来てねー。わたしのお尻をふにゅって掴んで、後ろに隠れたのよ」
俺が2歳の年の暮れの話ですかね。もう10年以上も前だ。お尻をふにゅって掴んでませんから。
それからライナさんは、その時のことを面白おかしく話してジェルさんとふたりでクスクス笑い合っていた。
さあて、俺もそろそろ寝ましょうかね。次の見張り番はティモさんだから、ちょっと早いけど起こしちゃおうかな。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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