第413話 領境を越えて野営へ
「ブルーノさん、もう領境は越えているのだろうか?」
「そうでやすな。自分もうろ覚えでやすが、先ほどの林に入った辺りで越えたのではないかと。どうでやすか、ティモさん」
「おそらくそうです」
「そうすると、ここはもうデルクセン子爵領なんですね。村とかがないから、ぜんぜんわかりませんよね」
「人馬と擦れ違うこともなかったわよねー」
「まあ、変なのが出なければ、それに越したことはないがな」
昼食後の出発前、ジェルさんたちがそんなことを話していた。
もうデルクセン子爵領に入ったのだとしたら、多少注意して進む必要がありそうだ。
先日、今回の旅について事前に打合せをしていた時にも、裏街道を行く行程の中ではこのデルクセン子爵領は気をつけた方が良いと、ミルカさんが話していた。
ブライアント男爵領は、男爵お爺ちゃんの統治努力やエルネスト伯父さんのラウモの町の存在もあって、うちの領と同じく治安が良い。
護衛や盗賊狩りの仕事をこなすラウモの冒険者たちもいるしね。
それに対して、このデルクセン子爵領内には裏街道沿いにこれといった町がない。
デルクセン子爵家が、アラストル大森林とどういう関わりを持っているのかを俺は知らないが、あまり活用はしていないように思える。
従ってラウモのような拠点となる町もなく、常駐する騎士団や警備兵はもちろん冒険者もいない。
「ここらで冒険者になろうとする連中は、グリフィニアかラウモに行きやすよ」と、ブルーノさんも言っていた。
大森林の資源を活用しようという貴族領は、それだけ冒険者ギルドとの協力関係を密にし、冒険者の存在を歓迎して優遇する。
どうやら、デルクセン子爵家にはそういった考え方がないらしい。
「それでは出発します。ここからは道の状態も悪くなる可能性がありますので、馬車の揺れなどは我慢してください」
ジェルさんがそう言い、旅を再開する。
ここの領内に町が無いということは、必然的に往来も少なく道も荒れている可能性があるということだ。
俺たちが乗っている擬装馬車は、外見は裕福な商人などが使用するものに見えるが、車体が頑丈で防御能力を備え、悪路での走破性も高い。
内装や座席も遥かに作りが良いのだが、ただし揺れは如何ともし難いんだよね。
アビー姉ちゃんが御者台に乗りたがったが、ジェルさんが許可しなかった。
護衛役の皆は冒険者風の擬装装備を着けているが、俺たちは特別製の服とはいえ戦闘装備ではないし、万が一の際に御者台にいると弓矢の標的になりやすい。
それに、ブロンドで長い髪の姉ちゃんは、なんだかんだ言っても美人だし目立つからね。
それで俺が引き続き、御者台でティモさんの隣に座る。
「えー、ザックはいいの?」と姉ちゃんは不満顔だったが、「ザカリーさまは、探索装備みたいなものですから」というようなことを、口々に皆から言われて納得していた。
探索装備って何ですか。レーダーみたいなものってことかな。カァ。
林程度の木々が立つ中の道を進むが、確かに路面の状態が悪くなったようだ。
馬車がガタガタと揺れる。車内の座席はクッションが効いているが、御者台はお尻が痛いよね。
俺は無限インベントリからお尻の下に敷けるクッションをふたつ出して、自分とそれからティモさんにも敷いてあげた。
「ありがとうございます。これは良いですね。楽になりました。でも、いいんですか?」
「うん、ぜんぜんいいよ。まだあるし」
「これは、その、何用にお持ちで?」
「えーと、特に用途は決めてなかったけど、ほら、床に座るかも知れないとき用?」
「はあ」
クロウちゃんは昼食のあとのお昼寝をしたかったのかもだが、馬車が揺れるので空に上がって、気持ち良さそうにゆっくり飛んでいる。
羽根をほとんど動かしていないから、あれって自分で風を起こしてそれに乗ってる感じだな。速度は出ないけど楽そうだ。
そのうち俺も、跳ぶんじゃなくて飛べるようになりたいな。出来るかな。
次の休息までの行程は、特に何も起こることはなかった。
裏街道は時折、林から抜ける。左手は大森林だが、右手の視界が広がる。しかし見える限りでは、畑などはなく牧草地のような風景だった。
「この辺りには、耕作地はありませんね。牛飼いが牛のエサを求めて来る感じですが、大森林の直ぐ近くまで牛は近寄りたがらないですしね」
「ふーん。でもどうして、大森林の縁をこんな裏街道が通ってるんだろうな」
「それは、ラウモとケルボのふたつの町を、最短距離で繋いでるからですよ。往来は少ないですけどね。あとは、軍事用ですか」
距離だけで言えば、グリフィン子爵領からブライアント男爵領とデルクセン子爵領を通ってエイデン伯爵領まで行くには、それぞれの領都を繋ぐ本街道よりもこの裏街道の方がずっと短い。
だが、商業的には当然に各領都が消費の中心地だし、物流の集積地でもあるので、往来する量も圧倒的に本街道の方が多い訳だ。
ただティモさんの言うように、ラウモの町とエイデン伯爵領のケルボの町を繋ぐにはこのルートが最短距離だし、ラウモから先、つまりグリフィニアやその北の辺境伯領へと至る軍事用ルートとしても便利だということ。
辺境伯領は北方向で北方帝国と国境を接し、エイデン伯爵領は東方向の北方山脈にリガニア地方との国境があるからね。
「15年戦争の時代は、もっと往来があったということなんだね」
「そうですね。人や馬や物資を迅速に運ぶルートとして、ずいぶん活用されていたみたいですよ。今はこのように寂れていますが」
休息を1回挟んで俺たちはデルクセン子爵領内を順調に進み、特に変わったことは起こらなかった。
そろそろ今日の旅程を終えて野営という頃合いで、またブルーノさんが先行して馬を走らせて行く。
「あともう少し進むと、大森林内に馬車が入れやす。そこを入ってから程なく、野営の出来る場所がありやすので、本日はそこで」
「了解した。ありがとう、ブルーノさん。ではそこまで進もう」
暫くして戻って来たブルーノさんがそうジェルさんに報告し、直ぐに先導の位置についた。
やはり、大森林の中に少し入って野営するんだな。
「ザカリーさま、お聞きいただけたと思いますが、本日はそこで野営ということで。よろしいですかな」
「うん、了解だよ」
俺はそのことを、念話で馬車の中のエステルちゃんに連絡する。
「やっぱり、大森林の中で野営するんだね、ティモさん」
「はい、街道沿いですと見つかりやすいですし、挟まれて夜襲される可能性が高いですからね。まあ、普通の商隊などでしたら、逆に怖くて大森林には入りませんが」
「なるほどね。うちには、大森林を怖がる者はなんていないか」
「それに、こんなに直ぐに、街道から大森林に入って野営の出来る場所を見つけられる人なんて、ブルーノさん以外にはいないですよ」
「そうか。そうだよね」
先導するブルーノさんが馬の歩みを止めると、そこには左手にかろうじて馬車が入れる道らしきものがあった。
ただし、普通に街道を走っていれば気が付くことのないような、やや広めの獣道だ。
そこにティモさんが絶妙な手綱捌きで、馬車を乗り入れて行く。
かなり激しい揺れを堪えながら暫く森林内を進むと、ぽっかりと空いた空間に到着した。
「ここですね、着きました」
「こりゃ普通は入らないよ」
「ですね」
俺は御者台から下りて、「野営地に着いたよ」と馬車の中に声を掛ける。
車内から「はーい」と返事の声がした。
「うわー、揺れたよね。ひっくり返るかと思った」
「お母さま、大丈夫ですか?」
「ええ、掴まってたから大丈夫よ。あら、ここって大森林の中なのよね。ここで野営するのね」
どうやら馬車の中は酷い揺れだったようで、車窓から外の様子を眺める余裕が無かったみたいだ。
アン母さんは馬車を降りると周囲を見回し、そして嬉しそうな声を上げた。
「はい、本日はここで野営となります、奥さま。長い道中、お疲れさまでした。野営の準備をしますので、暫しご休息ください」
「わたしもお手伝いするわよ」
「母さん、ここはジェルさんたちに任せよう。じつは僕も、下手に手を出すと怒られるんだよ」
「ザックでも怒られるの?」
「ザックはいつも叱られてるよ」
姉ちゃんは、余計なことをあまり言わないように。カァ。
いつの間にかクロウちゃんが空から下りて来て、俺の頭の上に止まった。
ティモさんが椅子とテーブルをまず出してくれたので、母さんはそこに座って貰う。
俺はその側に立ちながら、周囲を探査と空間検知でいちおう探っておく。
まあ大森林内とは言っても、極めて浅い場所だから何も無いんだけどね。
姉ちゃんは馬たちの世話を手伝い、エステルちゃんは一緒に野営の準備をしていた。
エステルちゃんが手を出しても、誰も何も言わないんだよな。尤も彼女は野営の訓練をしっかり積んでいるし、少女時代に慣れているからね。
主に彼女がしているのはライナさんと炊飯場の設営だ。
ライナさんも元冒険者なので手慣れたものだし、今日はこのふたりが中心になって夕食の準備をするみたいだ。
「ザックさまぁー」
「へーい、なんでありましょうか」
設営の様子を眺めているとエステルちゃんが呼ぶので行ってみる。
「ザックさま、あのお肉出して」
「あのお肉?」
「セルバスのお肉よー。ザカリーさまが熟成されたお肉を持っているって」
「ライナさんと相談して、せっかくだから野営料理らしく、セルバスのお肉の煮込みシチューを作ることにしたんですよ。最後に狩って貰ったお肉がありますよね」
セルバスのお肉とは、つまり鹿肉だ。
夏休み前にナイアの妖精の森に最後に行った時、俺たちがユニコーンの棲み処に行っている間に、アルポさんとエルノさんがアビー姉ちゃんを連れて赤セルバス狩りをしていたんだよな。
それも大型のを2頭仕留めて、大量の鹿肉を確保した。
以前に狩ったものもまだ残っていたので、大半はある程度熟成させたあとに凍らせて王都屋敷の氷室で保管している。
だがそれなりの量を、俺の無限インベントリに入れてあるんだよね。
まあ万が一、食材が不足した場合に備えた備蓄ですな。はいはい、母さんに見られないように出しますよ。
「わたしも手伝うよ。というか、野営料理を教えて」
「アビー姉さま、いいですよ。一緒に作りましょ」
「それじゃ、わたしが冒険者流の野営料理を手ほどきするわよー」
「あ、このお肉って」
「アビー姉さまが狩った赤セルバスよ」
「おお、それはいいわね」
姉ちゃんが馬の世話を終えてこちらに来て、料理を教えて貰うようだ。
そう言えば前に、わたしも料理を覚えたいとか言ってたよな。
ここはこの3人に任せて、俺は母さんのいるところに戻った。
「ほんとうにあなたたちって、こういうのが手慣れたものなのね」
向うでは騎士団の野営テントがマジックバッグから出され、ジェルさん、オネルさん、ブルーノさんにティモさんの4人で手早く設営されて行く。
テントは3張りを設営する。女性用2張りと男性組に1張りで、それぞれに3人ずつだ。
騎士団のテントは大きいし、窮屈なところに人数を詰め込むのを俺が嫌うのをジェルさんたちは良く承知している。
「まあ、エステルちゃんを含めて、みんな本職だからね」
「アビーも、そういう風になりたいのかしら」
「ああ、姉ちゃんか。うん、そうかも。小さい時から騎士団に入り浸ってたし、特に最近はジェルさんたちに、いろいろ教わりたがる感じかな」
「でもあの子、楽しそうね」
「こういうのが本当に好きなんだよな、姉ちゃんは」
「そうね……」
エステルちゃん、ライナさんとわいわい言いながら料理に取り掛かっている姉ちゃんを見つめながら、母さんは何か考えているような表情をしていた。
姉ちゃんもあと数ヶ月で王立学院を卒業だし、母親としてもいろいろ考えることがあるのだろうな。
それからも俺と母さんはふたりで、野営の準備を眺めているのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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