第412話 夏の旅
この世界は1日が27時間だ。
どうして27時間なのかというと、太陽の動き、つまりこの星の自転に従った1日の長さを3つに区分し、そのひとつの区分を更に9つに区分しているからだ。
その最小単位がこの世界の1時間で、あくまで俺の身体感覚というか魂感覚では前にいた世界の1時間とだいたい同じだと感じている。
なので、前世の1時間と今世の1時間がまったく同じなのかは分からない。同じ原子の運動量を用いて時を計ることも出来ないしね。
その1時間を前の世界と同じ60進法で分割し、1分の単位が決められている。
60進法は前世では古代シュメール人が初めて用いた記数法で、立方体の6つの面の数と人間の10本の指の数が基になっているそうだね。
また前世で1日をふたつに分け、それをそれぞれ12時間ずつ合計24時間に分割したのは、古代エジプト人のようだ。
それで、1時間が60分というのは同じなのだが、これはあくまで貴族や裕福な者、あるいは騎士団といった軍事関係の組織などが使用する時計が刻む中でのことだ。
機械式の懐中時計などが存在することはするが、それを持ち歩くようなことは滅多にない。
今回の旅ではアン母さんがひとつ持っていて、あとは護衛隊長であるジェルさんが持っている。
じつは俺も持っているのだが、無限インベントリの中に放り込んであって、ほとんど取り出したことがないんだよね。
こういう移動の場合に時間の流れを知りたいときは、だいたいはジェルさんに聞けば教えてくれるし、今回は母さんの時計もあるからね。
話を1日の時間に戻すと、この世界が1日27時間を9時間ずつ3区分としているのは、まあ簡単に言うと人間の行動を3つに分けているからだ。
眠るにつくセクション。陽が昇り活動を行うセクション。その活動とは違う活動、または休息出来る場に戻り心身を休め寛ぐセクション。この3つを基本としている。
俺の場合は、この世界に生まれてからは睡眠を8時間取るようになっているので、寝る前の準備30分と起床後に顔を洗うなどの30分を加えると9時間となる。
そして、だいたい早朝の6時から活動を始めて15時までがひとつのセクション。学院だと4時限目の講義終了が15時半だから、そのぐらいだよね。
講義終了後は課外部活動を行い、夕食を食べ皆と話したり寮で自分の時間を過ごす。
その15時から24時までがもうひとつのセクションで、24時には寝る準備をするということになる。
前世はもっと早く床についていたけど、前々世の生活感覚だと午前0時なのでそれほど不思議でもない。尤も起きるのはずっと遅かったけどね。
だけど、この世界での午前0時は27時だから、だいたい24時半ぐらいから8時間充分に眠っても早朝に起きられる訳だ。
今回の旅だと、朝7時には出発して8時間を移動に使う。
1時間半ぐらい連続で走らせて10分ほど馬を休めさせ人も休憩するのと、昼食の時間が挟まれるから、実質的には7時間ほどの移動時間になる。
なので1日の移動距離の目安は、順調に行けば70キロメートルぐらいになるだろう。
夏の太陽が高く上がって来ている。途中、2回の休憩を取って俺たち一行は何ごともなく裏街道を快調に進んで行く。次は長めの昼食休憩だ。
御者台の席は、先ほどはどうしてもと言うアビー姉ちゃんに譲ったが、今はまた俺が座っている。
クロウちゃんは時折空に舞い上がり、周囲を偵察しながら空を進んで再び御者台に下りて来るのを繰り返していたが、現在はまた俺の陰に座って大人しくしている。キミ、居眠りしてるよね。クァ。
隣で今日の御者役を務めているティモさんと、俺は過ぎて行く風景をのんびりと楽しみながら話をする。
主にティモさんの少年時代やファータの里での話だ。
「ティモさんもやっぱり、5歳ぐらいから訓練してるの? たしかエステルちゃんはそうだって言ってたけど」
「はい、うちの里の子は皆、5歳の年から訓練を始めますよ」
「やっぱり師匠は、ユルヨ爺?」
「先生はユルヨ爺です。うちの子たちは全員、ユルヨ爺から教えを受けます。読み書き計算や世の中の様ざまなことは、里長をはじめ、たくさんの年寄りが先生になりますけどね」
「そうなんだね。里のお年寄りたちのみんなが先生なんだ」
「ええ、親たちは仕事で遠方に行っていますから。なので里の年寄りの皆が親であり、先生なんですよ」
「里の全体が、でっかい家族なんだね」
「ははは。まあそうとも言えますね。声の大きい爺さん婆さんばかりの家族ですけどね」
ファータの里のお年寄りたちは、なにせ声がでかい。比較的落ち着いて話すのは、エーリッキ爺ちゃんとカーリ婆ちゃん、それからたぶんユルヨ爺ぐらいだな。
「里長が、いちばん大きな声を出しますよ。尤も、いざという時の号令ぐらいで、滅多には出しませんけどね」
「そうか、エーリッキ爺ちゃんの出す声がいちばん大きいんだね。里長なら当然か」
「まあ、昔に戦に行った爺婆は、地声が大きいんですよ」
「ティモさんも12歳から仕事に出てるの?」
「はい。5歳から7年間訓練をして、12歳の年に見習いで仕事に出て、翌年からは本格的にという感じですね」
エステルちゃんも12歳で見習いに出て、13歳からグリフィン子爵家に来ているから、ファータの里の子たちはみんな同じなんだね。
「ティモさんが訓練している時に、エステルちゃんはいたのかな」
「エステル嬢さまは、私が訓練を終える前の年に始められましたよ。ですから最初は、私がお世話係だったのです」
「そうだったんだ」
つまり、エステルちゃんが5歳の時にティモさんは10歳だった訳だ。
うちのレイヴンだと、ジェルさんとライナさん、そしてエステルちゃんが同い歳で、大きな声では言えないが3人とも今年で23歳になる。オネルさんはふたつ歳下だ。
エステルちゃんだけ、未だに見た目は15歳ぐらいのままだけどね。でも年齢のことは絶対に禁句ですよ。クァ。クロウちゃんは居眠りしてなさい。
そうすると、ティモさんは今年28歳になるということか。
男性もやはりファータ人は見た目年齢が若く見えるので、ティモさんの場合、20歳そこそこに見えるけどね。
だからライナさんからはいつも、まるで弟のように扱われている。それにしても、ティモさんとライナさんはどうなんだろうな。
そんな話を御者台でしていると、ブルーノさんが馬を寄せて来た。
「ザカリー様、そろそろお昼時でやすから、昼食の摂れる場所があるか先行して見て来やす」
「ああ、もうそんな時間か。お願いします、ブルーノさん」
ブルーノさんの乗る馬が駆足に切り替わって、ぐんぐん前に進んで行った。前方を見ると遠くで裏街道が左手の大森林に近づいていて、街道周囲にも木々が立っているようなので、あそこら辺りまで走って行くのだろう。
「(エステルちゃんエステルちゃん)」
「(はい、なんですか?)」
「(そろそろお昼みたいだよ。いまブルーノさんが、昼食の場所を探しに先行して行った)」
「(もうそんな時間なんですね。了解ですぅ)」
いちおう車内にも、エステルちゃんを経由してそう知らせておく。
今日のお昼ご飯は、エルネスト伯父さんの屋敷の料理人さんにサンドイッチを用意していただいて、ティモさんの持つマジックバッグの中に収納しているので、直ぐに食べることが出来るんだよね。
暫くして前方からブルーノさんが戻って来てジェルさんに声を掛け、馬車の横に並んで来た。
「あの向うに見える、木々が迫っている辺りかな」
「そうでやすね。あそこから林の中を道が通って行きやす。少し行くと、馬車が停められるちょっとした場所がありやしたので、そこで」
「わかった」
道が木陰の中へと入り、大森林の中から来る風なのか、そよ風が吹いて来てだいぶ涼しくなった。とは言え、大森林の中には入っていないので街道は明るい。
そこを進んで行くと、ブルーノさんの言う通り少し林の中の開けた場所があり、馬車を停めることが出来るようだ。
「よーし、停止。昼食休憩だ」とジェルさんの指示の声が掛かる。
旅の移動中の指揮はすべてジェルさんが執り、俺や母さんでもそれに従わなければならない。
この辺の厳格さは、他の貴族家とは違うのかな。うちでは領主一家といえども、ワガママや勝手は許されないのだ。
「ザカリーさまが自分のことを置いといて、なんか言ってるわよー」という誰かの声が聞こえて来そうですけどね。
「やっとお昼なのね。お腹がぺこぺこ」
「アビー姉さまより先に、お母さまが言ってますよ」
「先を越されたわ、って、別にわたしの台詞って決まってないんだからね、エステルちゃん」
いやいや、姉ちゃんは王都屋敷に帰って来ての第一声が、たいていご飯のことじゃない。
それでいつも、エステルちゃんに用意して貰ってるでしょうが。
まずは馬を樹木などに繋いで水と飼葉の世話をし、それからようやく人間の食事の用意だ。
そこら辺の馬の世話は、エステルちゃんは慣れているし姉ちゃんも随分と出来るようになっているので、ジェルさんたちを手伝って手早く働く。
俺はだいたいにおいて手を出させて貰えないので、ティモさんの持つマジックバッグを受取って、こちらに入っている椅子とテーブルを素早く取り出して並べた。
母さんも馬車の中から飲み物類を運んで来て、そのテーブルの上に置く。
そして俺が同じくマジックバッグの中から、今日の昼食の大量のサンドイッチを出した。
「あ、飲み物ももう出てますぅ」
「母さんが馬車の中から運んで、出してくれたんだ」
「お母さま、わたしがしますのに」
「あら、旅ではわたしも働くって言ったでしょ。このぐらいは当たり前よ」
子爵夫人と長男がサンドイッチと飲み物ぐらいとはいえ、テーブルの準備をしているのはうちぐらいですかね。
尤も、こういう場合に食べ物を出すのは、だいたい俺の役割です。
ジェルさんたちも母さんが手伝っていたので恐縮しているが、まあ今回は母さんの好きにさせてあげてくださいな。
さて準備も出来たので、皆でテーブルを囲んで昼食をいただきましょう。
「王都屋敷だと、こうして皆でお食事をしてるのよね」
「そうよ母さん。まあわたしは、ときどきだけどさ」
「でも、なんだかいいわよね。それに木陰でのランチなんて、なんだかピクニックに来たみたいね」
「ワインとか出そうか」
「ザックさま、ダメですよ」
「そうですぞ。確かにピクニックみたいですが、じっさいは他領の裏街道ですからな」
「でも、ちょっとぐらいは飲みたいわよねー」
「ライナ姉さん、ダメですよ。まあザカリーさまとライナ姉さんの緊張感のなさは、いつも通りですけどね」
「あら、ワインなんかも入ってるの」
「お母さまも。いまはダメですからね」
「カァ」
「クロウちゃんもダメって言ってます」
そう言ってマジックバッグを見る母さんだが、ワインが収納されているのは俺の無限インベントリの方です。
それでは仕方がないので、あっちを出しますか。
俺はマジックバッグから大きな水筒を取り出してテーブルの上に置き、氷魔法で少し冷やしてから皆のカップに注いであげる。
「あら、このお水、冷やして貰ったからもあるけど、とても美味しいわ。それに疲れも取れる気がする」
「こっちならいいですよ、ザックさま。たくさん作って持って来てますしね」
これは、アルさんの洞穴に湧き出る甘露のチカラ水に、エステルちゃんが果汁を濃くならない程度にブレンドしたものだ。
今回の旅に備えて、俺の無限インベントリに保管している甘露のチカラ水から作成し、何本もの大型の水筒に入れてマジックバッグの中に入れてある。
「これって果汁を加えてあるけど、ただそれだけじゃないわよね。基になってるお水が違うのね。大森林から汲まれて来る湧き水とも、だいぶ違うようだし」
大森林の比較的浅い場所で湧き出る水を汲んで来るのも、冒険者の仕事のひとつだよね。
あれもなかなか美味しい水だし、手間が掛かるから水にしては高価なのだけど。
「まあ種を明かすと、この水はアルさんから貰ってるもので、あの人の棲む洞穴に湧く、甘露のチカラ水というものだ、と聞いている。ね、エステルちゃん」
「あ、えと、はいです」
「ドラゴンさまの棲む洞穴の水……。甘露のチカラ水と言うのね。たぶんだけど、高濃度のキ素が混ざっているのかしら」
「おお、さすが母さん。そこまで見抜きましたか」
「あなたたち、まだまだ隠してることがたくさんあるわね」
「ふぇー」
「いやいや、なんのことでしょうかな」
「母さん、ふたりの態度がとっても怪しいでしょ」
姉ちゃんは、あまり余計なことは言わないように。
それからそっちのお姉さん方は、ニヤニヤ笑ってるんじゃありませんよ。カァ。
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