第410話 出発、そしてラウモの町へ
7月8日の朝早く、朝食をいただいて出発する。
屋敷の正面玄関前には既に馬車が寄せられ、レイヴンメンバーが出発の準備をしていた。
父さんとヴァニー姉さんにウォルターさん、家政婦長のコーデリアさん、母さん付き侍女のリーザさん、そしてフォルくんとユディちゃん。あとはクレイグ騎士団長にネイサン副騎士団長と、見送りは敢えて少人数だ。
「奥さま、本当にわたしがいなくて大丈夫ですか? おひとりで出来ますか?」
「リーザは心配し過ぎですよ。奥様なら大丈夫です。それにエステル様もいますし」
母さんがどこかに出掛ける時はだいたいリーザさんが付いているので、今回は自分が一緒に行けないこともあって不満でもあり、そして心配顔だ。
「大丈夫よリーザちゃん。わたしがお世話しますから」
「あら、わたしはエステルの世話にもならないわよ。エステルはザックのお世話をしてなさい」
「お母さま」
「エステルちゃん、じゃないエステルさま、頼んだわね」
「ええ、ああはおっしゃっても、ちゃんとお世話しますから」
母さん自身に、侍女さんが付かない旅なんて経験があるのかどうか俺には分からないが、まあエステルちゃん、頼みますよ。
「アビー、気をつけて行ってらっしゃい。わたしも、行けるものなら行きたかったけど。わたしの分まで、いろんな経験をして来てね」
「うん姉さん。姉さんの分までいろいろ経験するわ。土産話を楽しみにしててね」
母さんたちの横では、ヴァニー姉さんとアビー姉ちゃんがそんな言葉を交わしている。
そうだね。ヴァニー姉さんの分まで、アビー姉ちゃんには貴重な経験をしてほしい。
「ザック、頼むな、母さんとアビーのこと」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、父さん。ジェルさんたちが一緒なら安心だし、ミルカさんたちがサポートしてくれるからね」
「そうだな、そうだ。とにかく無事に。先方様に、くれぐれもよろしく伝えてくれ」
本来なら俺とエステルちゃんのことを心配するところだが、母さんとアビー姉ちゃんの同行が決まってからは、心配性の父さんの心配の矛先は当然にこのふたりだ。
そんなに心配しなくても大丈夫だからさ。さて、そろそろ出立しますよ。
7月に入り、夏の日差しが随分と強くなって来た。
騎乗のジェルさんたちや御者台のブルーノさんも、騎士団の制式装備を身に着けているので暑くないかな。ティモさんは調査探索部の所属だけど、護衛の正規任務というかたちで今日は騎士団従士の装備を着用している。
俺たちも今日は、エルネスト伯父さんへの訪問ということで、普通に貴族らしい旅装束だ。
前回のファータ行きでは、ブライアント男爵家を出たあとは商人の息子に擬装した装備を着て旅をしたが、今回は普段着っぽい特製の簡易装備をウォルターさんが用意してくれた。
エステルちゃんと姉ちゃん、そして母さんの衣装も、女性らしい衣装だがどうやら特別製らしい。それらは明日から着る予定だ。
馬車の中はエステルちゃんの膝の上にいるクロウちゃんを含めて、女性3人と俺と1羽。
キミは馬車の中で暑く無いの? 空の方が涼しいでしょ。カァカァ。
明日からは偵察で飛ぶ予定にしてるから、今日は馬車の中でのんびりするのね。さいですか。
午前の早い時間だったのでグリフィニアの南門を行き交う人馬も少なく、それほど注目を浴びることはなく街道へと出た。
馬車の車内は、うーん、賑やかだ。
例えばブライアント男爵家に行くとかならば、母さんはじめ慣れた旅程なのでもう少し落ち着いているのだが、エルネスト伯父さんの住むラウモの町は母さん以外初めてだ。
その母さんも、グリフィン子爵家に嫁いでからはほとんど訪れたことは無いらしく、ましてやその先に未知の旅が控えている。旅の高揚というやつですかね。
「ねえ母さん、ラウモってどんなところなの?」
「ラウモは、そうね。大森林の入口の町ということなら、グリフィニアに少し似てるかしら。ブライアント男爵領の冒険者は、あの町が中心だしね」
「そうなんだ。さすがにラウモの冒険者には、ザックとエステルちゃんは知られてないよね」
「あはは、どうでしょう。それはないと思いますけど、アビー姉さま」
「でも冒険者って、結構独自の情報網があるでしょ。わからないわよ」
「お母さま、それは」
「だって、ブルーノさんもライナちゃんもいるでしょ」
これから出来る限り目立たないように旅を始めようとしているのに、グリフィニアでみたいにいきなり冒険者が並んで挨拶とかされたら困るよなぁ。
確かにブルーノさんは言わずと知れた有名人だし、ライナさんも意外と知られている。ダレルさんの再来と言われる、土魔法の達人冒険者だったからね。
ちなみに母さんがライナちゃんと呼ぶのは、ライナさんが12歳ぐらいだかで初めてグリフィニアに来た頃に会っていて、それ以来の顔見知りだからだ。
じつはそのとき、俺もいたんだよね。
確か冒険者ギルド長のジェラードさんとか連れられて、ダレルさんを訪ねて子爵館に来ていたと記憶している。
そうこうしているうちに昼を過ぎてブライアント男爵領へと入り、領都方面へ向かう街道から途中の分岐点でラウモの町を目指す道に進路を変える。
どちらかというとこの領境を越えれば、ラウモの方が近いらしいんだよね。
アラストル大森林の縁の近くに沿って廻って行くから、大森林内を横切ればもっと距離は短いのかも知れない。
いったん離れていた大森林が、馬車の左手に広がるのが再び見えて来る。
「あと、もう少しでラウモの町です」
騎馬で従うジェルさんが馬を寄せて来て、そう知らせてくれた。
「オネルを先触れで走らせます」
「うん、了解」
親戚で隣領のブライアント男爵領だが、そうは言っても他領なので町へ入る先触れをするのがマナーとなる。
それほど大きくない町らしいが、大森林の直ぐ側にあるということもあって、町を防御する都市城壁で囲まれていると聞いている。
これは魔獣などに備えるのはもちろん、かつての北方帝国との15年戦争時代の名残でもある訳だ。
「アナスタシアお嬢様、ラウモへようこそお出でくださいました。お子様方もいらっしゃいませ」
オネルさんが先触れで報せたことから、町の入口の門を護る警備隊の隊長らしき人と警備兵が並んで出迎え、そう挨拶をしてくれた。
「ふふふ、もうお嬢様っていう歳でもないけど。1泊だけですが、お世話になりますね」
「はい、ご訪問を歓迎します」
母さんがそう応え、俺たち一行は門を潜る。
やはり母さんの実家の領内だけあって、対応がとても丁寧だ。警備兵が先導してエルネスト伯父さんの屋敷まで案内してくれる。
「やあアン、久し振りだな。良く来た」
「エル兄さん、お久し振りね。今回は急なお願いでごめんなさい」
エルネスト伯父さんの住まいは小振りだが別荘といった趣きもある、なかなか瀟酒な屋敷でセンスの良さも伺える。
伯父さんが自然博物学の学者なので、屋敷自体も武とは無縁の柔らかな雰囲気の佇まいだ。
伯父さんと商家出身の奥様のエリアーヌさん。そして、そのエリアーヌさんの後ろに隠れるようにしている小さな男の子が、顔を覗かせている。
「アビーにザック、そしてエステルさんだね。おや、カラスがいるんだな。そうか、そのカラスが有名な……」
「カァカァ」
「こら、クロウちゃんたら、ちゃんとご挨拶してからですよ」
「ザカリー・グリフィンです。初めまして。このたびはお世話になります」
「アビゲイル・グリフィンです。お会い出来て嬉しいです、伯父さま」
「エステル・シルフェーダと申します。よろしくお願いします」
「カァカァ」
「あ、彼はクロウの九郎で、クロウちゃんといいます。カラスと言われるとどうも直ぐに反応してしまって」
「いやいや、これは失礼した。クロウちゃんですな。こちらは妻のエリアーヌに、その後ろで隠れているのが息子のジョスランだ。ジョス、ちゃんとお兄さんお姉さんにご挨拶さなさい」
ジョスくんはやっと全身を見せて、「初めまして」と挨拶してくれた。そしてクロウちゃんを不思議そうに見ている。
「(クロウちゃん、あの子の前に行って挨拶してあげたら?)」
「(そうですね)」
「(カァ)」
クロウちゃんは抱かれていたエステルちゃんのお胸からゆっくり離れ、ふわふわと飛んで行ってジョスくんの目の前の地上に着地した。
「わぁー」
「カァカァ」
「初めましてジョスくん、って言ってるよ。君も声を掛けてあげてくれるかな」
「うん。あの、初めまして。ジョスラン、です」
「カァ」
ジェルさんたちは屋敷の使用人さんに案内されて馬車と馬を移動させに行き、俺たちは伯父さんに招かれて屋敷の中のラウンジに腰を落ち着けた。
ジョスくんはすっかりクロウちゃんが気に入ったようで、俺たちの側でなにやらしきりにクロウちゃんに話しかけている。
「噂通り賢いんだね。その、クロウちゃんは」
「まるで、人の言葉がわかっているみたいですよね」
「それがね、エリアーヌさん。クロウちゃんは人の言葉がわかるのよ。おまけにザックとエステルは、ちゃんと会話が出来るのよね」
「ほう、それは興味深い。魔物や魔獣の中には、人間の言葉を解するものが存在すると言われているが、まさかその、鳥のクロウがな。ザックが小さい時からのペットなんだろ。どこで見つけて来たのか、知りたいところだがね」
「それはまあ、いろいろ秘密があるということにしておいてよ、兄さん」
「そうか、秘密か」
伯父さんは自然博物学者で、主にアラストル大森林の自然や動植物を研究対象にしているからね。あまり関心を持たれると、いろいろと苦しい説明をしなくちゃならなくなる。
「それより、エルネスト伯父さん。学院ではオリヴェル先生にお世話になっていまして、今年に僕が受講している講義のテーマは大森林がメインなんですよ。いつも伯父さんとうちのオスニエルさんから届く研究レポートには、とても感謝しているって、先生もおっしゃってました」
「おおそうか。ザックはオリヴェル先生の講義を受講しているんだな。まあ私の研究は微力だがね、それでも先生のお役に立っているのなら嬉しいよ。オスニエルも忙しいだろうに、研究を頑張っているんだな」
伯父さんとグリフィン子爵家の筆頭内政官であるオスニエルさんは、オリヴェル先生の教え子で市井の研究者だ。
定期的にそれぞれが研究成果をレポートにまとめ、オリヴェル先生に届けている。
「暫く先生にもお会いしていないが、そのうち学院に顔を出すかな。アンとヴィンスは去年、行ったんだってな」
「父さんから聞いたの? ええ、学院祭にね。久し振りの王都と学院で、とっても楽しかったわ」
「そうか。アビーは今年で卒業だよな。そうしたら今年は、私たちが行くか。なあ、エリアーヌ」
「そうですね、わたしも卒業してから1回も行っていませんし」
エリアーヌさんも学院の卒業生なんだね。母さんよりも後輩って感じなんだろうね。
「是非、いらしてください、伯父さん。うちの王都屋敷にも来ていただければ、ザックとエステルちゃんが歓迎しますよ」
「ははは、アビーじゃなくて、ザックとエステルさんか」
「あ、いえ、わたしが歓迎しないってことじゃなくて、わたしも大歓迎ですけど、うちの王都屋敷はこのふたりが主だから」
「姉ちゃんが、あまり屋敷に帰って来ないからじゃん」
「そうですよ、アビー姉さま。いつも、定期的に顔を出してくださいねって、言ってるのに」
「だってさ、ほら、課外部が忙しいからだよ、エステルちゃん」
「もう、姉さまは」
「おふたりは、本当の姉妹みたいに仲がいいのね」
「なんだか、珍しくうちの屋敷の中が華やかで、こういうのもいいよな」
「兄さんたら。うちは女性が多いし、この子たちが帰って来るとひときわ賑やかなのよ」
この秋の学院祭には、是非とも伯父さん一家に王都に来ていただけるといいね。
ボドワン先生も学院の教授に就任して王都にいるし、可能だったらオスニエルさんの骨休みに奥さんのシンディーちゃんと一緒に休暇を取って来て貰うのもいいよな。
そんなことを想像しながら、俺たちは和やかな時間を過ごすのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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