第1話 ザック
ということで転生しました。はい、異世界です。
また赤ちゃんから始めます。俺の知るところ暫定3回目だけど、1回目は大人の意識も記憶もない状態だったから、実質、現状を認識する作業は2回目です。
前回は29歳の新古品として認識して、現在は58歳の新古品です、ってもう中古品でしょうが。
いま俺は乳児用の小さなベッドに寝かされていて、静かに眠った振りをしながら物思いに耽っているところ。ちなみに今回も男の子です。そして人間です。
いきなり女の子で転生していたらびっくりだっただろうな、意識は男だし。痛い思いをして戦い敵も殺して死んで、翌々日ぐらいの感覚で生まれ変わったら女の赤ちゃんで。
その時点で、自分は女性として生きるんだと覚醒するのかな。もし人間以外だったら俺の自我はどうなっただろう。
前回は16世紀の日本。いちおう高貴な身分ということだったので、ずいぶんと高価そうな寝間着に包まれて寝かされていた。側には常に乳母や奥向きの女房と呼ばれる女性たちが控えていて、なかなかひとりでいることはなかった。
そんなあるとき、ふと目を開けると、なんと女神サマのサクヤがしっかり女房装束に身を包んで傍らに座り、俺の顔をニコニコと覗き込んでいるのにはびっくりしたな。袿の柄は見事な満開の桜だった。
まだ言葉は話せないけど「おいおい」と、頭の中でつぶやくと、「きちゃったー。てへ」とか、俺の頭の中にサクヤの声が響いて来た。
なんでも、ここにいる女房たちにはサクヤの姿は見えないんだと。見るためには「見鬼」という能力が必要らしい。サクヤは女神で鬼や妖怪ではないのだけど。
まぁ見鬼の能力がすごく強力だと神サマも見えるらしいが、そんな能力を持った人間はめったにいないとのこと。そして俺にはその能力が与えられていた。転生特典その1。
それから時々、ことあるごとにサクヤは「また来たよー。おひさ」とか言いながらやって来て、ヒマな俺の話し相手になってくれた。乳児ってヒマなんだよね。
あるとき、「女神サマって、時間を遡って来れるものなのか?」と聞いたら、「神は在るとき在るところに在るんだよー」ですと。なるほど、考えるだけ無駄かも。
よく来るから「おまえもヒマか。旦那とか子供とかはどうした?」と聞いてみた。
たしか俺の知っている神話では、この女神には旦那も娘もいるはずなのでそう言うと、「んー、それはねー、じつは私のおねーちゃんの方がホントウの彼の奥さんで、娘たちもおねーちゃんの子供なの。おねーちゃんもホントウはすごい美人さんなんだよ。それでもって、わたしは永遠の独身18歳、不朽の可愛さ、絶対美少女、サクヤちゃん」なのだそうだ。
胸張って自慢してるけど室町時代の女房装束だから、胸の大きさはよくわからない。
「ふーん、そうなんだ」ホントかな? 神話の真実は謎だ。
そんなこんなも、神サマが21世紀よりもずっと近い存在だった16世紀の日本だったからで、さすがに遥か遠く離れた別宇宙の異世界にはやって来ないだろう。
サクヤは地球の日本の神サマで、この異世界には別の神サマが「在る」のだろうしね。
しかし、そもそも俺の魂は、どうやってこの天体までやって来たのだろう。いくら神サマの仕業とはいっても、おそらく何万光年もの宇宙間を飛び越えて転生させる手段が必要なのではないか。そこら辺の説明はなかったな。
前回は時間の流れに逆らって転生したわけだから、空間的な距離も無視できるのだろうか。魂の移動や転生を物理法則の枠組みの中で考えても仕方がないか。
まー、あの女神サマにキチンとした説明を求めるのは無理かも知れないが。
ということで、ゼロ歳児の俺はだらだらと取り留めもなく思索中です。自覚しているのは2回目だけど、乳児ってヒマなんだよね。
まず、現状認識から始めよう。
俺がいまいるこの部屋。まだ首が据わってなくて目の機能も充分ではないのだけれど、俺には前世から引き継いだ探査・空間検知・空間把握の能力がある。前回の転生特典その2だね。
どうやら転生からそれほど経っていないということで、まだ充分に機能していないようだが、この部屋の中ぐらいはすべて把握できて脳内に3D映像化される。
石材で造られた壁。高い天井。ガラスがはめられた窓。カーテン越しに暖かな陽光が注がれる。シンプルなデザインの調度品が置かれ、壁には大きなタペストリーが装飾されている。部屋の広さはそれほどでもない。
地球のルネサンス期ヨーロッパ風でいうなら、そこそこの貴族か裕福な商人の館にある部屋という感じだろうか。まぁ30年以上も前に持っていた記憶の中から、ぼんやり類推するイメージだけど。
そういえば、今回は転生する直前に「こんどは将軍とか王様とかの子じゃないから大丈夫なんだよー。ちょっとした貴族?」とサクヤが言っていたな。
前世の場合は何も教えてくれず、転生してからしばらく時間が経過して、ようやく自分の身分やら立ち位置が理解できたけど。ちょっとした貴族はいいとして、なんで疑問形なんだ。
ん、部屋に誰かが近づいてくる気配がする。耳を使った聴覚はまだ不充分だけど、音響系の探知機能もそれなりに働いていて、漠然とした人の気配から徐々に足音やこの部屋に近づく人間のかたちのイメージへと形成されていく。
あぁ、このイメージは今回の俺の母親だ。それにもうふたり、これは乳母さんと侍女ちゃんだな。
俺の世話は、だいたいこの乳母さんと侍女ちゃんにしてもらえるが、母親もよく世話をしてくれる。前世ではほとんど乳母とお付きの女房まかせだったから、なんだか気持ちが温かくなる。
「ザック、ザックぅ、あらあら今日もなんて可愛いのかしら」
母親の声だ。
「奥様、今日もザカリー様は朝からお元気で、おとなしくて、健やかにお過ごしです」
これは乳母さん。侍女ちゃんは、うんうんと頷いている。
「そうねぇ、でもザックが生まれてもう半年近くなのに、あんまり笑ってくれないのよねぇ。もー、誰に似たのかしら」
俺はヒマな乳児だから、いつもぼんやりと思索中だ。で、仕方ないから「キャハハ」って笑ってみた。母親は「あらあらー」って嬉しそうで良かった。
そして、ザック。これが俺の今世の名前。正しくはザカリー。この世界では生まれて6日目に新生児に命名する習慣があるそうだが、それまで名前の決まっていなかった5日目、俺の産着に「ザカリー」と書かれた小さな紙が挟まれていた。
俺は寝ていて気がつかなかったのだが、どうやらインベントリから自動的に取り出されて挟まれたらしい。ちなみにこの、時間が止まった状態で容量に限度のない無限インベントリは、前世から引き継いでいる転生特典その3ね。
誰にも見えず、何もない空間からいきなり物が現れるように収納したものを取り出すことができる。インベントリ自体は俺に付属しているが、別の次元に存在しているらしい。
そういえば転生する前にサクヤが、ふふふとか嬉しそうに怪しく笑いながら紙に何か書いて、それを俺のインベントリに入れようとした。
「なんだよ、それ」と聞くと、「これはー、転生したときに必要な大事なもの、うふっ」とか言って見せてくれたが、なんだか見たことのない文字のようなものが書かれていて、俺には意味がわからなかった。
生まれて5日目に判明したことだが、あれはこの世界の文字、それも一般に使われる文字は簡略化されているが、その古い形式で神聖文字と呼ばれるもので「ザカリー」と書かれていたというわけだ。
これを見つけた侍女ちゃんが慌てて母親と乳母さんを呼び、そして神聖文字にびっくりした母親が侍女ちゃんに父親を呼びに行かせ、父親がやって来てちょっとした騒ぎになりで、俺の名前はザカリーになった。
うちの両親は簡単な神聖文字は読めるらしい。教養のある両親で良かった。
あとから耳や音響検知に入って来た話や、俺のなんとなくの前々世の記憶からすると、ザカリーという名前は「神はこの者を決して忘れない」という意味になるらしい。
この世界と前の世界の言葉の意味がまったく同じなのかは怪しいが、どうもそういう意味のようだ。
あのアホ女神サクヤめ、勝手に俺の名前を都合良くつけたな。
そういえば、あいつがふんふん言いながら紙に文字を書いたあと、「わたしは大好きカレー、カレー♪♪ ついでにお宝ザックザク♪♪」とか妙な歌を唄ってた。あのやろ。
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