第365話 流転人と記憶のこと
シモーネちゃんのベッドは、結局シフォニナさんの部屋に設えることになって、ティモさんたちファータの男衆が他の部屋から運び込んだ。
と言うか、ライナさんが重力可変の手袋を着用して運ぶ案と、俺が無限インベントリにいったん収納して運ぶ案のふたつがあったのだけど、ティモさんたちが「我らが」と率先して運んでしまった。
まあ自分たちの精霊様だからね。
そのシモーネちゃんは、うちの少年少女3人組と直ぐに仲良くなったようで、シフォニナさんに言われて一緒に夕食後の片付けを手伝ったあと、4人でボードゲームをして遊んだりしている。
片付けのお手伝いは妖精の森でもやっていたようだが、ボードゲームは勿論初めての経験なので、3人に教えて貰いながら楽しそうに遊んでいた。
なかなか賢そうな子だよね、って人族とかの賢そうな的な基準に、精霊の子が当てはまるのかどうか分からないけどさ。
「ザックさまは、ホントに最近、保護者みたいな感じの度合いが進んでますよ」
「え、そうかな」
ラウンジで遊ぶそんなシモーネちゃんたちを何となく眺めていたら、エステルちゃんがそんなことを言う。
「ザックさんは流転人だから、前にいた世界の記憶とかが出てらっしゃるのかしら。エステルはそういうお話って、ザックさんから聞いたことあるの?」
「この人、そういう話は一切しないんです。そういうのが残ってるのかどうかも」
いまこのラウンジにいるのは、俺とエステルちゃんのほかにはシルフェ様とシフォニナさんだけで、少年少女たちは少し離れた場所で遊んでいるから、こちらの話し声は聞こえない。
クロウちゃんは、子供たちのゲームを眠そうにしながらも見ていた。
シルフェ様とシフォニナさんは、俺がファータの伝承で言うところの流転人、つまり別の世界から来た者だということを知っている。
「時たま、わたしたちが知らない謎の知識を口に出すことがあるので、そうかなあって思ったりもしますけど」
「エステルに話さないってことは、記憶があまり無いのか、あっても話す必要が無いか、話したく無いか、何かなのよ。いつかお話されることもあるわよ」
「そうですよ、エステルさま。ザックさまは、エステルさまに何かを隠したりはしませんよ」
「そうだといいけど……」
前世や前々世の記憶を、俺が話すことがあるのかどうかか。
どうなのだろう。正直に言うと、この世界に生まれる前の体験や経験の記憶を話す必要性を、今まで感じたことが無い。
剣術や一部の呪法に関わることは多少あるけどね。
「ファータの伝承にある流転人って、どんな人だったんだろうね」
「ザックさま、いまのお話、聞いてたんですか?」
「ん? あまり。シモーネちゃんたちの様子を見てたら、流転人って言葉が耳に入ったから」
「大昔からファータの一族が、そういう流転人に関わることがあったって聞きますわね。でもわたしたちって本来は人には関わらないので、直接は知らないのよ」
「人族の言う古代に、流転人の方が、ファータの一族と共に戦ったと聞いたことがありますわ」
「ああ、大陸を渡ったあれよね。そんなことがあったわね。シフォニナさん」
「大陸を渡ったのですか?」
「ええ、大昔にふたつの大陸の間で争いが起きたことがあってね、向うの大陸、あなたたちは何て名前で呼んでいるのかしら」
「エンキワナですか?」
「そうそう、それ。こっちはニンフルだったわね」
「そうですね」
「そのエンキワナに住む者と、こっちのニンフルに住む者とが揉めたことがあったのよ」
「たしか、先にエンキワナから攻めて来たんですよ、おひいさま」
「そうだったかしら。それで、流転人だという方が、ファータの精鋭やほかの精霊族、人族、獣人族の選ばれた武人を率いて海を渡り、向うの大陸で戦って、最終的に戦いが収まったって話よね」
そんな話、学院で講義されている歴史学や神話学には出て来ないんですけど。
「それって、いつの話なんですか?」
「いつだったかしら、ニュムペさんが妖精の森を亡くしたのなんかより、ずっと昔よ」
「ぜんぜん昔ですよ、おひいさま。その何倍もです」
ああ、この精霊様たちに年月的なことを聞くのは間違いだった。
だいたい、人間が数える年数とかは意味が無いし、数百年前でもついこの間感覚だからなぁ。
ニュムペ様の水の精霊絡みのセルティア王国建国が約800年前だから、シフォニナさんが言うところのその何倍も昔だとすると、4倍で3200年、5倍で4000年前ということだ。
これって、超古代話ですか。
「ファータとか、いろんな種族の強い人を率いて、海を渡って戦ったって、その流転人の人って、ザックさまみたく強かったんですねぇ」
「僕みたくって、それはわかんないけど、でも強かったのだろうな。それに指導者的な存在だったのかな」
「あら、たぶんザックさんの方がお強いわよ。わたしたち精霊は関わらなかったから、良く知ってる訳じゃないけど、普通の人族だった筈よ。まあ、流転人だから、何か他の人族とは違うことはあったのかもだけどね」
「それにあの頃は、人族も今より魔法がお上手だったですものね」
俺も普通の人族ですけど。違うですかね。
でもシフォニナさんが言うように、超古代人の方が魔法は優れていたというのは、人外の方々がときどき口にするよね。アルさんもそう言っていた。
稀少な特別の魔導具なんかも、超古代のものらしいし。アルさんからうちの連中がいただいたものとか。
「その戦争の話は、アルも知っていると思うけど、たぶんルーの方がちゃんと憶えてると思うわ」
「アル殿も、いつどこで何があったとかのことは、わたしたちと同じで、かなりあやふやですものね」
そうでしょうね。それから、そういう自覚はあるんですね。
「そうすると、そんな大昔のあとは流転人って、いないってことですか?」
「それはどうかしら。だって、本人が明かさなければ、わからないでしょ。その大昔に一緒に戦った方のあとでも、ファータの一族は探索のお仕事を長いことしてるから、普通は知られてない流転人の情報とかを知っていて、それで伝承に残ったのではないかしら」
「ああ、なるほどです」
「じゃあ、じゃあ、いまこの世界のどこかに、ほかにザックさまみたいな流転人の人が、もしかしたら居るかもですよね」
エステルちゃんのその言葉に、俺とシルフェ様はそっとお互いの目を見た。
だってシルフェ様は以前に、もしかしたらエステルちゃんも記憶が無いだけで、流転人なのではないかって言っていたんだよな。
「そうかも知れませんね、エステルさま。でも、本人は気が付いていないとか、秘密にしているとか、だからなかなか知られないものですよ、きっと」
「そうかぁ。そうですよね」
おそらくシフォニナさんもエステルちゃんのことはシルフェ様と話していて、そう感じているみたいだね。
でも、エステルちゃんがそうなのかは、そのうち俺には分かる気がする。勘だけど。
でもこの世界のどこかに、流転人はいるのかな。こんな話をしていると少し気にはなって来る。
いつか出会うこともあるのだろうか。
アマラ様とヨムヘル様とかは、おそらく知っているよね。
「おひいさま、そろそろシモーネを寝かせないと」
「あらそうね。あの子、楽しくて眠くなっていないのよね、きっと」
「夜も遅くなりましたから、そろそろ遊びは止めさせましょうね」
エステルちゃんはそう言って、まだボードゲームをしている少年少女たちのところに行って、「そろそろ、お終いですよ」と止めさせた。
フォルくんたちはボードなどを片付け、こちらのテーブルのカップやお皿なども片付け始める。
シフォニナさんがシモーネちゃんを連れて来て、エステルちゃんはクロウちゃんを抱いて来た。
ああ、どちらももうお眠ですね。シモーネちゃんは、ゲームが終わった途端に目蓋が重くなったようだ。
それで、それぞれは自分の部屋に引揚げる。
俺はクロウちゃんを抱いたエステルちゃんと、俺の部屋に行く。
「ねえ、ザックさま」
「ん、なに?」
「ザックさまって、前のこと憶えてるんですか?」
「前のこと? ああ、前世の記憶のことか」
クロウちゃんを寝床に寝かしつけたあと、エステルちゃんがそんなことを聞いて来た。
「うーん、憶えてるよ、だいたいは」
「そうなんですね。あの……」
「どうして話さないのかってこと?」
「あ、はい」
「そうだなぁ。あまり幸せじゃなかったことも、多かったからね」
「幸せじゃなかったこと……」
「それに、早くに、死んだから」
「…………」
エステルちゃんは俺の顔を見つめながら、口をぎゅっと噤んで黙っている。
その大きくて美しい瞳からは、ぽろぽろと涙が流れ始めた。
「あ、あの、えーと、でも30年近くは生きたんだよ。ちょっと大変な世界でさ。そうそう、でも何十年分をぎゅっと30年に縮めて、凝縮した人生というか、いろんなことがあった人生というか……」
「死にませんよね」
「え?」
「こっちでは、30年で死にませんよね」
「えーと」
「もっともっと、長く長く、一緒ですよね」
俺はエステルちゃんをそっと抱き寄せた。
「大丈夫だよ。いまの人生は、これからもっと長いよ。だからずっと一緒だ」
「ほんとですか?」
「うん、神様たちもそうおっしゃってた」
「適当なこと言ってませんよね」
「適当なことなんか言ってないよ。だから、まだまだこれからは長い」
「約束ですよ」
「うん、約束する」
「いつか。いつかでいいから、お話聞かせて。ザックさまの前のこと、知りたい」
「わかった。いつかね」
「はい」
たぶん今は、俺自身が話したくないっていうのが、心の奥底にあるのかも知れない。
虎さんとお馬さん的なやつかな。良く分からないけど。
でも、きちんとエステルちゃんと話す時がいつか来るだろう、きっといつか。
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