第215話 夏休みのお買い物デート
「ねえ母さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なにザック。あなたがお願いって珍しいわね」
朝食の後、エステルちゃんは片付けを手伝うと、食器などをフォルくんやユディちゃんと運んで行った。そのあとは外出用に着替えて来ると言う。
そう、昨日の約束で今日はふたりで領都の街に出掛けるのだけど、俺はエステルちゃんがいなくなった隙を捉えて母さんを捕まえた。
「えーとですね。その、少しお小遣いなどをいただけないかと」
「あら、ザックがお金の話をするなんて、それこそ珍しいわ。今日は雪でも降るのかしら」
「真夏なので、雪は降らないのではないかと」
「なに神妙にしてるのかしら。あなたのお金は、ウォルターさんさんがまとめてエステルさんに渡してるでしょ。エステルさんから貰いなさい」
何を隠そう、俺は生まれてからこの方、自分用のお金を直接に支給されたことがない。
幼児の頃は当然無いし、エステルちゃんが俺の側にいるようになってから、子爵家から俺用のお金が出ているらしいが、すべて彼女に渡されている。
今年、王都に行くことになり、王都屋敷の運営資金としてかなりの額を預かっている筈だ。
もちろん、エステルちゃんにほしいと言えば貰えるのだが、学院での寮生活中も含めて俺はお金を持ったことがない。
学院食堂での食事は食券制でまとめて渡されているし、飲み物やお菓子とか文具とかその他日用品とか、日常でちょっと欲しい物は無限インベントリに大量に保管されてるしね。
小さい時からそれは少しずつ蓄積され、今では歩くコンビニ状態だ。
そう言えば、実際にお金を持ち歩いたのって、3年ぐらい前にエステルちゃんと領都の街にふたりで行った時だけだよな。
「それは貰うのでありますが、今日はそれ以外に少し多めに……」
「ああ、今日はこれから、ふたりで街に買い物に行くって言ってたわね」
「じつはでございますね……」
俺は母さんに、今日買い物に行くことになった経緯を簡単に話した。
「デートのお買い物資金って訳ね。あなたも、多少はそういうところに、頭が回るようになったのかしら」
「いえいえ、それほどではございません」
「いいから、その変な言葉遣いやめて、付いて来なさい」
「ははっ」
アン母さんは俺を伴って自分の執務室に入った。ここは母さんが子爵家に嫁入りするにあたって、父さんの子爵執務室を分割する形で作らせた子爵夫人専用の部屋だ。
「これ、持って行きなさい。いいものを買ってあげるのよ。全部使っちゃってもいいわ」
母さんはお金の入った袋を俺に渡した。
袋の中を見ると、えーと、小金貨が20枚ほど。あとそれよりも大きな金貨が2枚入っていた。
大きいのは大金貨だよね。初めて見ました。小金貨が1枚1,000エルで、大金貨が5,000エルだから、全部で30,000エル。
物によってもちろん物価は異なるが、前々世の世界と比較すると、だいたい1エルが10円ぐらいと考えていい。だから30万円。
1日のデート資金として多過ぎやしませんか。
「多すぎるよ。たぶんエステルちゃんからも、今日はお金を持たされるし」
「ザック、なに言ってるの。本当なら普段からちゃんとお金を渡して貰って、そこから少しずつ貯めて、こういう時にパッと遣うのが男でしょ。でもあなた、お金に関心が無いから結局一文無し。ホント、普段から考えも準備も無いんだから。そういうのを甲斐性無し、って言うのよ」
はい、説教されました。一文無し、考え無し、甲斐性無しの無い無いづくしでございます。
「いいこと、今日は全部あなたが払うの。おそらくエステルさんのことだから、小銭も含めて渡してくれる筈よ。少額なのはそれから払って、彼女に買ってあげるのはこのお金でドンと払いなさい。わかったわね」
「はい、そうします」
「あなたは、ずっとエステルさんにお世話になってて、これからもお世話になるんだから、せめて買い物ぐらいには感謝の気持ちを込めなさい。でもそれよりも大切なのは、あの子が女の子だってこと。いい? 女の子には、心配させたり悲しませたりするより、嬉しく楽しくさせる方がいいに決まってるわよね。あなたがそうしたいと思っていても、たとえそれが伝わっていたとしても、それをちゃんと言葉や態度や、行動とかカタチとかで表現しないとダメなのよ。あなたに足りないのは、そこ」
「はい、そうです」
お説教が続きます。下手すると1日中続きそうです。
「母さん、そろそろエステルちゃんが下りて来るから」
「あら、そうね。気をつけて行ってらっしゃい。今日ぐらいは、しゃんとしなさいね」
なんだか昨日も同じようなこと言われた気がする。3回目なんですけど。
ようやく母さんの説教から解放され玄関ホールに行くと、ちょうどエステルちゃんが外出用の服に着替えて2階から下りて来るところだった。
真夏の装いらしく、薄い生地のブラウスに少し短めのスカート。素足にサンダルで、珍しく日除けのつば広の帽子をかぶっている。
でも首からは、昔に母さんから貰った身代わりの首飾りを下げていた。
自然にウェーブのかかった長い髪が帽子の中から肩にかかっているが、そう言えばシルフェ様に会う度になんだか徐々に青みがかって来てるよね。
元は深藍色とでもいうのか、黒に近い藍色だった気がするけど、今日は見ようによっては紺碧色にも見えないこともない。
「お待たせしました。なにぼーっとしてるですか」
「え、いや、エステルちゃん、可愛いなと思って」
「な、なに、朝から珍しいこと言い出すですか。そ、それより、クロウちゃんは?」
「今日は、風を吹かす訓練をするんだって飛んで行った。お昼になったら僕たちを探して、戻って来るんじゃないかな」
「そうですか。はいこれ、ザックさまのお財布ですよ。ちゃんと持っててくださいね」
「ありがとう。大切に仕舞って置きます」
「お財布のお金は、仕舞って置くのじゃなくて、今日は遣うためですよ」
「わかってるって」
バッグに入れる前に中身を確認すると、小金貨、大銀貨、小銀貨、白銅貨が取り混ぜて5,000エルぐらい入っていた。
5万円か、普通なら充分かな。でもこれで、今日の軍資金は35万円ですぞ。
屋敷の玄関を出て、もちろん馬車ではなく歩いて行く。
正門を出るとグリフィン大通り。俺は何も言わずにエステルちゃんと手を繋ぐ。
言葉と態度、行動とカタチ、言葉と態度、行動とカタチ。呪法呪文じゃないよ。
彼女は、えっと俺の顔を見たが、直ぐにニッコリとした。
「エステルちゃんは、どこのお店に行きたい?」
「わたし、今日はもう、こうしていれば充分ですぅ」
「でもさ、帽子はかぶってても、日差しが強いからお肌に良くないし、お店とかにも入らないと」
「今日のザックさまは、なんだかちょっと、珍しいことばかり言います」
「そ、そんなこと、ありません」
「そうですかぁ?」
言葉と態度、行動とカタチ、言葉と態度、行動とカタチ。
「なに、ぶつぶつ言ってるですか?」
大通りを中央広場に向かってゆっくり歩いて行くと、擦れ違う人たちが軽く頭を下げて挨拶してくれたり、通りにいる人や店先から声が掛かったりする。
「おや、ザカリーさまとエステルさんとでお出かけですか」
「今日も暑くなりそうですから、気をつけてくださいよ」
「王都では大人しくしておられましたか、ザカリー様」
「いつも仲がおよろしいことで、子爵領は安泰ですな」
「エステルさん、今日はいちだんとお美しいわ」
「こうして見ると、ザカリー様はずいぶんと背が高くなりましたなあ」
「昔はエステルさんに手を引かれて、可愛らしかったのにね」
「あれは、ザカリー様が勝手に無茶しないように、手を繋いでたんだぞ」
「さすがにもう、そんな感じじゃないわよね」
「でも困ったこと起こしたら、街の誰でもいいから直ぐに言ってくださいね、エステルさん」
はい、なんだかすみません。
前にカロちゃんが、グリフィニア中で俺を見張ってるから大丈夫とか言ってたけど、あながち大袈裟でもないようだ。
「ザックさまって、やっぱり領都では人気ですよね」
「そ、そうかな」
あっと言う間に中央広場に近づく。
王都と比べると、やっぱりグリフィニアはこぢんまりとしてるよな。王都の内リングの中の方が面積は広いしね。
「久しぶりに。あの武器武具屋さんに行ってみますか?」
「えーっ、あそこに行くと危険な気が」
「でも、ザックさま、楽しそうになりますから」
「じゃそのあと、ブリサさんのお店に行こう」
「はいっ、そうしましょ」
ブリサさんのお店は、この領都でもいちばんの洋服と装飾品のお店だ。王都と比べても遜色無く品揃えが良いし、女性用の服飾品が充実している。
昔もあそこで、エステルちゃんに髪飾りを買ったんだよね。今日はブリサさんに何か見繕って貰おうかな。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
よろしかったら、この物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




