第212話 水の精霊と神獣
シルフェ様に先導された俺たちは、アラストル大森林最深部の方向に歩みを進めている。
風の精霊のおふたりはすいすい前進するし、アルさんは言わずもがな。クロウちゃんは上空を進み、俺とエステルちゃんは速い移動でも苦にならない。
40分ほど黙々と進んだところだろうか。小さな湧き水の池とそこから小川が流れている場所に着いた。
クロウちゃんも空から下りて来て、俺の頭の上に着陸する。
「ザックさま、ここ来たことあります」
「カァ」
「そうだね、前回もこの場所まで来たんだ」
「それで、えと、ルーさんとお会いしましたよね」
「なんじゃと、ルーノラスか。あやつ、ここに居よったのか」
ブラックドラゴンのアルさんとフェンリルのルーさんは、なんだか反りが合わないらしい。
まあ、アルさんからの一方的な発言によるとなんだけど。
「それはそうよね。ここら辺はルーの縄張りだし、それにわたしたちが向かっているのも。もう少しだから、このまま行っちゃうわよ」
「はい」
目的地はもう少しか。大森林の中の湧水池、そうか。
4年前の大森林探索では、もちろんこの奥には行っていない。ルーさんと会った後、引き返してベースキャンプに戻った。
いよいよ最深部に足を踏み入れる訳だな。
先ほどの湧き水池のある場所から、更に奥へと足を踏み入れると、そこはいくつもの池が点在する湧水池地帯だった。
森は開け、池と池は小川で繋がり、四方八方の森の中へと流れて行く。
それぞれの池の周囲には、たくさんの夏の草花が咲き誇っていた。
「どうやらここね。着いたわよー、出てらっしゃい」
シルフェ様が念話ではなく、美しい声を出して風に乗せると、遠くの方にあるひとつの湧き水池の水面がさざめき立ち、やがて水が丸く膨れ上がったかと思うと上に長く伸びて、それはひとりの若い女性の姿になった。
青い色が陽光に光る長い髪。空の澄んだ青色のシルフェ様の髪に良く似ているが、そのひとのは青緑色にも見える。
同じブルーのドレスに身を包んだ立ち姿は美しく、でもなんだか細すぎるようにも思えた。
「ニュムペさん、なんでそんなに遠くに出るの? 叱らないから、こっちに、近くに来なさい」
あの方がニュムペ様なんだね。
シルフェ様がそう声を掛けると、ニュムペ様の姿は不意に今まで立っていた水面の下に沈むように消え、程なくして俺たちがいる場所の眼の前にある池の真ん中に現れた。
「シルフェさん、その、あの、わたし……」
「そこでもまだ離れてるでしょ。もっと近くに来なさいな」
「はい……」
今度は水の中には消えず、そのまま水面を滑るように移動して地上に下り立ち、俺たちの近くに来る。
朗らかで元気なシルフェ様の前に立つと、対照的になんだか儚げで寂しそうな感じに見えるよな。
「あなた、ちょっと見ないうちに、なんだか窶れたわね。ご飯、ちゃんと食べてる?」
「あの、わたし、清らかな水があれば、ご飯いらないんで……」
「あら、そ? でも、水分をたっぷり含んで果汁溢れる果物とか、食べた方がいいんじゃない? ね、今の季節だと何だっけ、エステル」
「へっ! えとえと、スイカとか桃とか?」
いきなり話を振られたエステルちゃんは、吃驚してあたふたしてる。
それにしても、ちょっと見ないうちのちょっとって、何百年なんだ。
「それであなた、ここにおひとりなの? 手下の精霊はいらっしゃらないの?」
「みんな世界中に散っちゃって。ここにも少しいるんですけど、あの、怖そうなひと来たから隠れちゃって。それに、その……」
そう言ってニュムペ様は、俺とエステルちゃんの方に顔を向けた。
ああ、普通、精霊さんて人族の前に姿を見せないよね。
「怖そうなひとって、わたし? あ、アルのことね」
「おいおい、そりゃないじゃろ。ニュムペさん、お久しぶりじゃの」
「はい、その節は……」
「それから、この子たちはいいのよ。だってこの女の子は、ファータでわたしの妹のエステル。顔を見れば分かるでしょ。それから男の子は、人族だけど特別な子。ザックさんよ。妹の彼氏」
「ひょーっ」
エステルちゃんは真っ赤になって、両腕を上下にぱたぱたさせている。
魂はどこかには行っていないようだね。
「ええ、シルフェさんにそっくりだから、分かります。ようこそ、エステルさん」
「は、はいですぅ。お邪魔します」
「それから、ザックさん……? あ、ルーが言ってたザックさん?」
「はじめまして、ニュムペ様。あの、たぶん、ルーノラスさんがおっしゃってたのなら、そのザックが僕です」
「そう、あなたが……」
ここにニュムペ様や他の水の精霊がいるのなら、もちろんルーさんが知らない訳がないし。と言うか、ルーさんが匿っているのじゃないかな。
「つまり、そういうことじゃな、のうシルフェさんよ」
「ええ、そういうことよ、アル。だからなかなか見つからなかったのよ」
「す、すみません」
「で、いるんでしょ。出て来なさいな、ルー」
シルフェ様から風が巻き起こり、その声を乗せて周囲に流れて行った。
すると、この湧水池地帯を囲む森の木々の間から、巨大なキ素力を纏い光輝く銀色の毛に覆われた姿が現れる。
そして、ゆっくりとこちらに近づいて来た。神獣フェンリルのルーさんだ。
「これはこれは、シルフェ殿。お久しぶりです。こんな森の奥まで、いかがいたしましたかな」
「ずいぶんと久しぶりね、ルー。あなたとも話したかったのよ」
「お、ルーノラスか、久しぶりじゃな。相変わらず出て来るのが遅いわい」
「ん、アルノガータではないか。そこにいたのか。小さいので分からなかったわ」
「なんじゃと。森を痛めるから小さくなっとるのじゃ。わざとじゃ。なんなら元の大きさに戻ろうかいの」
「やめなさい、アル。ほんとにもう、どうしてあなたたちは仲が悪いのかしらね」
「それはこのイヌっころが、生意気じゃからじゃ」
「引きこもりの爺さんクロトカゲは、そろそろ本格的に隠居でもされたらどうですかな」
「若造が、生意気な口をききおってからに」
「はいはい、もうおしまい。あなたたちにケンカさせるために、ここに来たのではないのですよ」
おー、ホントに仲が良くないんだなー。
それにしてもアルさんが爺さんというのは、まあそうなんだけど、ルーさんを若造呼ばわりするのもどうなんだろ。
でもこれで、アルさんの方が長く生きているってのは分かった。
「ところでシルフェ殿、どうしてここに小憎と小娘がいるのだ」
「あなた、この子たちと前から知り合いなんでしょ」
「まあ、そうだな」
「エステルはわたしの妹で、ザックさんのことは、あなたには今さら言う必要ないでしょ」
「まあいちおう、頼まれてはいるからな」
「そうなのね。じゃ、いいでしょ。それに今日ここに来た理由は、ザックさんにも大いに関係があるのよ」
「それは……。そうか、ニュムペ殿のことか」
「妖精の森を失ったニュムペさんがあなたを頼ったので、仕方なくここに置いてあげてるのは、まあいいわ。探すのに苦労しちゃったけどね。でもそのおかげで、ザックさんとエステルが今住んでいるところに、変なのが出て来ちゃってるのよ。わたしとしては、ニュムペさんとどこぞの水の精霊の子孫だかに、責任をしっかり取らせようと思ったのだけど、ザックさんがこの人族の国が危うくなる可能性があるからって。で、まずはニュムペさんに会って話をしようかと思ってね。わたしの話、ちゃんと聞いてるわよね、ニュムペさん」
「ひっ」
「まあまあ落ち着け、シルフェさんよ。ニュムペさんが怖がって、流れて行きそうじゃ」
「だってアル。前に話した時は、ザックさんがああ言うものだから、物事は穏便に解決しようって思ったのだけれど、このひとったら、こんな森の奥の方でのほほんと、我関せずみたいに暮らしてるのよ。やっぱり、責任を取らせるか処罰を与えるか、しないとダメじゃないかしら」
「ひへっ」
これ以上シルフェ様が何か言ったら、アルさんの言う通り、ニュムペ様は湧き水池に流れて行きそうだよ。
ここは話を建設的にというか、穏便に解決する方策を探るために何か言わないと。
俺がそう思っていると、ルーさんの青い眼がキラリと光を帯びたように思えた。
「お話を詳しくお聞きしましょうか、シルフェ殿。どうやら私にも、多少なりと責任があるようだ。私も、そこのクロトカゲほど引き蘢っている訳ではないが、この大森林の奥でのほほんとしておりますのでな」
「わしは引き蘢ってはおらんぞ。こんな田舎の森で暮らしとるイヌとは違って、今年はザックさまに会いに、3回も人族の王都に行ったわい。はて、4回じゃったかな」
「ほほう、ザックさまとは。それに王都に何回も。その小さなクロトカゲならまだしも、無駄に大きさだけはあるあの姿で、よもや人族なんぞに見られなかったでしょうな」
「そこは大丈夫じゃわい。ちゃんと姿隠しで。おや、1回見られた時があったような」
はい、入学式の時ですね。
それはともかく話が進まないので、とりあえずふたりは黙りましょう。それから話しているうちに怒りが増して行く系のシルフェ様も。
仕方ないなぁ。俺が説明することにしましょうか。
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