第199話 シルフェ様
開けたこの草地を囲む森のある方向から、温かいけど爽やか風が緩やかに流れて来る。その風に乗せられて、なんだか仄かに良い香りも届いて来るようだ。
「来られましたな」
やがてその風が流れて来る森の奥から、ひとりの女性が現れた。
薄絹のような光沢で、上品に青とも緑ともつかぬ色が光るドレスを身に纏い、歩いているのだけれどまるで空中を滑るようにこちらに近づいて来る。
その女性の後ろに従って、更に数人の同じようなドレスを着た女性たちも現れた。
あ、これは。俺は直ぐに分かったよ。
だって先頭を歩く、ひと際美しい姿の女性の顔がはっきりと見えて来たから。
その顔は、エステルちゃんにそっくりなんだもの。
「ようこそいらっしゃいましたね。お呼び立てしてしまって、申し訳ありませんでした」
「いえ、こちらこそ、お招きいただき、ありがとうございます。はじめまして、シルフェ様」
「えーっ! あわわわわ」
「あらあら、ザックさんにはもう分かっちゃったのね。はいシルフェです、はじめまして。エステルちゃんも、はじめまして。良くいらっしゃったわね。それから、クロウちゃんもね」
「ほら、エステルちゃんも、クロウちゃんもご挨拶」
「えと、えと、は、はじめましてです。エステルです」
「カ、カァ」
「そんなに緊張しなくていいのよ。エステルは、うちの子ですからね。さあ、こちらにいらっしゃい」
「あ、あの、えと」
「エステルちゃん、お呼びだよ。行きなさい」
「は、はい」
エステルちゃんはこれまで、何度も吃驚することに出会って来たけど、今回が今まででいちばん驚いたみたいだ。
それでも俺の声を聞くと、意を決してシルフェ様の前へと歩いて行く。
シルフェ様は、近づいたエステルちゃんをもっと近くにと招き寄せると、両手で彼女の手を取った。
すると、向かい合って手を取り合うふたりを淡い光が包み、そこから甘い香りを乗せた温かく心地よい風が緩やかに巻き起こって周囲に広がる。
シルフェ様に従って来た女性たちが「まぁー」と小さな声を出し、それからふたりを囲むようにして片膝を折って地に付け、頭を垂れた。
「どうじゃ、あのふたり、良く似ておるじゃろ」
「そうだね。まるで姉妹、いや双子のようにそっくりだ」
「カァ」
その荘厳な景色を少し離れて眺める俺たちは、珍しくとても小さな囁き声でそう言うアルさんと言葉を交わすのだった。
それから俺たちは、シルフェ様たち風の精霊の住まいへと招かれた。
「森が傷むから小さくなってよ、アル」
「はいですじゃ」
人が3人分ぐらいの大きさになったアルさんとともに、精霊に森の中を導かれて暫く進む。
ここがシルフェ様の妖精の森なんだね。やがて、今までの森の中とは少し趣の異なる場所に出た。
自然の樹木が何本も密集し、ひとつの固まりを作っている。そしてそれがいくつもある。
このひとつひとつが、風の精霊の家なのだそうだ。
木々が折り重なり、絡むように立っているひと際大きな固まりの前に着いた。
「さあ着いたわ。ここがわたしの住まいよ。ここから中に入ってね。アルはいつものあれで通って」
「はいな」
樹木の幹が重なるところに、人がひとり通れる入口がある。
シルフェ様がそこから入り、続いて黒い霧に変化したアルさんが通る。
その後ろから、クロウちゃんを抱いたエステルちゃんと俺がその隙間を通り抜けた。
「へぇー、中はとても広いんだなー」
「木の固まりの内側とは思えない大広間ですぅ」
「空間をいじっとるんじゃよ。空間拡張の持続魔法がかかっとるんじゃ」
小さなアルさんの姿に戻って、そう説明してくれる。
「わたしたちは風の精霊だから、どんな広さでも風が抜けられれば大丈夫なんだけど、やっぱり広い方が気持ちがいいのよね」
そんなものなんですね。
たしかに、広々とした草原とかの方が風は自由に思えるよな。
「でもアルは、元の大きさに戻っちゃダメ。いくら広いと言っても、窮屈で息苦しくなるのは嫌よ」
「わかっておるが」
「さあ、ザックさんとエステルはそこにお座りなさい。クロウちゃんは自由にしてていいわ」
床ももちろん木なのだが、その上に手触りの優しい厚い布で出来た大きな敷物が敷かれている。
座ってみると、クッションが入っているみたいな感じで心地よかった。
並んで座る俺とエステルちゃんの向かいに、シルフェ様は優雅に腰をおろした。
その周りには、大勢の風の精霊たちが腰を落ち着ける。全員が女性だ。
ひとりの精霊さんが現れて、器に入ったお茶を振る舞ってくれた。ハーブ茶のような感じだね。クロウちゃんには飲みやすいように小型の深皿に入れてくれる。
アルさんには、飲むのがちょっと無理っぽいから無いのかな。
「この人はいいのよ。出しても飲まないし」
ああ、そうなんだね。
そう言えば、ドラゴンて何を食べたり飲んだりするのだろう。聞いたことがなかったな。
「あらためて、僕たちをお招きいただいて、ありがとうございます」
「お礼はいいのよ。わたしがあなたたちに会いたかったので、アルに頼んだのだから。それにね、わたしの方からザックさんにお礼も言いたかったのよ」
「え? 僕にですか」
「ええ、わたしの子孫や係累にとても良くして貰ってますからね。特にエステルには」
「やっぱり、シルフェーダ家ってシルフェ様の家系なんですか? まあ、エステルちゃんが隣に並べば良く分かりますけど」
「隣に並べばって、どういうことですか、ザックさま」
本人は、自分がシルフェ様に瓜二つって分かってないんだね。
普段あまり鏡を見る習慣のないこの世界では、そんなものかな。
「カァカァ」
「え、シルフェ様とわたしがそっくりって、何言ってるですか、クロウちゃん」
「ほっほっほ、皆がそう思ってるのじゃぞ」
「えーっ」
「そうですね、エステルのシルフェーダ家は、確かにわたしの直系一族にあたります。そしてどうやら、これまでの一族の中でも、エステルがいちばんわたしに近いようね。先ほど、それがはっきり分かりましたよ」
「先祖返りみたいなものですか」
「精霊の場合は、血の繋がりと言うよりは魂の繋がりなのだけど、その中でそういうことが起きるのかも知れないわね」
「血統じゃのうて、魂統とでも言うものかの」
「なるほど、魂の繋がりですか」
「あなたなら何となく分かるでしょ、ザックさん」
「つまり、その、俺の魂がどこから繋がって来たか、とかのことですか?」
「ええ。どこから来たのかは、わたしみたいな精霊には思いも寄らないですが、あなたには受け継いだ血の繋がりとは別に、魂の繋がりがあるでしょ」
「あ、はい」
「そうか、ザックさまは流転人じゃからの」
「そうそう、それ。わたしの一族や係累には、なぜかその流転人に縁があるのよね」
「そうなんですね」
随分と以前にエステルちゃんから聞いた、ファータに伝わるという別の世界から転生した流転人の伝承。
ファータにその伝承があるのは、シルフェ様の言うように風の精霊の一族や係累に縁があるからなんだね。
そのエステルちゃんは、交わされている会話を聞いているのかいないのか。
自分がシルフェ様にそっくりと言われたのが強く心に響いたようで、「ほぉー」とか惚けていたかと思うと、クロウちゃんを膝に抱いて「どこが似てるですか?」「目ですか? 口ですか?」とか聞いている。
全部ですよ。瓜二つですからね。顔もそれから全身も、たぶん、おそらく。
違いと言えば、シルフェ様の方が少し背が高いかな。
「そうだわ、シフォニナあれを」
「はい、シルフェ様。エステル様、こちらに」
「エステル、あなたに差し上げたいものがあるから、ちょっとシフォニナと一緒にあちらにね」
そうシルフェ様に言われて、控えている風の精霊の女性たちの中の、シフォニナさんという精霊さんに手を引かれて奥に連れて行かれた。その後ろをふたりほど、別の精霊さんも追う。
この広間の奥にもまだ部屋があるんだね。それからクロウちゃんは、俺の側でおとなしくしてなさい。
暫くはグリフィン家のことや、現在の王都屋敷でのエステルちゃん、一緒に暮らすファータの人たちなどのことを聞かれて話していると、奥から再びシフォニナさんに先導されてエステルちゃんが戻って来た。
「へぇー」
「カァー」
「ほー、良く似合うぞよ。ホントウに双子の姉妹のようじゃわいな」
俺たちの前に戻って来たエステルちゃんは、シルフェ様が身につけている衣装と良く似た、いや、青とも緑とも思えるシルフェ様のものとは色違いの、淡く上品なピンクともローズとも思える色が光沢を放つ、同じ仕立てのドレスを身につけていた。
「思っていた通りね。あなたに良く似合うわ」
シルフェ様は立ち上がると、エステルちゃんに歩み寄ってふたりで並び、手を繋ぐ。
すると、先ほどと同様にふたりは光と優しく爽やかな風に包まれた。
精霊たちは静かに頭を垂れ、アルさんとクロウちゃんも頭を低くする。
俺は思わず立ち上がった。
エステルちゃんがその俺を見て少しはにかむように、でもにっこりと笑顔を浮かべる。
そしてどうしてだろう、俺の頬には涙がひと滴、流れ落ちるのだった。
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