第111話 境界の洞穴に行く
「エステル嬢様はやっぱり走るのじゃな」
「霧の壁の内側にしときなよ」
「ふたりで仲のいいことじゃ」
エステルちゃんと俺で里の中を走って行くと、そんな声が掛かる。
子ども時代は、いつもこのように走っていたのだそうだ。いつ帰省して来てもそれは同じ。
あっと言う間に里を走り抜け、森へと入る。
先ほど声が掛かったように、里の周囲の森にはぐるりとドーナッツ状に霧の壁が囲んでいるので、その内側を巡って走って行く。
俺たちは普段、領主館の庭園や果樹園の中を走るだけだから、一昨日からの森の中の早駈けがとても爽快で、身体も良く動くよね。
里から森に出たのが、太陽の方向からすると東側のようだから、今はその陽光を背に西側へと回って行っている。
エステルちゃんは、走りながら特に何かを言うこともなく、淡々と一定のスピードで進む。
その俺たちのすぐ上を、クロウちゃんが低空飛行でペースを保ちながら追っている。
俺は彼女の背中を追いながら、どこを目指しているのかなぁとぼんやり考える。
まぁ、考えても土地勘もないので何も分からないけど。
ファータの訓練場で頭の中に響いて来た呼び声のような感じは、走り出したらもう消えていた。
里の東端から周囲を巡って、西側へと来たぐらいだろうか。
そこでエステルちゃんは走りを止めた。
「ザックさま、ちょっとこれから、会っていただきたいお人がいるんです」
「え、誰なの?」
「えと、アルさん」
「アルさん? その人は森の中にいるの?」
「洞穴の中なんですぅ」
里じゃなくて洞穴の中に住んでいるのか。ちょっと変わってる人なのだろうか。
里からひとり離れて暮らす世捨て人とか、そんな人なのかなぁ。
「いいけど、その人は洞穴の中に住んでるの?」
「まぁそうなんですけど。ただ、その洞穴に入るのは、お爺ちゃんやお婆ちゃんにも、里の誰にも秘密にしていてほしいんですぅ」
「……うん、わかった。誰にも言わない。それなら何も聞かずに、エステルちゃんに付いて行くよ」
そこから少し歩いて行くと、里を取り巻く霧の壁のすぐ手前に洞穴が口を開けていた。
これは、境界の洞穴と呼ばれるところだそうだ。里の者は誰も入ってはいけない、と言われているとか。
そんな洞穴に入って大丈夫なの?
「わたしは、8歳の時に初めて入りましたぁ」
「へー、それで大丈夫だったの? 入るのが禁止されてるんでしょ」
「大丈夫じゃなかった、でしたぁ」
「…………」
先ほど自分で言ったように、とりあえず質問はしないで、ずんずん洞穴の中に入って行くエステルちゃんの後を追う。
クロウちゃんは俺の頭の上に乗るんだね。暗いとこが怖いとかじゃないよね。カァ。
「クロウちゃん、怖くないですよ。恐ろしい魔物とかはいませんし」
「カァ、カァ」
「怖くはないけど、鳥目だから良く見えない、ですか。それってウソですよね。ヨガラスとかいますよね」
「カァカァ」
「ヨガラスは、ホントはカラスじゃないんですか。分類が違うって、そうなんですか」
この世界にもヨガラスと呼ばれる鳥がいるのかな。
でも、鳥が暗いところでも活動ができると言うのは、本当だよな。まぁたいした会話じゃないからいいや。
それにしても、キ素の濃度が濃いな。アラストル大森林と同等の濃さなのに、恐ろしい魔物とかがいないんだ。
「ここです」
「ここ?」「カァ?」
暗い洞穴の通路の地面に、人ひとりが落とせるぐらいの大きさの穴が開いていた。
凄く気づき辛いから、ブルーノさんみたいな斥候職がいないと、知らずに嵌っちゃいそうな穴だ。
「では行きますよ。クロウちゃんはわたしが抱いて行きますから、いらっしゃい」
「カァ」
「行くって、どこに?」
「この穴の中です。滑って行きますぅ。じゃ、えいっ」
クロウちゃんを抱くと、エステルちゃんはそう言って穴の中に飛び込んで消えた。
えーっ、大丈夫?
俺は発動していなかった空間把握の力で、少し見てみる。
どうやら地面に開いた穴の中は、斜め下に伸びる細い通路になっているようだ。
エステルちゃんが行っちゃったからね。行くしかないか。
俺も思い切って穴に飛び込んだ。
「おー、滑るー」
穴の中の細い通路は、かなり急角度で斜め下に落ちるように続いていて、おまけにつるつるとした固い岩石でできているのか、良く滑る。
これは、トンネル状の滑り台だよね。俺はかなりの速度で、どんどん滑り下りて行く。
どのくらい滑って行っただろうか。かなりの長さだ。
やがて、角度が徐々に緩やかになり、そしてこのトンネルの出口から広い空間へと出た。
壁のやや高さのある位置に出口があったようで、俺はすとんと地面に飛び降りる。
そこには、クロウちゃんを抱いたエステルちゃんが待っていた。
周囲を見回してみると、とても広々とした地下空間のようで天井は遥か上方にある。
先ほど出たトンネル出口の壁から続く周囲の壁は、淡い光を放つ鉱物でできているのか、空間内部の視界をなんとなく確保していた。
だが、遠方まで見えるほどではなく、はっきりと見えるのは自分たちの周囲だけだ。
「ここは?」
「ザックさま、お疲れさまですぅ。向うに流れているお水がとても美味しいですから、飲みに行きましょう」
「う、うん」
まぁ、そう言えばちょっと喉も乾いたし。美味しい地下水があるのか、いいね。
エステルちゃんに従って少し歩くと、水が湧いて流れていた。
お、この水は。俺は何かを感じ、思わず見鬼の力を発動してその湧き水を見る。
水からキ素が沸き立ち、七色にキラキラと光って見える。
「なんだか凄いね、このお水」
「ザックさまは分かりますか。甘露のチカラ水って言うんですって。美味しいし、力が湧いて来ますよ」
エステルちゃんがショルダーバッグからコップを出し、その甘露のチカラ水というのを掬って渡してくれる。
なるほど、これは美味しい水だね。こんなにキ素が溢れてキラキラしている水なら、確かに力が湧きそうだ。
それほど疲れてはいないが、この水を飲むと身体全体に爽快な力が巡って行く。
俺が飲み終わると、エステルちゃんもゴクゴク飲んでいる。
クロウちゃんは、さっきから直接湧き水を飲んでるのね。
式神である彼の本来の栄養源はキ素そのものだから、この甘露のチカラ水は大好物なんだろう。
そうやって俺たちがひと息ついていると、この地下空間の遠くの方から、巨大なキ素力の塊が近づいて来るのに気がついた。
俺はそちらの方を注意深く見る。
見鬼の力を発動したままだったので、まだ距離はあるがその塊がはっきり見えてきた。
漆黒のとてつもなく大きなキ素力。周囲の暗闇とは異なり、漆黒であるのに光っている。
アラストル大森林の、あの神獣フェンリルのルーさんの銀色に光るキ素力とはまた違うが、その強さは引けを取らない。
塊の大きさだけで言えば、もしかしたらルーさん以上かも知れない。
「あ、来ましたね」
「いま、こちらに近づいて来る……?」
「そうですそうです、アルさんです」
やがて、それほど大きな音も立てずに、なにかとても大きなものが近づいて来るのが肉眼でも分かった。
全身に大きな圧力が当たるが、危険は感じさせない。危険や敵意に敏感なクロウちゃんも落ち着いている。
ところでエステルちゃん、アルさんて誰ですか?
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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エステルちゃんが主人公の短編「時空渡りクロニクル余話 〜エステルちゃんの冒険①境界の洞穴のドラゴン」を投稿しています。
彼女が隠れ里にいた、少女の時代の物語です。
ザックがザックになる前の1回目の過去転生のとき。その少年時代のひとコマを題材にした短編「時空渡りクロニクル外伝(1)〜定めは斬れないとしても、俺は斬る」もぜひお読みいただければ。
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