第127話 女神の魔法試験
「あとここに居るのは、風の精霊の幼子と人間たちね。ああ、畏まらなくていいのよ。わたし、ケリュの同僚なんだから」
うちの人間メンバーが膝を突いて畏まる態勢を取ったので、女神ミネルミーナ様は皆に立つよう促した。
多くを知っている訳では無いけど、まあこの世界の神様も気さくっちゃ気さくだよな。
「それでケリュ、わたしを呼んだのはどういう理由? 人間たちも何人か居るけど、魔法に関することだったらアルとか、たぶんそこのザックさんで充分でしょ? それに地上世界を調べるのって、取りあえずあなたの役目になったじゃない」
「ああ、急に呼び出して悪かったな。だがどうせ、魔法の研究とか実験とか、そんなことでずっと蘢っていて、そろそろ飽きていただろ?」
「ふん、大きなお世話よ。でもさ、たまには地上世界に出て来るのも、良い気分転換になるわ。とは言っても、呼び出されたのがこんな地下の洞穴の中だけど。ここってアルの棲み処の洞穴よね。それにいま気付いたけど、あなた、こんな無駄に立派そうなお城を造ってたのね」
「無駄に立派そうとか、こっちこそ大きなお世話じゃい」と、アルさんがぶつぶつ言っている。
ケリュさん相手だったら直接言うのにそうしないのは、アルさんてミネル様がちょっと苦手なんですかね。
共に同じ魔法関係の頂点に立つ存在だろうけど、そういうことも関係しているのかな。ルーさんとみたいに言い合いにならないと良いのですが。
しかし、ミネル様の魔法の研究とか実験とか、ちょっと興味があります。
「来て貰ったのは、そのアルに関係することなのだ。回りくどいのもなんだから、アル、あれを出してくれ」
「ふむ。わざわざ来て貰ったのじゃ。ならば仕方ありませんな」
そうひと言余計なことを言いながら、アルさんは渋々といった感じで、杖を再び仕舞っていた収納ケースを自分の前に差し出した。
「それって?」
「大昔の行方不明物を、わしが探し出して保管したものじゃ」
アルさんはそう言いながら、収納ケースの蓋を開けて中からミネルミーナの闘いの杖を取り出した。
「あ、ああーっ」
それを見て眼を大きく見開いたミネル様は、瞬時にアルさんの前に移動してその彼の手から杖を奪い取った。その動作は、まさに眼にも留まらぬ速さってやつですな。
アルさんも不意を衝かれたからか、防ぐことが出来なかったようだ。
「うぉっ。おいおい、ミネルさん……」
「なによっ。これって、わたしの杖じゃない。千年も二千年も……年数なんてどうでもいいわ。眼の届かないところに消えてしまった、わたしの杖。それがこうして、わたしの手に還って来たのね」
手に握ったその杖を、ミネル様は高く掲げたり、遠くを指し示すように真っ直ぐ伸ばしたり、あるいは近接戦闘の攻防の型を取るように振ったりと、そんなことを口に出しながら様々に動かしている。
「おい、ミネル。わたしの杖って、その杖は人間に授けた物だろうが」
いつまでも杖を振り回していて暫く止めそうもないので、ケリュさんがそう声を掛けた。
その声にミネル様の動きがようやく止まった。
「何を言ってるの、ケリュ。これは人間たちの間で、ミネルミーナの闘いの杖と呼ばれた物よ。つまり、わたしが授けただけじゃなくて、わたしの名前を冠するのを許した杖。だから、授けた人間の手にあっても、その彼女から離れても、これはわたしの杖なの」
そう言ってミネル様は、前開きのショートローブの中の薄衣に隠された胸に、大事そうに杖を抱き寄せる仕草をした。
その際、なんだか杖が埋まってしまったように見えたのは、まあ目撃しなかったことにします。
「それでアル。この杖はどこで見付けたの?」
「ああ、隣の大陸の北の山岳地帯の地中じゃな」
「隣の大陸……エンキワナか。そこって、大戦の跡地?」
「いや、大戦で頻繁に戦闘があったのは、もっと沿岸近くなのはミネルさんも憶えておるじゃろ。なので、そこから離れた北の山の中にどうしてその杖があったのかは、わしも分からぬ。たまたまその上空を飛んでおったとき、下からかすかに発する見知ったキ素力を感知したでな。じゃが、杖から発せられていたそのキ素力は、どうやら残存する最後のものだったらしく、わしがその杖を掘り出したときには、すべてを放出し終えたようじゃった」
「そうなのね。そのキ素力って、もしかしてレニアの?」
「おそらくな。わしも幾度と無く、あの娘の魔法は見たでな」
「他にあの娘の痕跡とかは?」
「大戦が終わって千年以上も後に、それを見付けたのでのう」
「だから、キ素力の残り香だけか……」
ミネル様とアルさんの今の会話からだけでは、はっきりとは理解出来ないけど、想像も含めて解釈するとレニアという女性が、あの闘いの杖を授けられた最強の魔法遣いのことなのだろうね。
それでそのレニアさんが生きた当時、それはおそらく古代文明時代の終焉期なのじゃないかと俺は想像するのだけど、その当時に会話に出て来た“大戦”というのがあった。
この“大戦”というのは現代の人間にとっては、学院で学ぶ神話学でもそういうのがあったらしいという程度の、ほとんど分かっていないものだ
それはともかくとしてその戦場のひとつは、俺たちが居るニンフル大陸とティアマ海を挟んで向うにあるエンキワナ大陸の沿岸地帯であったと、いまのやり取りからは知れた。
たぶんだけど、そのエンキワナ大陸でレニアさんは消失し、彼女が所持していた闘いの杖は、戦場からは遠く離れた大陸北の山岳地帯の地中から見つかった、ということのようだ。
その際、杖からはレニアさんのキ素力が信号のように発信されていて、そのキ素力の持ち主をかつて識っていて判別出来たアルさんだからこそ、杖を発見出来たということらしい。
「アル、この杖を見つけ出してくれて、ありがとう。そうして再び、この杖を手に取ることが出来て……って、アル、あなた、この杖っていつ見付けたのさ。大戦から千年以上も過ぎたあとって言ったわよね。それからずっと保管していたとか、どうして見付けたときに直ぐにわたしに報せてくれなかったの? どうなのよ、アル」
「ああ、ううむ。わしも暫く出不精じゃっからのう……」
「あなたが出不精、と言うか引き蘢りだったのはわたしも知ってるけど、そういう問題じゃないでしょ。……そうか、あなたはこういう道具類を集めて取って置くのが趣味だったわよね。それで、わたしの杖もコレクションにしてたのね」
「いや、単に取って置くのではのうて、そうした優れた道具が再び世に出る機会を得るまで、わしが大切に保管しておってじゃな」
「他の物はともかく、もしまた人間の世に出すのなら、そもそもこの杖を生み出したわたしが保管するのが筋でしょっ!」
ふたりの会話、というか言い訳気味のアルさんに対して、ミネル様の言葉が徐々にヒートアップして来る。
それにつれて、なんだかふたりの周囲の空気が比喩じゃなく実際にゆらゆら揺れて来ていた。
その空気感に当てられてか、俺とエステルちゃんを除く人間のメンバーは、ジェルさんに促されて少し離れた位置に退避している。
これはこのまま放っておくと、神とドラゴンのバトルと言いますか怪獣大戦争になっちゃいますよ。
「ケリュさん、シルフェ様、クバウナさん。あれ、なんとかしないと」
「ああ、そうね。ちょっと、そこのふたり。言い合いはその辺にしなさい」
「アル、ここはいままで黙っていてごめん、で話は済むでしょ。早く謝っちゃいなさいな」
「言い合いなんかしてないわよ、シルフェさん。わたしは、この爺さまドラゴンのことはよーくわかっているわ。そのうえで、杖を返してくれてありがとうってわたしは言ってるのに、クバウナさん聞いてよ。この爺さま、杖を渡す訳にはいかないって、そんな理不尽なこと言うのよ」
見ればいつの間にか杖はアルさんの手に戻っていた。
興奮気味のミネル様のちょっとした隙に、重力魔法でも遣ったですかね。これもなかなかの早業だ。
「ミネル、まあ落ち着け。アルもまずは謝れ」
「わかったわ、ケリュ」
「まあ、直ぐに報せなかったのは謝るわい。申し訳なかったのじゃ。しかし、この杖は返すつもりは無いのでな」
「それは、どうしてなの?」
「それはだな、ミネル。アルが新たな人の子に、その闘いの杖を受け継がせようとしているからだ。今日、おまえを呼んだのは、それを承認して欲しいからなのだよ」
「新たな人の子に? それって、ザックさん? でも彼、人の子じゃ無いわよね。それに魔法の杖とか要らなさそうだし」
「もちろんザックでは無いぞ。ライナさん、こっちに来てくれるか」
「そうじゃ、ライナちゃんをミネルさんに引き合わせんとな。おーい、ライナちゃん」
俺って人の子じゃないの? そうだったの? でも、父さんと母さんの子だよね。前世も前々世も人だったよね。カァカァ。ああ、いま余計な口出しはするな、ですか。はいであります。
少し離れて成り行きを見守っていた人間メンバーの輪の中から、ライナさんが小走りにやって来て片膝を突いた。
「その娘は?」
「彼女はライナちゃん。わしの弟子じゃ」
「アルの弟子? アル、弟子なんか取ったの?」
「このライナちゃんと、クバウナの曾孫娘のそこにおるカリのふたりをな」
「ふーん」
「あの、ライナです」
「あなた、もちろん魔法遣いよね」
「ザカリーさま直属の騎士で魔導士です」
知略と戦いの武神で魔法戦闘の女神であるミネルミーナ様を前にして、ライナさんもさすがに格闘魔導騎士とかの自己紹介はしない。
「このライナちゃんはな、少女時代は冒険者もしていて、魔法だけでなく格闘戦などの近接戦闘にも長けておる」
「ははーん。それで、わたしの闘いの杖を、自分の弟子であるこのライナちゃんに渡そうとしてた訳ね」
「単にわしの弟子だから、というだけの理由ではないぞ。ライナちゃんは、当代において地上世界で最高の闘う魔導士になる素質を有しておる」
普段のアルさんは滅多にそんな風には褒めないのだけど、明らかに自分の弟子であるライナさんをミネル様に印象付けるようにそう紹介した。
「地上世界で最高の闘う魔導士ねぇ……。あなた、立ちなさい」と、ミネル様はライナさんを自分の眼の前に立たせる。
その際、微かにキ素力を放出していきなり打ち当て、ライナさんをわざとよろめかせようとしたみたいだ。
だが、日々近接戦闘訓練もしているライナさんは、相手が女神様だからと怖じ気づかずに自分もキ素力を身体内に練り込み、態勢を崩さずにすくっと立ち上がった。
「なるほどねぇ。意外と落ち着いてるし、それにキ素力も綺麗で力強いわ」
「恐縮、ですわ」
この辺のところは、普段から精霊様やドラゴンや神様と、高位の人外の方々に気兼ねなく接して来たからこその所以ですかね。
まあ元々、本人が物怖じしない性格というのもあるけど。
「あなた、得意な魔法は何?」
「土魔法です」
「ふーん。それ以外のは?」
「以前は、土魔法以外はぜんぶ苦手でしたけど、最近は多少なら」
「風魔法は、きっとシルフェさんの加護かなんか貰ってるわよね。回復魔法はクバウナさんが居るし。いちばん苦手なのは?」
「火魔法、よりも水、いえ氷魔法でしょうか」
「そうしたらあなた、氷魔法を何か撃って見せなさい」
いきなり魔法の試験ですか。いや、魔法戦闘の女神の前で魔法を撃って見せるとか、ある意味凄いな。
人間としてはこの上なく名誉なことでありながら、普通はびびって萎縮してしまいます。それもいちばん苦手な魔法を撃てとかさ。
だが、そこはライナさんだ。
彼女は普段通りの朗るさと多少のふてぶてしさで「わかりましたー」とニッコリ微笑み、先ほど俺が杖を遣って試し撃ちした辺りまで少し歩を進める。
「では、アイスジャベリンを」
そう声に出して、彼女は氷の槍を生成し撃ち出した。それも間隔を空けずに続け様に5発を発射。
もちろん、彼女の専門分野であるストーンジャベリンほどの威力は無さそうだが、その5本のアイスジャベリンはシュゥーンと見ていて心地良い速度で飛んで行き、遠くの洞穴の壁に打ち当たる。
「やっぱり、壁を崩すほどの威力は出ないですね。こんなものです」
いやいや、おそらく普通の水魔法、氷魔法の専門職とも遜色が無い魔法だと思うよ。
例えば、学院で氷魔法を得意としていたヴィオちゃんと比べるのは申し訳ないが、あの彼女よりも遥かに優れた氷魔法だ。
そう言えばさ。王都屋敷で冷蔵庫や氷室に貯めている氷を作らなきゃいけないとき、ライナさんは「わたし、氷魔法は苦手だから、やっぱりザカリーさまお願いー」とか、昔からいつも俺にやらせてたよな。
そんな訳無いだろと思ってたけど、案の定そんな訳無かったじゃないですか。
自分が撃ったアイスジャベリンの威力を確かめたあと、ライナさんはくるりと振り向き、ミネル様に向かってニッコリ微笑んで軽く頭を下げた。
それに対してミネル様も、不敵な表情を浮かべて微笑みながら鋭い視線を向ける。
「そうしたら、次は……」
どうやらミネル様の魔法試験はまだ続くみたいだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




