第121話 撤退と雷の魔導呪文符
上空で監視しているクロウちゃんから、砦正面の陽動攻撃は弓矢戦に移ったとの連絡が入った。
こちらの部隊は17名全員が弓矢攻撃を行い、それと呼応するかのようにボドツ公国兵側も防壁の上部通路に弓手を増やして応戦を始めたそうだ。
それで砦側の弓矢は数的に優位となり、また魔導兵もまだ散発的にファイアーボールを撃っているらしい。
おそらくは弓矢戦となったことで、こちらの兵数が少ないこともバレたに違いない。
一方で、砦の正面出入り口の内側で待機しているボドツ公国兵は、防壁上部通路の弓手を増やしてもまだ接近戦の出来る1部隊が20人弱、3部隊で50から60名はいるだろう。
その状況を手短にカリちゃんとケリュさんに伝える。
「(こちらの人数が少数と分かれば、扉を開けて一気に迎撃に出る可能性は高いな)」
そうすれば乱戦となる。
それも17対60という、圧倒的な数的不利での乱戦だ。それに上からは矢や魔法が降って来る。
どこの世界でも、こういった砦や城攻めだと、攻める側は守る側の3倍の兵力が必要だと良く言われる。
なのにいま行っている攻撃は、本当に砦を攻め落とす気の無い陽動だとしても、数的には真逆ですからね。
そこのところはジェル隊長も良く分かっていて、あくまでタリニアの傭兵部隊を装う緩い攻撃に抑えつつ、ボドツ公国兵が砦から出て来る三段階目の乱戦になったら、それを適度に防ぎつつ退却する予定なのだ。
こういった数的劣勢での乱戦からの退却戦は、戦の難易度で最も難しいと言えばそうなのだが、そこは圧倒的な戦闘力を持つうちのレイヴンメンバーを殿に、たぶん大丈夫だという判断だ。
まあよっぽど危険な状況になったら、全員が一挙に退却してライナさんが敵兵の立つ地面を陥没させちゃうとか、いろいろやりようはあるよな。
しかしそうは言っても、乱戦に移行したら思わぬ不可抗力が起きないとも限らないし、近接戦闘で傭兵部隊を装うのも難しくなるので、それほど長く続ける訳にはいかない。
なので第二段階の弓矢戦に移行したというのは、陽動攻撃作戦はもう終了に近づいているということになる。
「(それよりも、ヤルマリさんですよ。どうします、ここで治療をします? でも、治療に時間が掛かりそうだし、ザックさまかお婆ちゃんの聖なる光魔法が必要かもですよ)」
カリちゃんがそう聞いて来た。
いまは取りあえず全身に回復魔法を掛けて、痛みを和らげてこれ以上酷くならないようにしているので、彼も眠りについている。
それで彼の状態だが、確かにカリちゃんが言うように、身体内外のあちらこちらを損傷しているので、治療を始めてもおそらく時間が掛かるだろう。
それに、手足が切断されるなどの大きな部位欠損にまではなっていないものの、骨が何本か折れまたは罅が入り、内蔵も傷つき、右手の指が2本潰されている。
そして問題なのは片目が潰されていることだ。
これを復活させることが出来るのかどうか。それには聖なる光魔法を遣う必要があるのは確かだが、回復魔法や聖なる光魔法の元祖であるクバウナさんと相談しなければならないだろう。
「(まずはここから運び出そう。それで、エステルちゃんたちと合流し、後方に退却。陽動攻撃もそこで終えて退却だな。全員の退却を確認したら、速やかにタリニアの森に戻る)」
「(うむ。それが良いだろう。ならば行動だ)」
「(で、退却のときに、ひとつだけいいですか?)」
じつは俺は冷静で居るようで、もの凄く怒っている。
だって俺が責任者を務める探索部隊の部隊員で、かつ最後には俺が護るべきファータの一族の者が、このような拷問を受けたのだからね。
紛争中の一方の砦に潜入して捕まったのだから、それなりに酷い扱いを受けるのは戦の倣いだと言えばそれまでだ。
前世でも似たような経験を何度もして来たのだが、それでもヤルマリさんの状態を見て沸き上がった怒りが消える訳では無かった。
そこには、紛争当事者では無い言わば部外者の俺たちが探索部隊を送り込んで、かつ片一方に捕捉されてしまうような危険を犯させてしまった責任を、指揮する者としての俺自身が強く感じたからなのかも知れない。
だが、専門家で経験も豊かなティモさんやヤルマリさんたち現場のファータの探索者の判断や行動を、だからこそ信頼しなければならない。
前世の戦での記憶もフラッシュバックさせながらの、そんな思いが短い時間の中で俺の頭の中を駆け巡る。
「(なんだ、ザック)」
「(砦の中で、攻撃するような行動はするなと、皆からは言われましたけど……)」
「(うむ。だが、そもそもの総責任者はおまえだ。続けろ)」
「(あのバラ撒かれている魔導呪文符。あれぐらいは始末して引揚げようかと)」
「(ははは、あれか。まだ在庫はあるのかも知れないが、あんな古代文明の遺物のような物を、いまの時代のこんな田舎部隊が使っているのも、まあなんだな)」
「(ここの者たちが、そもそもあれを熟知しているのかどうかは分かりませんけど。場合によってはそれが極めて危険なものになると、目の当たりにするぐらいには始末をしておきたいんですよ)」
たぶんだけど全て雷魔法が発動される魔導呪文符が、それほど広く無い空間に無造作に大量にバラ撒かれていた。
普通に1枚を踏んでしまえば、ヤルマリさんのように雷に捕われ、痺れて行動不能になってしまうのだろうけど、それがあんなに無造作に大量にあるとね。
眠っているヤルマリさんの身体は、横たわったままカリちゃんの重力魔法で浮かせている。
その横にケリュさんが付いているので、どうやら彼もなんらかの神力でフォローしてくれているようだ。
と言うか、ヤルマリさんの姿もいつの間にか見えなくなっているので、これはケリュさんの力なのだろうな。
その3人が、まるで見えないリフトにでも乗せられたようにするすると上昇し、屋根に空けた穴を通り抜けて行った。
俺はそれを確認し、後を追って跳び上がる。
ふたりはヤルマリさんを浮かせたまま、先ほど最初に居た防壁の上部通路の上で停止していたので、俺もその横に着地する。
「(それでザックさま、なにするんですか?)」
「(ああそれはね、カリちゃん。まあどうなるか、見ていてよ)」
「(はい?)」
「(あ、それと、僕らを護る防御魔法を貼っておいて)」
「(それは我が貼ろう)」
眼下の仮に荷捌き広場と名付けたちょっとした広場に、おそらく夜間だけなのだと思うが、かなりの枚数の魔導呪文符の木札が撒かれている。
ヤルマリさんが引っ掛かった時にはどうだったか分からないけど、今日は再度の侵入を警戒してなのか、陽が落ちた頃合いの俺たちの侵入時には、これは多過ぎでしょと思うほどに地面に隙間無く木札があるんだよね。
その魔導呪文符は、さっきケリュさんが教えてくれ、また2枚ほど回収した物と同じく、起動状態で微かにキ素力を動かしていた。
もちろんこの起動している様子は普通分からないのだろうけど、俺は探査や見鬼の力でその呼吸するようなキ素力の動きが見えるんだよね。
たぶんこれは、ケリュさんはもちろんカリちゃんも見えているだろう。
その起動している魔導呪文符が3、40枚、いやもっとありますかね。
これが同時かつ一斉に雷魔法を発動させたらどうなるか。
確かこの魔導呪文符の木札って、踏むとかの一定の圧力が掛かれば発動するんだよな。
俺は自身の身体内のキ素力の循環を通常の魔法よりも少し多めに動かし、それを魔法にするのではなく、密度の濃いキ素力のままの塊として空中に放出する。
まあかつて、コントロールが下手な時代に暴発して自分の身体からドーム状に広がっちゃったあれを、今は意識して塊に纏めて身体から切り離し、空中に浮かせたものですね。
「(あひゃひゃ。昔の失敗の話を聞いてはいましたけど、素のキ素力の塊だけでそんなに大きくなりますかぁー。ザックさまはドラゴンですか)」
「(はっはっは。さすがザックは我の義弟だ)」
そのキ素力の塊を、ちょうど荷捌き広場の広さの大きさにして、ずんと一気に地上に落とす。
その瞬間、地面に撒かれた魔導呪文符は一斉に、あるいは誘爆するように雷魔法を発動させ、もの凄い雷を一気に地上に出現させた。
広場から周囲を囲む建物へと、その雷の放電が広がる。
と同時に、その四方に広がった放電現象によって周囲の空気が瞬時に超高温に加熱され膨張。
ドッシャンバリバリという雷音を伴った高熱の衝撃波が、三方の建物や俺たちが上に居る砦の防壁にぶち当たった。
「(ひゃひゃひゃあ)」
「(おう、これはなんとも)」
あやー、1枚1枚は大した威力が無くても、あれだけの枚数の魔導呪文符が一斉に魔法を発動させると、もの凄い威力ですなぁ。
「(ザックのバカでっかいキ素力が加わっておるからな)」
「(そういうことですか。って、悠長に見物してないで、撤退ですよ)」
「(うん、撤退っ)」
上空のクロウちゃんからは、カァカァカァ(なにしてるの。また叱られるよ)という通信が入る。
彼には無事にヤルマリさんを救出したことを伝え、ジェルさんたち陽動攻撃部隊へも撤退行動に入るように伝えて貰う。
つい先ほど、この雷魔法が発動した直前のタイミングで、砦のボドツ公国兵が前面の扉を開いて出撃したのだそうだ。
だがその直後に、後方の砦の中で起った雷の光とその音に驚いて、慌てて砦の中に戻ったらしい。また魔法や弓矢攻撃も停止した。
出撃して来た兵を迎え撃とうとしていたうちの陽動攻撃部隊も、その突然の出来事に驚いたらしいが、直ぐに皆が腑に落ちたのか落ち着いて警戒態勢を取っているとのこと。
そんな状況を俺はエステルちゃんのもとまで撤退しながら、クロウちゃんから聞いた。
一方の彼は、俺と通信しながらジェルさんたちにヤルマリさん救出成功と撤退の指令を伝えている。
「ヤルマリさんの状態は……あっ。どうしますか? ここで治療を始めます?」
「いや、念のためにクバウナさんと合流してからにしよう」
「そう、ですね。移送は、大丈夫そうですね」
「わたしが浮かせて運びますよ」
「カリちゃん、ありがとう」
エステルちゃんと一緒に俺たちを迎えたリーアさんやクイスマさん、リリアさんも駆け寄って来て空中で横たわっているヤルマリさんを覗き込んだ。
静かに寝息を立てている彼の姿に安心すると同時に、酷い状態であることも分かったようで、声に出さない怒りを表情に出している。
そして一同は、砦の中で起きている火災の大きな焔の方へ眼を向けた。
雷魔法は直ぐに消滅して消えたが、当然ながら四方に広がった超高熱の空気は周囲の建物を発火させ、それがいまは大きな火災となって燃え盛っている。
消火設備などはもちろん無いだろうし、水魔法が遣える魔導兵が居るのかどうかも分からないけど、砦の中に貯蔵している飲料水や生活用水なんかでは、もう消火するのは無理かもですなぁ。
「なにをしたのかはいまは聞きませんけど、あとでしっかり話して貰いますよ、ザックさま」
「はいです」
「まずはぐずぐずしてないで、合流地点まで撤退です」
「はいです」
直ぐに俺たちは合流地点に向けて移動を開始し、ほぼ同じタイミングで撤退して来た陽動攻撃部隊の面々やアルさん、クバウナさんと合流。もちろん彼女らは、ひとりとして怪我をした者などは居ない。
そこでクバウナさんにヤルマリさんの状態を診て貰う。
彼女の診察では、直ちに治療を始めた方が良いが、落ち着いた場所での方が望ましいとのこと。
アルさんが「夜じゃから乗せて飛びますぞ」とドラゴン姿に戻り、俺たちはその背中に乗り込んだ。あ、探索部隊員たちも、躊躇っている暇は無いと無理矢理乗せました。
そして普段の白い雲ではなく、以前にやっていた黒雲に3人のドラゴンは包まれて、タリニアの森の野営拠点へと飛んだのだった。
野営拠点に到着すると、直ぐにヤルマリさんの治療に取り掛かった。
クバウナさんと相談し、彼女と俺とで聖なる光魔法、エステルちゃんとカリちゃんとが回復魔法と、4人で分担して同時に魔法治療を行う。
複数人の重ね掛けは、かつて重傷を負ったユニコーンのアルバスさんの治療で経験済みだけど、あのときはシルフェ様が居たのでほとんど心配はしなかった。
でも念のため、複数の魔法の干渉で悪影響は無いのかをクバウナさんに確認すると、「あなたとわたしの聖なる光魔法は、アマラさま由来のもの。エステルさんの回復魔法はシルフェさんので、カリのはわたしが伝えたものですから、大丈夫ですよ」とのこと。
つまり、神様、精霊様、そして地上世界における回復魔法の祖のものなので、悪い干渉は起きないのだそうだ。
どうやら同じ回復魔法でも、人間の魔法となってしまったものは、場合に依っては干渉などで悪影響が出る場合があるらしい。これはひとつ勉強になります。
そして4人が治療を始める。
特にクバウナさんの聖なる光魔法は美しく、この世のものならざる清らかさとコントロールされた力強さがあったのだけど、これも勉強になりました。
ヤルマリさんの全身を包んでいた光が収まると、彼の身体内外のあちらこちらの傷やら骨折やらはすべて治っていた。
特に片目の欠損は主にクバウナさんが、潰された右手の人差し指と中指は俺が復活させたのだが、クバウナさんの治療は俺が言うのもなんだけど、なんとも見事だったよね。
この治療を見護っていた皆、とりわけファータの爺様婆様たちは「奇跡ぞ、これは奇跡を見たぞよ」と、ヤルマリさんが完治したのを見届けたあと、地に伏しておりました。
「さて、わたしたちはつまんない攻撃を続けていた訳だけどさー。砦の中のザカリーさまたちは、ナ二をしたのかなー」
「あの音と光には、久し振りに吃驚しましたよ」
「落ち着いたところで、ご説明を願おうか」
「長官、あれほど攻撃はお控えくださいと……」
はいはい、報告説明タイムですね。わかりました。いまお話ししますから。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




