第111話 リガニア街道の偵察飛行
今日のリガニア地方の天気は薄曇り。いまのところ雨は降らないでしょうが、灰白色の雲が大空一面に広がり、また左手の遥か向う、北方山脈の西のアラストル大森林がある方面では雨雲が留まっているようです。
これからの天候に少し不安はあるけど、これは絶好の偵察日和ではないでしょうかね。
夏の直射日光に照らされ続ける心配は無いし、雲が広がっているのでカリちゃんのドラゴン姿を見えにくくすることも出来そうだ。
尤も、この世界のこの時代では、一般的に人間が空を見上げて何か気にするということはあまり無い。
そもそも人工的な飛行物体などは無いし、ドラゴンや確かルフという名称の魔鳥みたいな超大型の空飛ぶ存在は、あくまで伝説上のものだからね。
せいぜいが「今日は陽射しが強いな」とか「これは強い雨が来るぞ」などと、天候に関わる事柄で空に顔を向けるぐらいだ。
なので、ある程度の高度で飛行していれば、地上の人間に見られることはまず無いと考えていたが、今日のような曇天だと更に見え辛いと思う。
「(それで、ザックさまは地上の様子が見えますかぁ?)」と、カリちゃんが一定の高度を保って水平飛行に移ったところで念話が来た。
そうなんだよね。彼女に乗ってただ寛いでいるだけだと、アルさんほどでは無いにせよドラゴンの広い背中や大きな翼に視界が遮られて、遠方ならともかく真下の地上へは目線が届かない。
「(翼の上端ぎりぎりまで行けば、大丈夫だと思うよ。ね、エステルちゃん)」
「(ですね。ザックさまと左右で分かれれば)」
「(いっそのこと、肩車しちゃいます?)」
肩車? ああ、背中の先、首の付け根あたりに跨がるということか。
確かに、アルさんだと首がかなり太いけどカリちゃんは細身なので、跨がるのは可能だよな。それに左右の視界も広がるか。
そういうのって、前々世のアニメやゲームなんかで見たことがありますなぁ。
「(カァカァカァ)」
「(いや、キミみたいに頭の上は、それは四方が見えるだろうけど、無理でしょ)」
「(ザックさまとエステルさまと、ひとりずつくらいならダイジョウブですよ)」
「(わたしは肩先でいいわ)」
「(えーと、僕も頭の上は遠慮しておく)」
エステルちゃんは主に風の障壁を貼り続けているのと重力魔法が出来ないので、さすがに頭の上まで行くのは止めた方がいいよな。背中の上だと普通に歩いているけどね
なお、カリちゃんが飛行の安定と、念のための転落防止に重力魔法を遣ってくれている。
俺の場合は重力魔法を遣えば、頭の上でも尻尾の部分でも普通に立つことが出来るけど、ドラゴンの頭の上で仁王立ちに立つ人間とか、現実離れと言いますか見た目が怖いです。
それから暫く、エステルちゃんと左右の肩先に分かれて地上の視界の具合を確認したり、交代でカリちゃん言うところの肩車をさせて貰ったりした。
「(前方に街が見えて来ましたよ)」
「(あれ、ヴィリムルね)」
ファータの里を奥深くに埋込んだような森林の木々の密度が次第に薄くなり、やがて林が点在する平原や農地へと変化して行くと、その向うに都市城壁に囲まれた街が見えて来た。
「(ほほう、懐かしいですなぁ)」
とは言っても、俺はヴィリムルの街の中に入ったことは無い。
あれは初めてファータの里を訪れた6年前に、ボドツ公国の威力偵察部隊と北方帝国の特殊部隊らしき連中が遥かこの地まで接近して来て、ヴィリムルの都市城壁の内部に侵入しようとしたときだよな。
あの頃は俺もまだ10歳になるかならないかの子どもで、都市城壁の外側からの侵入は阻止したものの、特殊部隊の中に居たエンキワナの妖魔族らしき男に、危うく殺られそうになった。
その出来事については、エステルちゃんはかなり怖い思いをしたということで、あまり思い出したく無いらしいけどね。
でもまあ現在なら、あの程度の連中に殺られることなど無いですよ。
「(特にザワついてる感じはしないですよね)」
「(そうね。遠目だからちゃんとはわからないけど、普段通りということかしら)」
まあ俺の目にも、ヴィリムルの街の様子はそう映っているね。
普通に街の中を人や馬車が行き交い、街全体が緊張しているといった雰囲気は無いようだ。
ただし、街を囲む都市城壁の上部通路のあちらこちらには、都市の周囲を警戒する見張りと思しき武装した人影がわりと多く見えた。
うちのグリフィニアだと、街道に続く都市城壁門に警備兵が居ても、こうやって上部通路での立哨警備は置かないよな。これを見ると、やはり他国との紛争中だというのが分かる。
ヴィリムルの上空を、高度を落とさないようにカリちゃんは3周ほどゆっくり旋回し、「(次、行きましょうか)」と念話を送って来た。
「(そうだね。あの道がリガニア街道か。暫くは、あの街道に沿って行こう)」
「(らじゃー)」
進路は北北東。ファータの北の里からリガニア都市同盟の中心都市タリニアまでの、およそ400キロの距離。
そこを目指して高空を直線的に飛んで行くのなら、巡航速度時速500キロで1時間も掛からない。
でもカリちゃんはそれよりもだいぶ速度を落とし、クロウちゃんの推定によればだいたい時速300キロ前後なのだそうだ。
ちなみに、前々世の世界の旅客機が揚力を失って高度を維持出来なくなる、所謂失速速度は時速250キロ前後ということだが、ドラゴンはそれより速度を落としても墜落することは無い。
これはもちろん、大気の揚力だけで飛行しているのではなく、重力魔法を遣っているからだよね。
現在の高度はこれも目視による推定だけど、だいたい千メートルぐらいですかね。
この高さで旅客機などが飛べば、その轟音が地上にも響いて来るが、もちろんカリちゃんはまったく音を出さずに飛行している。
地上から見たら、前々世の感覚だとUFOでも飛んでいるのか、とか思われちゃいますかね。
などとつまらないことも考えて苦笑しつつ、農作地や牧畜地も見える平原の中を伸びるリガニア街道の様子を眺めながら、俺たちは大空を進んで行った。
「(カリちゃん、あなた喉は乾かない? でも、飛んでるとドリンクとかは飲めないわよね)」
「(まだ平気ですよ、エステルさま。師匠やお婆ちゃんもそうですけど、この姿に戻ると、どうも体質もドラゴンに戻ると言うか、半日やそこら飛び続けても喉とかはぜんぜん乾かないんですよねぇ。これが人の姿になると、体質もわがままになっちゃうみたいで。そうじゃないと師匠なんか、飛んでいる最中にやれ甘い物を寄越せとか、何か飲みたいとか、きっと煩いに決まってますけど、何も言いませんものね)」
そうなんだね。そう言われてみると確かに、人の姿だと普段は甘い物からお酒まで、食って飲んではダラダラしているアルさんだけど、俺たちを乗せていくら長距離飛行をしても、ひとつも文句を言わないものな。
「(でも、タリニアに近づく前には、いちど地上に降りて休憩したいですねぇ)」
「(だね。昨日教えて貰った森の方に先に行ってみよう)」
「(らじゃー、です。あ、次の街が見えて来ました)」
2番目はシャウロという街だ。
このシャウロは先ほどのヴィリムルよりもずっと規模が小さく、街を囲む都市城壁もそれほど高く頑丈そうには見えない。
だが、長年の紛争の渦中に置かれた同盟都市のひとつとして、おそらくは従来からあった都市城壁と言うか低い塀の外側に、更にバリケードのような防護柵が張り巡らされ、また数カ所に見張り塔が設置されていた。
その塔には見張り兵が3人程度、それぞれに弓を背にして遠方を警戒している。
ヴィリムルでもそうだったけど、その者たちは身に付けている装備の見た目がバラバラなので、おそらく傭兵かあるいは冒険者だろうね。
「(こっちもどうやら、取りあえずは平穏そうね)」
「(大部隊で侵攻されたら、ひとたまりも無さそうな街に見えるけどなぁ)」
前世では数万とは言わないまでも、数千人単位がぶつかる戦を何度も経験して来た俺としては、なんともひ弱に見える街の防備だ。
「(カァ、カァカァカァ)」
「(ええーっ、そうなの?)」
「(ザックさまは最後に、1万人の敵軍に囲まれたですか)」
「(はははは。だったかな)」
「(笑いごとじゃないです)」
「(まあ、そんなこともあったってことで)」
「(カァ)」
クロウちゃんがいきなりバラすものだから、エステルちゃんとカリちゃんが酷く吃驚するでしょうが。
まああの当時は、俺が居を構える二条御所に、いざという場合に備えて石垣や大きな堀なんかを増築したのだけど、さすがに三好、松永軍の1万から守り切ることは出来なかったですよ。こっちは近侍らが200名ほどしか居なかったしね。
「(メテオとか落とせなかったですかぁ?)」
「(いやいや、あのときはそういう魔法は遣えなかったし)」
あの世界では呪法はあっても、一発逆転の大魔法などは存在しなかった。
でももし仮に俺がそんな魔法を遣えたとして、御所は都の街中だったし、敵軍だけでなく多くの市中の人たちや街そのものに甚大な被害を出して、俺は本物の魔王とかなんとか思われたんじゃないかな。
まあその後に、自ら第六天魔王を自称する男が都を支配するけどね。
「(そのうち、ザックさまからぜんぶ聞きますからね)」
「(わたしも聞きたいですよ)」
「(まあまあ、そのうちということで)」
「(カァカァ)」
こういう話になると、エステルちゃんは少し不機嫌になるというか、哀しそうな表情と思いが温もりのある感情と綯い交ぜになりながら、念話に乗って伝わって来る。
クロウちゃん、不用意に話しちゃうキミが悪いんだからね。カァカァ。まあ、いつかは俺の前世での出来事を話してあげるときが来るのだろうけどさ。
エステルちゃんの機嫌を治すために、飛行中で食べられないカリちゃんには悪かったけど、無限インベントリからミルクショコレトールを出して、ふたりで食べたりする。
「もう半分以上は来たかしら。いよいよ、タリニアに近づいて来ましたね」
「たぶん、あと少しでリブニクだから、そうしたら森を探して休憩しよう」
「ですね。カリちゃんも飛びっぱなしだし」
どうやらエステルちゃんの機嫌は、ミルクショコレトールの力もあっていつもの状態に戻ったみたいだ。良かったです。
「(また小さい街が見えて来ましたよ)」と、カリちゃんからの念話。
それで俺たちは左右に分かれて、それぞれにドラゴンの肩先から地上に目をやった。
タリニアの手前にあるリブニクの街は、先ほどのシャウロと同程度の規模の街だ。
その街を囲む背の低い都市城壁と外側の防護柵、幾本かの見張り塔と、街の防御態勢も良く似ている。
ただし、これまでのふたつの同盟都市の様子と異なるのは、リガニア街道に面したおそらくは都市城壁門の外側にある広場で、5、60人ほどの戦闘装備を身に纏った人たちが、それぞれに剣などを手にして戦闘訓練らしきものを行っていることだった。
「(戦闘訓練、かしら)」
「(みたいだね。でも、街の入口の真ん前で、抜き身の武器で戦闘訓練とか、物騒だよなぁ)」
「(出入りする馬車や人は、なんだか平気そうですけどね)」
「(冒険者じゃないわね)」
「(たぶん、傭兵だろう)」
このリガニア地方の冒険者事情は良く分からないけど、冒険者がああやって集団で街の入口前で戦闘訓練を行うなんて考えられない。
余程のことでも無い限り冒険者なら数人のパーティ単位で動くし、うちのグリフィニアの冒険者なら、街の人たちに物騒な得物を見せびらかすようなことは絶対にしない。
リガニア紛争が始まって以来、各同盟都市では傭兵部隊の雇用が常態化しているので、彼らはこのリブニクが雇っている傭兵なのだろうけど、でもしかしなぁ。
街の人たちも、どうやら然程の関心も無く普通にしているみたいなので、傭兵が自分たちの存在を日常的に印象付けるのが当たり前になっているとか、でしょうかね。
「(でも、あれくらいの技量と人数だと、うちのジェル姉さんたちだけで充分ですよね)」
「(まあねぇ)」
「(海賊と同じようなものかしら)」
「(あはは。言えてますよ、エステルさま)」
エステルちゃんの言う海賊とは、南方への旅の際に群島海域で襲撃して来た海賊どものことだ。
あのときは20人以上の海賊がアヌンシアシオン号に乗り込んで来たけど、俺とケリュさんはほとんど観戦で、エステルちゃん以下の女性陣でだいたい討取っちゃったんだよな。
まあ上空からの遠目で見ている限りでは、あの傭兵たちの戦闘力的にはそんなものでしょうかね。
「(リブニクも見たことだし、休憩しに行こうか)」
「(ですね)」
「(カァカァ)」
「(頼むね、クロウちゃん)」
休憩場所として想定している多少大きめの森は、このリブニクとタリニアの間から西に少し行った場所に在るそうだ。
そのだいたいの位置は、昨日の飛行ルート検討の際にエーリッキ爺ちゃんやユルヨ爺に教えて貰っており、グリフィニア拡張計画などで航空地図作製の経験豊かなクロウちゃんの頭の中に入っているとのこと。
なので、その森の確認とカリちゃんが着陸出来る場所探しに、彼が先行することにしていた。
まあキミも、ずっとカリちゃんの頭の上で楽をしているのだから、そのぐらいは働きなさい。
クロウちゃんからの通信を俺が受けながら、その誘導をカリちゃんに伝えて彼の後をゆっくり追って行く。
暫くして、森を確認し、降りられそうな場所も見付けたという通信が入って来た。
高速飛行も可能で、かつカラスの姿だから低空飛行をしても問題無いクロウちゃんには、朝飯前の仕事だね。
カァカァカァ。え? それは良いとして、なんだか森の中で誰か人間が戦闘している気配を感じたので、これから見に行くって?
おいおい、いよいよそんな場面がある場所に来たということですか。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




