第90話 課外部対抗戦を観戦に行きます
「ザカリー長官。このたびは早速ながら、いろいろお骨折りいただきまして、ありがとうございます」
「いやいや、お骨折りとかそんな。僕は大したことをしてませんよ。ただ、バルトロメオ殿下のご様子を学院に見に行っただけです。殿下は僅か数日で、すっかり学院に馴染まれていたようですし、僕もひと安心したところです」
「エステルさま、先月以来でございますね。またお会い出来て嬉しく存じます。みなさま方も」
「ルチアさまも、ご多忙でしょうにご苦労さまです」
「いえいえ。当国の大切な王太子の甥を、友好国とはいえ外国に留学に出したのですから、当地に顔を出さない訳にはいきませんわ」
「こちらの王宮の方へは?」
「はい、昨日に殿下が学院から戻ってから、国王陛下と大叔母さま、こちらの王太子殿下とフェリシアさまに一緒にご挨拶に伺いました。それで、ザカリー長官とエステルさまにもご挨拶しないとと、大変に失礼ながら今朝方に訪問伺いをさせていただきまして」
「バルトロメオ殿下とルチアさまでしたら、うちはいつでも大歓迎ですわ」
「ありがとうございます」
そんな風にルチア宮宰とエステルちゃんが挨拶と言葉を交わし、彼女の隣でニコニコしているバルトくんを、一歩引いた距離でマヌエリタさんたちが畏まって眺めていた。
ああ、彼女たちをちゃんと紹介しないとだし、訪問が重なったこともお詫びしないとだよな。
そう思って口を開こうととしたら、先にバルトくんが「ルチア叔母さん」と声を掛けた。
「つい先日、同じ総合武術部の部員として知り合ったマヌエリタ・サルディネロさんが居られます」
「あら、これは失礼しましたわ。つい、エステルさまとのお話に夢中になってしまって」
なんとも良く気の回る王太子殿下ですな。
「初めてお目に掛かります。マヌエリタ・サルディネロでございます」
「ミラジェス王国、レンダーノ王家宮宰のルチア・レンダーノですわ。ご家名がサルディネロとおっしゃいますと?」
「はい、サルディネロ伯爵家の長女です」
「あら、これは」
「ザカリーさまと、エステルさまの義理の従姉妹になります」
「まあ」
俺だけでなく、エステルちゃんの従姉妹というところに何だかやたら力を込めて言いましたなぁ。
ルチアさんとエステルちゃんが仲良さそうに話していて、自分が置き去りにされているとか思っちゃいましたかね。
そんな彼女を、エステルちゃんは微笑ましそうに眺めている。
一方でルチアさんはなにやら品定めでもするかのように、姿勢良く立って自分に真っ直ぐ視線を向けるマヌエリタさんをじっと見ていた。
お客様たちを屋敷の中に招き入れ、いつものようにラウンジで寛いでいる人外メンバーも軽く紹介する。
エステルちゃんの姉とかその旦那とか親戚とか、そんな感じね。
クロウちゃんはさっき玄関先で紹介しました。
「可愛いカラスさん」「カァカァ」「クロウちゃんは人の言葉が解るのと、カラスと呼ばれると怒るので」「まあ」「カァカァ」
そんな初対面でのいつものやりとりですな。
人外メンバーをうちの家族や親戚と、素直にそれを受入れているバルトくんとマヌエリタさんに比べて、サルディネロ伯爵家留守役公用人ダリオさんは少し戸惑ったような警戒するような、そんな表情でぎこちなく挨拶をしていた。
一方でルチアさんは、意外にもとても丁寧な物腰で挨拶を交わしていました。
これはミラジェス王国の王家で仕事を受託していて、彼女の指揮下にあるファータ西の里のイェッセさん辺りから何か聞いていますかね。
この場で互いにそれを確かめたりは出来ないので、なんとなくの想像だけど。
ところで今日は、二組のお客様で人数もそれなりになるだろうと、応接室では無くソファなんかを動かしてこのラウンジを歓談の場を設えている。
シルフェ様たちの居る位置とは少し離れているのだが、こちらの話し声はあの人たちなら聴き取れるだろう。でもまあ、そういうのは気にしない方々だからね。
お客様の方では、ダリオさんがまだ不思議そうな顔をしている。
紹介はされたけど、あの人たちって本当は誰? どうしてあそこでごく自然に当たり前のように寛いでいるのだろうか、なんて考えているんじゃないかな。
でも隣国王家の宮宰という高位の立場にあるルチアさんが、何も口に出さずにこの場を受入れているので、納得が行かないながらどうやらそれに倣うことにしたらしい。
バルトくんはまったく気にせず、マヌエリタさんはエステルちゃんと話したくてうずうずしている様子なので、そちらの方に意識を移したみたいだ。
歓談の話題には、俺の姉であるヴァニー姉さんがキースリング辺境伯家継嗣のヴィック義兄さんと結婚して、その彼の母上の出身家であるサルディネロ伯爵家と親戚関係になっていることなどをあらためて紹介する。
それから、先日に俺が学院を訪問してバルトくんと話し、結果的に総合武術部の入部に至ったことと、その際に1年生部員のマヌエリタさんが義理の従姉妹関係にあたるのを、俺が初めて知ったことなどへと話題は移った。
「それでバルト殿下は、総合武術部に入部したのを、ルチアさんにちゃんと報告しましたよね?」
「もちろんですよ、ザック様」
「ルチアさんとしては、と言いますか、レンダーノ王家的には大丈夫ですか?」
学院の中では無いので、バルトくんは俺のことをザックと愛称で呼ぶ。
それを聞いたマヌエリタさんがぴくんと反応して、なんだか羨ましそうな表情を浮かべた。
「ああ、そのことですね。殿下は留学前からいろいろとお悩みのようでしたけど、少なくともわたしは賛成ですわ。もちろん、国元では王太子たるものがとか、怪我などされたらどうするのかなどと異を唱える者もいるでしょう。ですが、そういった声はわたしが抑えます。だって、せっかくの海外留学ですもの。殿下を縛る軛から一時だけでも解放されて、やりたいことに挑む。そんな2年半を過ごしていただきたいですわ」
おそらくはバルトくんが最も信頼しているであろう彼の叔母さん、ルチアさんのそんな言葉を聞いて、彼はふうと大きく息を吐いた。
内心ではきっと彼女の本音を心配していたのだろうね。
「それに、ザックさまがおられるだけでなく、こんなに可愛らしいお嬢さんが、殿下の後輩として一緒に活動してくださるのですもの」
「あひゃっ、わたしですか」
「うふ。殿下のこと、よろしくお願いいたしますね」
「ひぇ、畏れ多いです」
ルチアさんがそう言いながらウィンクをし、マヌエリタさんは恥ずかしそうに俯く。
そんなやり取りに、当のバルトくんは少しだけ顔を赤らめていた。
歓談は短い時間だったけど、お客様のどちらもご挨拶で来たということだったので、早々に引き上げて行った。
帰りがけにマヌエリタさんが後ろを歩く俺に振り返り、「あの」と口を開く。
「ん? 何ですか?」
「あの、わたしも、ザカリーさまのことをザックさまとお呼びしていいですか?」
「ああ、そのことか。従姉妹なんだから、ぜんぜんいいよ」
「そうしたら、わたしのことはマヌって呼んでください。エステルさまも」
「わかった。マヌちゃんでいいかな」
「マヌちゃん、また遊びにいらしてね」
「はい、是非に。それじゃ、失礼します、ザックさま、エステルさま」
マヌちゃんはそう朗るく声を出すと、足早に馬車に乗り込む。
そうして、レンダーノ王家の馬車とサルディネロ伯爵家は出発して行った。
「マヌちゃん、可愛らしい子だったわね」
「なんだか、ルチアさんもあの子が気に入ったようでしたよ」
「ふふ、そうみたい」
エステルちゃんとカリちゃんがそんな風に感想を話している。
確かにね。レンダーノ王家の宮宰としてどうなのかは分からないけど、少なくとも甥を庇護している叔母さんとしては、良い印象を持ったみたいだった。
サルディネロ伯爵家は西をティアマ海に接して港を持ち、南はミラジェス王国に接している。
つまり海運でも陸路でも、ミラジェス王国との関係性は深いのだろう。
そんな伯爵家の長女であるマヌちゃんが隣国の王太子と出会って、これからの2年半を同じ課外部活動で共にするというのは、何かの縁ということですかね。
「ザックさま」
「ザカリー教授は、利発そうな男子と可愛らしい女子の教え子を持って、なにやらいつもの妄想の世界に入ってるですよ」
「そうみたいね」
後輩にはなったけど、教え子じゃないですよ。
◇◇◇◇◇◇
その翌日、俺たちは課外部対抗戦の観戦にセルティア王立学院へと出掛けた。
今日行くメンバーは俺とエステルちゃんにケリュさん、カリちゃんとリーアさん、ジェルさんの6人だ。
馬車の御者役はユディちゃんだが、加えてフォルくんも騎馬で従い、このふたりは観戦には加わらずにいちど屋敷に戻って、対抗戦が終わる頃に迎えに来てくれる。
課外部対抗戦は講義が終わった時刻から始まるので、4時限目の終了が近い頃合いに到着して職員棟で学院構内に入る手続きをし、剣術訓練場へと向かった。
訓練場に入ると、4時限目が終わったのか多くの学院生やその他の関係者が集まり始めている
この対抗戦では、参加する課外部ごとに関係者席が確保されているので、俺たちはもちろん総合武術部の席に行くと、既に部員たちやその他の知っている人たちの顔があった。
「ザカリー教授、来たっすね。あ、これはエステルさま、お久し振りっす」
「きゃっ、エステルさまだ。来ていただいたんですね」
「エステルしゃま、お久し振りでごじゃいますぅ」
「みなさん、お久し振りです。あらあらブリュちゃん、泣き虫さんねぇ」
まあ、そんなことになるのではと思っていたけど、案の定、ブリュちゃんがエステルちゃんの姿を見てもう泣いております。
取りあえず、1年生部員でまだうちの者と会ったことの無いディック・オデアンくんにも紹介しておきましょうかね。
そんな部員たちの輪の向うからも挨拶の声が掛かる。
フレッドくんの叔母さんでヴァイラント子爵家の王都屋敷執事であるマルハレータさんや、昨日にうちの屋敷に来たサルディネロ伯爵家留守役公用人のダリオさんと駐在騎士のディフィリアさんも来ているね。
昨年に創部メンバーがごそっと卒業して、家族関係者の顔ぶれもだいぶ入れ替わった。
5年目となってもこの場に居るのは俺たちだけど、まあ許してください。
でも、総合武術部の応援席の賑やかな雰囲気が変わらないのは、やっぱり嬉しい。
そんな応援席でそれぞれが旧交を温めていると、なんとなく見たことのある顔の学院生が俺の近くにやって来た。
「どうしたっすか? 会長」と、それに同じく気付いたカシュくんの声で、その学院生がどうやら今年の学院生会の会長であることが分かった。
そう言えば、学院生会のメンバーに居ましたね。
「お久し振りです、ザカリー教授」
「えーと、貴女は……」
「今年の学院生会会長を勤めさせていただいております、ロレッタ・アディントンです」
「アディントンと言うと、アディントン男爵家の?」
「はい、そちらの二女になります」
アディントン男爵家というのは、王国中央部で王都圏の南に領地を持つ男爵家だ。確か、ライくんのモンタネール男爵家の隣領だよな。
そう言えばそんな子も学院生会の下級生で居ましたなぁと、その彼女とあらためて向き合う。
そうそう、うちのお菓子のファンで、学院祭のときにはうちのクラスの魔法侍女カフェに行きたいのに、学院生会の仕事で行けないと嘆いていた子だ。
「はい、これをどうぞ。学院生会のみんなで食べてね」と俺は、うちのお菓子詰め合わせセットをこっそり取り出して彼女に渡す。
「あ、えと、これは?」
「うちのお菓子詰め合わせセットですね」
「きゃっ、グリフィン子爵家のお菓子っ」
「一箱じゃ足りないかな。カリちゃん、ちょっとお菓子セットを出してくれる?」
「はーい。二箱ぐらいでいいですかぁ?」
今日はこういうこともあるかと思って、多めに用意しておりますぞ。
「あひゃひゃっ、ありがとうございます……って、お菓子をいただきに来たのではなくてですね」
そう言って彼女はフィールドの中央を指差した。
そこには、オイリ学院長とフィランダー剣術学部長教授にウィルフレッド魔法学部長教授の3人がもう来ていて、なにやらこちらを見ている。
そうして俺が向けた視線に気付いたのか、学院長が俺に向かって手招きをした。
「ああ、開会式が始まるんだね」
「えと、その開会式にザカリー教授もお並びいただきたいと、学院長が……」
あの手招きは、見れば分かるけど俺を呼んでいる。
「僕はあくまで観戦の客として……」
「この課外部対抗戦を始められた特別栄誉教授であられるザカリー教授には、是非とも開会式の場に来ていただかねばと、学院長もフィランダー先生もウィルフレッド先生もおっしゃっておられます」
あー、この対抗戦でのうちからの観戦人数を問い合わせた時点で、これは俺を引っ張り出そうと決めていたよな、きっと。
仕方無いからフィールドに降りますかね。
それにロレッタさんも、お菓子の箱を3つも抱えながら怖々俺の顔をじっと見てるしさ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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