第85話 バルトロメオ殿下の望み
まずはお昼にしましょうね、ということで、学院長に案内されて建物内の教授用レストランに向かった。
ここに来るのは、昨年の9月にランドルフ王宮騎士団長と来て以来ですかね。
学院の教授方や立場のある訪問客が利用するレストランで、一般はもちろん学院生も入れないのだが、ここのシェフが提供する料理は絶品だ。
店内の奥まった個室に案内されると、俺は幾度かここで食べさせていただいていて顔見知りのそのシェフが、挨拶に顔を見せてくれた。
まあ、学院生になったけど隣国の王太子殿下が来ているので、当然ですか。
「ザカリー教授、お久し振りです。このレストランは、これからも自由にご利用いただければと思います」
「あ、はい、ありがとうございます」
「シェフの言葉の通り、気軽に来て食べていいわよ。次はエステルさまと来たらどう?」
「ははは。そうさせて貰います」
気軽にと学院長は言うけど、学院の構内に入って教授棟に来てだから、それなりにハードルは高いと思いますけどね。
剣術訓練場近くのカフェレストランは前世の世界でのイタリアン風で、エンリケ食堂はスペインのバルみたいな感じだが、ここはどちらかと言えばフレンチ風だ。
セルティア王国で一般的なのは、例えて言えばオーストリアとかのドイツ圏の料理に近い気がしていて、学院生食堂だとそんな料理を中心に様々なメニューが並ぶ。さすがに和食とか中華とかは無いけどね。
フレンチ風の上品な彩りの昼コースメニューが出されて、バルトくんが講義に出席した感想などを聞きながらまずはお腹を満たした。
そのバルトくんはさすが王太子と言いますか、テーブルマナーは洗練されておりますな。
ちなみにライナさんは、元冒険者だと言っても出自は騎士爵家の娘さんなので、少女時代に身に付けたのであろうマナーはしっかりしている。
他方のカリちゃんだけど、これが不思議なのは、どんな場面でもしっくり馴染むんだよね。
王妃さんのお茶会だとか、この前の国王さんとの午餐でもそうだったし、人間社会のマナーがちゃんとしておるのですな。
以前に何気なくクバウナさんから聞いたところでは、彼女がクバウナさんのもとで暮らして居た際に、将来にきっと人間の間で生きることがあるだろうからと、相当しっかり仕込んだらしいんだよね。
「わたしのところで人間社会のこと、金竜さんのところではドラゴン社会を学ばせたのよ」とクバウナさんは言っておりました。
かつて人間社会にも深く関わった彼女が、自分の後継者と見込んでのことみたいだけど、当の本人は実に自然体でそんな道を歩んでいるのかも知れない。
学院の昼休み時間は1時間半と比較的ゆったりしているので、昼のコースメニューを食べ終えてもまだ時間に余裕がある。
それにバルトくんが転入した2年生だと、1年生では必須だった概論10科目が無くなり、選択科目18科目の中から10科目以上を選べば良く、1サイクルで5日間20講義時間のうちの半分を埋めれば充分だ。
「ですので、今日の午後は僕、講義が無いので、ザックさまとゆっくり過ごせるんです」
「剣術学と魔法学は?」
「高等魔法学が4日目の第4限で、剣術学上級は5日目の第3限ですね」
「ああ、ウィルフレッド先生とフィランダー先生か」
どうやら、隣国からの王太子留学ということとで、身体を使うこのふたつの科目はそれぞれ部長教授が引き受けたみたいだね。
とは言っても、同じ学年科目でも一段階上の高等と上級なので、魔法と剣術のどちらもそれに見合う実力があると判定されてのことだろう。
俺が2年生のときは、そのふたつに加えて中等魔法学と剣術学中級も何故か講師扱いで出ていたし、1年生の初等魔法学にフィロメナ先生の剣術パーソナルトレーニングもしていたので、午後もかなり忙しかったんだよな。
なので、これが通常の2年生の受講スタイルかと今更ながらあらためて思う。
午前の講義時間をなるべく座学関係で埋めてしまえば、午後はかなり自由時間に出来るんだよね。
短時間で密度の濃い講義と個人の自由意志での勉学を両立させるのが、セルティア王立学院の教育方針だ。
ちなみに座学関係では、バルトくんは神話学や歴史学、内政学や軍事戦術学といった俺も受講した講義のほか、詩文学や音楽、美術学と、かなり欲張りに講義を選択している。
この幅広さも、将来に国王となる王族子息の故にといったところですかね。
「それで、課外部は? もうどこかに入部した?」
剣術や魔法とかだけなく芸術関係などにも興味があるらしいバルトくんなら、入りたい課外部はいくらでもありそうだよな。
「えーと、それが……」
「まだどこにも?」
「まずはこの5日間は、殿下も学院や講義に慣れる必要があるでしょ。わたしも初めに相談されたけど、まずはそうしたらってアドバイスしたの。それでザカリー教授に今日来ていただいたのは、そのことも相談したかったそうなのよ」
言い淀んだバルトくんに代って、学院長がそう助け舟を出した。
「なるほど、そういうことですか」
「あの、僕はいちおう王族なので、将来のために政治学研究会とか弁論部とか、あるいはもしかしたら、歴史研究会や詩文研究会とか社交ダンス部なんかも良いのかもですけど」
うんうん、そうだろうね。
「でも、僕としてはせっかくの留学ですので、身体を動かすこともしたくて」
自国内での方が却って窮屈なのかも知れないな。怪我をしちゃいけないとかなんとか、いろいろ制約もありそうだし、周囲も気を遣う筈だ。
「それで聞くところによると、例えばセオドリック王太子殿下がご在学中は、剣術と他の文化系の課外部とを掛け持ちで入部されていたそうです」
セオさんはそうだったかな。ちなみにその弟のクライヴ第2王子は、総合魔導研究部と他の部とのやはり掛け持ちで、魔法の方はほとんど幽霊部員だったと聞いた気がする。
アデライン王女は……えーと、彼女は在学中も引き蘢りのようで、敢えて課外部のことは聞きませんでした。
いずれにしろ、こちらの王国の王族子女の場合は伝統的に、剣術か魔法と文化系とを掛け持ち在籍するケースが多いらしく、どうしても何かひとつに没頭するという訳にはいかないらしいよな。
中の下クラスの貴族であるうちの家族だと、父さんは総合剣術部1本で、当時天才魔法少女だった母さんは総合魔導研究部。
ヴァニー姉さんは魔法の才とダンス好きからふたつの部を掛け持ちしていたけど、アビー姉ちゃんは初め総合剣術部に入ってから、直ぐに強化剣術研究部を創部したんだよな。
まあ、武闘派貴族であるうちの例は参考にはなりませんけど。
「それでバルト殿下は、入りたい課外部の目星は付けたんですか?」
「それはザック様。僕が入るなら、ザック様の創られた総合武術部で。あ、でも、その……」
ああ、そういうことか。
クラスの希望はA組で、生活する寮は第7男子寮。それで課外部は総合武術部と、そこまで俺の後ろを辿ってくれるのは嬉しいと言うか、いささか気恥ずかしいと言いますか。
貴重で大切な青春の2年半を送るのに、それで本当に良いのかな。
でもまあ、例え俺と同じ枠組みの中に身を置いたとしても、日々を創って行くのはバルトくん自身なのだけどね。
それで言葉を途切らせて、おそらく決めかねている様子なのはどうしてでしょう。
「えーと、同じクラスのブリュエットさんに思い切って聞いてみたのです」
「ああ、ブリュちゃんですね。あの子元気でしたー?」
ブリュちゃんつまりブリュエット・アヴリーヌさんは、今年2年のA組だよね。
彼女はアルタヴィラ侯爵領出身で、お父上は侯爵家騎士団の魔導騎士部隊長だ。
この場に同席しているライナさんのお爺様が先々代かその前の魔導騎士部隊長で、15年戦争で殉職された。
そのブリュちゃんとバルトくんが同じクラスになっているのも、少しばかり縁を感じるよな。
「あ、はい。とても元気そうですよ、ライナさん。それで、彼女とは選択科目でもいくつかが同じだったので、ちょっと聞いてみたんです」
そうだね。現役部員でクラスメイトに聞いてみるのが一番だ。
「そうしたら、うちの部は剣術と魔法と、それから身体づくりや体術の練習もするので、毎日が課外部漬けですよ、と。でも2年生になって、自由に使える時間が増えたので、課外部を頑張るのも余裕です、とも言ってました」
ほうほう、どうやらちゃんと練習に励んでおるみたいですな。
総合武術部独自の練習スタイルである、剣術、魔法、身体づくりに体術も加えた欲張り練習。
最初はきついけど、どれもしっかりこなせばそれなりに実力は身に付く。
でも少しでもサボったり手を抜いたりすると、そのどれもが中途半端に終わるという、自己鍛錬意識を各自に問うスタイルだ。
「それで、バルトくんはどう思ったの?」
「あの、僕としてはやってみたいのですけど、完全に毎日が総合武術部の練習になるというところで、これはたぶん他の部との掛け持ちなどは到底無理だなって。それに掛け持ちとか、他の部員のみなさんにも失礼で迷惑を掛けますし」
「あー、それでバルトくんとしては、少し悩んでいる訳だ」
「そうなんです」
俺が在学していた4年間にそういう掛け持ち部員は居なかったけど、もし誰かがそうだったら、おそらくはバルトくんの言う通りだろうね。
入部を決める前にそう思い至ったバルトくんは、しかし彼の年齢ではちょっと考え過ぎというか慎重過ぎるきらいがあるのかも。
だけど、やはり王族で王太子として、環境とか状況と自分の立場や行動なんかを考慮しようとすると言いますか、思慮深く育っているのかも知れません。
これは、どこかの第2王子辺りにも見習って欲しかったですな。
「はい」
「はい、ここで挙手したカリちゃん。なにかご意見があるのかな?」
「この学院の中では、立場とか地位とかは関係ないんですよね、学院長さん」
「ええ、そうですよ、カリさん」
「でしたら、このカリオペ、学院の卒業生では無いですけど、ひとりのお姉さんとしての意見を述べます。いいですか? 殿下」
「お願いします」
ひとりのお姉さんとしての意見とか、大丈夫ですかね。
俺の多少不安そうな目線に、カリちゃんはニコっと応えた。
「うちのザックさまは、総合武術部を自ら立ち上げて、その練習方法とかも部員のみなさんと相談しながら決めて、講義終わりには毎日練習をして、おまけに講義時間中もご自分が履修しなくてもいい講義や下の学年のなんかにも出て、剣術と魔法の講師をして、それでも4年間、学年首席を取っていました。ですよね、ザックさま」
「あ、いやあ、そうだったかな」
「おまけに休日も、訓練やらその他いろいろ余計なことやらもして」
「余計なことって」
「新しいお菓子を考案するとか、ほかにも余計なこともたくさんして、学院生の4年間を目一杯楽しんで来ました」
あー、そうなんだけど、ここで俺の例を出すのはさ。
「こんなザックさまでも」
「こんな、って」
「こんなザックさまでもやって来られたんですから、将来は国王さまになるバルト殿下だったら、いましたいことをして、いましなければいけないこともしっかりやって、それであと2年半、目一杯楽しんで頑張るのなんか、平気で出来ますよ」
それってちょっと飛躍した論法ですよ、カリちゃん。
「その楽しんで頑張った学院生活って、きっと将来の役に立つって、このお姉さんは思うのですよね。だったら、まずやりたいことを優先して、ぐちゃぐちゃ考えずにそこに自ら立ち向かって行くのが男の子じゃないですか。せっかく、思い切って違う国に留学して来たんですよね。だったら、自分の国ですることの二倍頑張るぐらいの意気込みで行ってください。あ、わたし、ちょっと言い過ぎましたかね」
カリお姉さんのご意見を聞いて当のバルトくんはかなり吃驚したのか、直ぐに言葉も出ずに目を丸くしていた。
そして暫く口を噤んで何か考えていたようだけど、ようやくという感じで口を開いた。
「ザック様は、その、千年にひとりと言われる剣と魔法の天才で、怪物とも、もしかしたら神様がこの世に下された方とも、そんな噂がされるほどの御方で」
「(正しくはアマラさまとヨムヘルさまの預り子で、武神さまと風の精霊さまの義弟ですけどね)」
「(若しくは、ただの修行好き変人とも言うわよねー)」
「(おい)」
「なので、ザック様と僕を並べて考えるのは畏れ多いですけど、カリさんのおっしゃる通り、少なくとも僕が思い切って国を出て、留学して来たのは事実です」
思い切ってか、確かにそうだろうね。
いくら向うの国王や宮宰のルチアさんの後押しがあったとしても、反対する人も多かっただろうし、何にも増して知る辺の無い外国の学院に、僅か13歳で飛び込んで来たのだから。
「本当は今日、ここでザック様とお会いしたとき、僕は総合武術部に入部させていただきましたって、そう報告すべきでした。それが出来なかったのは、僕があれこれ、ぐちゃぐちゃ考え込んでいたからで……。まずは留学して来た勢いで、やりたいことに飛び込んでしまえば良かったんですよね」
「そうですよ。でもそれは、今日からでもぜんぜん遅く無いですよ」
「はいっ。確かにそうですね、カリさん」
「僕は、ザック様の創られた総合武術部に入りたいです。そして全力で取組みます。でも他にやりたいこともしたいですし、もちろん勉学も頑張ります。ですからザック様、総合武術部に入らせてください」
「あー、それはいまの部長と会って言ってください。でも僕も先輩として応援しますよ。それからカリちゃんはああ言ったけど、決して無理はしないように。自覚ある無茶ならまだしも、自覚の無い無理はしないしさせない。逆説的に聞こえるかも知れませんが、僕はそう思っています」
無理はしてもいいけど無茶はするな、という反対の言い方を良く聞いたりするけど、自覚無く無理なことをすれば無茶以上の危険が伴うと、俺はそう思っている。
無理とは言葉の通り理に反し理を欠くことであり、つまりは限度を知るということだ。
その理を知り解明し、限度を自覚しながら限度の範囲を少しずつ広げて行く。それが俺が前世の修行で学んだことかも知れない。
ちなみにドラゴンだと、人間とは無理の幅も無茶の度合いも桁違いに異なるだろうなぁ。
「ザック様のおっしゃることは、まだ良くわかりません。でもそのお言葉は、胸に大切に留めて置きます」
「そうしたらさー。いまから総合武術部の部長に会いに行ったらどうかしら。今年の部長ってカシュくんよね。それとも、まずはブリュちゃんに話をしてからにする?」
「あ、はい、ライナさん。ブリュエットさんなら、僕と履修科目が似ていますから、今日の午後は彼女もたぶん講義が無いと思いますし、図書館か、魔法訓練場が空いていればそこか、あるいは部室かもです」
ふんふん、留学7日目にしてバルトくんは、ブリュちゃんの動静を良く知っておりますな。
これはブリュちゃんにも、バルトくんのことを良く頼んで置かないとでありますかね。
「だったら魔法訓練場に行って、図書館を覗いて、それから部室に行きましょうよー」
「それいいですね、ライナ姉さん」
「どうかしら、学院長さん」
「ええ、ザカリー教授がご一緒なら、どこに行かれても構いませんよ。殿下もそうさせていただいたらどうですか?」
「はいっ」と、彼は満面の笑みで朗るく返事をした。
ということで、バルトくんの総合武術部入部を後押しするために、ブリュちゃんをはじめうちの後輩たちを探しに行くことになりました。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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